本日二度目の投稿です。
次郎は周囲を見渡す。
「執事長」
「はい」
「食品保管庫の鍵を最後に使った人間に心当たりはあるか」
執事長は記憶をたどるように目を閉じた。
「昨日の夕方、備蓄食料の確認を行っております」
「その際に料理長が食品保管庫へ入っていたはずです」
「その後、夕食の準備もありましたので……返却されたかまでは確認できておりません」
「料理長か……」
次郎は鍵掛けの横にある小さな机へ視線を向けた。
引き出しを静かに開ける。
帳簿や伝票が整然と収められていた。
その中から、一冊の貸出記録簿を取り出す。
埃を払い、ページをめくる。
執事長も隣から覗き込んだ。
「……これです」
最終行には、乱れた文字でこう記されていた。
――食品保管庫。
――貸出先・料理長。
返却欄は空白だった。
次郎は静かに息を吐く。
「返却されていない以上、鍵は厨房のどこかに置かれている可能性が高い」
「料理長は夕食の準備で厨房を使っていたはずだ」
執事長は頷く。
「はい。片付けも料理長が指示しておりました」
次郎は短く判断を下す。
「なら、まずは厨房を調べる」
「鍵が置き忘れられているかもしれない」
三人は頷いた。
次郎は来た道へ視線を向ける。
「連絡通路を戻ろう」
四人は使用人ホールを後にし、狭い連絡通路を静かに引き返した。
足元に積もった埃へ、新たな足跡が重なっていく。
やがてリネン室へ続く扉の前で足を止める。
次郎は耳を当てた。
廊下は静まり返っている。
クレアへ目配せすると、彼女は拳銃を構え、扉の脇へ立った。
次郎はゆっくりと鍵を外し、音を立てないよう扉を開く。
リネン室に変化はない。
棚に積まれたシーツやタオルも、そのまま残されている。
「出るぞ」
四人は順番にリネン室へ戻り、最後にクレアが静かに扉を閉めた。
次郎はリネン室の入口まで進み、廊下を慎重に確認する。
左右に感染者の姿はない。
「クリア」
隊列を整え直し、厨房へ向かう。
厨房へ足を踏み入れると、冷え切った調理場が広がっていた。
改めて見ると、洗い終えた鍋や食器は整然と並べられ、調理台もきれいに片付けられていた。
夕食後の後片付けは、すでに終わっている。
聞こえるのは四人の足音だけだった。
次郎は周囲を見回しながら執事長へ尋ねる。
「料理長が最後に仕事をしていた場所はここで間違いないな」
「はい」
執事長は頷く。
「夕食の準備と片付けの指示も、料理長がここで行っていました」
「食品保管庫の鍵も、その時に厨房へ持ってきたのかも知れません」
次郎は短く頷いた。
「なら、鍵はこの厨房のどこかに置かれている可能性が高い」
「手分けして鍵を探そう」
三人はそれぞれ頷き、厨房の捜索を始めた。
次郎は調理台や棚、収納庫を一つずつ確認していく。
しかし、鍵は見当たらない。
その時だった。
「……アリス、これを見て」
エレンが小さく声を上げる。
彼女は一冊の小さな革張りの手帳を手に持っていた。
表紙には油染みが付き、角も擦り切れている。
執事長が目を見開いた。
「料理長の手帳です」
「献立や仕入れを書き留めるため、いつも持ち歩いていました」
次郎は手袋をしたまま手帳を開く。
最初のページには、達筆な文字が並んでいた。
『スープは弱火で二十分』
『香草は刻み過ぎないこと』
『エレンお嬢様は柑橘の香りがお好き』
『アリスさんは胡椒を少し多めに』
ページをめくるごとに、料理の工夫や使用人への伝達事項が続いていく。
しかし、途中から内容が変わり始めた。
『最近、街の様子がおかしい』
『買い出しの者が、人を襲う事件の噂をしていた』
『警察も何かを隠している気がする』
さらにページをめくる。
文字は乱れ、筆圧も強くなっていた。
『万が一、この屋敷でも同じことが起きたら』
『私は死にたくない』
『何としても生き延びたい』
『食料がある場所なら、しばらくは耐えられるはずだ』
そして最後のページ。
震えるような文字で、一文だけが残されていた。
『いざという時は、食品保管庫へ立てこもろう』
厨房に重い沈黙が流れる。
クレアが静かに口を開いた。
「ずっと不安だったのね……」
執事長は悲しげに目を伏せる。
「料理長ほど冷静な方でも、街の異変を感じ取っていたのでしょう」
次郎は手帳を閉じた。
「この手帳は厨房に置かれたままだった」
「仕事を終えて自室へ戻る時、置き忘れたんだろう」
次郎は最後のページへもう一度目を落とした。
『いざという時は、食品保管庫へ立てこもろう』
「この一文を見る限り、料理長は避難先を食品保管庫と考えていた」
「悲鳴を聞いて部屋を飛び出したなら、食品保管庫へ向かったんだろう」
クレアが拳銃を構え直す。
「最悪なのは玄関ホールにいる場合ね」
「ああ」
次郎は頷いた。
「まずは料理長の部屋を調べる」
「部屋の場所は?」
執事長がすぐに答える。
「使用人ホールの先にある使用人部屋の一番奥です」
「なら、まずはそこへ向かおう」
三人は力強く頷いた。
次郎はリボルバーを握り直し、厨房の出口へ向かって歩き出した。
「行くぞ」
四人は静かに厨房を後にした。
次郎を先頭に、エレン、執事長、クレアの順で使用人ホールを進む。
やがて使用人ホールの奥へ辿り着く。
その先には、左右に使用人部屋が並ぶ細い通路が延びていた。
一番奥には料理長の部屋がある。
次郎は左手を上げ、全員を制止する。
「ここから先は警戒を上げる」
三人は頷いた。
静寂が満ちた通路を、一歩ずつ進む。
――バンッ!
突然、右側の扉が内側から勢いよく開いた。
血塗れの使用人が、絶叫しながら通路へ飛び出す。
「アアアアアッ!!」
人間離れした勢いで一直線に突進してくる。
パンッ!
次郎のリボルバーが火を噴く。
額を撃ち抜かれた感染者は前のめりに倒れ込んだ。
しかし、その銃声を合図にしたかのように、通路中の扉が次々と開く。
左右の部屋から感染者たちが雪崩れ込んできた。
「アアアアアッ!!」
「ウオオオオオッ!!」
全員が全力で駆け出し、獲物へ一直線に襲い掛かる。
パンッ!
パンッ!
パスッ!
次郎は迫る感染者の頭部を次々と撃ち抜く。
クレアも拳銃で援護し、エレンも震える手で引き金を引いた。
狭い通路で銃撃戦が始まる。
そして、一番奥の部屋の扉が激しく開いた。
飛び出してきたのは、血に染まったコック服の男だった。
執事長が叫ぶ。
「料理長……!」
料理長は獣のような叫び声を上げながら、包丁を手に一直線に駆けてくる。
次郎は静かに料理長を見据える。
「あんたの作る料理は、最高に美味かったよ」
パンッ!
一発。
料理長は勢いのまま数歩駆け、次郎の目前で崩れ落ちた。
次郎は素早くしゃがみ込み、料理長のポケットを順番に探り、食品保管庫の鍵を発見する。
「鍵は回収した」
その時だった。
玄関ホールの奥から、複数の足音が響いた。
最初は一人分。
それが二人、三人と増え、やがて廊下全体を震わせるほどの重い足音へと変わっていく。
「……来やがったな」
次郎が低く呟いた瞬間――
ドンッ!!
使用人部屋の廊下の先、玄関ホールへ通じる大扉が大きく揺れた。
続いて、ドンッ! ドンドンドンッ!!
感染者たちが大扉へ次々と体当たりしているのが分かった。
蝶番が悲鳴を上げ、木材が軋む。
「急げ!」
四人は使用人ホールへ向かって駆け出す。
ドンッ!! ドンッ!! と大扉が押し潰されるような音が続く。
そして――
バキィンッ!!
乾いた破砕音が屋敷全体へと響き渡った。
大扉が破られる。
次郎たちが使用人ホールへ飛び込むのとほぼ同時、玄関ホール側の廊下に 複数の影が躍った。
感染者たちは四人の姿を捉えた瞬間に喉を裂くような絶叫を上げる。
「アアアアアッ!!」
次の瞬間には、全力で床を蹴り、一直線に襲い掛かってくる。
「来るぞ!」
パンッ!
先頭の一体が額を撃ち抜かれ、そのまま床へ転がる。
しかし、その脇をすり抜けるように二体目が迫る。
クレアが足を止めずに拳銃を構えた。
パスッ!
銃弾がこめかみを貫き、感染者は勢いのまま壁へよろめき激突する。
残る一体は速度を落とさない。
エレンは狙いをよく定めて太ももを撃ち抜いた。
パンッ!
感染者は次郎の目前で崩れ落ち、その頭部を撃ち抜かれる。
「止まるな!」
四人は倒れた感染者や死体を飛び越え、そのまま使用人ホールを駆け抜ける。
だが背後では、無数の叫び声がさらに近づいていた。
「アアアアアアッ!!」
「ウオオオオオッ!!」
玄関ホールから溢れ出した感染者が、絶叫を上げながら使用人ホールへ雪崩れ込んでくる。
次郎は群れの規模を一目で見極めると、リボルバーをホルスターへ戻し、背中のアサルトライフルに持ち替え、すぐさま引き金を絞った。
――タタタタタッ!!
激しい銃声が使用人ホールに響き、先頭を走る感染者たちが次々と床へ倒れ伏す。
しかし後続は倒れた感染者を踏み越え、なおも全力で迫ってくる。
次郎は後退しながら追いつきそうな感染者だけを狙い、短い連射で確実に頭部を撃ち抜いていく。
――タタタッ!――タタッ!その時だった。
カチン。
乾いた金属音。
次郎の指が引き金を引いたまま、銃身がわずかに跳ねる。
弾が出ない。
「……くそ、もう弾切れか!」
次郎は即座に判断しアサルトライフルを背中へ戻すと、リボルバーを抜く。
「止まるな!」
クレアとエレンも拳銃で援護し、四人は一人ずつ連絡通路へ飛び込んだ。
次郎が勢いよく扉を閉め、鍵を掛ける。
直後、激しい衝撃が木製の扉を叩いた。
鈍い音が何度も響き、蝶番が悲鳴を上げる。
扉は大きくたわみ、今にも破られそうだった。
「急ぎましょう!」
執事長の声に、四人は狭い連絡通路を全力で駆け抜ける。
背後では、木が軋む音と感染者たちの絶叫が途切れることなく響いていた。
やがて反対側の出口が見える。
次郎たちは連絡通路を駆け抜け、反対側へ飛び出した。
最後に執事長が扉を閉める。
次郎たちはそのまま前へ走り出そうとした。
だが、執事長だけが足を止める。
この扉は次郎がピッキングで開けた扉だ。
だから鍵がなく、施錠する事ができない。
連絡通路の奥からは感染者たちの絶叫が急速に近づいている。
「アアアアアアッ!!」
「オオオオオッ!!」
全力疾走する足音は、もう遠くない。
執事長は閉じた扉を見つめ、小さく息を吐いた。
「……このままでは追いつかれますね」
そう呟くと、迷うことなく扉へ背中を押し当てた。
エレンが振り返る。
「何をしているの、ジェームズ!?」
執事長は振り返らない。
両足を踏ん張り、全身で扉を押さえ込む。
「ここは私が引き受けます」
「皆様は急ぎ、食品保管庫へ!」
次の瞬間、向こう側から勢いよく扉が押された。
執事長の身体がわずかに浮く。
しかし、そのまま全体重を預け、扉を閉じたまま踏みとどまった。
「そんなの駄目よ!ジェームズ!」
エレンが執事長へ駆け寄ろうとする。
だが、次郎がその手首を掴んだ。
「行くぞ」
短く告げる。
エレンは首を振る。
「でも……!」
執事長は背中で扉を押さえたまま、静かに微笑んだ。
「お嬢様」
「あなたにお仕えできて、幸せでした」
その一言に、エレンは唇を強く噛み締める。
次郎はエレンの手を引き、その場を駆け出した。
クレアも後に続く。
三人はリネン室を抜け、そのまま厨房へ続く扉を開け放つ。
最後に入ったクレアが内鍵を掛けた。
直後、リネン室の向こうから激しい衝撃音が響く。
誰も振り返らない。
三人は厨房を全力で駆け抜ける。
目指す先は、食品保管庫。
次郎は料理長から回収した鍵を握り締めたまま、保管庫の扉へ向かって走った。
食品保管庫の扉前にたどり着くと、次郎は握りしめていた鍵を鍵穴へ差し込み、一気に回す。
ガチャリ、と重い錠前が外れる音が響いた。
次郎が扉を押し開ける。
エレンとクレアが保管庫へ飛び込むと、すぐに次郎が扉を閉め、閂を掛ける。
重厚な木製の扉が閉じると、外の喧騒は少しだけ遠のいた。
三人は息を切らしながら、その場に立ち尽くす。
食品保管庫には棚が並び、保存食や缶詰、樽、袋詰めの穀物が整然と保管されていた。
ランタンの灯りが薄暗い室内を照らしている。
その静けさが、かえって執事長を置いてきてしまった現実を突きつける。
エレンは閉ざされた扉を見つめたまま、小さく拳を握り締めた。
「……ジェームズ」
その声は震えていた。
次郎は何も言わない。
ただ耳を澄ませる。
やがて、遠くから木が砕けるような音と、感染者たちの絶叫が微かに響いた。
それもすぐに聞こえなくなる。
保管庫には重苦しい沈黙だけが残った。
次郎は静かに視線を地下へ続く隠し通路の入口へ向けた。
「地下へ降りる準備をしよう」
誰も返事をしなかった。
エレンは俯いたまま、唇を強く噛み締めている。
クレアも何も言わず、食品保管庫の扉へ目を向けたまま拳銃を握り直した。
次郎は室内を素早く見回している。
「執事長が稼いでくれた時間を無駄にはできない」
次郎は食品保管庫の奥へ向かうと、床の一角にある“蓋板”へ迷いなく手を掛ける。
ギィ……。
重い木材が軋む音を立てながら、床板はゆっくりと持ち上がり、下から石造りの階段が姿を現した。
ひんやりとした空気が吹き上がり、ランタンの灯りが階段の奥を淡く照らす。
エレンは階段へ灯りを向ける。
「俺が先に降りる」
クレアが頷く。
「了解、私が最後尾を警戒ね」
エレンも静かに頷いた。
その時だった。
――ドンッ。
食品保管庫の扉が小さく震えた。
三人の動きが止まる。
再び。
――ドンッ。
重い衝撃が木製の扉へ伝わる。
感染者が、この保管庫まで辿り着いたのだ。
次郎は扉を一瞥する。
「行こう」
「ここも長くは安全じゃない」
迷いはなかった。
順番に階段を降り、最後にクレアが地下へ降りると、床板の蓋を静かに閉じた。
木の軋む音が消え、地下は静寂に包まれていた。
何度も見直して完成と思って投稿を再会した筈なのに、なぜか毎度投稿直前に書き間違いや矛盾を見つけて修整しています。