第三章は全体で見てもかなりの難産でした。
前半は次郎視点。
後半はレオン視点。
静寂を破ったのはクラウザーだった。
床を蹴る。
次の瞬間、鋭いナイフが次郎の喉元へ迫った。
次郎は半歩だけ身を引く。
刃先が首筋を掠める。
同時に次郎の右手がクラウザーの手首を掴み、引き込む。
クラウザーは逆らわず引き込まれ、左膝を次郎の腹部へ叩き込んだ。
次郎は腕で受け止める。
鈍い衝撃。
クラウザーが着地すると同時、再びナイフを振るう。
次郎は身体を捻って回避。
刃が空を切り、次郎の拳がクラウザーの顔面へ迫った。
クラウザーは僅かに首を逸らす。
拳が頬を掠めた。
「……!」
クラウザーの目が細くなる。
速い。
だが、クラウザーも止まらない。
ナイフを逆手に持ち替え、今度は腹部を狙う。
次郎は手首を掴み、そのまま腕を捻り上げた。
クラウザーの体勢が崩れる。
次郎は腰を落とした。
そのまま腕を引き込み――。
一本背負い。
クラウザーの身体が宙を舞う。
轟音とともに背中から床へ叩き付けられた。
「ぐっ……!」
クラウザーはすぐに転がって距離を取る。
次郎は追撃しようと一歩踏み込んだ。
だが、クラウザーは床を蹴って立ち上がると同時にナイフを投げた。
次郎は首を傾けて回避する。
ナイフが背後の壁へ突き刺さった。
その隙にクラウザーが懐へ飛び込む。
拳を次郎は受け流す。
肘をかわし、蹴りは身体を捻って避ける。
そして――。
カウンターで次郎の掌底がクラウザーの胸部へ入った。
「ぐっ!」
クラウザーの身体が数メートル後退する。
靴底が床を削った。
クラウザーは息を整えながら次郎を見る。
「……なるほど」
口元に笑みを浮かべる。
「確かに、普通じゃないな」
次郎は無言だった。
クラウザーが再び構えようとするが、次郎の方が行動が早い。
一瞬で距離を詰めると、クラウザーがナイフを抜こうとしたその手首を掴んだ。
捻る。
ナイフが床へ落ちる。
次郎はそのままクラウザーの腕を背中へ回し、床へ押さえ込んだ。
「……!」
クラウザーの顔が床へ押し付けられる。
次郎は懐からナイフを抜き、切っ先をクラウザーの喉元へ向けた。
勝負は決まった。
その時だった。
「動くな!」
通路の奥から怒声が響く。
次郎の視線がそちらへ向く。
数名の教団員が銃を構えていた。
そして、その中央には――。
拘束されたエレンが立たされていた。
「……!」
エレンの目が大きく見開かれている。
口には猿轡を付けられ、両手は後ろ手に拘束されている。
だが、意識ははっきりしていた。
アリス……ごめんなさい!
声にならない叫びが聞こえる。
そのこめかみに、一人の教団員が拳銃を押し付ける。
「武器を捨てろ!」
次郎は動かなかった。
クラウザーもそれを見て状況を理解する。
「なるほど」
クラウザーがゆっくりと立ち上がる。
「そういうことか」
次郎は黙ってエレンを見る。
目立たった外傷はない。
少なくとも、今すぐ命を奪われるような状態ではなさそうだ。
「聞こえなかったのか!」
教団員が怒鳴る。
「武器を捨てろ!」
次郎は数秒だけ沈黙した。
そして。
ナイフを床へ落とした。
続いて腰のトマホーク。
最後にリボルバー。
すべて床へ置く。
金属音が静かな通路へ響いた。
クラウザーは小さく笑う。
「最初からそうしてくれていれば、俺も痛い思いをせずに済んだんだがな」
次郎は答えない。
教団員たちが一斉に次郎を取り囲む。
両腕を拘束され、膝をつかされる。
それでも次郎は抵抗しなかった。
視線だけはエレンから離れない。
クラウザーが教団員へ命じる。
「その娘を別室へ戻せ」
「はっ!」
二人の教団員がエレンを連れていく。
「んーっ! んーっ!」
エレンは必死に抵抗する。
だが、拘束された身体ではどうすることもできない。
重い鉄扉が閉まる。
エレンの姿が消えた。
次郎は閉じられた扉を静かに見つめる。
クラウザーはそんな次郎を見て、僅かに笑った。
「安心しろ」
「殺すつもりはない」
「お前には生きてもらわなければ困る」
その言葉とともに、教団員が透明なカプセルを運んできた。
内部では、小さな生物が蠢いている。
次郎の視線がそれへ向く。
(……寄生生物か)
クラウザーがカプセルを受け取った。
「歓迎するぜ、アリス・ジロー」
「これでお前も、俺たちの仲間だ」
教団員たちが次郎の身体を押さえ付ける。
透明なカプセルが開かれた。
器具の先端が首筋へ当てられる。
次郎は抵抗しない。
やがて、鋭い痛みとともに異物が体内へ侵入した。
「……っ」
次郎の表情が僅かに歪む。
しかし、それ以上は何も見せなかった。
クラウザーは満足そうに笑う。
「監禁室へ運べ」
「拘束は解くな」
「目覚めたらサドラー様へ報告しろ」
「了解!」
教団員たちが次郎を連れていく。
クラウザーはその背中を見送った。
そして、床に落ちていた次郎のトマホークを拾い上げる。
「……とんでもない奴だった」
そう呟きながら、口元には笑みが浮かんでいた。
純粋な戦闘では勝てなかったが、それで構わない。
クラウザーにとって重要なのは、勝負に勝つことではない。
任務を達成することだ。
そして今。
次郎は自ら教団の手中へ落ちた。
重い鉄扉が閉じるその向こうで、次郎は静かに目を伏せた。
◇
アメリカ合衆国大統領の娘、アシュリー・グラハムが何者かに誘拐された事件にて、政府はあらゆる情報網を使って行方を追い、その末に一つの有力な手掛かりを掴む。
誘拐されたアシュリーは、スペイン北部の山岳地帯にある閉鎖的な村で目撃されたという。
任務を命じられたのは、アメリカ政府直属エージェント、レオン・S・ケネディ。
六年前、ラクーンシティ壊滅事件を生き延びた元警察官である。
単独でスペインへ潜入したレオンを待っていたのは、人とは思えない狂気に支配された村人たちだった。
銃弾を受けても怯まず、農具を手に襲い掛かる住民。
村を支配する宗教組織――ロス・イルミナドス教団。
さらに、その裏で暗躍する謎の寄生生物『プラーガ』。
村を突破し、古城へ潜入したレオンは、アシュリーと出会う。
しかし、その体内にもプラーガが寄生していることが判明した。
その後、アシュリーは再度教団によって攫われ島の研究施設へ移送され、レオンもその後を追った。
島へ潜入したレオンは、一度はアシュリーの救出に成功する。
しかし、教団の執拗な追撃により、彼女は再び連れ去られてしまった。
ヘリコプターによる救援は望めない。
島全体が敵の支配下にある以上、脱出するには教団を壊滅させるしかなかった。
通信機からハニガンの声が聞こえる。
『レオン、クラウザーの位置を特定するわ。少しだけ待って』
「ああ。了解」
短く答え、通信を切る。
ジャック・クラウザー。
かつて同じ部隊に所属し、今は教団へ協力している男。
今回の事件でも重要な役割を担っている。
まずはクラウザーを倒す。
その先でサドラーを止める。
それが今の任務だった。
冷たい海風が島を吹き抜ける。
夜空を覆う雲の切れ間から月明かりが差し込み、岩肌を青白く照らしていた。
施設各所では今も爆発音と銃声が響いている。
レオンは拳銃を構えたまま、崖沿いの細い通路を慎重に進んだ。
岩壁の向こうは断崖絶壁。
下では荒れた海が黒く波打っている。
いつ敵が現れてもおかしくない。
その時だった。
前方の闇から、一人の男が静かに姿を現した。
黒いスーツの上に教団員の黒いローブを羽織っている。
右手にはリボルバー。
左手には漆黒のトマホーク。
月明かりに照らされた顔を見た瞬間、レオンの動きが止まる。
「……アリス?」
思わず声が漏れた。
有栖次郎。
ラクーンシティで行動を共にし、生還した男。
数々の修羅場を潜り抜けた、信頼できる仲間。
そのはずだった。
だが、目の前の次郎には、かつての穏やかな雰囲気がまるでない。
感情を感じさせない瞳。
無表情のまま、レオンだけを見据えている。
「どうして、あんたがここにいる」
返事はない。
静寂だけが流れる。
レオンはゆっくりと拳銃を下ろさず問い掛ける。
「テラセイブからの依頼なのか?」
それでも何も答えない。
まるで言葉そのものを失ったようだった。
「……まさか」
嫌な予感が脳裏をよぎる。
「教団についたのか」
その瞬間だった。
次郎の右腕が動く。
リボルバーが一瞬で持ち上がる。
――パンッ!
乾いた銃声。
レオンは反射的に身を翻した。
弾丸が肩口を掠め、背後の岩へ火花を散らす。
(速い……!)
照準に迷いがない。
次の瞬間には、次郎の姿が視界から消えていた。
左。
いや、違う。
右から風を切る音。
レオンは咄嗟に身を沈める。
頭上を黒い刃が通過し、そのまま岩へ深々と突き刺さった。
トマホークだった。
同時に次郎がトマホークから手を離し、踏み込む。
銃床による一撃。
レオンはそれに対し一歩踏み込み、次郎の手首を腕で受ける。
重い衝撃に骨が折れたのではと錯覚する。
続く膝蹴りを身体を捻って受け流す。
だが、その直後には左手での貫手が右目を狙っている。
紙一重で回避に成功するが、反撃する暇がない。
一撃ごとに距離を詰められ、防戦一方へ追い込まれていく。
(強い……!)
ラクーンシティの頃より、さらに研ぎ澄まされている。
しかも迷いが一切ない。
次郎の攻撃は、相手を無力化するためではなく、確実に仕留めるために組み立てられていた。
レオンは後方へ跳び、ようやく間合いを取る。
すぐさま拳銃を構え、二発、三発と連射した。
しかし次郎は最小限の動きだけで弾道を見切り、上半身を傾けるだけで回避していく。
最後の一発だけが頬を掠めた。
赤い線が走る。
それでも表情は変わらない。
次郎は静かにリボルバーを構え直した。
レオンは息を整える。
目の前にいるのは、間違いなく本気の有栖次郎だった。
教団に味方する理由は分からないが、生き残るためにはこちらも本気で戦うしかない。
夜の断崖に、再び緊張が張り詰めた。
先に動いたのは次郎だった。
パンッ!
リボルバーが火を噴き、レオンは横へ飛び退く。
着弾。
岩肌が砕ける。
着地する頃にはすでに次郎が間合いを詰めている。
回収したトマホークを握る左腕が閃く。
レオンはナイフを抜き、刃を受け止めた。
甲高い金属音が夜へ響く。
ギィンッ!
鍔迫り合いになる間もなく、次郎の蹴りが腹部へ突き刺さる。
「がっ……!」
肺の空気が一気に押し出される。
レオンの身体が浮き、そのまま数メートル吹き飛ばされた。
地面を転がりながら体勢を立て直す。
拳銃を構える。
しかし、照準を合わせるより早く、次郎の姿が消えた。
(まただ……!)
死角からの攻撃に反射的に身体を捻る。
掌底が脇腹を掠めた。
続けざまの膝蹴りをレオンは腕で受ける。
鈍い痛みが両腕を走った。
受け止めたはずなのに、そのまま押し切られる。
体勢を崩した瞬間、次郎はレオンの腕を掴み、地面へ叩き付けようとする。
レオンは転倒する寸前に身体を回転させ、辛うじて受け身を取った。
距離を取る。
息が乱れる。
(勝てない……)
目の前の男は、レオンにとって最悪の敵だった。
射撃。
近接戦。
体術。
感情を抜きにしても全く隙がない。
レオンは再び引き金を引く。
――パンッ!
――パンッ!
二発。
次郎は半歩だけ身体をずらし、弾丸を避ける。
三発目。
四発目。
ようやく一発が肩口を掠める。
それでも動きは止まらない。
次郎は一定の速度で歩み寄ってくる。
一歩。
また一歩。
まるで勝敗は決したと言わんばかりだった。
レオンは無意識に後退する。
残弾は少ない。
距離もない。
追い詰められている。
その時だった。
「……っ」
次郎の身体が小さく震えた。
「ゴホッ……!」
突然、苦しそうに咳き込む。
右手で口元を押さえ、僅かに前屈みになる。
(何だ?)
一瞬だけ疑問がよぎる。
だが、次の瞬間には身体が動いていた。
(今しかない!)
レオンは地面を蹴る。
一気に間合いを潰す。
次郎はなおも咳き込み、反応が僅かに遅れる。
レオンは全身の力を右脚へ乗せた。
渾身の回し蹴り。
鈍い衝撃が伝わる。
だが。
(軽い?)
蹴りが当たる直前、次郎は自ら後方へ飛んでいた。
衝撃を逃がしながら距離を取る。
それでも勢いは殺し切れず、後退する。
靴底が岩肌を削った。
止まった場所は、崖の縁だった。
次郎は静かにレオンを見ている。
レオンは迷わなかった。
拳銃を構える。
――パンッ!
銃声が夜空へ響く。
弾丸が次郎の右肩を正確に撃ち抜いた。
鮮血が舞う。
衝撃で次郎の身体が大きく仰け反る。
足元の岩が砕け、小石が闇へ落ちていく。
次郎は身体を支えようともしなかった。
そのまま重力へ身を預けるように後方へ倒れる。
その瞬間、レオンと視線が交わる。
何も語らない。
何も訴えない。
そのまま闇へ吸い込まれるように落下していった。
数秒後。
遥か下から大きな水柱が上がる。
レオンは崖際まで歩み寄り、海を見下ろした。
荒れた波だけが岩へ打ち付けている。
人影は見えない。
「……何故だ、アリス」
小さく呟く。
答えは返ってこない。
その時、通信機からハニガンの声が響いた。
『レオン、クラウザーの位置を特定したわ。あなたのすぐ近くよ。急いで』
「ああ、了解」
通信を切る。
レオンはもう一度だけ海を見下ろした。
やがて拳銃を構え直し、クラウザーの待つ施設へ向かって走り出す。
この戦いの裏で、有栖次郎が命を懸けて何を守ろうとしていたのか――。
その真実を知るのは、まだ少し先のことだった。
――Chapter1・完――
前作で味方だった男がなぜか敵として現れる。
そんな展開が私は大好きです。