元殺し屋がバイオ事件に巻き込まれる話   作:オッパッピー

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本日二度目の投稿です。


Chapter3 運命 Part3

 八日目の朝。

 

 屋敷の窓から朝日が差し込み、静かな館内を柔らかな光が照らしていた。

 

 館内には非常用発電機の低い駆動音が響いている。

 

 電力は確保できているとはいえ、燃料には限りがある。

 

 廊下の照明は必要最低限しか点いておらず、屋敷全体がどこか薄暗い印象を受けた。

 

 有栖次郎は目を覚ますと、素早く身支度を整える。

 

 リボルバーをホルスターへ収め、部屋を出た。

 

 廊下では、使用人たちが朝食の準備に追われていた。

 

 「おはようございます、アリスさん」

 

 執事長が一礼する。

 

 「ああ、おはよう」

 

 次郎も軽く会釈を返した。

 

 そのまま食堂へ向かおうとした時だった。

 

 廊下の奥から、小さな嗚咽が聞こえてくる。

 

 次郎は足を止めた。

 

 視線の先では、一人の若いメイドが窓際に立ち、俯いていた。

 

 両手でハンカチを握り締め、肩が小さく震えている。

 

 「……」

 

 やがて彼女は涙を拭うと、深く息を吸い込んだ。

 

 その表情はまだ悲しみに沈んでいたが、次の瞬間には無理に笑顔を作る。

 

 「ごめんなさい……」

 

 誰に言うでもないその一言を残し、メイドは足早に厨房の方へ歩いていった。

 

 次郎は静かにその背中を見送る。

 

 昨日、屋敷へ伝えられたバーニーの死。

 

 屋敷で長く働いていた彼を慕う者は多い。

 

 その悲しみは、一晩で癒えるものではない。

 

 次郎は何も言わず、再び食堂へ向かって歩き始めた。

 

 

 

 食堂へ入ると、すでにエレンとクレアが席に着いていた。

 

 「おはよう、アリス」

 

 エレンが穏やかな笑みを浮かべる。

 

 「ああ、おはよう」

 

 次郎は短く返事をし、向かいの席へ腰を下ろした。

 

 ほどなくして執事長と使用人たちが朝食を運んでくる。

 

 湯気の立つスープ。

 

 保存食を活用した料理。

 

 焼き直したパン。

 

 派手さはないが、栄養を考えて用意された朝食だった。

 

 「いただきます」

 

 三人は静かに食前の挨拶をする。

 

 朝食は終始穏やかな雰囲気で進み、昨夜のような重苦しい空気は幾分和らいでいた。

 

 食事を終えると、執事長が一礼する。

 

 「お嬢様」

 

 「応接室の準備が整っております」

 

 エレンは立ち上がり、小さく頷いた。

 

 「ありがとう」

 

 三人は応接室へ向かう。

 

 昨夜のうちに、外の状況や今後の基本方針についてはすでに共有を終えている。

 

 今日の目的は、その内容を踏まえた具体的な運営と警備体制の確認だった。

 

 応接室には執事長、警備主任、料理長をはじめ、各部門の責任者が集まっている。

 

 机の上には屋敷の見取り図と備蓄品の一覧表が広げられていた。

 

 警備主任が一礼する。

 

 「それでは、本日の確認事項に入らせていただきます」

 

 「まず、現在の警備体制についてご報告いたします」

 

 

 警備主任は見取り図へ視線を落としながら説明を続けた。

 

 「昨夜の会議を受け、警備体制を再編いたしました」

 

 棒で見取り図の正門を示す。

 

 「正門には昼夜を問わず一名を配置します。現在、人の出入りが可能なのはここだけですので、常時の警戒が必要です」

 

 次に屋敷外周を指す。

 

 「巡回は一名。二人一組が理想ではありますが、長期的な緊張で体調を崩した者がおり、昨夜から一名が高熱で寝込んでおります。そのため、無理な二名体制は避け、安全なルートを一名で巡回させます」

 

 さらに裏門を指す。

 

 「裏門は監視カメラの視界が広く、死角も少ないため、常時の立哨は行いません。警備室にて常時一名が映像をしております」

 

 最後に、控え室の位置を示す。

 

 「残る一名は休憩に回します。交代制で疲労を溜めないようにし、昼夜の警備に支障が出ないよう調整しています」

 

 次郎は静かに頷いた。

 

 「合理的だな。現状でできる最善だ」

 

 「はい。非常電源が尽きて監視カメラが停止した場合のみ、裏門にも警備員を配置する予定です」

 

 警備主任は力強く頷いた。

 

 「さらに全警備員には短距離無線機を配備しております」

 

 「異変があれば、無線で直ちに屋敷全体へ連絡いたします」

 

 次郎は小さく頷く。

 

 「それでいい」

 

 「奴らは音に敏感だ」

 

 「鐘やサイレンのような大きな音は絶対に使うな」

 

 「屋敷を守るつもりが、かえって感染者を呼び寄せることになる」

 

 「承知いたしました」

 

 警備主任は真剣な表情で頷いた。

 

 

 続いて、料理長が備蓄品の一覧表を手に取った。

 

 「それでは、食料についてご報告いたします」

 

 「現在の備蓄は、保存食を中心に管理しております」

 

 「缶詰、乾パン、クラッカー、塩漬け肉、乾燥野菜などを節約して使用した場合、現在の人数で約一か月は持つ見込みです」

 

 エレンは静かに頷く。

 

 「無理に普段通りの食事を用意する必要はありません」

 

 「皆が公平に食べられるよう管理してください」

 

 「かしこまりました」

 

 料理長は一礼した。

 

 今度は執事長が資料を手にする。

 

 「水につきましては、敷地内の井戸が問題なく使用できております」

 

 「飲料水として利用する分は煮沸を徹底し、それ以外の生活用水も当面は不足する心配はございません」

 

 次郎は腕を組みながら尋ねた。

 

 「発電機の燃料は」

 

 執事長は少し表情を引き締める。

 

 「現在の使用量を維持した場合、発電機の燃料は、あと数日しか持ちません」

 

 「照明は最低限に抑え、厨房も使用時間を制限しております」

 

 次郎は見取り図の横に置かれた燃料管理表へ目を向けた。

 

 「燃料は一滴でも無駄にするな」

 

 「発電機が止まれば、夜間の警備も、食料の保存も一気に厳しくなる」

 

 「必要最低限の運用を続けよう」

 

 「承知いたしました」

 

 その場にいた全員が真剣な表情で頷いた。

 

 誰もが理解していた。

 

 この屋敷は今こそ安全に見える。

 

 しかし、その安全は限られた備蓄と燃料の上に成り立つ、決して盤石ではない日常なのだということを。

 

 

 

 次郎は資料から目を離し、集まった責任者たちを見渡した。

 

 「食料、水、燃料……当面は問題ない」

 

 「だが、それは屋敷の外へ出なくて済む場合の話だ」

 

 室内の空気がわずかに張り詰める。

 

 次郎は続けた。

 

 「今、一番不足しているのは医薬品だ」

 

 「消毒液、抗生物質、鎮痛剤、包帯」

 

 「誰か一人でも重傷を負えば、一気に苦しくなる」

 

 執事長が資料を確認する。

 

 「医務室の在庫は確認しておりますが、十分とは言えません」

 

 「特に抗生物質は残り僅かです」

 

 クレアが腕を組みながら口を開く。

 

 「薬局や病院へ行けば手に入るかもしれない。でも、そういう場所は危険も大きいわ」

 

 「そうだな」

 

 次郎は頷いた。

 

 「だから今は、怪我人を出さないことが何より重要だ」

 

 警備主任も神妙な面持ちで口を開く。

 

 「警備員には私から改めて周知いたします」

 

 「無理な行動を避け、小さな負傷でも必ず報告するよう徹底いたします」

 

 エレンは静かに立ち上がり、責任者たちを見渡した。

 

 「皆さん」

 

 「辛いことばかりが続いていますが、この屋敷にはまだ食料も水もあります」

 

 「そして、皆さんがいます」

 

 「どうか希望まで失わず、この屋敷を共に守ってください」

 

 穏やかな声だったが、その言葉には屋敷の主人としての確かな意志が宿っていた。

 

 警備主任、執事長、料理長は揃って一礼する。

 

 「承知いたしました、お嬢様」

 

 応接室には静かな緊張感とともに、この屋敷を守り抜くという決意が共有されていく。

 

 

 しばらく沈黙が流れた。

 

 やがてクレアが口を開く。

 

 「備蓄があるうちに、町へ物資を取りに行くという選択肢は?」

 

 責任者たちの視線が次郎へ集まる。

 

 次郎は少し考え、静かに首を横へ振った。

 

 「今は行かない」

 

 「備蓄にはまだ余裕がある」

 

 「その余裕を捨てて危険を冒す理由はない」

 

 警備主任も同意する。

 

 「周辺の様子も、まだ十分には把握できておりません」

 

 「無理な行動は避けるべきでしょう」

 

 次郎は見取り図の屋敷周辺を指差した。

 

 「まずは屋敷を拠点として守りを固める」

 

 「外へ出るのは、本当に必要になってからだ」

 

 エレンは静かに頷いた。

 

 「それでいきましょう」

 

 「皆さんも、当面は屋敷の維持を最優先にしてください」

 

 「かしこまりました」

 

 責任者たちは一斉に頭を下げる。

 

 こうして、この日の会議は終了した。

 

 屋敷はひとまず安全だった。

 

 だが、その安全が永遠ではないことを、この場にいる誰もが理解していた。

 

 

 責任者会議は一時間ほどで終了した。

 

 各々が資料を手に、それぞれの持ち場へ戻っていく。

 

 応接室には、次郎、エレン、クレアの三人だけが残った。

 

 「思ったより落ち着いていたわね」

 

 クレアが小さく息を吐く。

 

 「ああ」

 

 次郎は短く答えた。

 

 「混乱しているからこそ、やるべきことが明確なんだろう」

 

 エレンは窓の外へ目を向けた。

 

 広い庭園には夏の日差しが降り注ぎ、風に揺れる木々が静かな音を立てている。

 

 一見すれば、世界は何一つ変わっていない。

 

 しかし、高い塀の向こうでは、人々の日常はすでに失われていた。

 

 「少し屋敷を見て回りたいのだけれど」

 

 エレンが静かに言う。

 

 「皆の様子を、この目で見ておきたいの」

 

 「俺も行く」

 

 次郎は即座に答えた。

 

 「もちろん私も」

 

 クレアも立ち上がる。

 

 三人は応接室を後にし、屋敷の中を歩き始めた。

 

 厨房では料理人たちが保存食の整理を行い、無駄が出ないよう帳簿へ細かく書き込んでいる。

 

 リネン室では使用人たちが限られた水を有効に使うため、洗濯物を仕分けしていた。

 

 廊下では警備員が無線機の動作確認を終え、交代の時刻を確認し合っている。

 

 屋敷は以前までとは違う。

 

 豪奢な貴族の館ではなく、生き残るための拠点へと姿を変え始めていた。

 

 その様子を見たエレンは、小さく微笑む。

 

 「皆、本当に頑張ってくれているのね」

 

 次郎も静かに頷いた。

 

 三人はそのまま歩みを進める。

 

 誰もが自分の役割を果たそうとしていた。

 

 その姿は、この屋敷にまだ希望が残されていることを示していた。

 

 

 

 三人はそのまま廊下を歩き続けた。

 

 屋敷では、それぞれが自分の役目を果たそうと忙しく動いている。

 

 そんな中、一つ角を曲がった先の廊下の陰から、一人のメイドが静かに三人の様子を見つめていた。

 

 朝、窓辺で涙を流していた若いメイドだった。

 

 エレンは使用人たちへ優しく声を掛けながら歩き、クレアも時折笑顔を見せている。

 

 その隣には、いつもと変わらぬ表情で歩く次郎の姿があった。

 

 メイドはその姿をじっと見つめている。

 

 三人はその存在に気付くことなく、廊下の先へ歩み去っていく。

 

 残されたメイドは胸元を強く握り締め、静かに俯いた。

 

 その表情に宿った感情が何であるのか――

 

 その時、誰も知る者はいなかった。

 

 

――DAY8・終了――

 

 

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