本日一度目の投稿。
冷たい監禁室に、重い沈黙が流れていた。
鉄格子の向こうでは、教団員たちが静かに頭を垂れている。
その中央に立つ男――オズムンド・サドラーは、床へ横たえられた有栖次郎を見下ろし、満足そうに微笑んでいた。
「実に美しい」
先ほどまで透明なカプセルの中で蠢いていた寄生生物は、すでに宿主の体内へ消えている。
従属種プラーガ。
ロス・イルミナドス教団が誇る、絶対服従をもたらす寄生生物だった。
一人の教団員が跪いたまま口を開く。
「サドラー様」
「本当に、この男を支配できるのでしょうか」
サドラーはゆっくりと振り返る。
「できる」
その一言に迷いはなかった。
「プラーガは肉体を操るだけの存在ではない」
「宿主の精神すら神へ捧げるのだ」
静かに歩み寄り、拘束された次郎の肩へ手を置く。
「この男は二つのウイルスへ完全適応した唯一の存在」
「人類が生み出した奇跡と言っても過言ではない」
教団員たちは固唾を呑んで聞き入っている。
「だからこそ価値がある」
「その力を我らの神へ捧げるのだ」
サドラーの目が妖しく光る。
「考えてみろ」
「この男が我らの使徒となれば、誰が教団へ逆らえる」
「各国政府か」
「軍隊か」
「BSAAか」
「いや」
「誰にも止められん」
静かな声だった。
それでも礼拝堂全体へ響くほどの威圧感があった。
「最強の肉体」
「最強の戦闘技術」
「そして絶対服従の精神」
両腕をゆっくり広げる。
「これこそ神が授けた我らが剣」
「新世界を切り開く、最強の使徒だ!」
教団員たちが歓喜の声を上げる。
「さすがはサドラー様!」
「神の御業です!」
「ロス・イルミナドスに栄光を!」
サドラーは静かに頷いた。
「この男が目覚める時」
「それは既にアリス・ジローではない」
「我らが最強の使徒として、新たな世界を導くだろう」
そう言い残し、踵を返す。
「目覚めたら報告しろ」
「はっ!」
重い鉄扉が閉じられる。
監禁室には次郎と数名の監視役だけが残された。
数時間後。
監禁室は静まり返っていた。
教団員たちは退屈そうに壁へ寄り掛かっている。
「もうすぐだな」
「ああ、完全適応者と言っても所詮は人間」
「目覚めれば神へ跪く」
笑い声が響く。
その時だった。
拘束された次郎の右手が僅かに震えた。
「……」
指先だけが動く。
呼吸が乱れる。
胸がゆっくり上下し始めた。
しかし、教団員はまだ気付いていない。
次郎の身体の中では、異変が始まっていた。
寄生されたプラーガが神経へ食い込み、脳へ向かって侵食を開始する。
通常なら、ここで宿主の精神は支配される。
しかし。
次郎の体内には、それを許さない存在があった。
Tウイルス。
そしてレイジウイルス。
完全適応によって共生関係を築いた二つのウイルスが、新たな異物を同時に感知する。
――異物を確認。
――排除開始。
免疫反応ではない。
二つのウイルスそのものが、一つの生命体のように動き始める。
プラーガは脳へ向かおうとする。
Tウイルスがその進路を塞ぐ。
レイジウイルスが神経組織を駆け巡り、猛烈な熱を発生させる。
「ぐっ……!」
次郎の意識が覚醒し、初めて苦悶の声を漏らした。
全身が焼けるように熱い。
拘束具が軋むほど力が入る。
額から大量の汗が噴き出す。
体温は急激に上昇していく。
四十度。
五十度。
六十度。
普通の人間なら、とっくに命を落としている温度だった。
しかし、Тウイルスに完全適応した肉体は簡単には崩壊しない。
超再生が熱で損傷した細胞を瞬時に修復し続ける。
プラーガは必死に生き延びようと暴れるが、逃げ場はない。
二つのウイルスが完全に包囲していた。
まるで体内そのものが灼熱の処刑場へ変わったかのようだった。
監禁室の外で教団員の一人が顔を上げる。
「今、声が……」
もう一人が鉄格子を覗き込む。
「始まったな」
口元が笑う。
「従属種が脳へ到達したんだ」
「もうすぐ使徒が誕生する」
誰も疑わない。
その苦しみが、支配の始まりだと信じていた。
監禁室の中では、次郎の呼吸がさらに荒くなっていた。
全身を灼熱が駆け巡る。
血液そのものが煮え立っているような激痛。
拘束された両腕へ力が入り、鉄製の拘束具が軋んだ。
「ぐっ……!」
歯を食いしばる。
叫びはしない。
痛みで意識を失えば終わる。
冷静さだけは失わなかった。
体内ではなおも激しい攻防が続いている。
プラーガは神経へ食らいつき、脳へ到達しようと進み続ける。
しかし、その行く手をTウイルスが塞ぐ。
再生細胞が異物を包み込み、逃げ道を一つずつ潰していく。
そこへレイジウイルスが襲いかかった。
神経伝達速度を極限まで高め、全身へ猛烈な熱を発生させる。
七十度。
八十度近くまで。
体内が灼熱の炉へ変わる。
プラーガの外殻が焼け始めた。
寄生生物は逃げ場を求めて暴れ回る。
だが、どこへ逃げようとも二つのウイルスが待ち構えている。
完全包囲だった。
「……ゴホッ!」
次郎は大量の血を吐いた。
床へ飛び散る鮮血。
その色は赤黒く変色している。
監視窓の外にいた教団員が驚いて立ち上がる。
「苦しそうだが、拒絶反応か?」
「いや、違う」
別の教団員が笑った。
「寄生が進んでいる証拠だ」
「もうすぐ支配が完了する」
誰一人として疑わない。
彼らはプラーガが敗北するなど考えたこともなかった。
その時だった。
「……ッ!」
猛烈な吐き気が込み上げる。
胃が痙攣し、身体が大きく震えた。
次郎は起き上がって監禁室の隅に置かれたトイレへ駆け寄り、そのまま激しく嘔吐する。
「ゴホッ……!」
大量の血液。
胃液。
そして。
黒く炭化した塊が便器へ吐き出された。
ジュッ……
白い煙が立ち昇る。
親指ほどの大きさしかないそれは、原形を留めていなかった。
完全に焼き尽くされたプラーガだった。
次郎は荒い呼吸を繰り返す。
数分。
呼吸が少しずつ落ち着いていく。
体温も急速に低下した。
八十度近くまで上昇していた体内温度は、超再生能力によって損傷した細胞が修復されるとともに、ゆっくりと平熱へ戻っていく。
やがて、何事もなかったかのように熱は消えた。
静寂。
次郎はゆっくりと目を閉じる。
頭の中は驚くほど冷静だった。
(我ながら化物だな)
苦笑しながら短く結論を出す。
身体にも異常はない。
思考も正常。
精神を侵された感覚もなかった。
だが、この状況は利用できる。
(教団は寄生に成功したと思っているようだ)
(なら、その思い込みを利用する)
目的は一つ。
エレンを救出すること。
そのためなら、最後まで騙し続けてやる。
次郎は拘束具へ視線を落とす。
怪力を使えば、この程度の拘束は数秒で破壊できる。
しかし、そうはしない。
(事を起こすには、まだ早い)
敵は油断している。
こちらが操られたと思い込んでいる今こそ最大の好機だった。
次郎は再び全身の力を抜き、意識を失ったように見せかける。
数十分後。
監禁室は再び静寂に包まれていた。
次郎は壁にもたれ掛かるように座り込み、静かに目を閉じている。
先ほどまでの苦悶は消え失せ、呼吸も完全に落ち着いていた。
その姿を監視窓から教団員が覗き込む。
「終わったようだな」
「苦しみ方は激しかったが……」
「完全適応者だからだろう」
もう一人の教団員が頷く。
「従属種が身体へ馴染むまで時間が掛かっただけだ」
「今は落ち着いている」
「支配は成功したということか」
「そのはずだ」
しばらく様子を見守る。
その時だった。
次郎がゆっくりと顔を上げる。
教団員たちは思わず息を呑んだ。
その瞳には感情がない。
虚ろなまま、何も映していないように見える。
「……目を覚ましたな」
「使徒様……」
恐る恐る鉄格子を開け、一人の教団員が部屋へ入る。
「アリス・ジロー」
「私の声が聞こえるか」
次郎はゆっくりと教団員へ視線を向ける。
返事はしない。
ただ静かに見つめ返すだけだった。
教団員は満足そうに笑みを浮かべる。
「成功だ」
「従属種は完全に定着した」
「サドラー様へ報告しろ!」
「はっ!」
一人が慌ただしく部屋を飛び出していく。
残った教団員たちは深々と頭を下げた。
「使徒様」
「おはようございます」
次郎は何も答えない。
ただ無表情のまま立ち上がる。
その姿を見た教団員たちは、完全に支配が成功したと確信していた。
だが。
(無事に騙せたな)
次郎は心の中だけで呟く。
サドラーも。
クラウザーも。
教団員たちも。
誰一人として、自分が正気を保っているとは思っていない。
それでいい。
芝居は、相手が信じて初めて成立する。
(始めるか)
静かな決意だけが、その胸の内に宿っていた。
島へ潜入した翌日の夜。
教団施設の地下通路は静まり返っていた。
白い照明だけが無機質な壁を照らし、遠くから機械の駆動音が微かに響いている。
黒いローブを纏った男が一人、一定の歩幅で廊下を歩いていた。
有栖次郎。
教団からは"最強の使徒"として扱われ、施設内を自由に行き来することを許されている。
サドラーもクラウザーも、従属種による支配は完全に成功したと信じ切っていた。
だからこそ監視は驚くほど甘い。
次郎は無表情のまま歩き続ける。
視線は正面だけを向いている。
しかし意識は施設全体へ向けられていた。
巡回経路。
監視カメラ。
非常口。
武器庫。
発電施設。
そして、エレンが拘束されている場所。
すべてを頭の中へ刻み込んでいく。
しかしまだ動かない。
救出は一度きり。
焦れば失敗する。
その時だった。
背後にわずかな違和感が走る。
(……尾行か)
気配は極めて薄い。
呼吸も足音も消している。
だが、鍛え上げた気配察知能力は僅かな気配や音も見逃さない。
教団員ではない。
距離の取り方が違う。
様子を窺っている。
次郎は何も気付いていないように歩き続けた。
一つ目の角を曲がる。
さらに数十メートル進み、二つ目の角へ差しかかる。
次郎は角を曲がると同時に足を止め、壁際へ身を寄せた。
通路の構造上、角を曲がった直後は完全な死角になる。
気配を殺し、静かに待つ。
数秒後。
尾行していた女が慎重に角を曲がる。
その瞬間。
「……っ!」
死角で待ち構えていた次郎が、一瞬で女の右腕を掴む。
そのまま身体を壁へ押し付け、喉元へナイフを添えた。
女は抵抗する暇もなく動きを封じられる。
静かに両手を上げた。
「降参」
落ち着いた声だった。
「敵意はないわ」
次郎は表情を変えない。
「名前を聞こうか?」
「忘れたの? エイダ・ウォンよ」
ラクーンシティで一度だけ行動を共にした女だった。
「知ってるよ。 久しぶりだな」
短く返答するが、ナイフは動かない。
エイダは苦笑した。
「相変わらずね」
「用件は?」
余計な言葉はいらない。
必要な情報だけを求める。
エイダも本題へ入った。
「取引をしない?」
次郎は黙って続きを促す。
「私は、この島に保管されているある物を回収したい」
「あなたはエレン・クロフォードを助けたい」
「目的は違うけど、お互い単独で動くより成功率は高いと思うわ」
次郎は静かに尋ねる。
「具体的な策は?」
「あなたが教団の注意を引き付ければ、私は目的のサンプルを回収できる」
「そのついでにエレンを連れ出す」
「私にとっても、その方が都合がいい」
善意ではない。
利害の一致。
それだけだった。
次郎は数秒だけ考える。
「エレンの居場所は知っているのか?」
「知ってるわ」
「監禁場所も警備の状況も」
「私なら救出できる」
再び沈黙が流れた。
やがて次郎が口を開く。
「条件がある」
「聞くわ」
「エレンを最優先にしてくれ」
「サンプルより先だ」
エイダは小さく笑う。
「了解したわ」
「先に助けた方が安心して行動できるものね」
合理的な答えだった。
次郎はエイダの目を見る。
嘘を言っている様子はない。
少なくとも、この取引を成立させる気はある。
「方法を教えてくれ」
エイダは周囲を確認してから、小声で説明した。
「私は別ルートからエレンを救出する」
「あなたは教団の使徒を演じ続けて」
「救出が終わったら、ライフルのレーザーサイトを一瞬だけあなたへ向ける」
「それが合図よ」
次郎は静かに聞いている。
「その後は?」
「あなたはあなたの判断で動いて」
「教団に私たちの思惑を悟られなければ、それでいい」
数秒の沈黙。
次郎は頭の中で状況を整理する。
エレンが救出されたことだけ分かれば十分だった。
その先の行動は、自分で決めればいい。
やがて短く頷く。
「分かった」
「取引しよう」
エイダはゆっくりと壁から身体を離した。
「交渉成立ね」
そう言ってエイダは背を向けて歩き出す。
「一応言っておくが」
その冷たい声にエイダは立ち止まる。
「裏切ったら、その時は殺す」
淡々とした口調だった。
脅しではない。
事実だけを告げている。
エイダは肩をすくめ、小さく笑う。
「分かっているわ」
次郎は何も答えずエイダを見送る。
エイダは角を曲がり、次郎の視界から完全に逃れた事を確認し、やがて小さく息を吐く。
「……交渉成立、ね」
喉元へ突き付けられていたナイフの感触が、まだ皮膚に残っているような気がした。
角を曲がった瞬間には、すべて終わっていた。
尾行に気付かれたことすら理解できなかった。
もし敵として接触していたなら、自分はあの場で命を落としていただろう。
「本当に化物」
苦笑が漏れる。
有栖次郎。
ラクーンシティで初めて会った時から、常人離れした男だった。
ラクーン事件が生み出したTウイルス完全適応者。
当時の組織は、それを"価値の高い研究対象"程度にしか見ていなかった。
だが、二年前。
英国で発生したレイジウイルス事件が、その評価を一変させた。
事件後に届いた報告書には、新たな一文が追加されていた。
レイジウイルス完全適応を確認。
世界唯一のТウイルスとレイジウイルスへ完全適応した人間。
その瞬間から、組織の視線は次郎へ向いた。
捕獲。
あるいは利用。
それが組織の新たな目的になった。
そして数か月前。
組織はロス・イルミナドス教団と接触し、次郎の情報を流した。
教団のプラーガなら、あれを意のままに操る事ができる。
そう判断したのだ。
「私は反対したのに……」
エイダは小さく呟く。
理由は単純だった。
勝てる気がしない。
あの男を知れば知るほど、その考えは強くなっていた。
それでも組織は動いた。
そして今、この島で起きている出来事が、その結果だった。
「……全然、思惑どおりにはいってないわよ」
静かに踵を返す。
今は感傷に浸っている時間はない。
目的は変わらない。
アンバーを回収し、この島を脱出すること。
そのためには、まずエレンを救出する。
その方が、自分にとっても都合がいい。
フックガンを構える。
ワイヤーが天井の鉄骨へ食い込み、エイダの身体が闇へ溶けるように持ち上がった。
一方、その頃。
次郎は礼拝堂へ呼び出されていた。
祭壇の前には、サドラーとクラウザーが立っている。
教団員たちは道を開け、深く頭を下げた。
「使徒様」
次郎は無言で歩みを止める。
サドラーが静かに口を開いた。
「レオン・S・ケネディ」
「アメリカ政府直属エージェントが島へ侵入した」
返事はない。
ただ静かにサドラーを見つめる。
「奴は必ずここまで来る」
「その時は、お前が始末しろ」
短い命令だった。
次郎はゆっくりと頷く。
その姿に、サドラーは満足そうな笑みを浮かべた。
「素晴らしい」
「従属種は完璧に機能している」
隣で腕を組んでいたクラウザーも笑う。
「本来なら命令なんて聞かなかった男が、この有様だ」
「やっぱりプラーガは最高だな」
教団員たちも歓喜に満ちた表情を浮かべていた。
はたらく細胞みたいなノリで考えてください。