今回はリベ2のナタリアの視点での話です。
私は、自分が普通の女の子ではないことを知っている。
もちろん、以前からそうだった。
でも、今の私は――あの頃の私とは少し違う。
鏡の前に立つ。
そこに映っているのは、ナタリア・コルダ。
幼い少女だった私は、少しずつ成長している。
見た目だけなら、何も変わっていない。
だけど……私の中には、もう一人の人間がいる。
アレックス・ウェスカー。
かつて私の身体を奪おうとした人。
彼女の意識は、私の中に残っている。
ただし――彼女が私を完全に乗っ取ったわけではない。
あの時、アレックスは私の身体に入り込もうとした。
けれど、結果は彼女が望んだものとは違った。
私の精神と、アレックスの精神。
二つは完全に分離したまま存在することも、どちらか一方が消えることもなかった。
溶け合い、混ざり合った。
だから時々、私は自分では知らないことを知っている。
見たことのない研究施設の構造。
知らない人間の名前。
ウイルスについての知識。
そして、人間の身体をどう変えることができるのかという知識。
それらは、まるで最初から私の中にあった記憶のように浮かんでくる。
でも、それでも。
私は私だ。
考えているのも。
話しているのも。
この身体を動かしているのも。
ナタリア・コルダ。
アレックスの知識も、記憶も、経験も私の中にある。
けれど、意識の中心にいるのは私。
私は、自分がナタリアであることを疑っていない。
これが、今の私の状態だった。
「……不思議」
鏡の中の自分を見ながら、私は呟いた。
以前なら、こんなことを考えもしなかった。
でも今なら分かる。
私の中には、二人分の人生がある。
一人は、ナタリア。
もう一人は、アレックス・ウェスカー。
それでも――私は。
今ここにいる私は。
ナタリア・コルダだ。
アレックスの存在を否定するつもりはない。
彼女の記憶は、もう私の一部になってしまった。
だから私は、彼女のことを「別の誰か」と考えることも難しくなっている。
それでも、彼女に身体を明け渡すつもりもない。
私の人生は、私のものだから。
窓の外を見る。
二〇一五年の世界は、今日も何事もなかったかのように動いている。
けれど私は知っている。
この世界には、まだ多くの秘密がある。
そして、その秘密の一部を――私は知っている。
アレックスが残した知識として。
私自身の記憶として。
あるいは、その両方として。
「……行こう」
私は鏡から離れ、足を踏み出す。
この足で歩くのは私、ナタリア・コルダだ。
◇
少し前、私は変わった男の子に出会った。
名前はチャーリー。
私のクラスに転入してきた同級生だ。
家も隣。
だから、学校だけではなく、家の前でも顔を合わせることが多い。
「おはよう、ナタリア」
「おはよう、チャーリー」
朝、家を出ると、隣の家からチャーリーが出てくる。
そのまま二人で学校へ向かう。
チャーリーは、特別に目立つ子ではない。
勉強はそこそこできる。
先生の話をきちんと聞いて、分からないことがあれば自分で考える。
それに、優しい。
誰かが困っていれば自然に手を貸すし、相手が嫌がることを無理にするようなこともしない。
ただ、一つだけ変わったところがある。
チャーリーは、自分にどんな才能があるのかを探している。
だから、色々なことに挑戦していた。
スポーツをやってみたり。
楽器を触ってみたり。
絵を描いてみたり。
料理をしてみたり。
興味を持ったものがあれば、とりあえず試してみる。
「今度は何をするの?」
「まだ決めてない」
「また?」
「うん。自分に何が一番向いてるのか、まだ分からないから」
チャーリーは笑う。
「だから、色々やってみるんだ」
「……大変じゃない?」
「失敗するのも面白いよ」
「成功すればもっと面白いし」
そう言って、また新しいことを始める。
上手くいけば喜ぶ。
失敗すれば、何が悪かったのかを考える。
そして、また別のことに挑戦する。
私は、そんなチャーリーを少し不思議に思っていた。
時々、妙に大人びた考え方をすることもある。
でも、それも単純に「少し頭のいい子だから」と思っていた。
少なくとも、彼が普通ではない人間だとは考えなかった。
私自身が、普通ではないことに比べれば。
放課後。
学校から帰ってくると、家の前にモイラの姿があった。
「おかえり、ナタリア」
「ただいま、モイラ」
モイラは私の義理の姉だ。
私にとって、家族の一人。
そのモイラは、エレンやクレアと話をしていた。
「久しぶりに三人揃ったわね」
エレンが笑う。
「そうね。仕事以外でこうして集まるのも悪くないわ」
モイラが答える。
「昔からモイラはエレンと仲良かったもんね」
クレアも笑った。
三人は同じテラセイブの仲間だ。
仕事で顔を合わせるだけではなく、こうして個人的にも付き合いが続いている。
私は少し離れたところから、その様子を見ていた。
モイラがエレンやクレアと楽しそうに話している。
時々、三人で笑う。
私が知っているモイラとは、少し違う顔だった。
でも、不思議と嫌な感じはしない。
むしろ――安心する。
私には家族がいる。
バリーがいる。
モイラがいる。
そして、隣の家にはエレンとチャーリーがいる。
そんな何気ない毎日。
隣の家に住む、少し賢くて優しい同級生。
自分にどんな才能があるのかを探しながら、色々なことに挑戦している男の子。
それが、私にとってのチャーリーだった。
――この時の私は、それ以上の意味を彼に感じてはいなかった。
◇
その日は、いつもと変わらない朝だった。
チャーリーと一緒に学校の教室へ入り、授業を受ける。
昼休みには友達と話し、午後の授業が始まる。
何も変わらない。
少なくとも、その直前まではそう思っていた。
――突然、校内に銃声が響いた。
「……え?」
教室中の生徒が一斉に顔を上げる。
続けて、廊下から悲鳴が聞こえてきた。
何が起きているのか分からない。
だが、教師の判断は早かった。
「全員、机の下に隠れろ!」
教師は叫ぶと同時に教室の扉へ駆け寄り、素早く鍵を掛けた。
チャーリーと私は、ほぼ同時に机の下へ潜り込んだ。
その直後――。
銃声が連続して響いた。
扉や壁を撃ち抜いた弾丸が教室内へ飛び込んでくる。
机や壁に弾丸が突き刺さり、生徒たちが悲鳴を上げる。
それでも、机の下に身を伏せていた私たちには当たらなかった。
やがて銃声が止む。
教室の中には、負傷して動けなくなった生徒がいた。
教師も扉の近くで倒れている。
私は息を殺しながら、廊下から聞こえてくる声に耳を澄ませた。
複数の男たちが何かを叫んでいる。
「何語だろう?」
小さな声でチャーリーが尋ねる。
チャーリーには、その言葉が何なのか分からないらしい。
私は耳を澄ませた。
「アラビア語よ」
「分かるの?」
「うん」
宗教的な言葉を交えながら、互いに指示を出している。
この状況。
武装した集団。
そして、聞こえてくる言葉。
「……イスラム過激派かもしれない」
私はそう判断した。
まだ確証はない。
でも、その可能性は高い。
その時。
廊下から、激しい足音が近づいてきた。
扉が蹴られる。
「開けろ!」
男がアラビア語で怒鳴る。
続けて、何度も扉が蹴られる。
鍵が掛かっている。
それでも、相手は諦めない。
チャーリーが中腰の姿勢で立ち上がった。
「……?」
私はチャーリーを見る。
彼は教室の扉を見ていた。
そして、教室の前方に置かれていた机の横を通り、扉のすぐ脇へ音もなく歩いていく。
「チャーリー?」
返事はない。
チャーリーの手には、授業で使うカッターナイフがあった。
刃をカチカチと出す。
扉が大きく揺れる。
そして――。
鍵が蹴破られた。
扉が倒れ、一人のテロリストが教室へ踏み込んだ。
その瞬間、チャーリーが動いた。
中腰の姿勢から立ち上がり、男の横へ滑り込むように近づく。
一閃。
カッターナイフの刃が男の首を切り裂いた。
「……!」
男が崩れ落ちる。
その直後だった。
廊下から、怒鳴り声が響く。
どうやら別のテロリストが異変に気づいたようだ。
チャーリーはその手に持ったカッターナイフをテロリストへ投げつける。
廊下の先から人が倒れる音が聞こえた。
チャーリーは次に、テロリストのアサルトライフルを回収した。
身体を起こし、銃を見様見真似で構える。
そして――。
新たに現れたテロリストに銃口を向ける。
発砲と同時、扉の向こうにいたテロリストが倒れる。
次々と現れる敵に対して、チャーリーの動きには一切の迷いがなかった。
アサルトライフルを握った瞬間から、まるで身体そのものが使い方を理解しているかのようだった。
私は息を呑んだ。
「チャーリー……?」
呼びかけても、彼は答えない。
敵の位置。
動き。
銃口の向き。
それらを一瞬で捉え、必要な瞬間だけ身体を動かしている。
異常な反応速度。
常人離れした身体能力。
極限状態でも乱れない判断力。
それは単なる偶然ではなかった。
本人が探していた、自分の一番の才能。
それは暗殺者としての才能だった。
そして、それを支えている身体そのものも普通ではない。
適応者としての能力。
それらが、この極限状態で初めて明確に表へ現れていた。
「ナタリア!」
チャーリーが私を見る。
「ここから出るよ!」
「うん!」
私はチャーリーと共に教室を飛び出した。
教室には生存者もいたが、皆固まっていて身動きできなかった。
彼らには悪いが、私たちは彼らを見捨てた。
廊下には、まだ銃声が響いている。
逃げ惑う生徒たち。
負傷して動けない人たち。
そして、校内を制圧しようとするテロリストたち。
その混乱の中で、チャーリーは私を守りながら進んでいく。
やがて、遠くからサイレンが聞こえてきた。
警察や特殊部隊が学校へ突入してくる。
長く感じられた悪夢は、ようやく終わりを迎えた。
私たちは、無事に生き残った。
学校の外へ出た時、チャーリーは自分の両手を見つめていた。
「……僕、人を殺した」
その声には、震えがあった。
「なのに、何も感じない」
私は何も言えなかった。
あの瞬間。
チャーリーの中に眠っていたものが、初めて表に出た。
極限状態での判断力。
異常な反応速度。
常人離れした身体能力。
そして――暗殺者としての才能。
本人が探し続けていた、自分の才能。
その答えが、最悪の形で見つかった。
そして同時に。
彼が適応者として持っていた力も、初めて明確に姿を現した。
私はチャーリーを見る。
少し賢くて。
優しくて。
自分にどんな才能があるのかを探しながら、色々なことに挑戦していた男の子。
それが、私の知っているチャーリーだった。
けれど――。
この日を境に、私は彼の中に、自分の知らないものがあることを知った。
◇
学校から離れ、保護された場所でようやく落ち着きを取り戻した。
周囲には、泣いている生徒がいる。
家族の名前を呼ぶ声も聞こえる。
私も、ようやく自分が生きているのだと実感していた。
けれど。
私の意識は、ずっと隣にいるチャーリーへ向いていた。
彼は黙ったまま、自分の手を見つめている。
その手で、人を殺した。
教室に入ってきたテロリストを倒し、その場にあったアサルトライフルを手に取り、次々と迫ってくる敵へ向かっていった。
あの時のチャーリーは、私が知っている彼とは別人のようだった。
それでも――。
怖いとは思わなかった。
むしろ。
私は、彼から目を離せなかった。
「……ナタリア?」
「え?」
突然名前を呼ばれて、私は顔を上げた。
彼と目が合う。
「どうしたの?」
「ううん……なんでもない」
慌てて視線を逸らす。
胸の奥が、少しだけ苦しい。
さっきまでとは違う。
チャーリーが隣にいることを、今までとは違う意味で意識してしまう。
学校では、いつも近くにいる同級生だった。
少し賢くて、優しくて。
自分の才能を探していて、色々なことに挑戦している男の子。
それだけだった。
でも、今日。
命の危険が迫ったあの瞬間、彼は私を守ってくれた。
恐怖から逃げずに私の前に立った。
そして、生き残るために戦った。
その姿が、頭から離れない。
チャーリーがこちらを見る。
「怪我してない?」
「……うん」
「よかった」
それだけ言って、チャーリーは小さく笑った。
その言葉を聞いて、笑顔を見た瞬間。
胸が、また強く跳ねた。
「……!?」
私は自分の胸元に手を当てる。
どうして、こんなに胸が苦しくなるんだろう。
どうして、彼に見られるだけで落ち着かなくなるんだろう。
分からない。
こんな事は、アレックスの知識にもない。
でも――。
今までとは何かが違っていた。
私は、チャーリーのことをもっと知りたい。
彼の傍ににいたい。
そんな気持ちが、少しずつ胸の中で大きくなっていく。
この気持ちが何なのか。
その答えを、私はまだ知らない。
チャーリーの話はライトノベルのケモノガリの主人公を参考にしています。