本日二度目の投稿。
マイクロバスは、混乱する藤美学園を後にして道路を走っていた。
車内には、学校から脱出できた生徒たちが大勢いる。
しかし、誰も安心した表情を浮かべてはいなかった。
窓の外には、異常な光景が広がっている。
道路には放置された車。
ところどころで上がる黒煙。
逃げ惑う人々。
そして、道路を歩き回るゾンビ。
生徒たちは不安そうに窓の外を見ていた。
「これから……どうなるんだ?」
「家に帰りたい……」
「母さんは無事なのかな……」
「警察は何してるんだよ……」
不安と恐怖が、車内に広がっていく。
そんな生徒たちへ、紫藤がゆっくりと声を掛けた。
「皆さん、落ち着いてください」
穏やかな声だった。
生徒たちの視線が紫藤へ集まる。
「今は誰もが混乱しています。ですが、こういう時こそ冷静にならなければなりません」
紫藤は一人一人の顔を見回す。
「幸い、皆さんはこのバスに乗ることができた。ここまで生き残れたのです」
生徒たちが耳を傾ける。
「しかし、これから先は分かりません」
紫藤は少し間を置いた。
「食料はどうするのか?」
誰も答えない。
「安全な場所は?」
沈黙。
「これから何をすればいいのか、誰か分かりますか?」
誰も答えない。
紫藤は、そんな生徒たちを見て微笑んだ。
「だからこそ、皆さんを導く人間が必要なのです」
その言葉に、何人かの生徒が頷いた。
「確かに……」
「誰かが決めてくれた方がいいよ」
「俺たちだけじゃ何もできないし……」
紫藤はさらに続ける。
「私は教師です」
胸に手を当てる。
「皆さんを守る責任があります」
不安に押し潰されそうだった生徒たちにとって、その言葉は魅力的だった。
明確な答えを持っているように聞こえる。
頼ることのできる大人がいる。
それだけで、彼らの表情が少しずつ変わっていった。
「そうだよ」
「紫藤先生に任せればいい」
「先生なら何とかしてくれるさ」
次郎は少し離れた席から、その様子を黙って見ていた。
紫藤の話術は巧みだった。
恐怖を煽ることなく、安心を与える。
そして、その安心を自分への依存へと変えていく。
次郎には、それが分かった。
やがて車内には、二つの空気が生まれ始めた。
紫藤の周囲に集まる一般生徒たち。
そして、小室や毒島といった実際にゾンビと戦い、学園から脱出してきた者たちだ。
両者の間に、少しずつ溝ができていく。
「小室くんたちは、ずいぶん無茶をされるんですね」
紫藤が穏やかな笑みを浮かべて言った。
「無茶?」
小室が振り向く。
「奴らと戦うことです」
「戦わなきゃ進めない時もある」
「ですが、危険でしょう」
紫藤は生徒たちへ視線を向ける。
「皆さんも、無理をする必要はありません。命を大切にしてください」
もっともらしい言葉に小室は黙り込む。
そんな中で紫藤を見つめる高城は、毒島へ小声で話しかけた。
「……あいつ、相当やばいわね」
「ああ」
毒島も静かに答える。
「人を安心させる言葉を使いながら、その実、自分へ依存させている」
高城は車内を見る。
紫藤の言葉に頷く生徒たち。
すでに、自分たちで考えるよりも紫藤の言葉を待つようになっている。
「かなり傾いてる」
「恐怖の中では、誰かに判断を委ねたくなるものだ」
毒島は淡々と言った。
「だからこそ、危険なのよ」
高城は次郎を見る。
「佐藤さんも、そう思うでしょう?」
「……ああ。そうだな」
次郎は短く答えた。
その直後だった。
「もういい!」
宮本が立ち上がった。
車内の視線が一斉に集まる。
「麗?」
小室が驚く。
宮本は紫藤を睨みつけた。
「私はあいつの言うことなんか聞きたくない」
そして、運転席へ向かう。
「先生、開けてください!私降りる!」
「え?でもあの」
突然の事に鞠川も困惑している。
開けてくれないと判断した宮本はバスの扉へ向かう。
「おい、麗!」
小室が立ち上がるが、宮本は扉を開いた。
「ちょっと待て!」
小室が追いかけて静止する。
しかし、宮本はそのままバスを降りてしまう。
「麗!」
小室も続いて降りる。
紫藤は二人の背中を見つめていた。
そして、静かに呟く。
「……行動を共にできないのであれば、仕方がありませんね」
その声には、先ほどまでの柔らかな響きがなかった。
小室はその言葉を聞いて振り返る。
怒りが込み上げてくるが、今は宮本を一人にするわけにはいかない。
「麗!」
小室は宮本に追いついた。
「戻ろう!」
「ここにいると危険だ!」
「嫌よ!」
「紫藤と一緒にいる方が危険よ!」
宮本が言い返す。
「それでも、バスに戻るんだ!」
小室が宮本の腕を掴んだ。
その瞬間――。
後ろからクラクションが響いた。
小室が振り返る。
道路の向こうから、大型バスがこちらへ向かってくる。
運転手が制御を失っているのか、車体が斜めに走行している。
「おい、嘘だろ!?」
小室が叫び、反射的に宮本を抱きかかえて横へ跳んだ。
大型バスは小室たちの手前に停まっていた車へ、そのまま突っ込んだ。
凄まじい衝撃音。
乗用車が押し潰され、大型バスが大きく傾き、そのまま横転した。
ガシャァン!
車体が道路を滑り、周囲の車両を巻き込みながら停止する。
次の瞬間――。
漏れ出した燃料に火がついた。
轟ッ!
激しい炎が一気に燃え上がる。
「――っ!」
炎は道路を横切るように広がり、黒煙が空へ立ち上る。
その結果――。
マイクロバスと小室たちの間が、炎によって完全に分断された。
毒島がマイクロバスから身を乗り出す。
「小室くん! 大事ないか!」
「大丈夫です!」
炎の向こうから小室の声が返ってくる。
「俺たちは無事です!」
二人が無事だと分かり、毒島が安堵する。
しかし、炎が激しく燃え続けている。
近づくことはできない。
小室が炎越しに叫ぶ。
「こっちからは戻れません!」
毒島が周囲を見る。
「……分かった」
小室が続ける。
「警察で、東署で落ち合いましょう!」
毒島は頷く。
「承知した!」
次郎は黙って炎を見つめる。
そして、小室たちの姿を確認する。
二人とも無事だ。
ならば、今はそれでいい。
「……警察署で合流か」
次郎は小さく呟いた。
小室たちと分かれたマイクロバスは、しばらく道路を進んでいた。
しかし――。
「……動かないわね」
鞠川が前方を見る。
道路は、車で埋め尽くされていた。
人々が一斉に街から逃げようとしている。
乗用車。
ワゴン車。
トラック。
様々な車が道路を埋め、車列がはるか先まで続いている。
どの車も少しずつしか進んでいない。
中には車を降り、周囲の様子を確認している人もいる。
クラクションの音もあちこちから聞こえており、マイクロバスも、その渋滞に巻き込まれていた。
鞠川がブレーキを踏みながらぼやく。
「これじゃ、しばらく動けそうにないわね」
車内の生徒たちから、不安そうな声が上がる。
「どうするんですか?」
「このままここにいて大丈夫なの?」
「お母さん……」
そんな声が飛び交う。
紫藤は立ち上がった。
「皆さん、落ち着いてください」
生徒たちが紫藤を見る。
「焦ってはいけません」
紫藤は窓の外を見た。
逃げようとする人々の車が道路を埋め尽くしている。
「この状況では、無理に車を動かすのは危険です」
「じゃあ、どうするんですか?」
一人の生徒が尋ねる。
「先ほど申し上げた通りです」
紫藤は穏やかに答えた。
「まずは安全な場所を確保するべきです」
車内の生徒たちが耳を傾ける。
「このまま渋滞の中に留まっていても、何も解決しません」
「ですが、外には奴らが……」
「だからこそ、皆さんで行動するのです」
紫藤は生徒たちを見回した。
「一人で動けば危険です。しかし、規律ある集団ならば話は違います」
また、紫藤の言葉に生徒たちが頷き始める。
その様子を高城が見ていた。
「……また始まった」
隣の平野が小声で答える。
「はい」
「逃げようとしている人たちで道路が埋まってる。みんな不安になってる」
高城は紫藤を見る。
「だから、あの人の言葉が余計に響く」
「このままだと、完全に紫藤先生の指示だけで動くようになりそうですね」
「ええ」
高城は頷いた。
「だからこそ、私たちは私たちで準備しておく必要がある」
そして、高城は次郎を見る。
「佐藤さん」
次郎が振り向く。
「何だ?」
「少し相談したいんだけど」
「聞こう」
「このまま紫藤先生の言う通りにするのは危険だと思う」
高城は声を抑える。
「籠城するにしても、どこへ行くのか分からない。家族の安否確認を後回しにするのも、私は賛成できない」
平野も頷く。
「僕もです」
高城は続けた。
「だから、私たちは私たちで動けるように準備しておきたい」
次郎は紫藤と、その周囲に集まる生徒たちを見る。
すでに車内には、はっきりとした空気の違いが生まれている。
紫藤の言葉を信じる生徒たち。
そして、紫藤を警戒する自分たち。
「……俺も同感だ」
次郎が答えた。
「まずは必要な物を確保する」
「食料、水、医薬品。それに武器ですね」
平野が言う。
「あと、この渋滞を抜ける方法も考えないと」
高城が続ける。
次郎は窓の外を見る。
道路の先には、どこまでも続く車列。
逃げようとする人々が、我先にと車を走らせた結果だった。
その隙間を、ゾンビがゆっくりと歩いている。
渋滞は、いつ解消するか分からない。
それどころか、この場所に留まり続けること自体が危険になりつつあった。
「……時間はあまりないな」
次郎が呟く。
高城が頷く。
「ええ。だから、今のうちに動く準備をしておきましょう」
その後も、渋滞は殆ど動かなかった。
前方には、逃げようとする人々の車が延々と連なっている。
車内にも焦燥感が漂い始めていた。
そんな中、紫藤が再び立ち上がった。
「皆さん」
その声に、生徒たちが顔を上げる。
「このような時だからこそ、私たちは藤美学園の者であるという誇りを忘れてはいけません」
紫藤は穏やかな笑みを浮かべていた。
「確かに、恐ろしい状況です。家族が心配でしょう。不安でしょう。何を信じればいいのか分からないでしょう」
生徒たちは黙って紫藤を見つめる。
「だからこそ、私たちは一つにならなければならない」
紫藤は車内を見渡す。
「規律を守り、互いに助け合い、藤美学園の者として恥ずかしくない行動を取る」
その言葉に、何人かの生徒が頷いた。
「そうだ」
「先生の言う通りだ」
「俺たちは藤美の生徒なんだから……」
紫藤は満足そうに頷く。
「そうです」
そして、少しだけ声を落とした。
「そういう意味では――」
一瞬の間。
「小室くんや宮本さんは、仲間として相応しくなかったのでしょう」
車内が静まり返る。
だが、紫藤の言葉を否定する者はいなかった。
「……そうかもしれない」
「先生に逆らってましたし」
「みんなで纏まろうとしてるのに……」
先ほどまで小室や宮本に好意的だった生徒たちまでもが、紫藤の言葉に引き込まれていく。
紫藤は何も言わず、生徒たちを見つめている。
その表情は、教師というより――。
自分を信奉する人間を眺める者の顔に近かった。
毒島がその光景を横目に見る。
「……まるで宗教だな」
高城が小さく首を振った。
「まるで、じゃないわ」
「新興宗教、『紫藤教』の立ち上げの瞬間よ」
高城は冷静に紫藤を見る。
「恐怖で判断力が落ちているところに、安心できる答えを与える。そして、自分に従うことを『正しいこと』だと思わせる」
「なるほど」
毒島は納得したように頷いた。
「実に危険なやり方だ」
「ええ」
二人は紫藤の演説を聞き流しながら、今後について話し始めた。
「この渋滞では、バスを捨てるしかないな」
毒島が窓の外を見る。
「車列が動く気配がまるでない」
道路の先まで、車が連なっている。
「歩いた方が早い」
高城が頷く。
「問題は、どこへ向かうかね」
「
毒島が答えた。
「小室くんたちと警察署で落ち合う約束をしたからな」
「……ずいぶん小室を気にするのね」
「ああ」
毒島は炎の向こうに消えた小室たちを思い出す。
「無事に警察署へ辿り着いているといいのだが」
高城は少し考えてから尋ねた。
「小室たちが気になるのは分かるけど……毒島先輩、ご家族は心配じゃないの?」
「家族か」
毒島は特に動揺することなく答えた。
「父は国外で暮らしている」
「向こうで道場を開いているのでな」
その口調には、寂しさなど微塵もない。
むしろ、父親への誇りが感じられた。
「そうなの」
「うむ。父は道場を大切にしている。そんな父を私も誇りに思っているよ」
毒島はそう言ってから、高城を見る。
「それより、高城さん。君の御家族は?」
「私?」
高城は窓の外へ目を向けた。
「私の家は、橋を渡った先にあるわ」
毒島は頷く。
「そうか」
平野が会話に入る。
「僕も両親は海外なので……」
「平野くんもか」
「はい」
平野は少し困ったように笑う。
「今すぐ会いに行ける距離じゃありませんので」
その会話を聞いていた鞠川が、ふと口を挟んだ。
「私も家族を探しに行く必要はないわね」
高城が鞠川を見る。
「先生も?」
「私も両親はもういないし、親戚は遠くで暮らしているから」
鞠川は苦笑する。
「今すぐ会いに行けるような家族はいないのよ」
「そうなんですか……」
「だから、もしこのバスを降りるなら、私も一緒に行くわ」
そして、鞠川は何気なく次郎へ視線を向けた。
「佐藤さんは?」
「俺か?」
「家族は心配じゃないの?」
次郎は少しだけ考えた。
そして、淡々と答える。
「俺に家族はいない」
「……」
車内の空気が、一瞬だけ静かになる。
次郎は特に表情を変えなかった。
「残念だが、天涯孤独というやつだ」
鞠川はそれ以上、何も聞かなかった。
高城も、毒島も、平野も同じだった。
ただ、次郎の言葉を静かに受け止める。
そんな中、紫藤がこちらを振り返った。
「……何を話しているんです?」
どうやら、今まで高城たちの会話に気づいていなかったらしい。
「皆さんで何か相談しているようですが」
高城は紫藤を見て、一言。
「私たち、このバスを降りるつもりなの」
サブタイトルはクラシック曲に拘るつもりはないのですが、結構便利に使っています。