元殺し屋がバイオ事件に巻き込まれる話   作:オッパッピー

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本日四度目の投稿です。


Chapter1 月光 Part4

 翌日、柔らかな朝日が屋敷を照らしていた。

 

 庭師は花壇の手入れをし、使用人たちは朝の支度に追われている。

 

 一見すれば、昨日と何も変わらない朝だった。

 

 しかし、その平穏は少しずつ綻び始めていた。

 

 食堂では朝食の準備が整い、エレンや執事長、料理長、数名の使用人が席についていた。

 

 次郎も席に着き、静かに紅茶を口へ運ぶ。

 

 「おはよう、アリス」

 

 「ああ。おはよう」

 

 エレンは笑顔を見せたが、その表情はどこか浮かない。

 

 「何かあったのか?」

 

 「うん……」

 

 エレンはテーブルの上の新聞へ目を向けた。

 

 「昨日より暴動が広がってるみたい」

 

 執事長が新聞を広げる。

 

 「今朝の一面です」

 

 次郎は新聞を受け取った。

 

 『ロンドン各地で暴動拡大』

 

 『複数地区を封鎖』

 

 『警察、不要不急の外出自粛を要請』

 

 昨日は東部だけだった暴動が、市内各地へ広がっている。

 

 しかし、原因については依然として『調査中』のままだった。

 

 次郎は記事を読み終えると静かに新聞を畳む。

 

 昨夜の電話。

 

 政府関係者が口にした「四年前と酷似している」という言葉が脳裏をよぎる。

 

 「今日は外での予定を全部中止にしよう」

 

 食堂が静まり返る。

 

 「えっ?」

 

 エレンが驚いたように顔を上げた。

 

 「でも、この辺りは何も起きてないわよ」

 

 「だからだ」

 

 次郎は落ち着いた声で答える。

 

 「安全が確認できない以上、動かない方がいい」

 

 「昨日の時点では東部だけだった」

 

 「それが一日でここまで広がっている」

 

 「念のためだ」

 

 執事長もゆっくり頷いた。

 

 「確かに、慎重に越したことはありませんな」

 

 少し考えた末、エレンも頷く。

 

 「……分かったわ」

 

 「今日は屋敷にいる」

 

 「ありがとう」

 

 朝食を終える頃、一人の使用人が談話室からやって来た。

 

 「失礼いたします」

 

 「臨時ニュースが始まりました」

 

 一同は談話室へ移動する。

 

 大型テレビには緊張した面持ちのニュースキャスターが映っていた。

 

 『ロンドン各地で発生している暴動について、新たな情報です』

 

 画面が現地へ切り替わる。

 

 道路を埋め尽くすパトカー。

 

 救急車。

 

 封鎖された交差点。

 

 病院前には搬送を待つ救急車が長い列を作っていた。

 

 『一部の医療機関では受け入れ能力を超える負傷者が搬送されており、市民には不要不急の外出を控えるよう呼び掛けています』

 

 その時だった。

 

 現地中継の背後で悲鳴が上がる。

 

 カメラが大きく揺れ、警察官たちが一斉に駆け出した。

 

 『危険です! 下がってください!』

 

 映像は乱れ、そのままスタジオへ戻る。

 

 談話室は静まり返った。

 

 「……何が起きているのかしら」

 

 エレンが小さく呟く。

 

 次郎は画面を見つめたまま答えない。

 

 ラクーンシティでも、最初は同じだった。

 

 誰も原因を知らず、『暴動』として報じられていた。

 

 昼前になると、執事長が一枚のメモを持って現れる。

 

 「アリスさん」

 

 「本日予定されていた食材の納品ですが、配送会社から延期の連絡がありました」

 

 「配送員の欠勤が相次ぎ、通常どおりの配送ができないそうです」

 

 次郎は静かに頷く。

 

 「備蓄は昨夜確認してある」

 

 「しばらくは問題ないから、無理に配送させる必要はない」

 

 「承知しました」

 

 窓の外では、変わらず穏やかな風が庭木を揺らしている。

 

 それでも次郎の胸騒ぎは消えなかった。

 

 

 昼食は予定を変更し、屋敷で取ることになった。

 

 食堂には朝ほどの賑やかさはなく、誰もがテレビで流れた臨時ニュースを気にしている様子だった。

 

 「ロンドンであれだけ騒ぎになっているなんて……」

 

 料理長が静かに呟く。

 

 「早く収まるといいですな」

 

 「警察も総出で対応しているようですし」

 

 執事長もそう続けた。

 

 「きっと、数日もすれば落ち着くでしょう」

 

 使用人たちは互いにそう言い合い、不安を打ち消そうとしていた。

 

 しかし、次郎だけは何も言わない。

 

 四年前も、多くの人が「すぐ収まる」と信じていた。

 

 

 

 昼食を終えると、屋敷でできる仕事を片付けたエレンがソファへ腰掛け、大きく息を吐いた。

 

 「今日は何だか退屈ね」

 

 「仕方ない」

 

 次郎は向かいへ腰掛ける。

 

 「安全第一だ」

 

 「分かっては、いるんだけど」

 

 エレンは苦笑した。

 

 「昨日、あの子たちと約束したばかりだから」

 

 「また遊びに来るって」

 

 次郎は静かに頷く。

 

 「あいつらなら元気にしてるさ」

 

 「そうだといいな」

 

 エレンは窓の外を眺めた。

 

 児童福祉施設で見せた子どもたちの笑顔が頭から離れない。

 

 その様子を見た次郎は話題を変える。

 

 「昨日買った本は読まないのか?」

 

 「あっ」

 

 「そうだった」

 

 エレンは笑顔を取り戻す。

 

 「まだ最初のページも読んでない」

 

 「じゃあ、お茶をしながら読む事にするわ」

 

 「そうするといい」

 

 少しだけ屋敷の空気が和らいだ。

 

 午後になっても、屋敷の外は穏やかなままだった。

 

 庭師は庭木を剪定し、使用人たちはいつもどおり仕事を続けている。

 

 遠くから聞こえる鳥のさえずりも変わらない。

 

 まるで世間の騒ぎが別世界の出来事のようだった。

 

 だが、午後三時過ぎ。

 

 再び談話室のテレビから臨時ニュースを告げるチャイムが鳴り響いた。

 

 『新たな情報です』

 

 『暴動の影響により、市内の一部公共交通機関で運休や遅延が発生しています』

 

 『また、一部地域では通信障害も確認されており、現在原因を調査中です』

 

 画面には運休を知らせる駅の電光掲示板と、足止めされた多くの人々が映し出される。

 

 執事長は思わず顔をしかめた。

 

 「交通機関まで……」

 

 「どんどん影響が広がっていますな」

 

 次郎は腕を組み、画面を見つめる。

 

 暴動だけではない。

 

 物流。

 

 交通。

 

 そして通信。

 

 一つずつ、社会の機能が失われ始めている。

 

 まだ屋敷に直接危険は及んでいない。

 

 しかし、その包囲網は少しずつ狭まっているように感じられた。

 

 

 夕方になると、屋敷の中もどこか落ち着かない空気に包まれていた。

 

 使用人たちは仕事を続けているものの、廊下ですれ違うたびに小声でニュースの話をしている。

 

 「息子がロンドン市内で働いているんですが……」

 

 メイドの一人が不安そうに呟く。

 

 「今日は電話が繋がりにくいようで」

 

 「きっと回線が混み合っているだけですよ」

 

 別の使用人が励ますように言った。

 

 「ニュースを見た人が、一斉に電話を掛けているのでしょう」

 

 そんな会話が聞こえてくる。

 

 次郎は足を止めず、そのまま警備室へ向かった。

 

 警備室では主任がモニターを見つめている。

 

 「変わりは?」

 

 「ありません」

 

 「周辺道路も静かなものです」

 

 主任はモニターを指差した。

 

 「ですが、昼頃から一般車両がかなり減りました」

 

 画面には屋敷前の林道が映っている。

 

 普段なら数分おきに通る車が、今はほとんど姿を見せない。

 

 「……そうか」

 

 次郎は短く答えた。

 

 ロンドン市内で交通が混乱している影響か、それとも人々が外出を控え始めたのか。

 

 まだ判断はつかない。

 

 「引き続き警戒を頼む」

 

 「了解しました」

 

 警備室を出ると、窓の外では夕日が森の向こうへ沈み始めていた。

 

 その頃、食堂では夕食の準備が整えられていた。

 

 料理長は普段どおり腕を振るい、温かな料理がテーブルへ運ばれる。

 

 誰かが笑い、誰かが冗談を言う。

 

 意識していつもどおりに振る舞おうとしていることが、次郎にはよく分かった。

 

 「明日になれば、ニュースも少し落ち着いているといいですね」

 

 料理長の言葉に、多くの使用人が頷く。

 

 「そう願いたいです」

 

 執事長も静かに応じた。

 

 その時だった。

 

 屋敷の固定電話が鳴り響く。

 

 執事長が受話器を取る。

 

 「はい」

 

 しばらく話を聞いていた執事長の表情が曇った。

 

 「……分かりました」

 

 受話器を置くと、一同へ向き直る。

 

 「明日予定していた花の納品も延期になりました」

 

 「道路事情が悪化し、配送の見通しが立たないそうです」

 

 誰も言葉を発しない。

 

 食材だけではない。

 

 花も届かなくなった。

 

 日常を支えていた小さな歯車が、一つずつ止まり始めている。

 

 

 

 窓の外では、夜の闇がゆっくりと屋敷を包み始めていた。

 

 夕食を終えた次郎は、食堂を出て警備室へ向かう。

 

 監視モニターには、正門、裏門、庭園、外周フェンス、裏手の森が映し出されていた。

 

 どの映像にも異常はない。

 

 それでも胸騒ぎだけは消えなかった。

 

 その時だった。

 

 ──ブツン。

 

 屋敷中の照明が、一斉に消えた。

 

 「停電か……」

 

 警備室が暗闇に包まれる。

 

 非常灯が点灯するまでの数秒が、やけに長く感じられた。

 

 やがて赤みを帯びた非常灯が廊下を照らし、自家発電機が始動する低い駆動音が屋敷全体へ響く。

 

 監視モニターも数秒遅れて復旧した。

 

 警備主任はすぐに無線機を手に取る。

 

 「各班応答せよ」

 

 『こちら正門。異常なし』

 

 『裏門、異常なし』

 

 『巡回班異常なし』

 

 無線から次々と報告が返ってくる。

 

 「自家発電機は正常に稼働しています」

 

 「周辺にも火災や侵入者は確認できません」

 

 主任が報告する。

 

 次郎は短く頷いた。

 

 「電話は?」

 

 「確認します」

 

 主任は固定電話の受話器を取り上げる。

 

 電力会社の番号を押す。

 

 しかし、受話器からは何も聞こえない。

 

 発信音すら鳴らなかった。

 

 主任は表情を曇らせ、警察、消防と続けて発信を試みる。

 

 結果は同じだった。

 

 近くにいた警備員も携帯電話を取り出す。

 

 「こちらも駄目です」

 

 「圏外になっています」

 

 警備室に重い沈黙が流れた。

 

 停電だけではない。

 

 通信まで途絶えている。

 

 午後のニュースで報じられていた通信障害が、この地域にも及び始めていたのだ。

 

 次郎は静かに決断する。

 

 「屋敷にいる人間を全員、広間へ集めてくれ」

 

 十分後。

 

 執事長、料理長、警備員、使用人たちが広間へ集まった。

 

 不安そうな表情が並ぶ中、次郎は落ち着いた声で口を開く。

 

 「屋敷の周辺に異常はない」

 

 「だが、停電に加えて通信も途絶えた」

 

 「原因が分かるまで待つつもりはない」

 

 「今から一晩かけて屋敷の防備を強化する」

 

 昼から積み重なってきた異変を目の当たりにしていたため、誰一人として異論を唱える者はいなかった。

 

 「まず一階の窓と玄関以外の入口を塞ぐ」

 

 次郎は館内図を机へ広げる。

 

 「入口は溶接し、庭に面した大窓は家具で塞げ」

 

 「本棚、食器棚、応接室のキャビネット、動かせる物は全部使う」

 

 「板材があるなら内側から補強しろ」

 

 警備主任が力強く頷いた。

 

 「工具庫に木材と金具があります」

 

 「よし」

 

 「ガラスは守るな。中へ入らせないことを優先する」

 

 その号令とともに、屋敷中が一斉に動き始めた。

 

 

 

 警備員たちはすぐに持ち場へ散っていった。

 

 静まり返っていた屋敷は、一転して慌ただしい空気に包まれる。

 

 応接室では警備員が大型の本棚を動かし始め、執事や男性使用人たちも加勢した。

 

 「せーの!」

 

 掛け声とともに重厚なオーク材の本棚がゆっくりと窓際まで押し出される。

 

 次郎は位置を確認すると、手で合図を送った。

 

 「そこで止めろ」

 

 本棚が窓を覆うように据え付けられる。

 

 続いて工具庫から運ばれてきた木材と金具で床や壁へ固定していく。

 

 「ネジは長い物を使え」

 

 「簡単に押し倒されないようにしろ」

 

 「はい!」

 

 木槌を打つ音が館内へ響き始めた。

 

 別の部屋では食器棚やキャビネットが窓の前へ並べられていく。

 

 家具の重量だけでは足りない。

 

 金具で固定し、簡単には動かせないよう補強する。

 

 時間は掛かる。

 

 しかし、この屋敷には時間が残されているかもしれない。

 

 次郎はその可能性に賭けていた。

 

 やがて一階の主要な入口と窓の補強が始まると、次郎は料理長へ視線を向ける。

 

 「厨房を借りるぞ」

 

 「もちろんです」

 

 料理長はすぐに頷いた。

 

 「皆、水を確保してください!」

 

 使用人たちは一斉に動き出す。

 

 厨房では高級な寸胴鍋や大鍋、保存容器が水で満たされていく。

 

 空になっていたペットボトルも洗浄され、一本ずつ丁寧に水が詰められた。

 

 客室の浴室も例外ではなく、浴槽いっぱいに水が張られている。

 

 「アリスさん」

 

 料理長が声を掛ける。

 

 「水道まで止まる可能性があるのでしょうか」

 

 次郎は蛇口から勢いよく流れる水を見つめた。

 

 「可能性はある」

 

 「電気、通信、物流……」

 

 「一つ止まれば、残りも止まると思った方がいい」

 

 料理長は黙って頷き、さらに使用人へ指示を飛ばした。

 

 「空いている容器を全部持って来てください!」

 

 「花瓶でも構いません!」

 

 「洗面器も使います!」

 

 厨房だけでなく屋敷中で水を汲む音が響き続ける。

 

 次郎は館内図を持ち、二階へ向かった。

 

 エレンは廊下で作業の様子を見つめていた。

 

 「アリス……」

 

 「みんな、大丈夫なの?」

 

 次郎は足を止める。

 

 「さあな」

 

 「正直、何が起きるかは俺にも分からない」

 

 「だから最悪を考えて準備をしている」

 

 「何も起きなければ、それでいい」

 

 「でも、もし何か起きても、君を守れるようにしておきたい」

 

 エレンは少しだけ考え、小さく頷いた。

 

 「……私も何か手伝う」

 

 「無理はせず、できることだけやってくれ」

 

 「うん」

 

 エレンはメイドたちと共に空のペットボトルを運び始めた。

 

 その姿を見届けると、次郎は二階の奥へ進む。

 

 館内図と実際の部屋を照らし合わせながら、一室ずつ確認していく。

 

 そして、エレンの寝室を中心とした区画で立ち止まった。

 

 「ここだ」

 

 寝室。

 

 隣の応接室。

 

 二部屋の客室、内一つは次郎の部屋。

 

 備蓄庫。

 

 廊下は一本しかなく、防御しやすい。

 

 階段との距離も十分にある。

 

 執事長が隣へ並ぶ。

 

 「ここを最終防衛区域に?」

 

 「ああ」

 

 「ここまで下がれば、守る人数も減らせる」

 

 「一階を捨てる覚悟も必要になる」

 

 執事長は静かに頷いた。

 

 次郎は階段へ目を向ける。

 

 「中央階段と裏階段に家具を集めておいてくれ」

 

 「必要になったら、十分以内で封鎖できる状態にしておく」

 

 「承知しました」

 

 時計の針は深夜二時を回っていた。

 

 誰一人として眠ろうとはしない。

 

 木槌の音。

 

 家具を引きずる音。

 

 水の流れる音。

 

 静寂だった屋敷は、その一晩で、生き残るための砦へと変貌を遂げていく。

 

 

――DAY2・終了――

 

 




玄関以外の入口を塞ぐというのは一見すると悪手に見えますが…
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