本日一度目の投稿。
「――あぁ、報告書については分かっている。で、トールオークスの件はどうなった?」
次郎は左耳に装着したインカムから手を離さず、霧島の報告を聞いていた。
『米軍によるミサイル攻撃は終わった。トールオークスは……街ごと焼却された』
「……」
次郎の表情が僅かに曇る。
「生存者は?」
『確認できたのは、ごく僅かだ』
「……感染者だけじゃなく、生き残っていた人間まで巻き込んだのか」
『そういうことになる』
霧島の声も重かった。
『感染拡大を防ぐためとはいえ、酷い話だ』
「……そうだな」
次郎は短く答えた。
「生きている人間までまとめて焼く奴があるか」
しばらく沈黙が続く。
『現地の詳しい被害状況については、まだ情報を集めている。だが、かなりの犠牲が出ていることは間違いない』
「分かった。こっちの件も終わったら、詳しい報告を上に送ってくれ」
『了解』
「それと、今回の件で使われたC-ウイルスについて、何か新しい情報は?」
『今のところ大きな進展はない。ただ、お前が追っている生物兵器のルートと繋がっている可能性もある。十分に警戒してくれ』
「分かっている」
次郎は小さく息を吐いた。
「また何か分かったら連絡してくれ」
『ああ。そっちも無茶はするなよ』
「分かった。また連絡する」
次郎はインカムから手を離すと、ため息混じりに霧島との通話を終了した。
東京にいる霧島には極めて冷静に、いつもの「公務員のトーン」で話していた。
だが――通話を終えた瞬間。
その双眸から、一切の温度が消えた。
床に転がり、必死に這いずろうとしている現地のブローカーを、虫を見るような目で見下ろす。
次郎は無造作に愛銃を向けた。
銃口が、男の右太ももへ向く。
パンッ!
乾いた銃声が、狭い室内に響き渡った。
「ぎゃあああああッ!」
男の絶叫が鼓膜を震わせる。
右太ももから鮮血が流れ落ちる。
男は傷口を押さえながら、憎悪に満ちた目で次郎を睨みつけた。
「がっ……あああぁッ! お、お前……! 俺を誰だと思ってやが――」
「それも含めて今から聞くんだよ」
遮るように、低く冷徹な声が男の言葉を叩き落とす。
次郎は一歩踏み出した。
銃口が、今度は男の左太ももへ向けられる。
「お前が日本の国内テロ組織に生物兵器を横流ししていたのは、すでに調べがついている」
次郎の声には、感情がほとんどなかった。
「言え、供給元はどこだ?」
「だ、誰が……! 誰がそんなこと、教えるかよ……ッ!」
男が怒鳴り散らした。
次の瞬間。
パンッ!
二発目の銃声。
「ギャあああああッ!!」
左太ももからも鮮血が噴き出した。
男は床を転げ回り、必死に傷口を押さえる。
「頼むから、無駄な時間を取らせないでくれ」
次郎は心底うんざりしたように言った。
しかし、その瞳の奥にある怒りは本物だった。
「こっちはな……二人目の娘が産まれたばかりなんだ」
次郎は銃を構えたまま、淡々と言葉を続ける。
「喜びの絶頂だったのに妻を家に残して、なんで俺がこんな所まで出張させられてると思う?」
男が震えながら次郎を見上げる。
「早く家に帰って娘の世話をしたいし、妻を労いたいんだよ」
銃口がゆっくりと男の額へ移動する。
「だから頼むよ」
銃口が、額に触れた。
「なるべく早く、供給元の名前を吐いてくれ」
男の顔が恐怖で引き攣った。
――その時だった。
通路の向こうから、複数の足音が聞こえてきた。
こちらへ向かってくる。
しかも、明らかに一人や二人ではない。
次郎が顔を音の方向へ向ける。
足音は次第に大きくなり、こちらへ近づいてくる。
同時に、廊下のドアが荒々しく蹴り破られた。
現れたのは、奇怪なマスクを被ったテロリストたち。
その手にはアサルトライフルが握られている。
次郎は即座に身を翻した。
銃弾が室内を駆け抜ける。
だが、次郎の身体はすでにその軌道から外れていた。
一歩。
身体を捻る。
銃撃を紙一重で躱しながら、次郎は反撃へ移った。
パンッ!
先頭のテロリストの頭部に銃弾が撃ち込まれる。
男が崩れ落ちる。
次郎はそのまま間合いを詰め、押し寄せてくる敵を次々と撃ち抜いていく。
その動きには一切の無駄がない。
照準。
射撃。
移動。
次の標的へ。
――わずか数秒。
室内へ侵入したテロリストたちは、全員が床へ倒れていた。
「チッ、邪魔が入った……!」
次郎は周囲を確認する。
その一瞬だった。
ブローカーが動いた。
震える手を懐へ伸ばす。
そして、一本の
「これで……!」
男は震える手でシリンジを握り締め、自分の首筋へ突き立てようとする。
その瞬間。
次郎が振り返った。
殺気に対して反射的に身体が動く。
指が引き金を引いた。
パンッ。
軽い銃声。
ブローカーの額に、小さな赤黒い穴が開いた。
男は目を見開いたまま、シリンジを握り締めている。
そして――そのまま床へ崩れ落ちた。
ピクリとも動かない。
「…………あ」
静まり返った室内。
次郎は銃口から立ち上る硝煙を見つめた。
そして、倒れたブローカーを見る。
呼吸はない。
反応もない。
「……完全に死んでる」
次郎は頭を抱えた。
「クソッ……何やってんだ」
自分でも分かっている。
あれは完全に、身体が勝手に動いた。
長年染みついた、殺し屋としての条件反射。
殺気を感じた瞬間、考えるより先に引き金を引いていた。
「唯一の証人を……自分で消しちまった」
次郎は深いため息を吐いた。
目の前には、もう供給元を知る男はいない。
そして床には――男が最後に使おうとしたシリンジだけが残されていた。
次郎はもう一度ため息を吐きながら、再びインカムのスイッチを入れた。
「……あー、すまん。霧島」
『こちら霧島。どうした、まだビルを出ていない時間のはずだが』
「……すまん。ブローカーの男だが、確保に失敗した。完全に死亡している」
『……は?』
インカムの向こうで、霧島が絶句するのが分かった。
いつも冷静な同僚の声が、わずかに尖る。
『失敗した、とはどういうことだ。日本のテロ組織にウイルスを流したルートの特定は、今回の最優先事項だぞ。お前の腕で、生け捕りを仕損じたというのか』
「急襲してきたテロリストを排除した直後、男が不審な動きをした。……こちらへの攻撃と感知して、身体が条件反射で動いた。額への一撃で即死だ」
『チッ……お前ほどの男が、焦って引き金を引くとはな。らしくない』
「すまんな。こっちだって、早く終わらせて家に帰りたいよ」
次郎は床に転がるブローカーへ目を向けた。
「……とにかく、男が持っていた『シリンジ』は回収した。念のため、こいつも持って帰る」
『……分かった。お前自身も速やかに脱出しろ』
「了解」
通信を切る。
次郎は床に落ちていたシリンジを拾い上げ、慎重にポケットへ収めた。
そして部屋を出る。
瓦礫と硝煙が漂うビルの廊下を進む。
外からは、遠くで爆発音や銃声が響いていた。
非常階段の扉へ手をかけた。
その時だった。
「相変わらず、せっかちなのね。アリス」
背後から、静かで、しかし酷く艶のある声が鼓膜を叩いた。
次郎の身体が、一瞬で極限の警戒状態へと跳ね上がる。
振り返ると同時に銃口を向けた。
だが――相手もまた、完璧な射線上にクロスボウの狙いを定めていた。
真紅のシャツ。
夜の闇に溶けるような黒髪。
自由奔放で、すべてを見透かしたような不敵な微笑。
その顔を見た瞬間、次郎は相手の正体を理解した。
「……国際指名手配犯が、何の用だ?」
次郎の声は低く、刺すような警戒に満ちていた。
「久しぶりね、アリス」
「質問に答えろ」
次郎は銃口を下ろさない。
「エイダ・ウォン。お前がこんなところで俺を待ち伏せしている理由は何だ?」
エイダは向けられた銃口を恐れる様子もなく、やがて、ふっと肩の力を抜いた。
クロスボウを下げる。
「そう警戒しないで」
エイダは微笑む。
「今のあなたには、私が必要なはずよ」
「……何?」
「せっかくの『証人』を、あなた自身の手で消しちゃったんだから」
次郎の目が細くなる。
「……見ていたのか」
「ええ」
エイダは悪びれる様子もなく答えた。
「あなたが『可愛い娘のために早く帰りたい』って、ブローカーを脅しているところからね」
次郎の眉間が、わずかに動いた。
「いいお父さんじゃない」
「おしゃべりをしに来たわけじゃないだろう」
次郎は銃を下ろさない。
「用件を言え。俺は今、機嫌が悪いんだ」
「ビジネスの提案よ」
エイダは一歩、次郎へ歩み寄った。
「協力を持ちかけにきたの」
その瞳には、冗談ではない確かな光が宿っていた。
「この街で、ある連中が私の名前を使って、とんでもないバイオテロを仕掛けようとしているわ」
「偽のエイダ、ということか」
「そういうこと」
エイダは懐からスマートデバイスを取り出した。
「私はその『偽物』を追っているの」
画面を操作する。
そこには、蘭祥の地下に張り巡らされた巨大な施設の構造図が表示された。
「そして、あなたの目的は日本に生物兵器を流した供給元の特定」
次郎は画面へ目を向ける。
「……どうしてそこまで知っている?」
「あなたが思っているより、私は耳がいいのよ」
エイダはさらりと答えた。
「それに、あのブローカーが誰と繋がっていたのかも調べていた」
「……」
「あなたが死んだ男から聞き出せなかった『供給元の情報』」
エイダはスマートデバイスをしまった。
「私がナビゲートしてあげる」
「条件は?」
即座に次郎が尋ねた。
エイダは口元を吊り上げる。
「話が早くて助かるわ」
そして、クロスボウを肩へ掛け直した。
「私一人じゃ、少し手が足りないの」
「つまり、俺に手を貸せと?」
「ええ」
エイダは次郎を真っ直ぐ見つめる。
「あなたは現場で戦える。私はこの街の情報と、目的地までの道を知っている」
互いの利害を確認するように、一瞬の沈黙が流れた。
「取引成立かしら?」
エイダが微笑む。
「……」
次郎は小さく息を吐いた。
確かに、今の自分には彼女の持つ情報が必要だった。
ブローカーを失った以上、別の手掛かりを一から探す必要がある。
それには時間がかかる。
そして次郎には――早く帰らなければならない理由があった。
「……分かった」
次郎は銃を下ろした。
「協力する」
「賢明な判断ね、パパさん」
「ただし、その呼び方はやめろ」
「もちろん」
エイダは楽しそうに微笑んだ。
「普通に呼ぶわ、アリス」
次郎は非常階段の扉へ視線を向けた。
「なら、さっさと行こう」
「せっかちなのは相変わらずね」
「家族が待ってるんでな」
そう言って、次郎は非常階段へ足を踏み入れた。
その後ろを、エイダが静かについていく。
こうして――。
二人の利害が、一時的に交差した。