本日一度目の投稿。
次郎は、ガラス扉の取っ手を握った。
力を込めすぎれば、金具が鳴る。
扉そのものを動かす際にも、蝶番が音を立てる可能性がある。
次郎は暗殺者時代に培った感覚で、扉の状態を指先から確かめた。
そして――。
ほんの僅かずつ、扉を開いていく。
ギ……。
微かな音が鳴り、次郎は動きを止めた。
周囲を見る。
ゾンビたちは反応していない。
ペンの落ちた場所へ、まだ意識を向けている。
次郎はさらに扉を開いた。
今度は音を立てない。
人一人が通れるだけの隙間を作り、次郎は屋外へ出た。
振り返り、小さく手招きする。
最初に毒島が動いた。
木刀を握ったまま、慎重に扉を抜ける。
続いて小室。
宮本。
平野。
高城。
鞠川。
全員が足音を殺し、一人ずつ玄関を抜けていく。
誰も喋らない。
誰も走らない。
靴音すら立てないよう、慎重に足を運ぶ。
次郎は最後尾に残り、全員が屋外へ出たことを確認する。
あと少し。
このままいけば――。
静かに突破できる。
そう思われた。
その時だった。
「逃げろおおおおっ!」
「早く! こっちだ!」
校舎の奥から突然、叫び声が響いた。
全員の身体が強張る。
ドタドタドタッ!
階段を駆け下りてくる複数の足音。
次郎が振り返る。
「……まずいな」
別の生徒たちが階段から正面玄関へ駆け込んできた。
「あっちだ!」
「外へ逃げろ!」
叫び声と足音が、静まり返っていた正面玄関に響き渡る。
その瞬間。
それまで大人しかったゾンビたちが、一斉に振り返った。
そして数秒後。
「うわああああっ!」
生徒たちへ複数のゾンビが群がる。
別のゾンビも、その横から襲いかかる。
さらに後方から何体ものゾンビが殺到する。
悲鳴が響き渡り、床へ倒れた生徒にゾンビが群がる。
正面玄関が一瞬にして血に染まった。
「……!」
小室が周囲を見る。
そして、校庭側へ視線を向けた。
先ほどまで離れた場所にいたゾンビたちが、こちらへ向かって歩き始めている。
玄関から聞こえた悲鳴と足音に反応したのだ。
正面にも背後にもゾンビ。
逃げ道を塞がれつつある。
「走れ!」
小室が叫んだ。
「みんな、走れ!」
全員が即座に走り出す。
高城が走りながら小室を見る。
「小室! なに大声出してんのよ、手近な奴らだけ倒せばやり過ごせたかもしれないのに!」
「でも、校庭からも来てる!」
小室が前方を指差す。
校庭側から、ゾンビが次々とこちらへ向かっている。
「このままじゃ挟まれる!」
「……!」
高城も前を見る。
確かに、校庭からゾンビが迫っている。
宮本が近くに来たゾンビをモップの柄で倒し叫ぶ。
「あんなに音が響くなら仕方ないわよ!」
「……分かってる!」
高城も走る。
次郎が最後尾から叫ぶ。
「他人を責めてる暇はないぞ!」
トマホークを握り直す。
「死にたくないなら、全力で走れ!」
全員がさらに速度を上げた。
先頭は毒島と小室。
迫ってくるゾンビを避けられない場合だけ迎撃する。
毒島の木刀がゾンビの頭部を捉えた。
ゾンビが倒れる。
小室も金属バットを振り抜く。
ゾンビを倒し、前へ進む。
その後ろでは、宮本と平野が続く。
宮本がモップの柄でゾンビを押して転倒させる。
平野も釘打機を構え、迫ってきたゾンビを撃つ。
高城と鞠川も必死に走る。
そして最後尾。
次郎は走りながら周囲を確認する。
玄関から。
校庭から。
ゾンビが次々とこちらへ向かっている。
「……数が多いな」
次郎は足を止めない。
側面から走り寄ってきた一体が手を伸ばす。
次郎は身体を捻ってかわし、そのままトマホークを振り抜く。
ゾンビの首が転がり、体が倒れる。
血飛沫にかからないように次郎は再び走る。
立ち止まれば、そこで終わる。
静かに突破するはずだった正面玄関周辺は、完全な戦場と化していた。
今はただ――。
全員が駐車場へ向かって走っていた。
目指す先には、藤美学園のマイクロバスが停まっている。
だが、バスの周囲にもゾンビがいた。
「先に片付けよう!」
小室が叫ぶ。
毒島が木刀を構える。
「ああ」
二人が前へ出る。
小室が金属バットをゾンビの頭に振り下ろす。
毒島も木刀を振るい、別の一体を倒した。
宮本と平野も続く。
宮本がモップの柄を槍のように振り回し、ゾンビの頭を凹ませ、平野が釘打機を撃つ。
高城と鞠川は、二人の後ろから周囲を警戒している。
次郎も周囲を確認する。
駐車場の奥から近づいてきたゾンビが一体、次郎はトマホークで頭を割る。
倒れる。
さらに一体。
踏み込んで頭部へ叩き込む。
ゾンビが崩れ落ちた。
「これでバスの周辺は大丈夫だな」
次郎が周囲を確認する。
少なくとも、すぐに襲いかかってくるゾンビはいない。
鞠川が鍵を取り出す。
「開けるわ!」
ロックを解除。
扉が開く。
鞠川が先に乗り込み、運転席へ向かう。
「えっと……」
運転席に座った鞠川が、ハンドル周辺を見回す。
「……私の車と違うわね」
キーを差し込み、計器類を確認する。
「どこがどうなってるの……?」
平野が車内へ乗り込む。
「僕は窓から外を見張ります!」
窓を開け、釘打機を構える。
宮本と高城も乗り込む。
毒島と小室も続く。
次郎は最後まで外に残り、周囲を確認し続ける。
新たなゾンビは近づいていない。
「佐藤さん、もう出せるわ」
「了解」
鞠川の声を聞き、次郎もバスへ乗り込もうとする。
乗降口へ足をかけた。
その時だった。
「待ってくれ!」
駐車場の向こうから声が響いた。
次郎が振り返る。
複数の生徒を引き連れた男が、こちらへ向かっている。
「待ってくれ! そのバスに乗せてくれ!」
教師――紫藤浩一だった。
その背後には、彼についてきた生徒たち。
さらに、その周囲からゾンビが集まり始めている。
「待って!」
小室が声を上げる。
「先生、まだ出さないでください!」
鞠川はアクセルから足を離す。
「分かったわ」
次郎は車外を見る。
さっき片付けたはずの駐車場に、またゾンビの姿が増えている。
校舎側。
校門側。
あちこちから集まってきている。
「小室くん」
次郎が言う。
「周囲をよく見ろ」
小室が窓の外を見る。
「……また奴らが集まってきてる」
「そうだ」
次郎はトマホークを握り直す。
「バスの前に集まりすぎると動かせなくなるぞ」
「なら、踏み潰せばいいじゃないですか」
小室が鞠川を見る。
「バスで突っ込めば道を作れるでしょ!」
「駄目よ!」
鞠川が即座に否定する。
「この車で何人も踏み潰したら横転するわ!」
「く……」
小室が黙る。
その横で、宮本が紫藤を睨みつけていた。
「……なんで待つのよ」
「麗?」
「あんな奴、助ける必要なんてない!」
宮本の声には、明らかな敵意があった。
「でも、あの中には生徒もいるんだぞ」
小室が言う。
「それでもよ」
宮本は紫藤を睨み続ける。
「あんな奴、死んじゃえばいいのよ!」
次郎は宮本を見る。
ただの意見の食い違いではない。
宮本は、紫藤という男を明らかに憎悪している。
「……」
どうやら二人の間には、何かあるらしい。
だが、それを深く聞いている場合ではない。
バスの周囲には、さらにゾンビが集まってきている。
紫藤たちも、まだこちらへ向かっている途中だ。
次郎はトマホークを構えた。
「……仕方ない。俺がもう一度、片付けてくる」
次郎が扉に手をかける。
「一人で、ですか?」
小室が尋ねる。
「ああ。君たちは乗っていろ」
次郎はトマホークを手に、バスを降りた。
後ろ手に扉を閉めながら、次郎は周囲を見回した。
正面から一体。
横からも一体。
その奥から、さらに何体も近づいてくる。
次郎はトマホークを構え、迷わず正面の一体に駆け寄る。
刹那、振り下ろされた刃が頭部を割る。
次の一体が腕を伸ばしてくる。
次郎は身体をずらしてかわし、側頭部へトマホークを叩き込む。
倒れたゾンビを跨ぎ、さらに近づいてくる一体へ踏み込む。
トマホークが閃き、また一体が倒れた。
次郎は止まらない。
バスへ近づこうとするゾンビを、一体ずつ確実に仕留めていく。
その間に、紫藤が連れてきた生徒たちも次々とバスへ乗り込んでいく。
生徒たちが車内へ駆け込む。
平野は窓を開け、外を警戒している。
宮本と高城も車内から周囲を確認する。
毒島は入口付近で、最後まで外を見ていた。
「全員、乗りました!」
平野が告げる。
小室が窓の外を見る。
次郎がまだ戦っている。
バスの周囲に残っていたゾンビを次々と倒している。
やがて最後の一体が倒れた。
「佐藤さん!」
小室が声を飛ばす。
「もう大丈夫です! 乗ってください!」
次郎が顔を上げる。
「分かった!」
次郎は周囲をもう一度確認してから、バスへ走る。
車内へ飛び込み、すぐに扉を閉める。
「鞠川先生、お願いします!」
「分かったわ」
鞠川がハンドルを握り、小さく息を吐いた。
正面の道路には、まだゾンビがいる。
「……あれはもう人間じゃない」
自分自身に言い聞かせるように呟く。
「人間じゃない……」
アクセルを踏み込む。
マイクロバスが勢いよく動き出した。
正面にいたゾンビを撥ね飛ばす。
さらに一体。
車体が大きく揺れる。
それでも鞠川は速度を落とさない。
バスは駐車場を抜け、藤美学園の敷地から道路へ飛び出した。
車内に、わずかな安堵が広がる。
だが、それも長くは続かなかった。
「ところで」
紫藤が口を開いた。
「このグループのリーダーは、どなたですか?」
誰も答えない。
紫藤は周囲を見渡す。
すると毒島が答えた。
「そのような者はいない」
「いない?」
「ああ」
毒島は淡々と答える。
「逃げる為に協力しあっただけだ」
紫藤の目が細くなる。
そして――。
その目が怪しく光った。
「それはいけませんね」
紫藤は穏やかな口調で言う。
「このような状況で生き残るためには、リーダーが絶対に必要です」
毒島は紫藤を見つめる。
「そうだろうか」
「ええ」
紫藤は微笑む。
「指揮を執る者がいなければ、いずれ意見が割れます。そうなれば、全員が危険に晒される」
次郎は黙って紫藤を観察していた。
言っていることだけを聞けば、もっともらしい。
しかし――。
何か引っ掛かる。
その目だ。
紫藤という男が、何を考えているのか。
次郎にはまだ分からないが、あの目が気に入らない。
その時。
宮本が小室へ顔を寄せた。
声を潜める。
「……孝」
「何だ?」
「紫藤を乗せたこと、必ず後悔するわよ」
次郎の耳には、その言葉が聞こえていた。
小室は何も答えない。
ただ前方を見つめている。
次郎は紫藤へ視線を戻した。
そして宮本を見る。
やはり――。
この二人の間には、何かあるようだ。
しかも、単なる相性の悪さではない因縁がありそうだった。
――Chapter1・完――