今現在は第一章を書き終わって、第二章を書き始めたところです。
クロスオーバー含めて全九章の物語になる予定です。
夜の裏路地は、不気味なほど静まり返っていた。
先ほどまで聞こえていたJ's Barでの咆哮も、建物を一つ隔てるだけで遠く感じられる。
それでも誰一人、気を緩める者はいなかった。
先頭を歩く有栖次郎は、リボルバーではなくコンバットナイフを右手に握っている。
店内でマークを撃った後から、化け物が急激に増え始めた。
まだ確信はない。
だが、大きな音を立てることへの警戒心は、自然と芽生えていた。
背後には八人の客。
そしてその後ろでは、店長が何度も人数と周囲を確認している。
「全員いるな」
小さく呟く声に、次郎は頷いた。
「十人、誰も欠けてない」
狭い裏路地には、ゴミ箱や木箱が無造作に積み上げられている。
街灯も少なく、視界は悪い。
どこに化け物が潜んでいても不思議ではない。
その時だった。
ズル……。
ズル……。
何かを引きずるような音が、路地の奥から聞こえてきた。
次郎は右手を軽く上げる。
それだけで全員が足を止めた。
物音一つ立てない。
やがて闇の中から、一人の男が姿を現す。
スーツ姿の会社員だった。
俯いたまま、足を引きずるように歩いている。
「ひっ……」
客の一人が小さく息を呑む。
次郎は振り返らず、人差し指を口元へ当てた。
静かに、という合図だ。
男はゆっくりと顔を上げる。
白く濁った瞳。
ネクタイは血で赤黒く染まり、顎からは乾き切っていない血が滴っている。
「ガァ……」
低いうなり声が漏れた。
次郎は静かにナイフを握り直す。
「ここで待っててくれ」
小さく言い残し、一人で前へ進み出た。
男はまだこちらへ気付いていない。
死角から忍び寄る。
三歩。
二歩。
一歩。
次郎は一気に間合いを詰めると、左手で肩を押して、体勢を崩す。
そのまま右手のコンバットナイフを後頭部の付け根へ深く突き立てた。
刃は延髄を貫き、そのまま脳へ達する。
会社員の体が短く痙攣し、力なく崩れ落ちた。
叫び声を上げる暇すらなかった。
次郎は静かにナイフを引き抜く。
会社員の服で刃に付いた血を拭き取り、鞘へ戻した。
それから一行を振り返る。
「行こう」
誰も言葉を発しない。
全員が理解していた。
この街では、大きな音を立てないことも、生き残るための武器になるのだと。
次郎たちは再び静かに歩き始めた。
そして、その静寂を切り裂くように――
ドォォォンッ!!
遠くで巨大な爆発音が夜空を震わせた。
ドォンッ!
少し遅れて、別の方向からも轟音が響く。
地面がわずかに震え、周囲の建物の窓ガラスが細かく揺れた。
「何が起きてるんだ……」
店長が呆然と呟く。
次郎は夜空を見上げた。
黒煙は市内のあちこちから立ち昇り、赤い炎が街を不気味に照らしている。
あれほど活気に満ちていたラクーンシティは、わずか数十分で戦場のような光景へ変わり果てていた。
「ここも、もう安全じゃない」
誰に言うでもなく呟く。
店長も苦い表情で頷いた。
「ああ……」
その時だった。
ガガッ――。
近くから無線の雑音が聞こえてくる。
路地の出口付近には、一台のパトカーが街灯へ衝突したまま停車していた。
運転席のドアは開き、車内には誰もいない。
無線機だけが断続的に通信を続けている。
『――こちら、ラクーン市警』
雑音混じりの声が響く。
一同は息を潜め、耳を傾けた。
『生存している警察官は、ラクーン市警察署へ集結せよ』
ノイズが走る。
『市民を保護しつつ、防衛線を維持する』
『繰り返す。生存者はラクーン市警察署へ向かえ』
通信はそこで大きな雑音に飲み込まれた。
『ザーッ……ザーッ……』
やがて完全に途絶える。
客の一人が安堵したように声を上げた。
「警察署だ!」
「警察がまだ戦ってる!」
「助かった……!」
張り詰めていた空気に、わずかな希望が差し込む。
だが、次郎だけは表情を変えなかった。
静かに考え込んでいる。
「アリス?」
店長が声を掛ける。
次郎はゆっくりと口を開いた。
「警察署が安全だとは、まだ言い切れない」
「え?」
「生存者が集まる場所には、化け物も集まる可能性がある」
客たちは顔を見合わせた。
希望と不安が入り混じる。
「でも……」
店長が静かに言う。
「他に当てはあるか?」
次郎は答えられなかった。
食料も、水もない。
街の地理に詳しくない客を連れて、当てもなく歩き続ける方が危険だ。
しばらくの沈黙の後、次郎は小さく頷いた。
「……わかった。警察署を目指そう」
「ただし、何があってもおかしくないと思って行動してほしい」
全員が静かに頷く。
その時――
ブロロロロロ……。
遠くから大型車両のエンジン音が近付いてきた。
次郎の表情が変わる。
「全員、物陰へ!」
小声で指示を飛ばすと、一行は慌てて建物の陰へ身を隠した。
エンジン音は急速に近付いてくる。
そして次の瞬間、一台の大型トラックが大通りを猛スピードで駆け抜けた。
荷台には十数人の生存者がしがみついている。
誰もが恐怖に満ちた表情で後方を振り返っていた。
その直後だった。
道路の向こうから、無数の人影が一斉に姿を現す。
血まみれの市民。
警官。
会社員。
老人。
男女の区別もなく、何十体ものゾンビが濁流のようにトラックを追っていた。
道路を埋め尽くす、その圧倒的な数に、一同は言葉を失う。
「……なんだ、あれ」
店長が呆然と呟いた。
次郎は黙ったまま、その光景を見つめ続けていた。
トラックは悲鳴とエンジン音を響かせながら、大通りの先へ消えていった。
それでもゾンビの群れは止まらない。
一体が転んでも、その上を別のゾンビが踏み越えて進む。
ただ獲物だけを追い続けるその姿は、人間というより災害そのものだった。
やがてエンジン音が遠ざかるにつれ、群れも少しずつ大通りの先へ消えていく。
次郎は物陰から様子を窺い続けた。
「……まだだ」
小さく呟く。
焦って飛び出せば、最後尾の群れと鉢合わせる危険がある。
店長もその意図を察し、客たちへ小さく手を振った。
誰一人動かない。
全員が息を潜め、じっと耐える。
数分後。
最後の一体が交差点を曲がり、その姿が完全に見えなくなった。
次郎はゆっくりと立ち上がる。
「行こう」
一行は慎重に路地の出口まで進んだ。
先ほどまでゾンビで埋め尽くされていた大通りは、不気味なほど静まり返っている。
だが、その静けさが安全を意味するわけではない。
道路には事故を起こした車が何台も放置されていた。
横転したタクシー。
炎上するパトカー。
電柱へ突っ込んだ乗用車。
そして歩道脇には、一台の白いワゴン車が停車していた。
運転席のドアは半開きになっている。
次郎は周囲を警戒しながら近付く。
車内には誰もいない。
シートには血痕が残されていたが、争った形跡は見当たらなかった。
キーは差し込まれたままになっている。
店長が小声で尋ねた。
「使えるか?」
次郎はキーへ視線を落とし、少し考え込む。
車があれば移動は格段に楽になる。
しかし、エンジン音はどれほど周囲へ響くのか分からない。
さっき見たトラックの光景も頭をよぎる。
「……徒歩で行こう」
「少なくとも今は、その方が安全だと思う」
店長も納得したように頷いた。
「ああ」
その時だった。
カラン――。
どこかで空き缶が転がる音がした。
全員の動きが止まる。
次郎はゆっくりと音のした方向へ顔を向けた。
道路の反対側。
コンビニの裏口が、ゆっくりと開いていく。
ギィ……。
そこから現れたのは、一体ではなかった。
血まみれの店員。
制服姿の高校生。
スーツ姿の会社員。
十体近いゾンビが、ふらつきながら大通りへ姿を現した。
先頭のゾンビが首をゆっくりと傾ける。
「ガァ……」
一歩。
また一歩。
こちらへ歩き始めた。
次郎は右手を軽く下げ、全員へ合図を送る。
「……ゆっくり下がってくれ」
声は限りなく小さい。
それでも店長はすぐに意図を理解した。
「静かに」
「慌てるな」
客たちは後ろ向きのまま、一歩ずつ路地へ戻り始める。
誰も走らない。
誰も声を出さない。
音を立てればどうなるのか。
それを全員が身をもって学び始めていた。
ゾンビたちは、なおもゆっくりと大通りを進んでくる。
こちらへ気付いているのか、それとも偶然なのか。
まだ判断はつかない。
次郎は視線を逸らさず、静かに後退する。
その時だった。
ガシャンッ!
客の一人が後退した拍子に、路地脇へ積まれていた空き缶へ足をぶつけてしまった。
「しまっ……」
乾いた音が夜の街へ響く。
次の瞬間。
十体近いゾンビが、一斉にこちらへ顔を向けた。
「ガアアアアッ!」
獣のような咆哮が響く。
客たちの表情から血の気が引いた。
次郎は即座に判断する。
「走れ!」
一行は一斉に裏路地へ駆け出した。
背後から何体もの唸り声と足音が迫ってくる。
ゾンビの足は遅い。
しかし、一本道を逃げ続ければ、いずれ追いつかれる。
次郎は走りながら周囲へ視線を巡らせた。
(撒ける場所は……)
前方に十字路が見える。
さらにその先には、古いアパートが立ち並ぶ入り組んだ路地。
「右!」
次郎が叫ぶ。
一行は勢いよく右へ曲がる。
「次は左!」
細い路地を抜け、建物と建物の隙間を縫うように走り続ける。
何度も角を曲がり、ゾンビとの視線を切る。
ようやく次郎は右手を上げた。
「止まって」
全員が壁へ背中を預け、肩で息をする。
誰も大きな声は出さない。
耳を澄ませる。
遠くから唸り声は聞こえる。
だが、少しずつ離れていく。
どうやら追跡を振り切れたようだった。
店長が大きく息を吐く。
「助かった……」
しかし、次郎は表情を緩めなかった。
「今回は運が良かっただけだ」
「同じことは二度と通用しない」
その言葉に、一同は静かに頷く。
ラクーンシティでは、一度の油断が命取りになる。
その現実を、全員が改めて胸に刻み込んだ。
次郎は荒い呼吸を整えると、周囲を見回した。
このまま歩き続ければ体力も尽きる。
水も食料もない。
そして、負傷者が出ても応急処置をする物もない。
何か補給できる場所を探さなければならなかった。
店長が息を整えながら口を開く。
「この近くに、ドラッグストアが、あったはずだ」
「店の仕入れの帰りに、よく見掛けた」
次郎も記憶を辿る。
裏路地を二百メートルほど進めば、小さなドラッグストアがある。
表通りへ出ずに向かえるはずだった。
「そこへ行こう」
客たちも小さく頷く。
今の彼らに必要なのは、まず水だった。
次郎は先頭に立ち、一行は再び静かに歩き始める。
十分ほど進んだところで、目的の建物が見えてきた。
小さなドラッグストア。
看板の照明はすでに消えている。
自動ドアは途中まで開いたまま止まり、店内は薄暗かった。
ガラスは割られていない。
外から見た限り、人影もない。
次郎は拳を軽く上げる。
「ここで待っててくれ」
店長が頷く。
「気を付けろ」
次郎はコンバットナイフを握り直し、一人で入口へ近付いた。
自動ドアの隙間から店内を覗き込む。
棚の商品は所々散乱しているが、略奪された様子はない。
耳を澄ませる。
物音は聞こえなかった。
次郎はゆっくりと店内へ足を踏み入れる。
薬品の匂いが鼻をついた。
薄暗い店内を慎重に進み、棚の陰やレジの裏を一つずつ確認していく。
その時だった。
カタン――。
店の奥から、小さな物音が響く。
次郎は即座に身を低くした。
棚の隙間から様子を窺う。
ゆっくりと姿を現したのは、白衣を着た女性だった。
肩から腕にかけて血がべっとりと付着し、歩き方は不自然にふらついている。
顔が上がる。
白く濁った瞳。
口元には乾き切っていない血液がこびり付いていた。
「ガァ……」
低いうなり声が店内へ響く。
次郎は静かに息を整える。
銃は使わない。
ここで発砲すれば、この周辺にいる化け物まで呼び寄せるかもしれない。
ゆっくりと距離を詰める。
薬剤師の女性は、まだ次郎に気付いていない。
三メートル。
二メートル。
一メートル。
次郎は一気に踏み込む。
左手で肩を押して、体勢を崩す。
そのままコンバットナイフを後頭部の付け根へ深く突き立てた。
刃は延髄を貫き、そのまま脳へ達する。
女性の体が短く痙攣し、その場へ崩れ落ちた。
叫び声は上がらない。
次郎はナイフを引き抜き、女性の白衣で刃に付いた血を拭き取る。
その時だった。
ガタンッ!
店の奥から棚が倒れる音が響いた。
次郎の表情が険しくなる。
耳を澄ます。
ズル……。
ズル……。
何かを引きずる音。
一つではない。
複数いる。
次郎は棚の陰へ身を滑り込ませた。
音のする方へ静かに視線を向ける。
調剤室へ続く通路から、二つの人影がゆっくりと姿を現した。
一人は白衣を着た男性。
もう一人は買い物客らしい中年女性。
どちらも全身を血で汚し、不自然に体を揺らしながら歩いている。
「ガァ……」
「グルル……」
低いうなり声だけが店内へ響く。
まだこちらには気付いていない。
(三体いたのか)
次郎は状況を整理する。
銃なら一瞬で終わる。
しかし、それでは外にいる化け物まで呼び寄せる危険がある。
ここはナイフで片付けるしかない。
棚を利用しながら静かに回り込む。
二体の距離は二メートルほど。
同時には仕留められない。
ならば、後ろの一体から。
倒れる音で前の一体が振り返る。
その隙に二体目を仕留める。
頭の中で一瞬で手順を組み立てる。
暗殺者だった頃に叩き込まれた技術が、自然と体を動かしていた。
次郎は床を蹴る。
物音一つ立てず、白衣の男の背後へ滑り込む。
逆手に握ったコンバットナイフを、後頭部の付け根へ深く突き立てた。
ズブリ――。
男の体が大きく震え、そのまま崩れ落ちる。
その音に反応し、中年女性がゆっくりと振り返った。
白く濁った瞳が次郎を捉える。
「ガァァ……」
腕が伸びる。
だが、遅い。
次郎は半歩踏み込み、その腕を左手で外側へ受け流す。
体勢を崩したところへ、一気に間合いを詰めた。
コンバットナイフをこめかみから深く突き刺す。
刃先は頭蓋を貫き、脳を破壊した。
中年女性は短く痙攣すると、その場へ崩れ落ちる。
店内に再び静寂が戻った。
次郎は耳を澄ませる。
物音はない。
うなり声も聞こえない。
どうやら店内にいた化け物は三体だけだったようだ。
ナイフを白衣の血で汚れていない部分で拭き取り、静かに鞘へ収める。
それから店内を見回す。
「片付いたな……」
小さく呟き、救急用品や飲料水が並ぶ棚へ足を向けた。
出会い頭のゾンビや集団のゾンビなどの恐さを少しでも感じて頂けましたでしょうか。