本日一度目の投稿です。
地下は静まり返っていた。
石造りの通路を進むたび、三人の足音だけが壁へ反響する。
先頭を歩く次郎が懐中電灯で前方を照らし、その少し後ろをエレンがランタンを掲げて歩いている。
最後尾のクレアも懐中電灯を手にしていた。
誰も口を開かない。
やがて、木製の扉が見えてくる。
次郎が静かに扉を開けた。
その先は地下射撃場だった。
砂袋で囲まれた射撃レーン。
壁に掛けられた標的。
棚には予備の弾薬や清掃用具が整然と並んでいる。
わずか数日前まで、エレンが射撃の訓練をしていた場所だった。
しかし今は、重苦しい静寂に包まれている。
エレンは標的へ視線を向け、小さく目を伏せた。
「ここで練習したのが、ずっと前のことみたい……」
次郎は何も答えなかった。
棚へ歩み寄り、保管されていた弾薬を確認する。
リボルバーの弾を補充すると、クレアへ拳銃弾を手渡した。
「これだけあれば、しばらくは大丈夫だろう」
「ありがとう」
クレアは受け取った弾薬を確認し、新しい弾倉へ交換する。
エレンも自分の銃を確認した。
次郎は射撃場を一巡する。
そして、最奥にある厚い鉄製の扉へ目を向けた。
「この先が避難路なの?」
エレンが尋ねる。
「図面では地下通路になっていた」
次郎は扉を見つめたまま答える。
「だが、この先は俺も確認していない」
「使う予定がなかったからな」
クレアが鉄扉へ手を触れる。
冷たい金属の感触が掌へ伝わった。
「つまり、この先は誰も知らないってことね」
「ああ」
次郎はハンドルへ手を掛ける。
「何があるか分からない。念のため、ここからは警戒して進もう」
クレアが頷く。
「分かった」
エレンも小さく頷いた。
「……行こう」
三人は互いに視線を交わす。
次郎がゆっくりと扉を開いた。
重い金属音が地下へ響いた。
その先には、細い地下通路が続いていた。
石積みの壁。
低い天井。
足元は土と石畳で造られている。
「地下通路……」
クレアが小さく呟く。
次郎は懐中電灯を前方へ向けた。
「行こう」
三人は慎重に通路を進み始めた。
長い年月、人が通った形跡はほとんどない。
壁にはところどころ苔が生え、天井から水滴が落ちている。
一本道だった。
分かれ道もない。
ただ、暗闇の奥へ続いている。
しばらく歩いていると、エレンが小さく口を開いた。
「この道、本当に外へ繋がってるのかしら」
「図面を信じるしかないな」
次郎が答える。
「少なくとも、屋敷から外へ抜けるための経路として記録されていた」
エレンはランタンを持つ手へ少し力を込める。
「なら、ちゃんと出口はあるのね」
「ああ」
次郎は短く答えた。
「問題は、その途中に何があるかだ」
その言葉に、三人は再び黙った。
十分ほど歩いただろうか。
やがて、次郎の足が止まる。
「どうしたの?」
エレンが尋ねる。
次郎は懐中電灯を点け直し、前方を照らした。
石壁が、そこで途切れていた。
その先には滑らかな灰色のコンクリート壁。
床も石畳から均一なコンクリートへ変わっている。
天井には金属製の配管。
壁際には規則正しくケーブルが固定されていた。
「……何これ」
クレアが眉をひそめる。
古い地下通路と、新しい人工施設。
二つが無理やり繋ぎ合わされたような、不自然な境界だった。
次郎はしゃがみ込み、床へ手を触れる。
石畳とは明らかに違う。
「この先は屋敷の一部じゃないみたいだな」
「じゃあ、何なの?」
エレンが尋ねる。
「分からない」
次郎は立ち上がった。
「だが、人間が後から造った施設なのは間違いない」
三人が境界を越える。
その瞬間。
奥から微かな音が聞こえた。
パチッ。
小さな火花が暗闇の中で散る。
「今のは……?」
クレアが拳銃を構える。
次郎もリボルバーを抜いた。
しばらく待つが、何も起こらない。
ただ、暗闇の奥に白い金属製の扉が見えていた。
三人は慎重に近づく。
近くで見ると、それは自動扉だった。
しかし、扉は閉じたまま。
センサー部分も完全に沈黙している。
次郎が手をかざす。
反応はない。
もう一度試す。
やはり動かない。
「電源が落ちてるわね」
クレアが言った。
次郎は扉を見上げた。
「そうみたいだ」
「開けられる?」
エレンが尋ねる。
次郎は扉の中央へ手を掛けた。
「やってみよう」
両手で扉を掴み、力を込める。
ギギギ……。
重い金属が軋む。
次郎の腕へ力が入る。
やがて、扉が僅かに動いた。
「……!」
クレアが目を見開く。
「本当に開ける気?」
「他に方法がないからな」
ギギギギ……。
さらに力を込める。
重い扉が、ゆっくりと左右へ開いていく。
その向こうには、照明の消えた廊下が続いていた。
懐中電灯の光が、暗い施設内部を照らす。
エレンのランタンが、その後ろから三人の周囲をぼんやりと照らしていた。
「……研究施設?」
クレアが呟く。
次郎は答えず、一歩踏み込んだ。
エレンとクレアも続く。
しばらく進むと、壁に金属製の案内プレートが見えた。
次郎が懐中電灯を向ける。
そこには英字で施設名が刻まれていた。
UNDERGROUND RESEARCH FACILITY
その下には、赤と白の傘を模した企業エンブレム。
クレアの表情が強張る。
「……アンブレラ」
エレンも言葉を失った。
次郎は紋章をじっと見つめる。
「……まさか、屋敷の地下にこんなものがあったとはな」
クレアが拳銃を握り直す。
「アンブレラの施設なら、何がいてもおかしくないわ」
「そうだな」
次郎は周囲へ視線を走らせる。
「気をつけて進もう」
三人は警戒しながら先へ進んだ。
照明は一つも点いていない。
換気設備も止まっている。
施設全体が死んでいた。
ただ、壁や床に残された設備だけが、ここがつい最近まで稼働していたことを物語っている。
やがて通路の先に分岐があった。
壁には施設案内図が掲示されている。
次郎は懐中電灯を近づけ、地図を確認した。
管理区画。
研究区画。
実験区画。
資料保管室。
そして最奥には――
地上緊急脱出口。
「出口がある」
エレンが呟いた。
次郎は案内図を目で追う。
「ここを抜ければ地上へ出られる」
「でも……」
クレアが地図の奥を見つめる。
「施設のかなり奥ね」
「ああ」
次郎は頷く。
「最短でも、いくつかの区画を通る必要がある」
クレアが溜め息をついた。
「まだ終わってないってことね」
「そういうことだ」
エレンが苦笑する。
「ここまで来ても、簡単には帰してくれないんだね」
「この世界では、そういうものらしい」
次郎が淡々と答える。
クレアが思わず苦笑した。
「その言い方、妙に慣れてるわね」
「慣れたくて慣れたわけじゃない」
「……それもそうね」
三人は地上への脱出口を目指して歩き始めた。
最初に入ったのは管理区画だった。
自動扉は閉じたまま停止している。
「また手動なの?」
クレアが呟く。
「電源が戻らない以上、仕方ない」
次郎は扉へ手を掛ける。
ギィ……。
重い扉を押し開ける。
室内は事務所になっていた。
机。
書類棚。
キャビネット。
どれも整然と並んでいる。
人の姿はない。
争った跡もなかった。
机の上にはカップや書類が残されている。
まるで、そこにいた人間だけが突然消えたようだった。
「誰もいない……」
クレアが室内を見回す。
「逃げたのかな」
エレンが呟く。
次郎は机の上へ目を向ける。
「可能性は高い」
書類を一枚取り上げる。
総務。
設備管理。
人事。
経理。
研究資料らしいものはない。
その中に、一枚だけ赤い文字で印刷された紙があった。
次郎が拾い上げる。
そこには簡潔な指示が記されていた。
《緊急事態発生時、全職員は直ちに地上脱出口より退避すること》
クレアが紙を覗き込む。
「緊急避難の指示……」
次郎は紙を裏返すが、何もない。
「ここで何か起きたらしいな」
「でも、何が起きたのかは書かれてない」
エレンが不安そうに言う。
「ああ」
次郎は紙を元の場所へ戻す。
「ただ、職員が全員ここを放棄するほどの事態だったことは分かる」
クレアは拳銃を握り直した。
「それだけでも十分嫌な情報ね」
「同感だ」
三人は管理区画を後にした。
研究区画へ向かう通路も、完全に暗闇へ沈んでいる。
自動扉はすべて停止していた。
そのたびに次郎が手で扉を開ける。
ギィ……。
ギギギ……。
重い金属音が、静かな施設へ響いていく。
やがて、強化ガラス製の扉が見えてきた。
RESEARCH LABORATORY
研究室。
次郎が懐中電灯を扉の隙間へ向ける。
光が暗い室内を細く照らした。
「警戒して入ろう」
三人が研究室へ入った瞬間、冷たい空気が肌を撫でた。
空調は止まっている。
機械の駆動音もない。
聞こえるのは、三人の足音と、どこか遠くで水滴が落ちる音だけだった。
次郎はリボルバーを構えたまま、室内を見回す。
実験台。
分析装置。
薬品棚。
大型の冷蔵保管庫。
遠心分離機。
どれも電源を失い、沈黙していた。
エレンのランタンが、暗い室内をぼんやりと照らす。
クレアが後ろ手で扉を確認する。
「……完全に止まってるわね」
「ああ」
次郎は短く答えた。
その時だった。
エレンが足を止める。
「……アリス」
声が小さく震えていた。
次郎とクレアが振り返る。
エレンの視線は、実験台の向こうへ向けられていた。
白衣を着た男が倒れている。
床には黒く乾いた血が広がっていた。
次郎はすぐには近づかなかった。
銃口を向けたまま、数秒間その姿を観察する。
動かない。
呼吸もない。
やがて慎重に距離を詰め、靴先で肩を軽く押す。
男の身体が僅かに転がった。
はんのうがない。
ただのしかばねのようだ。
「……死体だな」
エレンが口元を押さえる。
「研究員……?」
「ああ」
クレアも近づき、遺体を確認する。
男は中年だった。
白衣の胸元にはアンブレラ社の社員証が付いている。
そして胸部には、何本もの深い裂傷が残されていた。
クレアが顔をしかめる。
「ゾンビじゃないわね」
「噛まれた跡じゃない」
次郎は傷口を確認する。
「何かに切り裂かれている」
エレンが恐る恐る尋ねた。
「……これって爪?」
「おそらくな」
次郎は遺体の周囲を調べる。
銃弾はない。
机が倒れているわけでもない。
大きな争った跡もない。
まるで、何者かに一方的に襲われたようだった。
その足元に、カードが落ちている。
次郎は拾い上げた。
社員証だった。
写真の下には名前が記されている。
Dr. Michael Harris
Senior Researcher
「研究主任か」
次郎は社員証を確認し、ポケットへしまった。
クレアが室内を見渡す。
「研究主任が、こんなところで殺されてるなんて……」
次郎は答えず、研究室の奥へ視線を向けた。
そこには、防弾ガラスで仕切られた実験区画があった。
エレンもその視線を追う。
「なに……あれ」
ガラスの向こうには、大型の培養カプセルが並んでいた。
しかし、すべて空だった。
内部の液体は抜け落ちている。
いくつかのカプセルには、内側から外側へ向かって無数の亀裂が走っていた。
床には厚いガラス片が散乱している。
クレアがゆっくりと近づく。
「何かを入れていたみたいね」
次郎はカプセルの破損箇所を確認する。
指先でガラスへ触れる。
亀裂の伸び方を見れば、外側から破壊されたものではない。
「……中から出たな」
エレンの表情が強張る。
「出たって……何が?」
次郎は答えずに、部屋の隅へ目を向けた。
そこには非常設備が設置されている。
しかし、非常灯も消えていた。
「停電で収容設備が止まったんだろう」
クレアが振り返る。
「それで、中にいたものが逃げた?」
「ああ」
次郎は頷いた。
「施設の設備が止まれば、収容していたものを閉じ込めておくこともできない」
クレアが遺体へ視線を向ける。
「研究員たちは、それを見て逃げたのね」
「おそらくな」
エレンが小さく尋ねる。
「じゃあ、この人は……」
「逃げ切れなかったんだろう」
短い答えだった。
だが、それだけで十分だった。
エレンは遺体から視線を逸らす。
「……それって、まだここにいるの?」
次郎は空になったカプセルを見つめた。
「可能性は高い」
クレアが銃を握り直す。
「ちなみに、何が入ってたと思う?」
次郎は遺体の傷跡を見る。
深く、鋭い裂傷。
そして、カプセルの大きさ。
ラクーンシティで見た姿が脳裏をよぎる。
「おそらく、リッカーだろう」
エレンが首を傾げる。
「リッカー?」
「ああ」
クレアが答える。
「アンブレラが作った生物兵器よ。人間がT-ウイルスに感染して、さらに変異したもの」
エレンは不安そうに二人を見る。
「……そんなものが、屋敷の地下に?」
「いる可能性が高い」
次郎は答える。
「さっきの傷跡も、カプセルの破壊状況も一致する」
エレンは銃を握る手に力を込めた。
「それなら……気をつけないと」
「ああ」
次郎は研究室の出口へ向かった。
「見つからないうちに、ここを出た方がいい」
扉の前で手を掛ける。
ギィ……。
重い扉が軋みながら開く。
次郎が廊下へ出る。
クレア、エレンも続いた。
次郎はそこで足を止めた。
壁際には、太いケーブルが何本も束ねられていた。
研究室へ向かう配線。
別の区画へ伸びる配線。
そして、その中の一部が来た方向へ伸びている。
屋敷側へ。
次郎はケーブルへ近づいた。
被覆へ指を触れる。
かなり太い。
一本ではない。
複数の電力線が束ねられ、大きな配線へまとめられている。
クレアが振り返る。
「どうしたの?」
次郎はしばらく何も言わなかった。
ケーブルを目で追うと壁を抜けている。
その先は、三人が通ってきた地下通路だ。
やがて次郎が呟いた。
「……そういうことか」
「アリス?」
エレンも近づいてくる。
次郎は屋敷へ続く方向を見た。
「屋敷の非常電源だ」
クレアが眉をひそめる。
「非常電源?」
「ああ」
次郎はケーブルを見つめたまま続ける。
「妙に長持ちしていただろう」
クレアも思い出す。
「確かに。停電してからも、かなり長い間使えていたわね」
エレンが頷く。
「照明もついていたし、暖房も動いていた」
次郎は目の前の配線へ視線を落とす。
「屋敷だけで使っていたなら、あれほど大きな非常電源は必要ない」
エレンが目を見開いた。
「……この研究所?」
「ああ」
次郎は静かに答えた。
「屋敷の非常電源は、この施設を維持するためにも使われていたんだろう」
クレアがケーブルを見つめる。
「だから屋敷の非常電源が、あれだけ長く持ったと……」
「そういうことだ」
次郎は頷く。
エレンは暗い通路を見つめた。
「……私、本当に何も知らなかった」
次郎はエレンを見る。
「先代は、何か知っていたかもな」
エレンは黙って頷いた。
次郎は懐中電灯を前方へ向けた。
「行こう」
「ここに長居する理由はない」
クレアが頷く。
「ええ」
エレンも一度だけ研究室を振り返った。
「……本当に、なんでこんなものが屋敷の地下に」
次郎は何も答えなかった。
三人は再び歩き始める。
地上への脱出口を目指して。
途中で気づいた方もいると思いますが、屋敷編でやりたかった事は洋館事件のオマージュです。