本日二度目の投稿。
十一日目。
朝食を終えた次郎は、エレンとクレアを伴い、屋敷の地下へ続く階段を下りていた。
石造りの通路には、非常用発電機の低い駆動音が響いている。
地下倉庫の一角まで来ると、次郎は立ち止まった。
そこには木材や砂袋が積み重ねられ、壁には木製の標的が固定されている。
「ここだ」
エレンが辺りを見回し、小さく首を傾げた。
「この場所、昨日まではただの倉庫だったはずだけれど……」
「昨日のうちに改造した」
次郎は簡潔に答える。
「外で撃てば銃声が感染者を引き寄せる」
「だから地下を使う」
クレアは周囲を見渡し、感心したように頷いた。
「一晩でここまで作ったの?」
「ああ」
「砂袋で弾を受け止める。石壁なら音も外へ漏れにくい」
必要最低限の説明だけをすると、次郎は棚から拳銃と弾薬を取り出した。
安全を確認してから、エレンへ手渡す。
「今日は実際に撃つ」
「昨日まで覚えたことを思い出せ」
エレンは静かに頷き、標的の前へ立った。
両手で拳銃を構え、ゆっくりと照準を合わせる。
地下室は静まり返っていた。
「撃て」
次郎の声に合わせ、エレンは引き金を引いた。
――パンッ!
乾いた銃声が石壁へ反響する。
弾丸は標的の左を逸れ、砂袋へ突き刺さった。
「外れたわ……」
「焦るな」
次郎は落ち着いた口調で言う。
「狙うことより、同じ構えを維持することを意識しろ」
エレンはもう一度深呼吸をし、拳銃を構え直した。
――パンッ!
二発目。
今度は標的の端を弾丸がかすめ、小さな木片が飛び散る。
「当たった……!」
その声に、クレアも自然と笑みを浮かべた。
「上出来よ」
次郎も小さく頷く。
「その感覚を忘れるな」
「今の目標は中心を撃ち抜くことじゃない」
「当てる感覚を身体に覚え込ませることだ」
エレンは力強く頷き、再び標的へ向き直った。
訓練を終えた頃には、エレンの額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
初めの頃こそ標的を大きく外していたものの、繰り返し引き金を引くうちに、弾痕は少しずつ中央へ集まり始めている。
次郎は標的へ歩み寄り、残された弾痕を静かに見つめた。
「悪くない」
その一言に、エレンは安堵したように微笑む。
「本当?」
「ああ」
「だが、今はまだ偶然当たっているだけだ」
「狙った場所へ確実に当たるようになって、初めて身を守る武器になる」
エレンは真剣な表情で頷いた。
「もっと練習するわ」
「焦る必要はない」
次郎は空になった薬莢を拾い集めながら言う。
「一日に覚えられることには限界がある」
「積み重ねればいい」
クレアは二人のやり取りを見ながら、小さく笑った。
「アリスって、先生みたいね」
「昔、教える仕事でもしてたの?」
次郎は首を横に振る。
「いや」
「覚えるのに必要だっただけだ」
それ以上は語らない。
クレアも深くは聞かなかった。
地下射撃場を片付け終えると、三人は地上へ戻る。
外では穏やかな日差しが庭を照らし、使用人たちは洗濯物を干したり、屋敷の清掃をしたりと、それぞれの仕事に励んでいた。
警備員たちは交代で休憩を取りながらも、巡回を欠かさない。
その光景を見たエレンは、小さく息をついた。
「皆、本当に頑張ってくれているわね」
次郎も同じ方向へ視線を向ける。
「ああ」
それだけ答える。
しばらく三人は、黙って庭を眺めていた。
風が木々を揺らし、使用人たちの穏やかな笑い声が微かに聞こえてくる。
クレアは小さく微笑んだ。
「こんな時間が続けばいいのに」
誰もその言葉に返事はしなかった。
ただ、それぞれが胸の内で同じ願いを抱きながら、静かな屋敷の風景を見つめ続けていた。
昼食を終えると、屋敷は再び穏やかな時間に包まれた。
執事長は使用人たちへ午後の仕事を割り振り、料理長は保存食の在庫を確認している。
庭師たちは庭木の手入れを続け、警備員たちは交代で休憩を取りながら屋敷の外周を巡回していた。
次郎は地下射撃場へ戻り、散乱した薬莢を一つ残らず回収していく。
床に残った鉛の破片を拾い集め、砂袋に埋まった弾丸も可能な限り取り除いた。
クレアがその様子を眺めながら尋ねる。
「そこまでやる必要があるの?」
「ああ」
次郎は作業の手を止めない。
「薬莢も弾も限りがある」
「使えるものは使う」
「それに、訓練する場所は常に同じ状態にしておく」
「次に撃つ時、余計なものがあると事故の原因になる」
「なるほどね」
クレアは納得したように頷いた。
やがて地下室の片付けが終わると、次郎とクレアは二階へ向かう。
応接室ではエレンが執事長から報告を受けていた。
「飲料水、食料ともに現状の消費量であれば、しばらくは問題ございません」
「発電機の燃料も予定どおりです」
「そう」
エレンは静かに頷く。
「引き続き節約をお願いします」
「承知いたしました」
執事長は一礼して部屋を後にした。
それを見届けた次郎は、窓際へ歩み寄る。
厚いカーテンを少しだけ開け、屋敷の外へ目を向けた。
門の向こうには、誰の姿もない。
風が草を揺らし、雲がゆっくりと流れていく。
「何か異常はある?」
エレンが尋ねる。
「いや、ないな」
次郎はカーテンを閉める。
「今日も静かだ」
その一言に、部屋の空気が少しだけ和らいだ。
静かな一日。
何も起こらないことが、今は何よりも価値のある時間だった。
◇
十二日目の朝。
食堂には温かなスープの湯気が静かに立ち上っていた。
保存食の缶詰と乾パン、乾燥野菜を使った簡素な朝食。
決して豊かではない。
それでも、皆が同じ食卓を囲み、朝を迎えられること自体が、この世界では贅沢だった。
「おはようございます、エレンお嬢様」
「おはよう」
穏やかな挨拶が交わされる。
数日前まで張り詰めた空気が流れていた食堂には、少しずつ人の笑顔が戻り始めていた。
食事中も、以前のような張り詰めた空気はなかった。
「このスープも、あと少し塩気があればもっと美味しくなるんですがね」
料理長が苦笑しながら呟く。
「贅沢は言えませんよ」
向かいに座る使用人が笑って返した。
「温かいものが食べられるだけでも十分です」
「そうですね」
短いやり取りに、食堂のあちこちから小さな笑みがこぼれる。
エレンもその様子を見渡し、静かにスプーンを置いた。
「皆さんのおかげで、この屋敷は今日も落ち着いています」
「本当にありがとう」
その言葉に、使用人たちは照れくさそうに顔を見合わせた。
「もったいないお言葉です」
執事長が代表して頭を下げる。
「我々は、それぞれの務めを果たしているだけでございます」
「それでも、感謝しています」
エレンは穏やかに微笑んだ。
朝食を終えると、屋敷はいつもの日課へ移っていく。
食器を片付ける者。
掃除を始める者。
厨房で昼食の準備に取り掛かる者。
誰もが自分の役目を理解し、落ち着いて行動していた。
次郎はコートを羽織り、リボルバーを腰に収める。
警備主任も無線機を確認しながら近付いてきた。
「それでは、いつもどおり巡回へ向かいます」
「ああ」
二人は玄関を出る。
朝の空気はひんやりとして心地よく、屋敷を囲む森は静寂に包まれていた。
正門から西側へ行き裏門へ、と決められた順路を歩きながら、次郎は石壁の向こうへ視線を向け続ける。
風で揺れる草木以外に動くものは見当たらない。
「異常ありません」
警備主任が周囲を見回しながら報告する。
次郎は短く頷いた。
「ああ」
静かな朝だった。
この平穏が、いつまでも続くように思えるほどに。
やがて、昼食の準備が整ったことを知らせるベルが館内で静かに鳴った。
応接室にいたエレンは本を閉じ、立ち上がる。
「行きましょう」
「ああ」
次郎が短く応じ、クレアも椅子から腰を上げた。
三人は食堂へ向かう。
昼食も朝と同じく質素なものだった。
乾燥野菜を煮込んだスープに、保存していた魚の缶詰、それに固い乾パン。
豪華とは程遠い。
それでも、温かな料理が並ぶ食卓には自然と人が集まり、食事を囲んで言葉を交わせる。
その光景だけで十分だった。
「備蓄の消費は予定どおりです」
執事長がエレンへ報告する。
「食料も飲料水も、今の配分であれば問題なく維持できます」
「そう」
エレンは安心したように頷いた。
「皆さんの協力のおかげね」
「いえ、エレンお嬢様が率先して節約してくださっておりますので」
料理長が穏やかに笑う。
「私たちも見習わなくては」
食堂には和やかな空気が流れた。
昼食を終えると、それぞれが午後の仕事へ戻っていく。
警備員は交代で外周の巡回へ向かい、使用人たちは館内の清掃や洗濯を進める。
厨房では夕食の仕込みが始まり、執事長は帳簿を片手に備蓄品の数量を確認していた。
次郎は応接室へ戻ると、壁際の椅子へ静かに腰を下ろす。
リボルバーをホルスターから抜き、布で丁寧に手入れを始めた。
弾倉を確認し、可動部に異常がないかを一つひとつ確かめる。
その様子を見たクレアが苦笑する。
「毎日武器の手入れを欠かさないのね」
「ああ」
「使わない日ほど整備する」
短い返答だった。
クレアは肩をすくめながら笑う。
「その几帳面さが、あなたらしいわね」
次郎は何も答えず、再び黙々と整備を続けた。
応接室には、本のページをめくる音と、リボルバーを手入れする小さな金属音だけが静かに響いていた。
――DAY12・終了――
エレン視点でのチュートリアルでした。