元殺し屋がバイオ事件に巻き込まれる話   作:オッパッピー

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本日三度目の投稿です。


Chapter1 月光 Part3

 屋敷へ戻る頃には、空は茜色から群青色へと移り変わり始めていた。

 

 セダンは正門をくぐり、中庭を抜けて玄関前へ静かに停車する。

 

 出迎えた使用人たちが一斉に頭を下げた。

 

 「お帰りなさいませ」

 

 「ただいま」

 

 エレンは笑顔で応える。

 

 次郎は車を降りると、いつものように周囲を見回した。

 

 屋根の上。

 

 庭園。

 

 外周のフェンス。

 

 巡回中の警備員。

 

 異常はない。

 

 「何も変わりありません」

 

 警備主任が報告する。

 

 「ああ、報告ありがとう」

 

 短く答え、次郎は玄関へ足を向けた。

 

 屋敷の中には夕食の支度をする香りが漂っている。

 

 使用人たちが忙しそうに行き交い、それぞれの持ち場で働いていた。

 

 エレンは振り返る。

 

 「夕食まで少し時間があるけど、アリスはどうするの?」

 

 「警備の引き継ぎをしてくる」

 

 「その後なら時間は空く」

 

 「本当に真面目ね」

 

 エレンは苦笑した。

 

 「今日くらいは一日休んでも、誰も怒らないと思うけど」

 

 「仕事を残したまま休む方が落ち着かない」

 

 「そういうところ、あなたらしいわ」

 

 エレンはそう言って自室へ向かっていった。

 

 その姿を見送ると、次郎は警備室へ向かう。

 

 夜勤担当への引き継ぎを済ませ、監視カメラや警備体制に変わりがないことを確認する。

 

 全て異常なし。

 

 ここで初めて次郎はようやく肩の力を抜いた。

 

 今日もまた、平穏な一日が終わろうとしていた。

 

 四年前に自分が経験した悪夢とは無縁の世界。

 

 少なくとも、この時の次郎はそう信じていた。

 

 

 

 午後七時。

 

 屋敷のダイニングには、夕食の支度が整っていた。

 

 長いテーブルには色鮮やかな料理が並び、窓の外には夜の帳がゆっくりと降りていく。

 

 「今日は充実した一日だったわ」

 

 エレンが嬉しそうに微笑む。

 

 「子どもたちも元気そうだったし、美術館にも行けたし」

 

 「そうだな」

 

 次郎は短く答えながらナイフとフォークを手に取る。

 

 食事の席では、屋敷の執事や使用人たちも穏やかな表情を浮かべていた。

 

 誰もが今日という一日を、平和な休日として終えようとしている。

 

 食後、エレンは紅茶を一口飲み、ふと思い出したように笑った。

 

 「また近いうちに、あの子たちに会いに行きたいわ」

 

 「ああ」 

 

 「きっと喜ぶ」

 

 次郎の返事に、エレンは満足そうに頷いた。

 

 時計の針は午後八時を指そうとしている。

 

 

 夕食を終えると、使用人たちは食器を下げ始める。

 

 エレンは席を立ち、次郎へ微笑む。

 

 「それじゃあ、おやすみなさい」

 

 「明日もよろしくね」

 

 「ああ、おやすみ」

 

 エレンは軽く手を振り、そのまま二階の自室へ向かっていった。

 

 次郎もダイニングを後にする。

 

 廊下は静まり返り、屋敷全体がゆっくりと夜の空気に包まれていく。

 

 自室へ戻ると、まずジャケットをハンガーへ掛ける。

 

 肩からホルスターを外し、愛用のリボルバーを取り出した。

 

 柔らかな布で銃身やフレームを丁寧に拭き、シリンダーを開いて六発の弾が確実に装填されていることを確認する。

 

 シリンダーを静かに閉じると、軽く作動を点検した。

 

 護衛になってからも、この習慣だけは変わらない。

 

 手入れを終えたリボルバーをホルスターへ戻し、すぐ取り出せる場所へ置いた。

 

 時計を見る。

 

 午後九時十五分。

 

 窓を開けると、涼しい夜風が部屋へ流れ込んできた。

 

 遠くでフクロウの鳴き声が聞こえる。

 

 屋敷の敷地内では夜間警備の隊員が巡回を続け、その懐中電灯の明かりが時折庭を横切っていた。

 

 いつもと変わらない夜。

 

 次郎は窓を閉めると、ベッドへ腰を下ろした。

 

 明日もまた、護衛として一日が始まる。

 

 そう考えながら部屋の明かりを落とそうとした、その時だった。

 

 枕元に置いていた携帯電話が静かな部屋に着信音を響かせる。

 

 画面に表示された名前を見た次郎は、すぐに通話ボタンを押した。

 

 「俺だ」

 

 『久しぶりだな、アリス』

 

 聞こえてきたのは落ち着いた中年男性の声だった。

 

 四年前、ラクーンシティ事件の後、次郎の血液データを極秘裏に預かったアメリカ政府関係者。

 

 事件以来、互いに必要最低限の連絡だけを取り合ってきた相手だった。

 

 「こんな時間に電話とは珍しいな」

 

 『世間話をするためじゃない』

 

 男の声は低く、緊張を帯びていた。

 

 『今、君は英国にいるな』

 

 「ああ」

 

 『なら聞いてくれ。これはまだ政府内部でも限られた者しか知らない情報だ』

 

 次郎は黙って耳を傾ける。

 

 『英国内で原因不明の感染事例が確認されている』

 

 『感染者は理性を失い、人を見境なく襲う』

 

 『通常の制圧では止まらないという報告も上がっている』

 

 次郎の表情が変わる。

 

 四年前、ラクーンシティで見た地獄。

 

 忘れようとしても忘れられない記憶が脳裏をよぎる。

 

 「……ウイルスか」

 

 『断定はできない』

 

 『だが、現場の報告は四年前の事件と酷似している』

 

 『CDCも情報を集めているが、まだ正体は掴めていない』

 

 男は一拍置いて続けた。

 

 『君の血液データも改めて解析に回している。四年前の件との関連性がないか調べるためだ』

 

 「何か分かったら連絡をくれ」

 

 『もちろんだ』

 

 『それと、君は護衛対象を抱えている。しばらくは不用意に外へ出るな』

 

 「了解した」

 

 『杞憂で終われば、それが一番だ』

 

 短い言葉を最後に通話は切れた。

 

 静まり返った部屋で、次郎は携帯電話をゆっくりと机へ置く

 

 そして、次郎はしばらく机の前に立ったまま考え込んでいた。

 

 政府関係者が、自分に直接連絡を寄越す。

 

 それだけで事態の深刻さは十分に伝わる。

 

 しかし、現時点では確定した情報が少なすぎた。

 

 屋敷の者たちを不用意に不安がらせるわけにもいかない。

 

 次郎は携帯電話をポケットへしまうと、窓際へ歩み寄った。

 

 広大な庭園は静寂に包まれ、巡回中の警備員の懐中電灯が遠くで揺れている。

 

 普段と何一つ変わらない光景だった。

 

 「……備えるか」

 

 小さく呟き、部屋を出る。

 

 廊下には夜勤の使用人が一人いた。

 

 「アリスさん、何かございましたか?」

 

 「いや、少し警備を見て回る」

 

 「承知いたしました」

 

 次郎は警備室へ向かった。

 

 室内では数名の警備員が監視モニターを見守っている。

 

 「アリスさん」

 

 警備主任が立ち上がった。

 

 「夜分に失礼する」

 

 「今日から警備体制を一段階引き上げる」

 

 主任はわずかに驚いた表情を見せる。

 

 「何か情報が?」

 

 「海外の知人から治安悪化の可能性を知らされた。念のためだ」

 

 機密に触れる部分は伏せたまま答える。

 

 「正門と裏門の警戒を強化。巡回は二人一組に変更してくれ」

 

 「外部からの訪問者は、事前の許可がない限り敷地へ入れない」

 

 「かしこまりました」

 

 「使用人には必要以上に不安を与えないよう伝達してくれ」

 

 「了解です」

 

 短いやり取りを終えた次郎は監視モニターへ目を向ける。

 

 映し出されるのは、静かな屋敷と夜の森。

 

 異常は何一つない。

 

 それでも次郎は、四年前の経験から知っていた。

 

 平穏が崩れる時は、いつも前触れなく始まることを。

 

 

 

 次郎は警備室を後にすると、その足で屋敷の設備を一通り確認して回った。

 

 非常用発電機。

 

 非常灯。

 

 無線機。

 

 救急用品。

 

 飲料水や保存食を保管した備蓄倉庫。

 

 どれも定期的に点検されており、不備は見当たらない。

 

 「問題なし……か」

 

 小さく呟く。

 

 ここは軍事施設じゃない。

 

 それでも、広大な屋敷を維持するための非常設備は十分に整えられていた。

 

 万一、数日間外部との連絡が途絶えても、すぐに生活が破綻することはない。

 

 次郎は最後に無線設備の動作だけ確認すると、静かに部屋を後にした。

 

 廊下を歩いていると、窓の外で風が木々を揺らした。

 

 葉擦れの音だけが夜の静寂を満たしている。

 

 異常はない。

 

 だが、その静けさがかえって胸騒ぎを強くした。

 

 四年前もそうだった。

 

 ラクーンシティが地獄へ変わる数時間前まで、街はいつも通りの夜を迎えていた。

 

 「……考えすぎなら、それでいい」

 

 自分に言い聞かせるように呟く。

 

 その時だった。

 

 廊下の向こうから、小さな足音が聞こえた。

 

 「アリス?」

 

 振り返ると、寝間着姿のエレンが眠そうに目をこすりながら立っていた。

 

 「エレン」

 

 「まだ起きてたの?」

 

 「少し見回りしてただけだ」

 

 「眠れないの?」

 

 少女は心配そうに首を傾げる。

 

 次郎は穏やかに微笑んだ。

 

 「いや。念のため屋敷を確認してただけだ」

 

 「ふーん……」

 

 エレンは少しだけ考え込むような表情を見せる。

 

 「何か悪いことが起きるの?」

 

 鋭い質問だった。

 

 子どもは大人の空気の変化に敏感だ。

 

 次郎はしゃがみ込み、少女と目線を合わせる。

 

 「今のところは何もない」

 

 「みんなが安心して眠れるように見回ってただけだ」

 

 その落ち着いた声を聞き、エレンはほっと息をついた。

 

 「そっか」

 

 「じゃあ安心ね」

 

 にっこり笑う。

 

 「アリスがいるから」

 

 その無邪気な一言に、次郎は少しだけ目を細めた。

 

 「ありがとな」

 

 「でも、エレンも夜更かしはするなよ」

 

 「うん」

 

 少女は素直に頷く。

 

 「おやすみ、アリス」

 

 「おやすみ」

 

 エレンは軽く手を振ると、自室へ戻っていった。

 

 その姿が見えなくなるまで見送り、次郎は静かに息を吐く。

 

 ――守る。

 

 その決意だけは、四年前から一度も揺らいでいなかった。

 

 やがて次郎も自室へ戻り、窓の鍵を確認すると照明を消す。

 

 静まり返った屋敷に、再び深い夜が訪れていた。

 

 

――DAY1・終了――

 

 

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