元殺し屋がバイオ事件に巻き込まれる話   作:オッパッピー

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本日ラストの投稿です。


Chapter1 月光 Part5

 三日目、東の空が白み始める頃、ようやく屋敷内の作業は一区切りを迎えた。

 

 一階の主要な窓は大型家具と木材で塞がれ、二階へ運び込む非常用物資もまとめられている。

 

 浴槽や鍋、保存容器には水が満たされ、階段付近には封鎖用の家具が整然と並べられていた。

 

 屋敷は一夜にして、生活の場から籠城のための拠点へと姿を変えていた。

 

 それでも次郎は気を緩めなかった。

 

 「交代で三時間ずつ休んでくれ」

 

 「警備は二十四時間体制を維持する」

 

 「無理だけはするな」

 

 「了解しました」

 

 警備主任が頷く。

 

 疲労は全員の顔に浮かんでいた。

 

 だが、不満を漏らす者はいない。

 

 昨夜の停電と通信断絶が、誰もが事態の深刻さを理解するには十分だった。

 

 午前八時。

 

 エレンが寝室から姿を現した。

 

 目の下には少しだけ隈ができている。

 

 「おはよう、アリス」

 

 「ああ、おはよう」

 

 「眠れたか?」

 

 「少しだけ」

 

 エレンは苦笑した。

 

 「夜中もずっと音がしてたから」

 

 廊下には固定された家具が並び、窓から朝日が差し込むこともない。

 

 昨日まで見慣れていた屋敷とは、まるで別の建物だった。

 

 「本当に要塞みたいね」

 

 「これでようやく安心だ」

 

 次郎は短く答える。

 

 食堂では簡単な朝食が用意されていた。

 

 料理長は苦笑しながら言う。

 

 「停電の影響で使えない設備もありますから、しばらくは簡単な料理になります」

 

 「十分だ」

 

 次郎は静かに答えた。

 

 屋敷には昨夜の疲労が色濃く残っていたが、誰も弱音は吐かなかった。

 

 朝食を終えた次郎は、いつものように警備室へ向かう。

 

 監視モニターには、昨夜と変わらぬ静かな屋敷の外が映し出されていた。

 

 警備主任が席を立つ。

 

 「アリスさん」

 

 「自家発電機は正常に稼働しています」

 

 「外周にも異常はありません」

 

 次郎は頷く。

 

 「電話はどうだ」

 

 主任は申し訳なさそうに首を横へ振った。

 

 「夜通し何度も確認しましたが、固定電話は発信音すら鳴りません」

 

 「携帯電話も圏外のままです」

 

 「通信は依然として回復していません」

 

 次郎はモニターへ視線を向けたまま短く答える。

 

 「分かった」

 

 「監視を続けてくれ」

 

 「了解しました」

 

 次郎はそのまま外周カメラへ目を向けた。

 

 風に揺れる木々。

 

 芝生を横切る野ウサギ。

 

 何一つ異常はない。

 

 しかし、道路だけが違っていた。

 

「……車が全く来ない」

 

 警備主任がぽつりと呟いた。

 

 昨日は数時間に一台程度だった車が、この日は朝になっても一台も通らない。

 

 物流も、人の往来も止まり始めている。

 

 次郎は画面を見つめたまま言った。

 

 「街はもっと酷いことになってる」

 

 「ここが静かなのは、安全だからじゃない」

 

 「単に人がいなくなっただけかもしれない」

 

 警備主任は返事を失った。

 

 しばらく監視モニターを眺めていた次郎は、不意に口を開く。

 

 「倉庫に非常用のラジオがあったな」

 

 「はい。災害対策用に保管しています」

 

 「持って来てくれ」

 

 数分後、警備主任は電池式の携帯ラジオを抱えて戻ってきた。

 

 新品の乾電池を入れ、電源を入れる。

 

 ザーッという激しい雑音だけが警備室に響いた。

 

 主任がゆっくりと周波数を合わせる。

 

 雑音。

 

 無音。

 

 そして再び雑音。

 

 何度もダイヤルを回した末、ようやく人の声が混じり始めた。

 

 『――こちら、英国放送協会です』

 

 途切れ途切れではあるが、放送は続いている。

 

 『政府は現在も各地で発生している暴動への対応を続けています』

 

 『不要不急の外出は控え、自宅など安全な場所で待機してください』

 

 『一部地域では通信障害と停電が続いており――』

 

 そこで再び雑音が入る。

 

 警備主任が顔をしかめた。

 

 「聞き取りづらいですね」

 

 「それでも十分だ」

 

 次郎は静かに答えた。

 

 「外の情報が入るだけでも違う」

 

 ラジオは断続的に雑音を挟みながら放送を続ける。

 

 『警察および軍は、治安維持活動を継続しています』

 

 『市民の皆様はデマに惑わされず、公式発表を――』

 

 そこで再び電波が途切れた。

 

 次郎は腕を組む。

 

 原因には一切触れていない。

 

 暴動。

 

 停電。

 

 通信障害。

 

 それらの事実だけを繰り返している。

 

 四年前のラクーンシティでも同じだった。

 

 行政は混乱を避けるため、真実を最後まで伏せ続けた。

 

 「定時になったらまた聞こう」

 

 「二十四時間、ラジオも監視対象だ」

 

 「何か変化があれば、すぐ俺に知らせてくれ」

 

 「了解しました」

 

 次郎は再び監視モニターへ目を向ける。

 

 屋敷の外は、相変わらず静まり返っていた。

 

 だが、その静寂の向こうで、確実に何かが近づいている。

 

 そんな予感だけが、時間とともに強くなっていった。

 

 昼を過ぎても、屋敷の周囲に変化はなかった。

 

 正門前の林道には車の姿はなく、人影も見えない。

 

 風が木々を揺らし、時折、小鳥が枝から枝へ飛び移るだけだった。

 

 静かすぎる。

 

 そのことが、かえって不気味だった。

 

 次郎は警備室を出ると、屋敷の外周を歩いて確認する。

 

 家具で補強した窓。

 

 溶接された裏口。

 

 外周フェンス。

 

 どこにも異常はない。

 

 警備員たちも緊張を保ちながら巡回を続けていた。

 

 「異常なしです」

 

 「ご苦労」

 

 短いやり取りを交わし、次郎は屋敷へ戻る。

 

 談話室ではエレンが一冊の本を開いていた。

 

 昨日、博物館の帰りに買った本だ。

 

 しかし、ページをめくる手は止まりがちだった。

 

 「安心して読めないか」

 

 次郎が声を掛ける。

 

 エレンは苦笑した。

 

 「うん……」

 

 「文字は読んでるんだけど、頭に入ってこないの」

 

 「外のことが気になるか?」

 

 その問いに、エレンは小さく頷いた。

 

 「みんな、ちゃんと避難できているといいなって」

 

 「ニュースでは暴動って言ってたけど、本当にそれだけなのかな」

 

 次郎は答えなかった。

 

 自分の中にも同じ疑問があったからだ。

 

 「考えても答えは出ない」

 

 「今はここで待つしかない」

 

 「……うん」

 

 エレンは本を閉じた。

 

 

 午後三時。

 

 警備室のラジオから再び雑音が聞こえ始めた。

 

 定時放送だった。

 

 『臨時ニュースをお伝えします』

 

 『暴動はロンドン近郊にも拡大しており、警察および軍による警戒が続いています』

 

 『住民の皆様は不要不急の外出を控え、屋内で待機してください』

 

 『また、一部地域では物流の停滞により、食料品や生活物資の供給に遅れが生じています』

 

 放送はそれだけだった。

 

 原因については、やはり何も触れられない。

 

 警備主任がラジオの音量を下げる。

 

 「状況は悪くなっていますね」

 

 「ああ」

 

 次郎は短く答えた。

 

 「でも、まだここまでは来ていない」

 

 「だからこそ油断するな」

 

 「分かりました」

 

 夕方になっても、屋敷の外に変化はなかった。

 

 警備員が交代で巡回し、使用人たちは節電を心掛けながら普段どおりの仕事を続ける。

 

 夕食も簡素ではあったが、全員が同じテーブルを囲んだ。

 

 誰も明るく振る舞おうとはしない。

 

 しかし、不安を口にする者もいなかった。

 

 食事を終えた次郎は再び警備室へ向かう。

 

 ラジオから流れる雑音に耳を澄ませながら、監視モニターへ目を向けた。

 

 今日も一日、屋敷には何も起きなかった。

 

 だが、それは決して安心を意味してはいない。

 

 静寂は続いている。

 

 その静寂が破られる日は、そう遠くない。

 

 

 

 四日目の朝。

 

 次郎は短い仮眠を終えると、いつものように警備室へ向かった。

 

 警備主任は一礼すると、昨夜からの報告を始める。

 

 「外周に異常はありません」

 

 「ラジオも定時ごとに確認していますが、大きな変化はありませんでした」

 

 「了解した」

 

 次郎は監視モニターへ目を向ける。

 

 相変わらず道路には車が一台も通らない。

 

 人影もなく、森だけが風に揺れている。

 

 まるで世界から人が消えてしまったようだった。

 

 その時。

 

 厨房の方から慌ただしい足音が近づいてきた。

 

 料理長だった。

 

 「アリスさん!」

 

 「水が出ません!」

 

 次郎はすぐに厨房へ向かう。

 

 料理長が蛇口をひねる。

 

 何も出ない。

 

 別の蛇口も同じだった。

 

 洗面所、浴室、客室。

 

 屋敷中の蛇口を確認したが、一滴の水も流れない。

 

 「断水か……」

 

 次郎は静かに呟いた。

 

 驚きはなかった。

 

 あらかじめ水を確保しておいた判断は正しかった。

 

 「備蓄水へ切り替える」

 

 「飲料水は一日分ずつ配給」

 

 「生活用水は浴槽の水を使え」

 

 「承知しました」

 

 使用人たちは慌てることなく動き始めた。

 

 混乱は起きない。

 

 準備を済ませていたからこそだった。

 

 昼過ぎ。

 

 今度は厨房から小さな声が上がる。

 

 「あれ、火が……」

 

 コンロに火が点かない。

 

 何度試しても反応しなかった。

 

 料理長は静かに首を振る。

 

 「ガスも、止まりました」

 

 屋敷のライフラインは、自家発電による電気だけになった。

 

 次郎は館内放送で全員を広間へ集める。

 

 「今日から、さらに節約する」

 

 「発電機の燃料には限りがある」

 

 「照明は夜間のみ必要最低限」

 

 「暖房も使用禁止」

 

 「食事は調理時間を短縮しろ」

 

 全員が静かに頷いた。

 

 誰も不満は言わない。

 

 今、自分たちが置かれている状況を理解していた。

 

 午後三時。

 

 定時のラジオ放送が始まる。

 

 『臨時ニュースをお伝えします』

 

 『政府は本日、非常事態宣言の対象地域をさらに拡大しました』

 

 『各地で暴動が続いています』

 

 『住民の皆様は屋外へ出ず、安全な場所で待機してください』

 

 『また、水道・ガスなど公共インフラの復旧時期は未定です』

 

 雑音が入り、放送は途切れた。

 

 警備室は静まり返る。

 

 「……復旧は期待できませんね」

 

 警備主任が呟く。

 

 「ああ」

 

 次郎は短く答えた。

 

 「これで、完全に孤立したな」

 

 窓の外へ視線を向ける。

 

 それでも屋敷の周囲は静かだった。

 

 静かすぎるほどに。

 

 しかし次郎は知っていた。

 

 ラクーンシティでも、本当の地獄は静寂のあとにやって来たことを。

 

――DAY4・終了――

 




インフラの止まる日数や順番に関しては28日後を見たうえでAIとの打合せで決めております。

明日からは18時と19時の二本投稿とさせて頂きます。
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