ズシィィンッ――。
スーパータイラントの巨体が、鈍い音を立てて床へ崩れ落ちた。
露出していた巨大な心臓は完全に潰れ、全身を覆っていた異形の筋肉が力なく弛緩していく。
しばらくの間、誰も動かなかった。
研究所に響くのは、赤い警報灯の点滅音と、非常電源の低いうなりだけ。
レオンは拳銃を構えたまま、目の前の怪物を睨み続ける。
やがてスーパータイラントが完全に動きを止めたことを確認すると、小さく息を吐いた。
「……終わった」
その一言と同時に、全身を張り詰めていた緊張が一気にほどける。
次郎はなおもスーパータイラントを見下ろしたまま静かに残身する。
刃から黒い血液が一筋、床へ滴り落ちる。
ポタリ――。
静寂の中、その音だけが妙に大きく響いた。
『爆破まで、残り四分』
無機質な機械音声が研究所内へ鳴り響く。
二人は同時に我へ返った。
レオンが顔を上げる。
「アリスさん! 急ぎましょう!」
次郎は静かにナイフを血振りして腰へ戻し、短く頷いた。
「エイダが命懸けで繋いでくれた時間だ」
「無駄にはしない」
二人は踵を返し、搬送用エレベーターへ向かって全力で駆け出した。
赤い警報灯が廊下を照らし、爆発寸前の研究所全体が不気味な振動を繰り返している。
天井からはコンクリート片が絶えず降り注ぎ、蒸気配管が破裂して白い蒸気を噴き出していた。
「急ぐぞ!」
レオンが先頭を走る。
その後を、次郎が一歩遅れて追う。
覚醒した身体は傷一つなく動いていたが、裂けたスーツだけが先ほどまでの死闘を物語っていた。
やがて二人はエレベーターへ飛び込む。
レオンが非常スイッチを押す。
ガコンッ――。
重い扉が閉まり、エレベーターがゆっくりと下降を始めた。
狭い箱の中に、二人の荒い呼吸だけが響く。
レオンは横目で次郎を見つめた。
「傷が……本当に治ってる」
裂けたスーツの隙間から覗く皮膚には、深く抉られていたはずの傷跡が一つも残っていない。
次郎は静かに拳を握る。
ギシッ――。
力が指先まで満ちていく感覚があった。
「……どうやら」
「完全に適応したらしい」
その声に、苦しげな響きはもうない。
レオンは苦笑しながら肩を竦めた。
「あなたには何度助けられたか分かりません」
次郎もわずかに口元を緩める。
「お互い様だ」
その時だった。
ガタンッ!!
エレベーター全体が大きく揺れた。
照明が一瞬消え、非常灯だけが赤く点滅する。
二人は顔を見合わせた。
「急ぎましょう」
「ああ」
エレベーターは最後の振動とともに停止した。
ガコンッ――。
重い扉が左右へ開く。
その先には脱出ホームが広がっていた。
レオンは真っ先に飛び出す。
しかし、その表情はすぐ険しくなる。
「まずい!」
ホームに停車していた脱出列車は、警告灯を点滅させながらゆっくりと動き始めていた。
モーター音が低く唸り、車輪がレールを軋ませる。
「行くぞ、レオン!」
「了解」
二人はホームを全力で駆ける。
列車との距離は少しずつ開き始めていた。
レオンは速度をさらに上げる。
あと数メートル。
今しかない。
「行きます!」
レオンは床を強く蹴り、最後尾車両の手すりへ飛び付いた。
両手で手すりを掴むと、その勢いを利用して車内へ身体を滑り込ませる。
その直後。
次郎も大きく踏み切った。
加速を始めた列車へ向かって跳躍し、片手で手すりを掴む。
勢いを殺さぬまま身体を引き上げ、静かに車内へ降り立った。
二人が乗り込んだ直後、列車はさらに速度を上げる。
『爆破まで、残り三分』
無機質な機械音声が車内へ響いた。
ガシャン――。
最後尾の扉が閉まり、列車は研究所の脱出トンネルを走り始める。
レオンは安堵の息を吐いた。
「……間に合った」
次郎も笑いながら小さく頷く。
「ああ、ぎりぎりだったな」
二人は車両の奥へ向かう。
先頭車両へ続く扉が開き、一人の女性が姿を現した。
「レオン!」
「クレア!」
二人は互いの無事を確認すると、ほっとしたように表情を緩めた。
「よかった……」
「君も無事だったんだな」
クレアは力強く頷く。
「ええ。何とかね」
そう言うと、クレアはレオンの隣に立つ次郎へ視線を向けた。
裂けたスーツには大量の血がこびり付き、壮絶な戦いを物語っている。
だが、その身体には傷一つ残っていない。
クレアは驚きを隠せない。
「その血……もしかして全部あなたの?」
次郎は静かに頷く。
「ああ」
クレアの表情が青ざめる。
「そんな……大丈夫なの?」
次郎は苦笑しながら裂けた胸元へ視線を落とした。
「俺にもよく分からない」
「気が付いたら治っていた」
レオンが静かに口を開く。
「スーパータイラントに致命傷を負わされて」
「俺は……もう駄目だと思いました」
「そんな……」
次郎はそれ以上説明するつもりはないのか、小さく肩を竦めるだけだった。
「今は、生きている」
「それで十分だ」
その言葉に、クレアは何も返せなかった。
しばらく沈黙が流れる。
その時、クレアの後ろから、小さな人影が恐る恐る顔を覗かせた。
レオンは初めてその存在に気付き、目を丸くする。
「……その子は?」
クレアは優しく微笑み、少女の肩へ手を添えた。
「紹介するわ」
「この子はシェリー」
「シェリー・バーキンよ」
少女は少し緊張した様子で小さく頭を下げた。
「……シェリーです」
レオンは安心させるように微笑む。
「俺はレオン・S・ケネディ」
「ラクーン市警の警官だ」
そして隣の次郎へ視線を向けた。
「こちらはアリスさん」
次郎はシェリーの目線に合わせるように軽く腰を落とした。
「有栖次郎だ」
「よろしく」
シェリーは小さく頷いた。
「……よろしく」
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
だが、その穏やかな時間は長くは続かなかった。
ゴォンッ――!!
突如、列車全体が激しく揺れた。
車輪が悲鳴を上げるような金属音が響き渡る。
「きゃっ!」
シェリーが体勢を崩し、クレアが慌てて抱き寄せる。
レオンと次郎は反射的に手すりへ手を掛けた。
次郎の表情が鋭く変わり、悪態をつく。
「今度は何だ!?」
列車の後方から、何か巨大な物体が車体へ衝突したような重い振動が繰り返し伝わってくる。
ドォンッ――。
ドォンッ――。
レオンもすぐに異変を察知する。
「今の衝撃……何かが列車にぶつかったのか?」
ゴォンッ!!
再び車体が大きく揺れた。
天井の照明が激しく明滅し、窓ガラスが細かく震える。
「きゃっ!」
シェリーが体勢を崩し、クレアが支える。
「シェリー、大丈夫?」
「う、うん……」
レオンは最後尾の方角へ鋭い視線を向けた。
レオンはクレアへ振り返る。
「クレアはその子を頼む」
「俺は最後尾を確認してくる」
「レオン、俺も行こう」
次郎はレオンの横へ静かに並ぶ。
「ええ。二人とも気を付けて」
クレアに見送られた二人は拳銃とナイフをそれぞれに構えながら、来た道を戻り始める。
車両を一つ抜けるたびに、不気味な振動は大きくなっていく。
ギシ……。
ギシギシッ――。
車体が悲鳴を上げるような軋みが最後尾から聞こえてくる。
レオンは小さく息を呑んだ。
「何なんだ……」
最後尾車両との扉の前まで辿り着く。
次郎は静かにナイフを構えた。
「開けるぞ」
レオンは拳銃を構え直し、短く頷く。
「はい」
ガチャッ――。
レオンがゆっくりと扉を開いた。
ガチャッ――。
レオンがゆっくりと最後尾車両との連結扉を開いた。
車内には誰もいない。
照明は断続的に明滅し、床には振動で落下した荷物が散乱していた。
「……何もいない?」
レオンが小さく呟く。
その瞬間だった。
メキッ――。
連結部の向こう側から、鉄が歪む嫌な音が響く。
二人の視線が一斉に向く。
メキ……メキメキメキッ――!!
厚い鋼鉄製の連結扉が外側から押し潰される。
蝶番が悲鳴を上げ、金属板が内側へ大きく膨らんだ。
「来るぞ!」
次郎が叫ぶ。
次の瞬間。
バゴォォンッ!!
連結扉が吹き飛んだ。
砕けた鉄片が車内へ降り注ぐ。
その破壊された入口から、巨大な肉塊がゆっくりと姿を現した。
無数の眼球。
肥大化した筋肉。
全身を覆う触手のような肉の奔流。
もはやウィリアム・バーキンの面影はほとんど残っていない。
それは究極まで暴走したG生物の第五形態だった。
「グォォォォォォォッ!!」
車内を震わせる咆哮。
レオンは思わず顔をしかめる。
「……またお前かよ」
次郎もナイフを握り直し、肩を落とすように息を吐く。
「お前ら、どいつもこいつも粘りすぎだ」
レオンは即座に拳銃を構える。
「撃ちます!」
パンッ!
パンッ!
パンッ!
三発の銃弾が巨大な眼球へ命中する。
肉片が飛び散る。
しかし怪物は怯むことなく前進を続けた。
「こいつ、止まらない!」
次郎が飛び出す。
ナイフが閃き、露出した眼球を次々と切り裂いていく。
ズバッ!
ズバッ!
ズバァッ!!
眼球は潰れ、肉片が飛び散るが、それでもG生物は止まらない。
巨体を揺らしながら、車両そのものを押し潰す勢いで迫ってくる。
「くっ……!」
次郎は距離を取りながら斬撃を繰り返す。
レオンも休みなく援護射撃を続ける。
パンッ!
パンッ!
パンッ!
しかし巨大な肉体は瞬く間に再生し、進行速度はほとんど落ちない。
「アリスさん!」
「このままじゃ押し切られます!」
「ああ……」
次郎も焦りを隠せなかった。
弱点は確実に捉えている。
それでも決定打にならない。
むしろ怪物の前進速度の方が速い。
このままでは車両ごと飲み込まれる。
(何か……)
(何かないのか)
次郎は一瞬だけ周囲へ視線を走らせる。
壁面。
非常設備。
赤いケース。
その中に一本の消火用斧が固定されていた。
「……あれか」
次郎は一気に駆け寄り、ケースを肘で叩き割る。
ガシャァンッ!
飛び散るガラス。
柄を掴み、そのまま黒い消火用斧を引き抜く。
「レオン」
「はい」
「少しだけ時間を稼いでくれ」
「分かりました」
レオンは次郎から少し距離を取り、拳銃を構えた。
狙うのはG生物の無数の眼球だけ。
パンッ!
パンッ!
パンッ!
正確な射撃が次々と眼球を撃ち抜く。
体液が飛び散り、G生物は咆哮を上げる。
しかし、その巨体は止まらない。
肉塊をうねらせ、無数の触手を這わせながら列車を飲み込む勢いで前進してくる。
レオンは一定の距離を保ちながら撃ち続けた。
パンッ!
パンッ!
パンッ!
一方、次郎は微動だにしない。
静かに呼吸を整える。
全身から余計な力を抜き、一撃に必要な力だけを静かに蓄えていく。
やがてG生物の中心が大きく脈動した。
肉塊が左右へ裂け、その中央から今までで最大の巨大な眼球がゆっくりと露出する。
レオンはその瞬間を逃さず叫んだ。
「アリスさん! 今です!」
レオンの声が車内に響いた。
次郎の視線は、肉塊の中心に露出した巨大な眼球だけを捉えていた。
「……ありがとう、レオン」
短く呟く。
次の瞬間、右足を大きく踏み込んだ。
ドンッ――!
床板がきしみ、列車全体が震える。
踏み込みで生まれた力が足から腰へ、腰から背中へ、背中から両腕へと淀みなく伝わっていく。
消火用斧を頭上へ振りかぶる。
余計な動きは一切ない。
狙うのは、ただ一点。
巨大な眼球のみ。
「これで最後だァァァッ!!」
咆哮とともに、斧が一直線に振り下ろされた。
ズバァァァァァァァァンッ!!
轟音が車内を貫く。
巨大な眼球が真っ二つに裂け、その衝撃は肉塊の中心を縦一直線に切り裂いていく。
「グ……ォ……」
かすれた呻きが漏れる。
うねっていた触手は力を失い、床へ崩れ落ちる。
無数の眼球が一斉に濁り、巨体は痙攣を繰り返したあと、完全に動きを止めた。
レオンは息を吐く間もなく叫ぶ。
「アリスさん! 念の為に車両を切り離します!」
「頼む!」
レオンは最後尾車両の切り離しレバーへ駆け寄り、勢いよく引き下ろした。
ガコンッ!!
鈍い衝撃が列車を走る。
連結器が外れ、最後尾車両がゆっくりと本体から離れていく。
次郎は最後に一度だけ、動かなくなったG生物へ目を向けた。
「あばよ、地獄で会おうぜ」
切り離された車両は暗いトンネルの中へ取り残される。
数秒後――。
轟音とともに研究所の自爆が最後尾車両を飲み込んだ。
ドゴォォォォォォォンッ!!
爆炎の赤い光が最後尾車両の窓を一瞬だけ照らし、やがて闇の中へ消えていく。
ゴゴゴゴゴ……。
列車はなおも線路の上を走り続けていた。
後方から迫っていた圧倒的な殺気は、もう感じない。
レオンは張り詰めていた糸が切れたように大きく息を吐いた。
「……終わりましたね」
次郎も静かに頷く。
「ああ」
二人は互いに視線を交わすと、踵を返して先頭車両へ向かって歩き出した。
車両を抜けるたびに、聞こえてくるのは列車の走行音だけ。
あれほど続いていた咆哮も、衝撃も、もうない。
先頭車両の扉を開くと、クレアとシェリーが不安そうな表情で立っていた。
二人の姿を見た瞬間、クレアの表情が安堵へと変わる。
「レオン!」
「アリス!」
レオンは穏やかに微笑んだ。
「終わったよ」
クレアは信じられないというように目を見開く。
「本当に……?」
次郎が短く答える。
「ああ。もう追っては来ない」
その言葉を聞いた瞬間、シェリーはその場に座り込むように力を抜いた。
「よかった……」
長かった悪夢が、ようやく終わった。
――Chapter7・完――
明日の6時投稿分でEpilogueとなります。
なお、この作品は一章ごとに書き上げてからの纏めて投稿とさせていただくので、一旦休載致します。
第二章投稿までしばらくお待ちください。