元殺し屋がバイオ事件に巻き込まれる話   作:オッパッピー

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本日一度目の投稿です。


Chapter5 禿山の一夜 Part1

 十三日目の朝。

 

 食堂へ執事長が姿を現すと、使用人たちは静かに席へ着き始めた。

 

 朝食は昨日と変わらない。

 

 温かなスープに乾パン、保存していた缶詰。

 

 限られた食材を無駄なく使うため、料理長は毎日少しずつ献立を工夫していた。

 

 「おはようございます、エレンお嬢様」

 

 「おはよう」

 

 穏やかな挨拶が交わされる。

 

 食事を囲む人々の表情には、わずかながら余裕が戻っていた。

 

 食後、執事長が帳簿を開く。

 

 「本日の報告です」

 

 「食料、飲料水ともに予定どおり消費しております」

 

 「ですが、非常用発電機の燃料は、本日中には尽きる見込みです」

 

 食堂の空気が少しだけ静まった。

 

 エレンは落ち着いた表情のまま尋ねる。

 

 「今夜まで、ということね」

 

 「はい」

 

 「日没後しばらくは稼働しますが、それ以降は停止する見込みです」

 

 「分かりました」

 

 エレンは静かに頷く。

 

 「皆さんにも伝えてください。今夜からはランタンと蝋燭での生活になります」

 

 「承知いたしました」

 

 執事長が頭を下げる。

 

 大きな動揺はなかった。

 

 誰もが、いつかは来ると分かっていたことだからだ。

 

 朝食を終えると、それぞれが持ち場へ向かっていく。

 

 次郎はリボルバーのシリンダーを確認し、ホルスターへ戻した。

 

 警備主任が近付いてくる。

 

 「アリスさん、いつもどおり外周を確認します」

 

 「ああ」

 

 二人は玄関を出て、朝の巡回へ向かった。

 

 屋敷を囲む森は静まり返っている。

 

 風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが耳に届いていた。

 

 

 巡回は予定どおり進んでいた。

 

 西側の石壁を確認し、次郎と警備主任は裏門へ向かう。

 

 次郎と警備主任は裏門へ辿り着いた。

 

 周囲は深い森に囲まれ、風が木々を揺らす音だけが静かに響いている。

 

 警備主任は門柱や錠前を確かめ、外周の石壁にも視線を走らせた。

 

 「異常ありません」

 

 次郎も裏門の向こうへ目を向ける。

 

 森に人の気配はない。

 

 「ああ」

 

 警備主任は巡回を続けるため、その場を離れようと歩き出した。

 

 しかし、次郎は動かなかった。

 

 門と反対の森をじっと見つめたまま、静かに口を開く。

 

 「少し待ってくれ」

 

 警備主任は足を止めて振り返る。

 

 「どうしました?」

 

 次郎は無言のまま森を見つめ続ける。

 

 その視線を追うように、警備主任も森の奥へ目を凝らした。

 

 木々の隙間。

 

 遠くに、小さな人影が立っている。

 

 「あれは……人でしょうか」

 

 「多分な」

 

 次郎は短く答える。

 

 「だが、不自然だ」

 

 二人はその場で様子をうかがった。

 

 しばらく動かなかった人影が、不意に顔を上げる。

 

 次の瞬間。

 

 「アアアァァッ!!」

 

 森に絶叫が響き渡った。

 

 人影は地面を蹴り、常人では考えられない速度で一直線に二人へ向かって駆け出した。

 

 警備主任は目を見開く。

 

 「なんだ、あれは……!」

 

 「下がってくれ」

 

 警備主任は反射的に一歩後ろへ下がる。

 

 人影は勢いを落とさない。

 

 二人まであと二十メートル。

 

 十メートル。

 

 五メートル。

 

 ――パンッ!

 

 乾いた銃声が森に響く。

 

 次郎のリボルバーから発射された弾丸は感染者の額を正確に撃ち抜いた。

 

 感染者は勢いのまま数歩走り、二人の目前で前のめりに倒れ込む。

 

 そのまま土の上で静かに動きを止めた。

 

 

 

 警備主任は地面へ倒れた人影を見つめたまま、言葉を失っていた。

 

 しばらくして、ようやく口を開く。

 

 「……今のは」

 

 次郎はリボルバーを構えたまま、森から目を離さない。

 

 「感染者だ」

 

 その一言に、警備主任は息を呑んだ。

 

 「これが……」

 

 話には聞いていた。

 

 だが、自分の目で見るのは初めてだった。

 

 人間とは思えない速さ。

 

 獣のような叫び声。

 

 そして、迷うことなく人へ襲い掛かる凶暴性。

 

 どれも想像をはるかに超えていた。

 

 次郎は周囲へ鋭い視線を向ける。

 

 森は静まり返っている。

 

 風に揺れる木々以外、動くものはない。

 

 数十秒が過ぎた。

 

 次郎は小さく息を吐く。

 

 「……単独だな」

 

 警備主任も改めて周囲を見回し、緊張した面持ちで頷いた。

 

 「他には見当たりませんね」

 

 「ああ」

 

 次郎はリボルバーをホルスターへ戻す。

 

 警備主任は門の外に横たわる感染者を見つめた。

 

 「死体はどうしましょうか」

 

 次郎も感染者へ視線を向ける。

 

 「このままにしておこう」

 

 「森に入る方が危険だ」

 

 警備主任は静かに頷いた。

 

 「ええ。私もそう思います」

 

 感染者が一人だけとは限らない。

 

 森に入った瞬間、別の感染者と遭遇する可能性もある。

 

 不用意に危険を冒す必要はなかった。

 

 警備主任は無線機を手に取る。

 

 「こちら裏門」

 

 『どうしました』

 

 「感染者を一名確認、アリスさんが対処した」

 

 「現在、周辺に他の感染者は確認できていない」

 

 『了解しました。引き続き警戒をお願いします』

 

 「了解」

 

 通信を終えると、二人はその場でしばらく森を監視した。

 

 風が枝葉を揺らし、鳥の鳴き声が遠くから聞こえてくる。

 

 しかし、それ以外に動くものはない。

 

 次郎は森へ視線を向けたまま口を開く。

 

 「もう大丈夫そうだな」

 

 警備主任も周囲を見回して頷く。

 

 「ええ。巡回を続けましょう」

 

 二人は裏門を後にし、再び屋敷の外周を歩き始めた。

 

 門の外には、頭を撃ち抜かれた感染者の死体だけが静かに残されていた。

 

 

 

 その後の巡回では、新たな異変は見つからなかった。

 

 西側の石壁や溶接された裏口を確認しながら屋敷へ戻る。

 

 玄関前では、無線を受けていた警備員が次郎と警備主任を迎えた。

 

 警備主任も彼も険しい表情を浮かべている。

 

 感染者がついに屋敷の近くまで現れた。

 

 その事実は、警備員たちに少なからぬ緊張を与えていた。

 

 警備主任は彼と目を合わせ、小さく頷く。

 

 警備員も無言で頷き返す。

 

 言葉を交わさなくとも、警戒を一層強める必要があることは全員が理解していた。

 

 次郎はそのまま屋敷の中へ入る。

 

 「エレンたちに報告してくる」

 

 「お願いします」

 

 警備主任はそう答えると、屋敷の周囲へ視線を向けた。

 

 感染者が一人だけだったのは幸運に過ぎない。

 

 次に現れる時も、一人とは限らない。

 

 静まり返った屋敷を守るため、警備員たちは持ち場へ戻り、それぞれの警戒を再開した。

 

 

 

 応接室の扉をノックすると、中からエレンの声が聞こえた。

 

 「どうぞ」

 

 次郎が部屋へ入ると、エレンとクレアはテーブルを挟んで資料に目を通していた。

 

 二人は次郎の表情を見るなり、ただならぬ雰囲気を察する。

 

 「何かあったの?」

 

 クレアが尋ねる。

 

 次郎は簡潔に答えた。

 

 「裏門で感染者を確認した」

 

 室内の空気が一変する。

 

 クレアは思わず立ち上がった。

 

 「もうここまで来たの?」

 

 「ついさっきな」

 

 「一人だけ発見して、すぐに対処した」

 

 クレアは胸をなで下ろす。

 

 「他には?」

 

 「確認できなかった」

 

 「今のところは単独だ」

 

 エレンは静かに両手を組み、少し考え込む。

 

 「街から、ここまで来たということかしら」

 

 「その可能性が高い」

 

 次郎は短く答えた。

 

 「行動範囲が広がっている」

 

 部屋に沈黙が落ちる。

 

 感染者は街だけの脅威ではなくなった。

 

 屋敷も、もはや安全地帯とは言い切れない。

 

 やがてエレンが顔を上げる。

 

 「警戒のレベルを上げましょう」

 

 「裏門だけでなく、屋敷全体の見回りも今まで以上に慎重に」

 

 次郎は頷いた。

 

 「ああ。そうしよう」

 

 

 クレアは真剣な表情で口を開いた。

 

 「屋敷のみんなにも知らせるべきね」

 

 「裏門には絶対に近づかないようにって」

 

 「感染者が一人だったとしても、何が起こるか分からないわ」

 

 エレンは静かに頷く。

 

 「そうね」

 

 「興味本位で様子を見に行く人がいたら、それだけで危険だわ」

 

 次郎も二人を見渡しながら口を開いた。

 

 「ここまでたどり着くのが一人だけとも限らない」

 

 「しばらくは誰も近づけない方がいい」

 

 クレアは次郎の言葉に頷いた。

 

 「ええ。それが一番安全ね」

 

 エレンは卓上のベルを鳴らす。

 

 間もなく執事長が応接室へ入室した。

 

 「お呼びでしょうか、エレンお嬢様」

 

 「ええ」

 

 「屋敷の者全員に伝えてください」

 

 「本日より、警備員の許可なく門の外へ出ることを禁止します」

 

 「特に裏門周辺には決して近づかないよう、全員へ徹底してください」

 

 執事長は一礼する。

 

 「承知いたしました。直ちに申し伝えます」

 

 執事長が退室すると、エレンは次郎へ視線を向けた。

 

 「これで、不用意に近づく人はいなくなるかしら」

 

 次郎は落ち着いた口調で答える。

 

 「命令が徹底されれば危険は減る」

 

 「警備も強化する」

 

 「異変があれば、すぐ対応できる」

 

 エレンは安心したように微笑んだ。

 

 「お願いするわ」

 

 「ああ。任せろ」

 

 短く応じると、次郎は応接室を後にして静かに扉を閉めた。

 

 廊下には午後の陽光が差し込み、磨き上げられた床を淡く照らしている。

 

 使用人たちは、それぞれの持ち場で黙々と仕事を続けていた。

 

 廊下を磨くメイド。

 

 洗濯物を抱えて足早に歩く使用人。

 

 厨房からは夕食の仕込みを進める物音が聞こえてくる。

 

 誰もが普段どおりに振る舞っていた。

 

 

 次郎は玄関ホールへ向かう。

 

 警備主任は次郎に気付き、一礼する。

 

 「アリスさん」

 

 「エレンお嬢様からのご命令は?」

 

 「門の外へ出ることを禁止するそうだ」

 

 「特に裏門には誰も近づけないようにと」

 

 警備主任は頷いた。

 

 「承知しました」

 

 「こちらでも警備員へ周知します」

 

 「使用人には執事長から通達される」

 

 「それなら安心です」

 

 次郎は玄関から庭へ目を向けた。

 

 夏の風が芝生を揺らし、木々の葉がさらさらと音を立てている。

 

 穏やかな景色だった。

 

 しかし、その穏やかさは石壁の内側だけのものだ。

 

 門の外には感染者が現れ始めている。

 

 次郎は再び警備主任へ視線を向ける。

 

 「今夜から発電機も止まる」

 

 「暗くなると警戒もしづらいな」

 

 警備主任は静かに頷いた。

 

 「ええ」

 

 「何かあれば、すぐ連絡します」

 

 「頼む」

 

 二人は短く頷き合い、それぞれの持ち場へ向かった。

 

 庭師が植え込みを整え、その近くでは数人の使用人が洗濯物を取り込んでいる。

 

 皆、これから訪れる夜の危険を理解しながらも、自分の役目を黙々と果たしていた。

 

 中にはどこか疲れた表情を浮かべる者や、俯いたまま作業を続ける者もいる。

 

 次郎はその光景を一瞥すると、異変がないことを確認し、その場を後にした。

 

 屋敷には静かな時間が流れていた。

 

 

 

 夕刻が近づくにつれ、西の空は赤く染まり始めていた。

 

 長く伸びた屋敷の影が庭を覆い、昼間の暑さも少しずつ和らいでいく。

 

 使用人たちは執事長からの通達を受け、それぞれの持ち場へ戻っていた。

 

 警備員も正門と裏門へ配置につき、屋敷は夜を迎える準備を進めている。

 

 発電機が止まる時間が近づくと、使用人たちは各部屋にランタンを運び、順に火を灯していった。

 

 暖かな橙色の明かりが廊下や玄関ホールを照らし始める。

 

 次郎は中庭へ出ると、屋敷を囲む石壁の向こうへ視線を向けた。

 

 夕暮れの森は静かだった。

 

 風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが耳に届く。

 

 裏門で感染者を確認して以降、新たな異変はない。

 

 屋敷の中でも、外でも、今のところは平穏だった。

 

 次郎は一通り周囲を見渡すと、異常がないことを確認して屋敷の中へ戻る。

 

 やがて最後の陽が地平線へ沈み、屋敷はランタンの灯だけが揺れる夜を迎えた。

 

 

――DAY13・終了――

 

 




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