元殺し屋がバイオ事件に巻き込まれる話   作:オッパッピー

88 / 89

本日一度目の投稿。


Epilogue2 夜の女王のアリア

 事件が終息してから、一ヶ月が経った。

 

 東京の空港。

 

 日本でやるべきことを終わらせて英国へ帰国するエレンとカルロスを見送るため、次郎とあさみは搭乗口の手前まで来ていた。

 

「本当に、色々と助かったわ」

 

 エレンが次郎を見る。

 

「いや、こちらこそ助かった」

 

「こちらこそ、じゃないでしょう」

 

 エレンが小さく笑う。

 

「あなたがいなかったら、私は今ここにいなかったと思うわ」

 

「カルロスもいただろ」

 

「もちろん」

 

 エレンはカルロスを見る。

 

「彼には何度も助けてもらったわ」

 

「いや、実際俺達だけじゃ危なかった」

 

 カルロスが苦笑する。

 

 次郎は肩をすくめた。

 

「だとしても、助け合いはお互い様だ」

 

 カルロスとエレンが笑う。

 

 やがて、搭乗開始を知らせるアナウンスが流れた。

 

「そろそろ行かないとね」

 

 エレンが言う。

 

「次郎」

 

「ん?」

 

 エレンが一歩、次郎に近づく。

 

 そして――。

 

「……え?」

 

 不意に次郎の唇へ、自分の唇を重ねた。

 

 一瞬の出来事だった。

 

 次郎の表情が固まる。

 

 カルロスとあさみが目を丸くする。

 

「あー……」

 

 カルロスが何とも言えない顔で二人を見る。

 

 エレンは何事もなかったかのように次郎から離れる。

 

 そして、今度はあさみへ向き直った。

 

「あさみ」

 

「は、はい?」

 

 突然名前を呼ばれ、あさみが姿勢を正す。

 

 エレンは微笑んだ。

 

「しばらくの間、あなたに彼を預けるわ」

 

「……え?」

 

 あさみが瞬きをする。

 

「意外と繊細な人だから、大切に扱ってね」

 

「……」

 

 あさみは完全に固まった。

 

 隣では、次郎も何とも言えない表情をしている。

 

 十秒経過。

 

 あさみは無言のまま次郎を見る。

 

「……次郎さん」

 

「……何だ?」

 

 あさみは次郎の腕を軽くつねった。

 

「痛っ」

 

「今夜の事情聴取は長くなりますよ」

 

「……何の事情聴取だ?」

 

「もちろん、今のことについてです」

 

 あさみは笑顔だった。

 

 だが、その笑顔には妙な圧があった。

 

 次郎はしばらく黙った。

 

「……今のは、俺が悪いのか?」

 

「詳しく聞かせてもらいます」

 

 もう一度、腕をつねられる。

 

「だから痛いって」

 

 その様子を見ていたエレンが、楽しそうに笑った。

 

「ふふっ」

 

「お前な……」

 

「じゃあね、次郎」

 

 エレンは手を振る。

 

「また会いましょう」

 

「ああ」

 

 次郎も手を上げる。

 

 カルロスも続けて手を振った。

 

「じゃあな。ジロー」

 

「カルロスも気をつけろ」

 

「お互いにな」

 

 二人は搭乗口の向こうへ歩いていく。

 

 姿が見えなくなったところで、あさみが再び次郎を見る。

 

「……さて」

 

「まだやるのか?」

 

 あさみは微笑んだ。

 

「帰りましょうか、次郎さん」

 

 次郎は小さくため息をついた。

 

「……分かった」

 

 二人は並んで空港を後にした。

 

 

 ◇

 

 ――同じ頃。

 

 日本から遠く離れた場所にある、トライセル社の会議室。

 

 重厚なテーブルを囲み、数人の幹部が向かい合っていた。

 

 室内の大型モニターには、東京の現在の状況が映し出されている。

 

 感染者の掃討。

 

 避難民の救出。

 

 そして、徐々に復旧していく都市。

 

「東京の感染状況は、ほぼ終息しました」

 

 一人の男が報告する。

 

「自衛隊による掃討作戦も順調に進んでいます。Tウイルスワクチンを投与した部隊によって、ゾンビだけでなくリッカーの排除も進んでいるようです」

 

 別の幹部が資料へ目を通す。

 

「ワクチンの効果についても、十分なデータが得られました」

 

「ならば――」

 

 議長席の男が口を開く。

 

「計画は成功だな」

 

 誰も異論を唱えなかった。

 

 しばらくして、一人の幹部が資料をめくる。

 

「ただし、日本側とのパイプ役だった紫藤一郎を失いました」

 

「さらに、暗部の部長だった風間も死亡しています」

 

 別の男が淡々と答えた。

 

「問題ありません」

 

「……問題ない?」

 

「はい」

 

 男は資料を閉じる。

 

「紫藤一郎は、あくまで日本国内で政治的な影響力を持たせるための駒です」

 

「風間も同じです。暗部を動かすための現地側の責任者に過ぎません」

 

「二人を失ったことで、日本政府との接点が一時的に弱くなる可能性はあります」

 

 そこで男は、わずかに笑った。

 

「しかし、それ以上の利益を我々はすでに得ています」

 

 大型モニターの映像が切り替わる。

 

 東京で使用されたTウイルスワクチン。

 

 その効果を示すデータが表示される。

 

「今回の事件によって、レイジウイルスワクチンと同様にTウイルスワクチンの有効性が実証されました」

 

 別の幹部が続ける。

 

「しかも、世界でも有数の先進国である日本で、大規模なバイオテロが発生した」

 

「各国政府にとって、これは決して他人事ではありません」

 

 モニターに世界地図が表示される。

 

「今後、各国は同様のバイオテロに備え、大量のワクチンを備蓄する必要があるでしょう」

 

「当然、供給元を探すことになる」

 

 そこで一人の男が静かに言った。

 

「しかし――」

 

 画面に、一つの企業名だけが表示される。

 

 TRICELL

 

「Tウイルスとレイジウイルスのワクチンを安定して供給できる企業は、我々しかありません」

 

 会議室が静まり返る。

 

「つまり……」

 

 男が微笑む。

 

「世界中の政府が、我々からワクチンを購入することになります」

 

 別の幹部が資料を確認する。

 

「すでに複数の国から問い合わせが入っています」

 

「日本だけではないのだな?」

 

「もちろんです」

 

 世界地図に、次々と国名が表示されていく。

 

「アメリカ」

 

「イギリス」

 

「フランス」

 

「ドイツ」

 

「その他の先進国からも、同様の問い合わせが来ています」

 

 幹部の一人が満足そうに頷く。

 

「これほど大きな市場が、一つの事件によって生まれるとはな」

 

「事件そのものは、我々の計画通りでした」

 

 議長席の男が言う。

 

「そして、その結果として生まれた需要も予想以上だ」

 

 誰も東京で犠牲になった人々について口にしない。

 

 彼らにとって重要なのは、事件によって生まれた市場だった。

 

「紫藤と風間を失ったことなど、大した問題ではない」

 

 男が言う。

 

「二人が担っていた役割は、別の人間で代替できます」

 

「それよりも、ワクチンの増産を急げ」

 

「すでに生産ラインの拡張を進めています」

 

「よろしい」

 

 男は満足そうに頷いた。

 

「これから世界中が、我々のワクチンを必要とする」

 

 会議室のモニターには、世界各国の国旗が並んでいた。

 

 東京で起きた惨劇。

 

 それによって生まれた恐怖。

 

 そして、その恐怖によって生まれた巨大な需要。

 

 トライセル社にとって――。

 

 すべては計画の成功を意味していた。

 

 

 ◇

 

 

 ――それから、さらに二ヶ月が経った。

 

 事件の傷跡は、少しずつ街から消え始めていた。

 

 だが、次郎の生活が完全に元へ戻ったわけではない。

 

 ある日の午後。

 

 次郎は、人通りの少ない喫茶店にいた。

 

 手紙で次郎を呼び出したのは、向かいに座っている、見覚えのない男だった。

 

 年齢は四十代ほど。

 

 地味なスーツに身を包み、いかにも官僚といった雰囲気を漂わせている。

 

「佐藤次郎さん」

 

「……はい」

 

 男は名刺を差し出した。

 

「公安調査庁に所属する者です」

 

 次郎は名刺へ目を落とす。

 

 男は一度周囲を確認してから、声を落とした。

 

「単刀直入に申し上げます」

 

「何でしょう?」

 

「あなたを、現在計画中の対テロ組織へ迎え入れたい」

 

 次郎の眉が僅かに動く。

 

「対テロ組織、ですか」

 

「はい」

 

 男は淡々と説明を続けた。

 

「公安調査庁の管轄下に、既存の法執行機関では対応が困難な特殊テロを専門に扱う組織を新設する計画があります」

 

「今回のようなバイオテロも、その対象です」

 

「ただし、通常の組織とは違います」

 

 男の声がさらに低くなる。

 

「存在そのものを公表しない」

 

「構成員の身分も秘匿する」

 

「そして、必要と判断された場合には、通常の法手続きに縛られない活動も認められる予定です」

 

 次郎は男を見つめる。

 

「……超法規的な組織ってことか」

 

「そう理解していただいて構いません」

 

 男は否定しなかった。

 

「まだ正式発足前です。そのため、組織の詳細について今の段階でお話しできることには限りがあります」

 

「ですが、あなたには、その最初期のメンバーとして参加していただきたい」

 

「俺を選んだ理由は?」

 

「ラクーンシティ事件の生存者」

 

「英国レイジウイルス事件の生存者」

 

「今回の東京バイオテロの生存者」

 

「そして、実際に感染者や生物兵器と戦った経験」

 

 男は指を折りながら挙げていく。

 

「さらに、生物兵器を利用する組織についての知識もある」

 

「これほど条件が揃った人間は、そう多くありません」

 

「……なるほど」

 

 次郎は腕を組んだ。

 

「それで、俺に何を提示する?」

 

 男は少しだけ間を置く。

 

「新しい戸籍です」

 

 次郎の目が細くなる。

 

「あなたの現在の身分とは別に、政府の管理下で新たな戸籍を用意します」

 

「必要であれば、名前も変更できます」

 

「過去についても、可能な限り整理する」

 

 そして――。

 

「あなたの新しい家族の安全も保障します」

 

 次郎の表情が変わった。

 

「……家族を、ね」

 

「はい」

 

「あなたが組織に協力する限り、政府が責任を持って保護します」

 

 次郎は黙り込んだ。

 

 新しい戸籍。

 

 過去から切り離された身分。

 

 そして、家族の安全。

 

 どれも、次郎にとって軽く扱える条件ではなかった。

 

「断ったら?」

 

「強制はしません」

 

 男は即答した。

 

「ただし、あなたほどの能力を持つ人間を、何の対策もせず民間に置いておくことについて、政府が懸念を抱いていることも事実です」

 

「……監視も兼ねているわけか」

 

「否定はしません」

 

 次郎は小さく息を吐いた。

 

 窓の外を見る。

 

 事件が終わった東京。

 

 人々は少しずつ日常を取り戻している。

 

 だが、世界からバイオテロが消えたわけではない。

 

 ラクーンシティ。

 

 英国。

 

 東京。

 

 そのどちらにも、裏側で生物兵器を利用する者たちが存在した。

 

「……少し考えさせてくれ」

 

「もちろんです」

 

 男は立ち上がった。

 

「返事は急ぎません」

 

 そう言って、男は店を出ていった。

 

 次郎は一人、席に残る。

 

 テーブルの上には、男が残していった資料。

 

 表紙には、組織の正式名称すら記されていない。

 

 ただ、設立目的だけが簡潔に書かれていた。

 

 ――特殊テロ対策。

 

 次郎はしばらく、その文字を見つめていた。

 

 

 

 

 ◇

 

 ――静かだ。

 

 総理官邸の執務室。

 

 窓の外には、夜の東京が広がっている。

 

 事件から、かなりの時間が経った。

 

 東京は少しずつ復旧し、人々も再び日常を取り戻しつつある。

 

 私は机の上に置かれた資料へ目を落とした。

 

 バイオテロ対策予算。

 

 感染症研究施設の整備計画。

 

 自衛隊の対バイオテロ装備。

 

 警察と医療機関の連携体制。

 

 あの日のような惨劇を、二度と起こさないための政策だ。

 

 国民は私を英雄と呼ぶ。

 

 自衛隊は私を指導者として認める。

 

 メディアは私を――「日本を救った女性総理」と讃える。

 

 けれど。

 

 誰も知らない。

 

 東京が地獄へ変わる前。

 

 私は、すでに奈良へ移動していた。

 

 そして、臨時政府を立ち上げる準備を整えていた。

 

 すべては偶然ではなかった。

 

 紫藤一郎は、自分こそがこの国の未来を握るのだと思っていた。

 

 暗部は、自分たちこそ国家を裏から動かす存在だと信じていた。

 

 トライセルは、日本を巨大な実験場として利用したつもりだった。

 

 けれど――。

 

 誰も知らなかった。

 

 この国で起こることを予測し、その先にある未来を見据えていた人間がいたことを。

 

 私だ。

 

 紫藤を利用した。

 

 暗部も利用した。

 

 トライセルさえも。

 

 けれど、私が欲しかったのは権力そのものではない。

 

 私はただ――。

 

 日本を守りたかった。

 

 アンブレラが崩壊しても、生物兵器が世界から消えるわけではない。

 

 むしろ、私はアンブレラの崩壊以前から危機感を抱いていた。

 

 世界各地で繰り返されるバイオテロ。

 

 生物兵器を巡る国家間の駆け引き。

 

 そして、日本国内の備えの脆弱さ。

 

 いずれ日本も、バイオテロの標的になる。

 

 私は、そう確信していた。

 

 だからこそ、東京で事件が起こる前から準備を進めていた。

 

 奈良へ移動する準備。

 

 臨時政府を立ち上げるための手配。

 

 緊急時に自衛隊を動かすための体制。

 

 そして、Tウイルスワクチンを確保するための準備。

 

 すべては、その「いつか」に備えるためだった。

 

 そして――。

 

 その「いつか」が、あの日に来ただけだ。

 

 東京で起きた事件は、私にとって予想外の出来事ではなかった。

 

 想定していた事態よりも、はるかに多くの犠牲が出たこと。

 

 それだけが誤算だった。

 

 それでも私は、計画を止めなかった。

 

 止めるわけにはいかなかった。

 

 ここで失敗すれば、日本は再び同じ脅威に晒される。

 

 だから私は、事件を利用した。

 

 紫藤一郎を排除し。

 

 臨時政府を立ち上げ。

 

 自衛隊を動かし。

 

 ワクチンを投与した部隊によって東京を奪還する。

 

 その結果、私は国民から英雄として迎えられた。

 

 そして総理大臣になった。

 

 けれど――。

 

 それは私にとって、目的ではない。

 

 手段だった。

 

 日本を、バイオテロに強い国家へ変える。

 

 それこそが、私の目的だった。

 

 だから、もう裏側へ戻る必要はない。

 

 これからは政治家として、正面から国を変えていく。

 

 研究機関を強化する。

 

 ワクチンの備蓄を増やす。

 

 自衛隊の対バイオテロ能力を高める。

 

 警察、消防、医療機関の連携を整える。

 

 そして、次に何かが起きた時には――。

 

 今回のような犠牲を出さずに済む国を作る。

 

 私は、それを成し遂げるつもりだ。

 

 ふと、あの男の顔が脳裏に浮かんだ。

 

 ※※次郎。

 

 彼は、私の計画における最大の誤算だった。

 

 紫藤でもない。

 

 暗部でもない。

 

 トライセルでもない。

 

 彼は何度も地獄を歩き、その中から生きて戻ってきた。

 

 そして、私が隠していたものの匂いを嗅ぎ取った。

 

 総理就任後。

 

 初めて顔を合わせた時だった。

 

 握手を交わした直後、彼は静かに言った。

 

 『あなたが真の黒幕ですよね』

 

 私は笑って答えた。

 

 『さて、何のことですかね』

 

 彼も、それ以上は追及しなかった。

 

 証拠がない。

 

 だから当然だ。

 

 けれど――。

 

 彼が何も気づいていないとは、私は思っていない。

 

 おそらく彼は、これからも私を見るだろう。

 

 それでいい。

 

 むしろ、その方がいいのかもしれない。

 

 国家の頂点に立つ人間を監視する者は必要だ。

 

 ましてや、バイオテロという目に見えない脅威と戦うなら。

 

 その役目を担う人間として、彼ほど相応しい男を私は知らない。

 

 だからこそ、私は彼を新設する対テロ組織へ迎え入れることを認めた。

 

 国内外で発生するバイオテロを調査し、必要ならば現地へ赴く。

 

 その仕事は、きっと彼にしかできない。

 

 私は窓の外へ視線を戻した。

 

 

 私はもう、バイオテロには関わらない。

 

 けれど、世界からバイオテロが消えたわけではない。

 

 次にどこかで事件が起きた時。

 

 その脅威から日本を守るために、誰かが動かなければならない。

 

 その時、あなたが必要になる。

 

 私はもう、裏からこの国を動かすことはしない。

 

 これからは、この国の未来を政治家として守る。

 

 そしてあなたには――。

 

 その未来を脅かすものを、誰より早く見つけてもらう。

 

 それが、あの日の事件を生き残ったあなたに託す、私からの新しい役目だ。

 

 私は再び机の上の資料へ目を落とした。

 

 そこに記されているのは、これから始める政策の数々。

 

 今度こそ。

 

 この国を、正面から強くする。

 

 それが、私の選んだ道なのだから。

 

 

 ◇

 

 

 事件が終息した後――。

 

 紫藤浩一は、生きていた。

 

 東京へ投入された自衛隊によって救出され、生存者の一人として保護されたのだ。

 

 だが、浩一を待っていたのは安堵だけではなかった。

 

「紫藤浩一さんですね?」

 

「……はい」

 

 自衛隊員とともにいた政府関係者が、浩一を見つめる。

 

「あなたについて、複数の証言があります」

 

「証言……?」

 

「避難中、生徒たちを自分の言葉で操っていたという証言です」

 

 浩一の表情が僅かに強張った。

 

「それは違います」

 

 浩一はすぐに否定した。

 

「私は、生徒たちを洗脳などしていません」

 

「しかし、複数の生徒から同様の証言が出ています」

 

「そんな……」

 

 浩一は言葉を失った。

 

 自分では、生徒たちを守るために行動していただけだった。

 

 それが、洗脳という言葉で扱われている。

 

「現時点では、あなたを危険人物として扱います」

 

「待ってください」

 

 浩一が声を上げる。

 

「私は何もしていない」

 

「調査が終わるまで、生徒たちとの接触は禁止します」

 

「そんな……!」

 

 浩一の前を、自衛隊員が塞いだ。

 

 こうして浩一は、生き残った生徒たちから引き離された。

 

 助けられたはずだった。

 

 それなのに――。

 

 誰も、自分の話を聞いてくれなかった。

 

 そして、さらに悪い知らせが届く。

 

 東京で起きた事件について、日本政府が正式な調査結果を発表したのだ。

 

 事件の首謀者。

 

 東京全域へのTウイルス散布。

 

 前総理の暗殺。

 

 アンブレラへの資金提供。

 

 すべての中心人物として発表された名前は、紫藤一郎。

 

「……親父が?」

 

 報道映像に映し出された証拠を見ながら、浩一は呆然としていた。

 

 自分が知っている父親。

 

 政治家として権力を求め、何かにつけて自分を利用しようとしてきた男。

 

 その父親が、東京を地獄に変えた。

 

 だが――。

 

 浩一自身が事件に関与していたわけではない。

 

 父親の計画を知らされてもいなかった。

 

 東京で何が起きていたのか。

 

 なぜTウイルスが散布されたのか。

 

 父親が何を企んでいたのか。

 

 何一つ知らされないまま、生き延びていた。

 

 そして、生還した後に初めて知った。

 

 父親が、今回の事件を引き起こした張本人だったことを。

 

 だが――。

 

 世間は、そんな事情を考慮してはくれなかった。

 

 紫藤浩一。

 

 紫藤一郎の息子。

 

 それだけで十分だった。

 

 さらに、生徒たちを洗脳していた危険人物として扱われたことで、浩一は単独で隔離されていた。

 

 事件の首謀者の息子。

 

 そして、生徒たちを洗脳した危険人物。

 

 そんな噂が広がるのに、時間はかからなかった。

 

 やがて浩一は、避難先から別の施設へ移動するため、一人で外へ出た。

 

 その時だった。

 

 背後から足音が聞こえた。

 

 浩一が振り返る。

 

 そこには、複数の男女が立っていた。

 

「紫藤浩一だな……」

 

「待ってください」

 

 浩一が警戒する。

 

「私は……」

 

 その言葉を言い終えるより早く、男たちが浩一を取り囲んだ。

 

「離せ!」

 

 浩一が抵抗する。

 

「私は事件とは関係ない!」

 

 誰も聞こうとはしなかった。

 

「私は親父が何をやったのかすら知らなかったんだ!」

 

 その言葉が嘘ではないことを、浩一自身は知っている。

 

 だが、家族を奪われた者たちにとって、そんなことは関係なかった。

 

 やがて浩一は、逃げ場のない場所へ連れていかれる。

 

 そこには、大勢の遺族がいた。

 

 誰もが、東京で大切な人を失っていた。

 

 そして、その列の先頭に一人の男が立っている。

 

 その手には、金属バット。

 

 浩一の顔から血の気が引いた。

 

「待て……」

 

 男が一歩進む。

 

「私は本当に何も知らない!」

 

 浩一が叫ぶ。

 

「私は親父とは違う!」

 

 それでも男は止まらない。

 

 背後には、浩一の父親が奪った命の数だけいるかのように、長い列が続いている。

 

 一人。

 

 また一人。

 

 その先に待つ遺族たち。

 

 浩一は震えながら後ずさった。

 

「やめろ……」

 

 男が金属バットを握り直す。

 

「頼む……!」

 

 浩一の声が裏返る。

 

「私は関係ないんだ!」

 

 男の目には、怒りしかなかった。

 

「……関係ないだと?」

 

 低い声。

 

「俺の娘も、お前の父親に殺された」

 

 浩一は言葉を失った。

 

 男がバットを振り上げる。

 

 その時、後ろにいた仲間の一人が声を掛けた。

 

「おい。ルールを忘れてないだろうな」

 

 男は振り返らない。

 

「ああ。分かっている」

 

 金属バットを握った手に、力が込められる。

 

「頭以外なら、どこに当ててもいい」

 

 周囲の遺族たちが黙って見つめる。

 

「泣いても笑っても――」

 

 男が浩一を見据える。

 

「一回限りの打席だ」

 

「……何を言って――」

 

 浩一の声が震える。

 

 男は答えなかった。

 

 ただ、再びバットを振り上げる。

 

「お前が何を知っていたかなんて――」

 

 さらに力を込める。

 

「知ったことか!」

 

「やめ――!」

 

 浩一が絶叫する。

 

 男もまた、怒りのままに絶叫した。

 

 そして――。

 

 金属バットが振り下ろされる。

 

 

 

――第四章・完――

 

 




ちょっとしたネタバラシ。
風間の本当の雇い主は高橋議員で紫藤は総理大臣になった後に遺書を傍らに謎の自殺を遂げ、その後釜として彼女が総理になるというのが本来の筋書きでした。
そして暗部に関しては報道では伏せられ、紫藤の私兵とされています。

一応断っておきますが、現実の総理を揶揄する意図は一切ございません。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。