らぶみーとぅー!~NTR性癖の幼馴染を満足させるため、僕は真実の愛を探す~ 作:大豆亭きなこ
到着したのは、大きな家だった。
坂の街、高級住宅街にある、その中でも一等新しい家。それが彼女の自宅なのだという。
いつかの帰り道を思い出す。──全然方向が違うじゃないか!
同じ市内とはいえここまでは車で十分。僕の家からだと二十分くらいかかるだろう。
「さあ、上がていってくれ。遠慮はいらないよ」
エレナさんの父親がスリッパを出してくれる。
エレナさんは相変わらず口を堅く結び、無言で靴を脱いでいる。
「あら、あなたが時田君? エレナから話は聞いているわ」
おそらくリビングにつながってるであろう扉から妙齢の女性が顔を出した。
つり目気味で背の高い、上品な雰囲気。しかしその穏やかな態度とは裏腹に、顔には苦労が刻まれた皺がいくつもあった。
「彼女が僕の妻。エレナの実の母親だ」
──実の?
僕が何も言えず、可能性を思案していると、
「ああ、僕は再婚相手でね、エレナとは血がつながっていない。でもね、そんなことは関係ないんだ。僕は家族を愛している」
エレナさんの父親が慈愛の目をエレナさんに向ける。エレナさんはそれを手で払いのけるしぐさをして舌打ちをする。
「ははっ、またフられてしまったよ。でもきっとエレナもいつかは分かってくれるはずさ」
母親の方が父親の腰に手を回し、気遣うようにして顔を覗き込む。
愛に溢れたいい家族だ!
後ろめたさが一切なく、本心で会話している。心で生きている。ああ、なんて気持ち悪いんだ! なんて居心地が悪いんだ! 僕は起きぬけに朝日を浴びてしまったドラキュラの様な気分になった。
「さあ、時田君こっちだ。君は紅茶が好きだと聞いたからね、知り合いに頼んで上等な茶葉を仕入れたんだ。本場らしく、スコーンも用意したよ。アフタヌーンティ―としゃれこもうじゃないか」
エレナさんの両親が腰に手を回し合ったまま、僕をリビングへと案内してくれる。
エレナさんの方を見ると彼女は階段を昇って行っていた。
──え?
「ほら、時田君こっちだ。エレナとは後でいくらでも話せばいい。今は僕たちと会話しよう」
◇
きっと目ん玉引んむくくらいの値段がするのであろうソファに腰掛けながら、僕はカップを傾ける。中身は紅茶。チョコレートやナッツを思わせる重厚な香りが鼻孔を通り抜けた。つばめちゃんの家で飲んだ紅茶もなかなかだったが、これはそもそものステージが違う気がする。
おいしいものを食べたり飲んだりするときに出る、光悦とした溜息を、思わずついてしまう。
「お気に召したようだね」
「はい、こんなおいしい紅茶飲んだことはありません。なんていうか、ヴィンテージのワインや、高級なブランデーの様な上品なコクがあって……」
何を僕は笑顔で感想を言っているのだ?
気が緩んでしまっている。心を許しかけている。おいしいものにつられて心開くなんて僕は飢えた獣か?
「ほう、君はいける口かい」
父親の方がお猪口をクイッと傾けるジェスチャーをする。
──しまった!
「いえ、違うんです。僕の幼馴染の家が香りのエキスパートでして、幼い頃から色々と……」
「はははっ、別にそんなに焦らなくてもいいじゃないか。僕は別に気にしないよ。ただ、もう少し君が大人になったら、一緒に飲みに行きたいなと思っただけだ」
ああ、嫌だなぁ。
もうすっかり自分は大人な癖に若者に理解を示そうとするその姿勢。
「……それでね、君は私たちの事情についてどこまで知っている?」
エレナさんの父親が前のめりになり、手を組む。一転、真面目な雰囲気。
「僕はほとんど知りません。あなたがエレナさんの義理の父という事も今知ったところですし」
「そうか、ならエレナは今日その話をするために君をここまで連れてきたのだろう。……君がこの家に来ると知ったから、エレナに無理言って、君との時間を少しもらったんだ。そのおかげで少しは君の人となりを自分の目で確かめることができたよ」
「自分の目で?」
「ああ、そうだ。君は少し、素行が悪いらしいからなぁ。悪癖と言うのかな? 多くの女性に手を出そうとしている。でもそんな文字で君のことを知ったって仕方がないからね。僕は仕事でも取引する相手とはこうして、面と向かって話したいんだよ」
「……はぁ?」
「反社会性パーソナリティ障害。こうして面と向かうと普通の青年に見えるのだけれどね、診断上では君の情緒は欠落しているらしいね。他人への共感性にも著しく欠ける。──ああ、こういう言い方は時代にあっていないな、個性といったほうがいいか?」
こいつ。
「あんた、何で知っている?」
これを知っているのは、瞳子と僕の両親だけ、他の誰にも話したことはない。
「おお、いい顔をするなぁ。そうでなくちゃね。──興信所を使ったんだよ、少しグレー目なね。当たり前だろう、大事な一人娘なんだ。そのボーイフレンドがどんなやつかは知りたくなるのが親心だろう」
目の前の男は口元ににやつきを浮かべ、しかし目は僕をまっすぐに見据え、言葉に笑いを含ませながら言う。
「それで? 娘と縁を切れと?」
この男は僕の信頼を完全に失った。
少しでも絆されそうになった自分を恥じる。僕はこの男を未来永劫、嫌悪し続けるだろう。
「いやいや違うよ、逆だ逆。僕は敵ではないといったよね。今日は君にお願いがあってきたんだ」
「…………」
「これからもエレナとは末永く仲良くしてほしい」
「!」
「僕たちはね、エレナの悪癖を知っている。どうにかしようと思ったがね、どうにもならない。だからさ、君はエレナとうまくやっているだろう。君と付き合い始めてから、家族間での会話が増えた、笑顔が増えた。本当に君には感謝しているんだ。カウンセラーにもね、友達や恋人を作ることがPTSDを癒すこともあると言われているんだ。だからさ、頼むよ。エレナを見捨てないでくれ。困ったことがあったら僕らが力になる」
いつの間にか、僕の隣に立っていたエレナさんの母親が、僕の手を両手で握り、
「時田君、これは私の不甲斐なさのせいでもあるんです! 本当は事が起こる前に時間を戻したい! でもそれはできないの……。だから、あなたに! エレナと同じ目線に立っている時田君にお願いしたいの」
二人は期待した目でこっちを見ている。
──まさかこいつら、手に負えない娘を、その世話を僕に押し付けようとしているのか?
◇
「じゃあ、僕らは外に何か食べに行ってくるよ、明日の朝まで帰らないつもりだ。家は好きに使ってくれていいし、夕食はピザでも店屋物でも好きに取るといい」
そう言い残して、エレナさんの両親は車でどこかに消えていった。
「行ったか?」
エレナさんが階段から顔を出している。
「エレナさん……」
「時田、すまねぇな。あんな奴らの相手をさせて、最低だっただろう」
「ああ、最低だね」
僕はまだ怒りが収まらない。
「ふふっ、正直でいいな、やっぱお前は。……とりあえず飯を食おう。ピザでいいか?」
「うん」
三十分後、ピザが届いたので二人で食べる。届くまでの間、会話はなく、ミニシアターくらいのサイズはあるだろう、馬鹿みたいにでかいテレビをぼーっと見ていた。
「母親はよ、私のこと自己憐憫の道具にしか思っていないし、父親は私のこと厄介者だと思っている、決して表には出さねぇけどな」
「そういえばさ、再婚相手なんだってね、あの詐欺師紛いの男」
「そうだよ、悪いな。今まで黙ってて」
「いや、」
「もう少し待ってくれ、ピザ食べ終わったら全部話すよ」
エレナさんは無言でピザをパクパク食べる。テレビからはパンダの誕生を喜ぶニュースが流れている。
広い家はリビング以外の照明が切られており、何だが不気味だった。
◇
エレナさんに連れられ、二階にある彼女の自室に入る。
物があまりない部屋だった。黒と白のシックな内装に、クローゼット、ベッド、ガラスのローテーブルだけがあった。
エレナさんがベッドにドカッと座る。それからクッションを僕に投げてよこし座るように促した。
「あれでもさ、いくら私が嫌おうがさ、家族なんだよ。母親とは血がつながているし、父親には高校に行くための金や生活費を出してもらっている。結局私は一人で生きていない。人との関わり抜きには生きていけないんだよ」
「…………」
その悲痛な表情に僕は何も言えない。
「それでもさ、家には居たくないんだ。家族ごっこなんてうんざりだよ。でもさ、私には友達がいないし、友達の作り方だって知らない。誰かに話しかけられようが、恥ずかしくなって不愛想にしか返事できない。……でもさ、時田お前は違ったよな」
エレナさんが顔を上げる。その目にはなみだが滲んでいて、照明の反射によってきらきらとしている。
「私がいくら言おうがさ、いくら不愛想に接しようがさ、私に構ってきてくれて、話しかけてくれてさ。……うれしかったんだよ。こんな私でも、友達ができるかもって、もしかしたら恋人になってくれるかもって。私はどこに行っても鼻つまみ者だったからさ。文化祭をさぼって二日間街をふらふらと二人で歩いた時のこと覚えているか。あれさ、本当に楽しかったんだよ、誰にも言っていない野良猫がたくさんいるスポット案内してさ、お前もうれしそうに笑っててさ。本当に本当に……」
ああ、罪悪感がわいてくる。
「だからさ、お前があの幼馴染にさ、あの幼馴染のことが好きで、私のことを騙していたと知ってさ、初めは怒りがわいたよ。でもさ時田、」
彼女があの日と同じように縋るような視線を僕に向ける。
「私にはお前しかいないんだよ」
それからエレナさんは自分の過去を喋ってくれた。
幼いころ、父親と母親とエレナさんとでバラック小屋に住んでいたこと。
貧乏な生活に耐え兼ねた母親は、日に日にヒステリックになり、終いには逃げていったこと。
父親から暴力を振るわれていたが、それは虐待などでは決してなく、愛であったこと。
父親がヤクザの使い走りとしてイリーガルな仕事をしており、それが原因で逮捕されたこと。
その後しばらくは施設にいたこと。
中学からは母親に引き取られ、それから今の家で暮らしていること。
中学時代は荒れに荒れ、そのころの噂に尾ひれがつき、今ではエレナさんに関わろうとする者がいないこと。
本当は寂しいこと。
「──まあ、こういうわけだよ。時田にはいつか話かったんだけどよ、タイミングがなかったんだ。私の人生だから、そんな過去も肯定したいんだけどさ、難しいんだ。それによ、お前に同情してほしくなかった。だって人間ってやつは、それぞれなにかは抱えているだろう。不幸に大も小もないんだよ。生きるってのはそれなりにつらくてさ、それでも生きていかなきゃならない。時田だって、色々抱えてるものはあるんだろ? だけど平気そうな顔で生きている、笑ってる。ならさ、私だって……」
うつむき気味で話しており、僕と目が合っていなかったエレナさんがここで初めて顔を上げる。
「……時田?」
エレナさんが僕の顔を心配そうに覗き込んだ。
「お前、泣いているのか?」
そう言われ、初めて気づいた。頬に温かいものが伝っている。目じりに触れる、濡れている。
──どうしたんだ、僕は?
エレナさんが嫌そうな顔をした後、気まずそうに顔を背けた。
「えっと──」
その先の言葉が出てこない。説明できない。合理的じゃない。
僕は今、自身の心を支配する感情の名前を知らない。
同情? 感慨? 寂寞? 寂寥? ──悲しみ?
そうか、僕は悲しいんだ。
よく知っている人が、自分の人生について教えてくれて、それがどうしようもなく不幸で、あまりに悲痛で、報われなくて、それに共感して、僕は、僕の心は悲しんでいるんだ。
鼻をすする。
「あ、いや」
声が震えてしまっている。エレナさんは同情して欲しくないと言っていた。
彼女が求めている反応をしないと。
袖で目元をぐしぐしと拭う。
まだ涙は溢れてきて止まらないが、それでも僕は自分の役割を果たす。──責任だ。彼女とかかわった僕の、彼女の話を聞いた者としての。
「エレナさん、ごめんね。君の性格はよくわかっているから、こうして僕が泣いてしまって申し訳ない思う。だけどね、これは決して──」
「時田」
エレナさんが僕の手を握る。
彼女の僕の瞳を覗き込む眼差しは真剣そのものだった。口元には柔らかい笑みが浮かんでいる。
「いいよ、別に取り繕わなくてもいい。それがお前が感じたままの反応なんだろ? なら私は嬉しいよ、さっきは同情するななんて言ったけどさ、私はいいカッコしいだからさ、本心じゃなかったみたいだ。お前が私のために泣いてくれてうれしいよ。ほら、泣くとさすっきりするだろう? 心が晴れるっていうかさ、お前が涙を流してるのを見ていつもの二倍すっきりしてる」
僕はなんてことをしてしまったんだろう。
これは人間と人間の話だ。心と心の話だ。恋愛とか恋とか寝取られとかそんなもの目じゃないくらい純粋な、透き通った感情の話だ。
エレナさんが僕を気遣ってくれているのが、痛いくらいにわかる。
僕と過去を共有出来てうれしいと思っていることが痛いくらいにわかる。
そんな彼女の姿こそ、感情こそ、僕が一番欲しかったものじゃないか!
僕は瞳子と共にエレナさんに対して罪を犯した。僕と瞳子の欲望のためにエレナさんを道具として扱った。それなのに。……それなのに!
「時田、ありがとな」
エレナさんが目を三日月のように細めながら言う。
美しかった。
色彩に満ちていた。
僕の心とは対照的に部屋は明るく、彼女はきらめいていて、人生は喜びに満ち満ちていて、僕だけが取り残されている。暗い穴の底にいる。
「ああ」
僕は悲しかった。僕だけが人間じゃないのだ。
「ああああああ」
心が痛かった。
僕の心がぴしぴしと音を立てて割れていく。
その割れた隙間から声が漏れているのだ。
「ああああああああ!」
僕は慟哭した。
◇
「おい、大丈夫か? 雨も大分強くなってるし、それに時田、フラフラだぞ」
エレナさんが玄関まで見送りに来てくれていた。
「いやいや、大丈夫さ。僕は男だよ、帰れるよ。雨なんてなんのそのさ。雨にも風にも負けないさ。もし途中で困っている人がいたら助けるよ。あ、傘は明日学校で返すよ。貸してくれてありがとね。本当は僕がここに残って君を慰めたり、もっと話を聞いたりしたらいいんだろうけどね、ごめんね。今の僕じゃうまくできそうにないからさ。ごめん。許してほしい。一人で考えなきゃいけないことも多いしさ。今日のところは帰るよ。また明日からきっとまた仲良しよう。僕ら相性がいいと思うんだ、僕も猫好きだしな。ああ、頭が痛いな。じゃあ、ばいばい」
「おいっ、時田!」
エレナさんが大きな声で呼び止めるが、気にせずに行く。おぼつかない足取りで、前後不覚で、ふらふらと夜を行く。
闇は僕を包む。
暗雲垂れ込める。
雨が強く降っていて、傘を強く打つ。
僕はその振動にリズムを感じようとするが失敗する。
こんな不規則で、何がビートだ! エイトビートは正確に刻め! ……もう交代です。ドラムはクビです。
はぁ、とため息をつく。白くならない。今は冬ではない。
等間隔に電灯は並んでいる。
電灯は首をもたげており、僕に礼をしているようだった。僕は大名気分で、胸を張って歩く。
雲が分厚く黒が濃い。街並みも暗い。ライトが照らそうがそれは黒が少しグレーになるくらいで、灰色に染まる建造物の意味は変わらない。
どこかからサイレンの音が聞こえる。
僕を捕まえに来たのかもしれない。僕は昔飼っていたインコを殺してしまったのだ。それを警察が調べ、見つけ、何かしらの罪で僕を捕まえるのだ。余罪もきっとたくさんある。少し調べればわかる。
近くから女の嬌声が聞こえる。あ、違うや僕のスニーカーが摩擦によって鳴っただけだ。
月が出ていない。
そこは出ているべきだろう! 月明かりが孤独な男を際立たせるという絵を作るべきだろう! 降板! 監督交代を僕は強く要求する! アシスタントからやり直せ!
「アイムシーンギインザレイン!」
僕は歌ってみる。手を広げ傘をくるくると回す。僕もくるくる回る。
この後、小説家の家に押し入って強盗強姦殺人してやろうか! それなら、股間カバーが必要になるなぁ、素敵なステッキも、僕を裏切る仲間たちも、ベートーベンのレコードも。あ、これ知ってます? 時計仕掛けのオレンジっていう映画があってぇ。……ウォッチナウ!
僕は水たまりに足を突っ込む。水たまりに足を突っ込んだらどうなるかを知りたかったからだ。靴に水がしみこみ、靴下が濡れる。
ああ、シリアルキラーでも表れてくれ。一思いに殺してくれ。こんな靴下が濡れたままじゃ生きていけない! 殺してくれ!
と言うかなんでこんなに雨が降っているんだ? おかしいじゃないか? 天気って僕の感情とリンクしているんだっけ?
そもそも青春って梅雨のことを差しているんじゃないのか? 玄冬とか白秋とか朱夏とか中国五行思想は置いといてさ。皆、アオハルとか言って、青いつまり若い、春。春の前、二月とか三月のことを思い浮かべているけど、多分違う。春っていう人生の最盛期は、青春の頃には過ぎているんだ。だってそうだろう、青春ってそういいものじゃない、じめじめしている。曇っている。自意識に悩まされ、周りと自分を比べ、理想的でない自分に絶望する、諦め、言い訳し、方便を考え、それができなきゃ自殺する。そんな暗いもんなんだ。ほら、梅雨と言えばの花があるだろ。アジサイだよ。それを桜となぞらえて、青い春。アジサイが咲く季節、それが青春。あはは、あたりだ。きっと正解だ! 大学生は人生の夏休みって言うしな。ぴったりだ。
眼前にある団地。それに併設されている申し訳程度の小さな公園。そこにアジサイが咲いていた。青と紫のアジサイがスポットライトに当たっている。
──人がいる。
大きな赤い傘を差した、女性のシルエット。僕は驚いて止まってしまっている。妖怪か? その人物が僕に向かって歩いてくる。
「サダ」
瞳子だった。
「帰ろっか」
瞳子が僕の手を引いてくれる。
雨のせいか、風呂上りなのか、いつもの僕を安心させてくれる香りがしなかった。
僕はまだ、エレナさんに謝っていない。