本日二度目の投稿。
ラクーンシティ消滅後、アンブレラ社はバイオハザードの責任を問われ、世界的な大バッシングと度重なる訴訟に直面した。
決定打となったのは二〇〇三年。
コーカサス地方にある同社最後の牙城が陥落し、すべての研究データが流出したことだった。
これによりアンブレラ社は完全に倒産、解体へと追い込まれる。
――しかし、それは平和の訪れを意味しなかった。
闇に流出したウイルスはテロリストの手に渡り、世界は「バイオテロの時代」へと突入していく。
◇
二〇〇六年。
床主市、藤美学園。
午前の授業が始まってしばらく経った校舎の四階で、一人の男が窓のサッシを修理していた。
「……ここか」
作業着姿の男――佐藤次郎は、工具を手に窓枠を確認する。
もちろん、それは偽名だった。
以前までの名は、有栖次郎。
かつてラクーンシティで起きた惨劇を経験し、その後も幾度となくバイオテロに遭遇してきた男である。
だが、今の彼はそんな過去を隠し、藤美学園の用務員として働いている。
壊れた物を直す。
校内を巡回する。
教師や生徒から頼まれた仕事をこなす。
それだけの毎日。
退屈ではあったが、次郎にとっては、むしろそれが心地よかった。
「……よし」
サッシを調整し、窓を何度か開閉する。
引っ掛かりはなくなった。
「これで大丈夫だな」
工具を片付けようとした、その時だった。
「……ん?」
下から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
次郎は顔を上げるると、四階の窓から校門を見下ろした。
そこには、一人の男がいた。
校門の外側に立ち、学校へ入ろうとしているようだが、門に阻まれて中へ入ることができない。
男は身体をふらつかせ、門に手を掛けている。
様子がおかしい。
制服姿でもなければ、教員や保護者にも見えない。
その周囲には、数人の教師が集まっていた。
「あれは……」
次郎は目を細める。
教師の一人がやめるようにと男へ声を掛けているが、男は返事をしない。
ただ、門の向こう側から手を伸ばし続けている。
その動きは奇妙だった。
人間ならば、普通は門を回り込むかよじ登ろうとする。
だが、男にはそうした意思が感じられない。
ただひたすら、目の前にいる人間へ手を伸ばしている。
「……嫌な感じだな」
次郎は作業の手を止めた。
その時。
体育教師と思われる大柄な男が、門の前へ歩いていった。
他の教員も何人かの帯同している。
「おい!」
声を張り上げる。
「そこのお前、何をしている!」
男は反応しない。
「聞いているのか!」
体育教師は苛立ったように門を開けようとする。
「先生、危ないですよ!」
「大丈夫だ。こんな奴、一人でどうにでもなる」
門を開ける。
体育教師は男の前まで歩いていった。
そして――。
男の胸ぐらを掴んだ。
「おい! 聞こえてるのか!」
威圧するように顔を近づける。
男は無反応だった。
次郎の目が細くなる。
「……やめろ」
四階からでは声は届かない。
だが、次郎には分かる。
あれは普通じゃない。
「そいつから離れろ……!」
次の瞬間。
男が動いた。
体育教師の両肩を掴み、首筋へ噛みつく。
「――っ!」
一瞬。
体育教師の顔から表情が消える。
そして。
「ぎゃあああああああああっ!」
絶叫が校庭に響き渡った。
男の歯が首へ深々と食い込み――。
そのまま肉を食いちぎった。
「うあああああっ!」
体育教師の首から大量の血が噴き出す。
「先生!」
「何してるんだ!」
周囲の教師たちが一斉に駆け寄り、噛みついた男を体育教師から引き剥がす。
男は抵抗し、尚も暴れている。
「救急車!」
「早く止血を!」
「先生、大丈夫ですか!?」
数名の教師が体育教師を取り囲み、様子を伺う。
その光景を、四階から見ていた次郎は――。
「……」
言葉を失っていた。
食いちぎられた傷。
そして、あの男の動き。
次郎は知っている。
知りたくもないほど、知っている。
「……まさか」
体育教師が動かない。
教師たちが必死に声を掛ける。
「先生!」
「しっかりしてください!」
「誰か救急車を!」
しかし。
次郎には分かっていた。
あの傷を負った人間がどうなるのか。
あの状態になった人間が何をするのか。
そして――。
体育教師の身体が、突然跳ねた。
「――っ!」
教師たちが驚く。
「先生?」
体育教師がゆっくりと身体を起こす。
顔を伏せている。
「大丈夫ですか?」
女教師が近づいた。
「先生、聞こえますか?」
体育教師が顔を上げる。
その目には、生気がなかった。
女教師が息を呑む。
「……先生?」
返事はない。
次の瞬間。
体育教師が女教師に飛びかかり、首へ噛みつく。
「ぎゃああああああっ!」
女教師の悲鳴が響き渡る。
「離れろ!」
「先生!」
「何をしてるんだ!」
教師たちが慌てて二人を引き離そうとする。
だが、遅かった。
校門前で起きた異常事態は、瞬く間に周囲へ広がった。
悲鳴。
怒号。
逃げ惑う教師。
何が起きているのか分からず立ち尽くす生徒。
そして、最初に噛みついた男と、今しがた立ち上がった体育教師。
二人のゾンビが、人間を求めて動き始める。
「……」
その光景を四階から見下ろしていた次郎は、ゆっくりと額を抑えた。
「……またゾンビかよ!」
頭を抱えたい気分だった。
「勘弁してくれ……」
ラクーンシティ。
死体が起き上がり、人間を襲い、噛まれた人間まで怪物へ変わっていった街。
あれは終わったはずだった。
少なくとも、次郎はそう思っていた。
だが、今。
目の前で同じことが起きている。
「……仕方ない」
次郎は工具箱を置いた。
武器はない。
銃もない。
ナイフもない。
そもそも、日本では戦うつもりなどなかった。
次郎は片手を軽く握る。
「まあ、素手でも十分か」
そして、階段へ向かって走り出した。
目的は一つ。
教師や生徒に警告すること。
武器を探すのは後でいい。
今は一人でも多く、事態を理解させる必要がある。
最初に入ったのは、三年生の教室だった。
「失礼する」
突然扉を開けて入ってきた用務員に、生徒たちが一斉に振り返る。
「誰?」
「用務員のおっさんじゃね」
「佐藤さんだろ」
「お前、用務員の名前なんか良く知ってるな」
そんな声が飛び交う。
次郎は気にせず教壇の前まで歩いた。
「校門で今現在、事件が起きている」
「事件?」
「人が人を襲っている。噛まれた人間が死んだあと、また動き出した」
教室がざわつく。
「……何それ」
「ゾンビ?」
誰かが冗談めかして呟いた。
次郎は頷く。
「そうだ」
一瞬、教室が静かになる。
だが。
「用務員さん、ゾンビとか言ってるぞ」
「なんだあいつ、漫画か映画の見すぎじゃね?」
笑い声が起こる。
次郎は黙って生徒たちを見渡した。
仕方がない。
信じろと言われて信じられる話ではない。
「先生」
次郎は教壇に立つ教師を見る。
「生徒を教室に残すなら、扉を閉めて鍵を掛けてください」
「佐藤さん」
教師が呆れたように言う。
「そういう悪ふざけはやめてください。生徒たちが怖がるでしょう」
「……そうですか」
次郎はそれ以上何も言わなかった。
教室を出る。
次の教室へ向かう。
同じ説明をするが、結果は同じだった。
「本当に?」
「冗談でしょう?」
「警察は?」
「ぷっ、ゾンビって……」
教師からは、
「生徒を不安にさせるような発言は控えてください」
と注意された。
別の教室では、生徒から、
「あの用務員さんって何年ここで働いてるんだっけ?」
などと聞こえた。
その程度には、次郎の存在は校内に溶け込んでいた。
しかし逆に言えば。
名前すら知らない生徒もいる。
そんな男が突然現れて、
「ゾンビが出た」
などと言っている。
信じてもらえるはずがなかった。
次郎自身も理解している。
だから、無理に説得しようとはしない。
「俺の言葉を信じる必要はない」
次の教室で、次郎はそう言った。
「ただ、死にたくないなら早めに動け」
教師が眉をひそめる。
「佐藤さん……」
「信じられないなら、それでいい」
次郎は扉へ向かう。
「だが、危険が迫ってから動いたんじゃ遅い」
それだけ言って、次の教室へ向かった。
その後も次郎は、いくつもの教室を回った。
しかし、反応はほとんど変わらない。
笑う者。
呆れる者。
教師に至っては、次郎を捕まえて、
「この件は今度の職員会議で報告させてもらいますからね」
と叱る者までいた。
次郎は言い返さなかった。
今は言い争いをしている場合ではない。
自分にできるのは、忠告することだけ。
信じるかどうかは本人たちの自由だ。
「忠告はしたぞ」
それだけを言い残して、次の教室へ向かう。
その頃には、校内のあちこちで騒ぎが起き始めていた。
だが、まだ教師も生徒も事態の深刻さを理解していない。
そんな時だった。
校内放送のチャイムが鳴った。
次郎が足を止める。
『――生徒の皆さんに連絡します』
教師の声だった。
教室の中からも、生徒たちが放送に耳を傾けている気配がする。
『現在、校門付近で――』
放送の向こうで、何かが聞こえた。
『え?』
教師の声が途切れる。
『ちょっと、何を――』
ガタンッ!
大きな音。
マイクが何かにぶつかったような音が響く。
『いや……』
声が震える。
『来るな……』
次郎の表情が変わった。
スピーカーから聞こえる声。
その奥から、何かが唸るような音がする。
『誰か……助け――』
悲鳴。
マイクが床へ落ちた。
ガンッ!
ドンッ!
そして。
『――ぎゃああああああっ!』
絶叫。
校内全体に響き渡り、放送が途切れた。
「…………」
教室の中が静まり返る。
しばらくして。
「今の……何?」
「放送室で何かあったの?」
「先生」
不安そうな声が次々と上がる。
やがて、一つの教室の扉が開いた。
「ちょっと確認してくる」
教師が廊下へ出る。
それを見た生徒たちも、次々と教室から顔を出す。
「何があったんですか?」
「放送室?」
「誰か怪我したの?」
別の教室からも教師や生徒が出てくる。
先ほどまで教室内で笑っていた生徒たちも、不安に耐えきれず廊下へ集まり始める。
次郎は、その様子を見ていた。
嫌な予感がする。
「今すぐ教室に戻って扉を塞げ!」
次郎が叫ぶ。
「佐藤さん?」
「廊下に出るな!」
しかし、もう遅かった。
廊下の向こうから、足音が聞こえた。
ゆっくり。
引きずるような足音。
教師の一人が振り返る。
「……誰だ?」
角から、一人の男性教師が姿を現した。
服は血で汚れている。
顔は青白く、生気のない濁った目。
「杉本先生……?」
誰かが声を掛ける。
男性教師は答えない。
ただ、こちらへ歩いてくる。
次郎は前へ出た。
「下がってくれ」
「佐藤さん……さっき言ってたこと……」
教師の声が震える。
「こういうことだ」
次郎は短く答えた。
ゾンビが顔を上げる。
そして突然、走り出した。
生徒たちから悲鳴が上がる。
ゾンビが次郎へ飛びかかった。
次郎は身体を半歩だけ横へずらし、伸びてきた腕を掴む。
「――ッ!」
そのまま相手の勢いを利用して投げ飛ばす。
ゾンビが床へ転がる。
だが、すぐに起き上がろうとする。
「しぶといな」
次郎は一歩踏み込むと、ゾンビの頭に足を起き、そのまま床へ叩きつけた。
鈍い音が廊下に響く。
ゾンビが倒れ、動かなくなる。
「……」
誰も声を出せなかった。
つい先ほどまで、
「映画の見すぎ」
と笑っていた生徒たちも、教師たちも。
目の前で起きた現実を否定できなくなっていた。
次郎は足を下ろす。
「……だから言っただろう」
誰も答えない。
そして。
校舎のあちこちから、次々と悲鳴が上がり始めた。
「きゃああああ!痛い!やめて!」
「うわあああ!逃げろ!」
「助けて!先生!」
今度は、一つではない。
複数の場所から聞こえてくる。
廊下へ出ていた教師と生徒たちが、一斉に逃げ始める。
泣き叫ぶ者。
立ち尽くす者。
友人を探す者。
教師の指示を求める者。
その全員が、ようやく理解した。
これは悪ふざけではない。
漫画でも映画でもない。
本当に――。
ゾンビが学校に現れたのだ。
廊下に取り残された次郎は拳を握る。
武器はない。
頼れるのは、自分の身体だけ。
だが、それで十分だった。
「……さて」
次郎は再び現れ、迫ってくるゾンビを見据える。
「始めるか」
藤美学園の平穏は、完全に終わった。
今度のゾンビは希に短距離限定で走る個体がいます。
佐藤の苗字は亡くなった学園黙示録の原作者様から拝借しております。
ファブルとか俳優の名前みたいになったのは偶然です。
用務員 佐藤次郎のイメージ。
【挿絵表示】