この話は少々難産でした。
次郎とレオンは地下から警察署へ戻る階段を上がり、再びメインホールへ足を踏み入れた。
高い吹き抜けには静寂が満ちている。
女神像は変わらず中央に佇み、人気のないホールを見下ろしていた。
「まずは電子部品を集めよう」
次郎はエリオットの手帳を開きながら言う。
「カードキーを手に入れるには、それしかない」
レオンは頷き、ショットガンを構え直した。
「まずは東側から回りましょう」
二人は慎重に廊下を進む。
途中で遭遇するゾンビは、必要最低限だけ処理する。
弾薬の消耗を避けるため、倒さずにすり抜けられる相手は避けて進んだ。
やがて図書室へ続く廊下へ差しかかった、その時だった。
――ドン。
重く鈍い足音が響いた。
レオンが立ち止まる。
「……アリスさん」
「今の音は」
次郎も異音に身構える。
「今度は何だ?」
再び。
ドン。
ドン。
一定の間隔でこちらへ近付いてくる重い足音。
ゾンビとも、あの異形とも違う。
規則正しく、まるで目的を持って歩いてくるような音だった。
廊下の奥の扉がゆっくりと開く。
ギィィ……。
現れたのは、黒いロングコートを身にまとった大柄な男だった。
帽子で顔は半分隠れている。
無表情。
何も言わず、ただ真っ直ぐにこちらを見ている。
レオンは思わず拳銃を向ける。
「警官……じゃないよな?」
次郎は男の様子を観察する。
呼吸の乱れはない。
ふらつきもない。
だが、人間とは思えない威圧感があった。
「止まれ!」
レオンが警告する。
しかし男は答えない。
一歩。
また一歩。
ゆっくりと距離を詰めてくる。
「警告します!」
「それ以上近付くな!」
なおも反応はなく、男は進み続ける。
静止を振り切り向かってくる男に対して、レオンはやむを得ず引き金を引いた。
パンッ!
弾丸は男の胸へ命中する。
しかし、それでも男は止まらず、まるで何事もなかったかのように歩き続ける。
「嘘だろ……!」
レオンは続けざまに二発撃つ。
パンッ!
パンッ!
肩と腹部へ命中。
それでも速度は変わらない。
次郎は静かに呟く。
「こいつ、人間じゃない!」
男はさらに歩み寄る。
あと十メートル。
レオンはショットガンへ持ち替えた。
「これなら!」
ドォンッ!!
至近距離から放たれた散弾が男の顔と胸を大きく抉る。
普通の人間なら即死の一撃。
その巨体が一歩だけ後ろへ揺れた。
しかし――。
次の瞬間には何事もなかったように姿勢を戻し、再び歩き始める。
レオンは目を見開いた。
「な、あり得ない……!」
様子を見ていた次郎は即座に判断する。
「これは、倒せる相手じゃないな」
「逃げるぞ!レオン!」
レオンもすぐに頷く。
「了解!」
二人は踵を返し、一斉に廊下を駆け出した。
背後では――
ドン。
ドン。
ドン。
重い足音だけが一定の間隔で響き続ける。
走る気配はない。
それでも確実に追ってくる。
レオンは肩越しに振り返った。
黒いロングコートをまとった巨人は、相変わらず無表情のまま歩き続けている。
「何なんだ、あいつは……!」
「今は考えるな」
次郎は前方から目を離さない。
「撒くことだけ考えろ」
「了解!」
二人は図書室へ飛び込み、本棚の間を縫うように走る。
レオンが先頭に立ち、進路を素早く判断する。
「右は行き止まりです!」
「次は左へ!」
次郎はレオンの指示に従い、迷わず進路を変えた。
中央の本棚を飛び越え、その陰へ滑り込む。
二人は同時にしゃがみ込み、呼吸を殺した。
館内は静まり返る。
レオンは拳銃を構えたまま、入口を監視する。
次郎は耳を澄ませ、足音だけに意識を集中させた。
数秒が過ぎる。
十秒。
やがて――
ドン。
再び重い足音が響いた。
レオンが目だけで次郎を見る。
「まだ来ます」
「ああ」
「完全には撒けないらしい」
足音は廊下をゆっくりと横切り、そのまま遠ざかっていく。
次郎は短く頷いた。
「行こう」
二人は同時に立ち上がった。
レオンが先に廊下を確認する。
「クリア」
その一言を聞き、次郎も飛び出した。
無駄のない動きだった。
まるで何度も訓練を積んだ相棒同士のように、お互いの役割が自然に噛み合っていた。
「電子部品を回収します」
レオンが先導する。
「ああ。俺は後ろを見ておく」
次郎は進行方向とは逆を向きながら後退するように移動し、背後を警戒する。
レオンは棚や机を素早く確認しながら必要な場所だけを調べていく。
無駄な探索はしない。
ゲーム感覚ではなく、警察官としての観察力が活きていた。
「こっちです」
レオンが階段を指差す。
「時計塔へ行くなら、このルートが最短です」
「任せる」
二人は階段を駆け上がる。
その途中だった。
踊り場へ倒れていた警官が突然起き上がり、レオンへ飛び掛かった。
パンッ!
次郎のリボルバーが火を吹いた。
弾丸は警官の頭部を正確に撃ち抜き、ゾンビはその場へ崩れ落ちる。
「ありがとうございます」
「お互い様だ」
短い言葉だけを交わし、再び走り出す。
時計塔へ到着すると、レオンは床へ転がる歯車を見つけた。
「ありました!」
「取り付けろ。俺が入口を見る」
レオンは歯車を抱え、仕掛けへ向かう。
その間、次郎は扉の前でリボルバーを構え続ける。
静寂だけが流れる。
やがて歯車が噛み合い、古い機構がゆっくりと動き始めた。
ギギギ……
巨大な鐘が揺れる。
ゴォォォォン――。
重厚な鐘の音が警察署中へ響き渡った。
その振動とともに隠し箱が姿を現す。
「ありました!」
レオンは箱を開き、中の電子部品を取り出す。
「一つ確保!」
「よし、移動するぞ」
二人はすぐに時計塔を後にした。
鐘の余韻が消え始めた頃、レオンが廊下の角で立ち止まる。
拳を軽く上げる。
停止の合図だった。
次郎も即座に足を止め、背後へ銃口を向ける。
レオンは壁際から慎重に廊下を覗き込む。
左右を確認する。
人影はない。
床には動くものも見当たらない。
「クリアです」
「進もう」
二人は廊下へ出る。
レオンが先導し、次郎は数歩後ろから背後を警戒する。
十数メートル進んだ、その時だった。
ガァァッ!
前方横の執務室の扉が勢いよく開き、警官ゾンビが廊下へ飛び出した。
レオンは即座に拳銃を構える。
パンッ!
一発放つが、弾丸は肩をかすめるだけだった。
ゾンビは構わず突進してくる。
「くそ!」
「下がれ!」
レオンはすぐに一歩退いて射線を譲る。
次郎のリボルバーが火を吹いた。
パンッ!
弾丸は側頭部を正確に撃ち抜く。
ゾンビは勢いを失い、その場へ崩れ落ちた。
「助かりました」
「いい判断だった。射線を塞がなかったのが大きい」
短く言葉を交わすと、二人は再び歩き出した。
無駄話はない。
互いに必要なことだけを伝え合い、歩調を合わせる。
警察署の中は、不気味なほど静まり返っていた。
遠くで何かが倒れる音が一度だけ響き、再び沈黙が訪れる。
レオンは通路の先を警戒しながら歩く。
「電子部品はあと一つですね」
「ああ」
次郎は周囲へ視線を巡らせた。
「ここから先は戦闘を避ける。見つからずに進めるなら、それが一番だ」
「了解」
その時――
ドン。
二人の足が止まる。
ドン。
ドン。
床を震わせる重い足音。
「近い……」
レオンが声を潜める。
次郎は耳を澄ませると、小さく左手を上げた。
「左の部屋だ」
レオンは静かに頷き、ゆっくりとドアノブを回す。
軋む音すら立てないよう慎重に扉を開けると、二人は室内へ滑り込んだ。
最後に入った次郎が、静かに扉を閉める。
部屋の中には古びた机や書類棚が並び、長く人の手が入っていない空気が漂っていた。
奥の机の上には、一台の古いタイプライターがぽつんと置かれている。
二人は窓際から離れた物陰へ身を寄せ、息を殺した。
ドン。
ドン。
ドン。
足音が部屋の前まで近づいてくる。
レオンは拳銃を握る手に力を込めた。
次郎は首を横に振る。
撃つな。
その合図だけでレオンは静かに頷く。
足音は扉のすぐ向こうで止まった。
部屋を包む静寂。
時計の針さえ聞こえてきそうな沈黙が流れる。
レオンの額を一筋の汗が伝った。
やがて――
ドン。
再び足音が鳴る。
ドン。
ドン。
今度は少しずつ遠ざかっていった。
完全に聞こえなくなるまで待ち続けた次郎は、小さく息を吐く。
「……行こう」
レオンは静かに頷く。
次郎が慎重に扉を開け、左右を確認する。
「クリアだ」
二人は足音が完全に遠ざかったことを確認すると、廊下を駆け出した。
今ならまだ距離を稼げる。
立ち止まっている余裕はない。
レオンは先頭に立ち、警察署の構造を思い返しながら進路を選ぶ。
「あと一つは東側です」
「急ごう」
薄暗い廊下を進み、階段を下りる。
途中、倒れた机や散乱した書類が行く手を遮るが、二人は最低限の動きで乗り越えていく。
やがて目的の区画へ辿り着くと、レオンが足を止めた。
「この先です」
古びた木製の扉。
警戒しながら開くと、部屋の中は薄暗く、棚や備品が乱雑に並んでいた。
次郎は入口で周囲を警戒する。
「俺が見張る。回収は任せた」
「はい」
レオンは室内を素早く見渡した。
机の引き出し。
棚の上。
壊れた器具の陰。
必要な場所だけを確認していく。
数十秒後――
「あった!」
棚の奥に置かれた小箱を開き、目的の電子部品を取り出す。
「これで二つ揃いました」
安堵したのも束の間だった。
ドン。
二人の動きが止まる。
ドン。
ドン。
聞き覚えのある重い足音が、廊下の向こうからゆっくりと近付いてくる。
レオンは電子部品をポーチへしまい、拳銃を構えた。
「来ましたね……」
「いや、まだ追いつかれてはいない」
次郎は扉の隙間から廊下を一瞥した。
姿は見えない。
だが、重い足音だけが一定の間隔で近付いてくる。
「追いつかれる前に離れるぞ」
「はい」
二人は呼吸を合わせると、足音が少し遠ざかった瞬間を見計らって部屋を飛び出した。
そして息を殺しながら廊下を進んだ。
レオンが先頭に立ち、角へ差しかかるたびに慎重に周囲を確認する。次郎は数歩後ろで背後へ意識を向け、何か異変があればすぐ反応できるようリボルバーを握り直した。
しばらくは静寂だけが続いた。
先ほどまで聞こえていた重い足音も、いつしか耳に届かなくなっている。
レオンは小さく息を吐いた。
「静かですね……」
次郎は首を横に振る。
「油断するな」
その直後だった。
――ドン。
床の奥深くから響いてくるような鈍い衝撃音。
二人は同時に立ち止まる。
音は一度きりでは終わらない。
――ドン。
――ドン。
静まり返った警察署に、その足音だけが不気味なほど鮮明に響く。
近いのか、遠いのか。
廊下の反響で距離がまるで掴めない。
だが、一つだけ確かなことがあった。
音は消えない。
止まらない。
一定の間隔で、一歩、また一歩とこちらへ迫ってくる。
レオンは無意識に唾を飲み込んだ。
「……来ています」
次郎も視線を巡らせるが、どの通路にも人影はない。
それでも、得体の知れない圧力だけが確実に近づいてくる。
――ドン。
今度の一歩は、先ほどよりも明らかに近かった。
次郎は短く告げる。
「走るぞ」
二人が駆け出した、その数秒後。
背後の曲がり角の奥から、黒いロングコートをまとった巨体が、ゆっくりと姿を現した。
慌てる様子もない。
走ることもない。
ただ逃げる二人を見据え、一定の歩幅で歩き続ける。
――ドン。
――ドン。
その足音だけが、再び警察署中に響き渡った。
タイラントに追跡される時の恐怖感を少しでも表現できていたら良いなと思います。
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