らぶみーとぅー!~NTR性癖の幼馴染を満足させるため、僕は真実の愛を探す~ 作:大豆亭きなこ
──ガシャーン。
僕は金網に叩きつけられる。
腹を殴られ、その衝撃を殺しきれなかったからだ。痛いことには痛いがどうにも現実感がない。ふわふわとしている。夢の中で殴られたらこんな感じなんだろうか。
「おい、立てよ」
海老原エレナ。僕を殴った張本人が肩をぐるぐる回しながら言った。
目元が隠れる重めの前髪。パーマネントがかけられており、陽光に照らされきらきらと艶めく黒髪のショートカット。それとは対照的に光が差し込まない深淵のような双眸、すらっと伸びる手足。
僕が立っているときに視線が合うので女子にしては高い身長。制服のシャツを第二ボタンまで開けて着崩しており、ブレザーの代わりにスカジャンを羽織っている。バチバチに空いた銀のピアスに太陽光が反射して眩しい。
思わずその反射光を手で遮ると、
「ほら、立てって」
エレナさんが、僕のネクタイを掴んで、無理やり立ち上がらせてくる。
顔と顔が近い。長いまつげが、幽玄なムスク香が、それに混じる若い女特有のくらくらとする甘い香りが、そして胸元から覗く谷間が、僕の思春期の部分を刺激する。
どうもそれは彼女も同じようで、僕の何に彼女の思春期の部分が刺激されたのかは不明だが、彼女の顔は上気しており、息は短く荒い。
僕は少し思案する。
殴られる前、僕が屋上に呼び出され、エレナさんと菓子パンをかじりながら雑談していた時、彼女はいつも通りだった。つまり、僕のことを殴ってこうなったわけだ。
──彼女はサディストなのだろうか?
みぞおちを殴られたことによって、逆流してきた胃液を喉まででどうにか押し込め、フェンスを掴みながらふらふらと立ち上がる。
「エレナさんは、Sなの?」
疑問に思ったことを聞いてみる。
「はぁ? ちげぇけど?」
彼女は怪訝そうな表情で答える。僕は予想が外れてがっかりする。
じゃあ、なぜ僕は殴られたのだろうか?
「それよりおい、どうした? 時田。殴り返してこないのか?」
彼女が手を広げ、さあ来いと言わんばかりに僕を見ている。不敵な笑み。
「いや、殴らないよ」
もちろん、僕にはそういった性癖はない。嗜虐趣味でも、凌辱趣味でもない。かわいそうなのはぬけない。僕は純愛趣味だった。
「なんで?」
「いやこっちこそ何で?」
「質問を質問で返すな」
僕はチョップされる。
さっきの全力振りかぶりパンチとは違って、友達同士の突っ込みのようなチョップだった。
──殴らない理由か。
僕は頭頂部をさすりながら考える。
そもそも暴力はいけないことだ。
それに世には暴行罪と言った罪もある。
あと、彼女は女の子なんだ。そして僕は男。いくら彼女が喧嘩が強かろうが、地域一帯の不良並びに若者達に恐れられていようが、彼女が望んでいようがそれは変わらない。僕らの一般常識や倫理的にも男は女に暴力をふるってはいけない。男女差別とかではない、社会ってのはそういうもんだ。
だから僕は答える。
「エレナさん、君のことを殴りたくないから」
「……は? 私のこと好きじゃねぇの?」
彼女の低く、それでいて芯のある声が屋上に響く。
そのよく通る声は僕の耳に過不足なく入っていき、意味を理解することはできた。しかし彼女の言っていることが分からない。
──好きだったら殴るのか?
予鈴が鳴る。そろそろ昼休みも終わりらしい。
「?」
「?」
二人で顔を見合わせて首をかしげる。
どうも彼女と僕では前提としている価値観が違うらしい。なんだか妙な噛み合わなさがある。
「好きだよ、それもかなり」
嘘ではない。──が、多分彼女が思っているような意味でもないのだ。僕の心は幼馴染の瞳子にある。
「なら……っ!」
エレナさんが僕に一歩近づき、僕の目を見て何かを言おうとした──が、少し目を泳がせた後、やめた。
彼女が肩を落としながら言う。
「……はぁ。まあいいさ。そういう気分じゃないって時もある」
「ごめんね」
なんだかそれが哀れに思えて、僕は思わず謝ってしまう。
殴られた後、殴らないで謝るっていうのはおかしなことではあるけど。
「ん」
彼女は不満をまだ顔に残していたものの、僕の謝罪を受け入れてくれた。
「はぁ、何だか萎えちまった。……今日はもう帰るわ」
「まだ、昼休みだよ。五限と六限は?」
「うるせえ」
「……」
──ふけるのか。
最近は依然と比べてよく学校に来るようになったのに。
僕はなんだかやりきれない感覚があった。
エレナさんは伸びをして、屋上から出ていってしまった。
僕の胃がまだぐるぐる言っている。おなかをさすりながら、僕は彼女が去っていく様を呆然と見つめていた。二月の終わりの寒風が僕の髪を揺らす。雲一つない快晴だった。
◇
瞳子への告白から一年が経った。
それなのに僕はまだ瞳子の脳を破壊することはできないでいた。
僕的にはいくつかいい線いってるんじゃないかっていうのもあった。しかし、
「いやあ、あれじゃ全然。見せかけだよ。だってサダ、心からあの娘のこと好きじゃないでしょう?」
僕の家でアイスをなめ、僕のベッドで寝ころび、僕の買った漫画の新刊を僕より先に読みながら瞳子はそう言った。
そりゃそうだ。
だって、僕は瞳子のことが好きなのだ。瞳子と結ばれるために他の子を好きになるなんて、意味が分からない。だから、彼女を作るためにいろいろ頑張って、ようやく彼女ができたっていうのにこれだ。瞳子は僕の心を見抜く。僕はこんなに長いこと一緒に過ごしてきて、一心同体とも思っていた幼馴染の心が、ここにきてわからなくなってしまった。
それが去年の夏ごろの話。
ここで僕が高校に入ってから今までの一年間をダイジェストにて紹介しよう。
一言でいうならば悲惨。心して聞いてくれ。聞くも涙、語るも涙。……それは言い過ぎか。
瞳子のために瞳子以外を愛し、瞳子と結ばれるために、瞳子以外の女性との間に真実の愛を見つける。訳が分からないが、とにかく行動を起こさなければならない。前に進んでいくしかないのだ。
高校に入学し僕はまず自分磨きに励むことにした。
毎朝ランニングしたり、ジムに通って体を鍛えてみたり、死ぬほど嫌だったけど美容院ってやつにも行ってみたりした(前日、嫌すぎて吐いた)。髪を整えたり、スキンケアをしてみたり、会話術を学んだり、流行を追ってみたりと、とにかく思いついたことは全部やってみた。
部活に入ったりもした。それも運動部だ。
僕は運動が苦手で、チーム決めでいつも余るぐらい運動音痴だ(これは僕が瞳子以外に友達が一人もいなかったことが理由かもしれない)。
今まで球技なんてやったこともなかったけど、部活の中で一番モテそうなバスケ部に入ってみた(入部届を出す前日、嫌すぎて吐いた)。どうもうちの高校のバスケ部は強豪らしく教師が熱血で、思想が強く、野球部でもないのに一年生は皆坊主にしなきゃならなかった。
折角髪をセットする方法を覚えたのだから、いくら言われても坊主にしなかったら辞めさせられた。理不尽だね。
それから僕は同級生の女の子に片っ端から声をかけていくことにした。
下手の鉄砲数撃ちゃあたるだ。実際何発かは当たったし、彼女もできた。少し大人しめの子だった。彼女も高校生活、青春ってやつに憧れがあったらしく、そこいらを刺激してあげたら彼女になってくれた。
豪雨の中、傘もささずに告白したりしたのだ。そのほうがロマンチックだと思ったから。心にもないことを言うのは非常につらかったが、瞳子のためだと思って我慢した。それから何度かデートして、瞳子に報告しに行ったら上のようなことを言われたので、その子には別れてもらった。なかなか難しいもんだと思った。
しかし、数撃ちゃ当たる戦法は続行。
だってそうだろう? 何が瞳子の琴線に触れ得るかが不明だし、瞳子に聞いてみても「まだ早い」と言われ何も教えてくれない。
参考に瞳子お気に入りのNTR本は貸してくれたが、ジャンルが広すぎてよくわからない(僕は純愛趣味なので、何度も吐いた)。NTRにも種類があるんだね。そんな事別に知りたくもなかったんだけどなぁ。だからまずは数をこなして、僕自身恋愛ってもんに、異性ってやつに慣れ、瞳子の反応を見ながら微調整していくしかない、そう思ったのだ。
そして、様々なアプローチ方法で同級生、上級生関係なくアタックしていったら、いつの間にか僕は学校中のほとんどの女子生徒に嫌われることになってしまった。
目を合わせるだけで顔をしかめられ、通りがかりに罵倒され、話しかけると走り去られる(悲鳴付きで)。
瞳子の欲求を満たす前に弾の方が尽きてしまったわけだ。それがこの一年のこと。
なぁ? 悲惨だろう。一年経っても僕はまだ瞳子と結ばれていないのだ。こんなに頑張ったのにね。現実ってやつは無情だよ。非情だよ。
◇
二年生に進級した始業式の日。放課後、僕はまだ教室に残っていた。
心地よい春の風は一年前と何も変わらず、僕の髪を揺らし、カーテンを膨らませる。
僕は窓から校門を見下ろしながら、これからの作戦を練っていた。
行動するなら早いほうがいい。なにせ僕は現在、ほとんどの女子生徒に嫌われているのだ。
折角新たに入った後輩女子が部活の先輩などから僕のうわさを聞き、よく知りもしないうちに僕のことを嫌うかもしれない。そうなりゃおしまいだ。大学生か中学生、もしくはマッチングアプリ、ネット掲示板などを通じて幅広く出会わなければならなくなる。
そこまでして何が寝取られだ?
あ、でも十八歳になったら運転免許の合宿に行かねばならないな(なぜかNTR物は運転免許合宿で寝取られることが多い)。……いやいやいやいや、ダメだろ。どれだけ長期戦を想定しているんだ僕は。高校生でいられる期間はもうあと二年しかない。僕は高校生活をできるだけ長く瞳子と過ごしたいのだ。そのために早く寝取られなければ……っ!(?)
いろいろ考えながら、脳内でこれからに必要な知識や物をピックアップしていると、教室の後ろのドアが開く。
「サダツネ、何してんだ? 後輩女子でも物色してんのか?」
僕は振り返り、声をかけてきた人物を認識する。
「ヒカリ」
サラッサラの長い金髪に恐ろしいほどに整った顔、そして軽いメイク(本当は校則で禁止されている)、長いスカートにその小柄な体格には少し大きいシャツ、深紅のリボン(こんなものは制服にない)。
彼の名前は湯川光男。男だ。
「お前も懲りねぇなぁ。そんなに恋愛がしたいか?」
「う~ん。どうだろ」
僕は恋愛がしたいわけじゃない。瞳子と恋愛がしたいのだ。
ヒカリは訳が分からんと言う風に肩をすくめながら、僕の隣の机に座る。良い匂いがする。薔薇のような重厚な香りに混じる、青春をそのまま匂いにしたようなフローラルな香り。
こいつが何でこんな格好しているのかはわからない。
昨今のジェンダーどうので教師からも何も言われない、何も言わせない。
女生徒からは戸惑いと少しの嫉妬、男子生徒からは軽蔑と情欲。
どちらからも絶妙に距離を置かれている彼は、同じように他人から距離を置かれている僕と行動を共にすることが多くなっていた。
僕にとって重要なのはこいつが恋愛対象でないっていうことだけだ。
男と恋しても瞳子の脳は破壊できない。だからこの男が何を考えてしようと、どんな問題を抱えていようがどうでもいいのだ。
そんな僕の無関心が好ましいとヒカリは言うが、どうにもよく理解できない。
生来瞳子以外の人間から距離を置いてきた(置かれてきた?)僕は、他人との接し方云々が一切わからない。
しかし男目線? でも、女目線? でもモノを見ることができるヒカリ(光男と言う名前が気に入ってないらしくこう呼べと言われた)は僕のNTR道中記、真実の愛を見つける道程において渡りに船だった。
からかい交じりではあるが、請えばアドバイスをくれる。それに僕がいくら頓珍漢なことを言おうが、軽く流してくれるので煩わしさもない。
「そんなに、上川と付き合いたいかね」
「うん」
「お前には高根の花だろ。上川のやつ、周りから何て呼ばれてるか知ってるか? モダン京美人だぜ? モダン京美人」
「なんだそれは。……あと、何度も言っている通り、告白自体は成功してる」
「そうは言うけどよォ、なんだっけ? 自分以外に寝取られてくれ? 意味わからん。体よく断られてるだけじゃねぇの?」
ヒカリにはある程度事情を話していた。というか、見抜かれてと言った方が近い。僕が瞳子以外と心から恋愛する気がないことを見抜かれてしまったのだ。女装する人間ってのは、人の機微に敏感なのだろうか。ゲームでも漫画でもオカマキャラってのは強キャラだものな。
「……瞳子はそんな奴じゃないよ」
「幼馴染だから分かるってか。結構なこったねぇ」
ヒカリが呆れたように言う。そして咳ばらいを一つして、
「なら、私と恋愛するか?」
と、本物の女とも聞き間違う女声で蠱惑的に言った。
「遠慮しとくよ」
僕は意にも介さず答える。
──つまらない試し行動だ。
知り合ってから一年、ヒカリはたまにこういうことをしてくる。
僕との友情がまだ続くか試しているのだ。僕はいくら可愛かろうが、美人であろうが男に情欲は抱かない。そもそも、僕には友達なんか必要ないのだから、ヒカリのこういった行動も無意味なのだ。
「チェっ、つれねーな。まぁいい。それで? 『ギャルゲー』さん、今年度はどういったアプローチで女の子たちを攻略していくんですか?」
ヒカリがこぶしを握り、それをマイクのように僕の方へ向けてくる。
『ギャルゲー』とは僕のあだ名だ。
僕の、いろんな女の子に手を変え品を変え、アプローチをかけている姿をあざけったあだ名だった。
まあ、正直言ってそういった気分がないこともない。だってそうだろう、僕の本命は瞳子だ。瞳子以外とする恋愛なんてお遊びみたいなものだ、ゲームでしかないのだ。そう思うとその不本意なあだ名もなかなか正鵠を射ていると言える。
「う~ん、そうだな。とにかく、僕のうわさが広まりきる前に後輩女子を攻めていってみるよ。ここまで結構頑張ったんだ。僕の恋愛レベルは相当高いはずだ」
「……はぁ」
「僕は真実の愛ってやつを見つけなきゃならない。それも早急にね。今の僕の長所を生かしつつ、やれることを全部やる。いろんな恋愛をしてみないと真実の愛ってやつは見つかんないらしい。恋愛指南本に書いていた」
「……なんてやつ?」
「『恋愛マスターラブオオヤマが教える真実の愛の見つけ方』」
「お前バカだろ」
「僕は馬鹿じゃなない」
事実、僕の学業の成績はヒカリよりもいい。それにオオヤマサンはすごい経歴なのだ。今まで二十人の女性と付き合い、三人の女性と結婚したのだ。そんな人が言うのだから間違いはない。
「そんだけ、失敗してるだけじゃねぇか」
「……?」
ヒカリが何を言っているかわからない。何事も経験だろ。なら多いほうがすごいに決まっている。
「……まぁ、いいや。あ、そういえばあの人とはどうなったんだ? なんだっけ、カニ? あのヤンキーの人」
「海老原エレナさん」
「ああ、そうそう。その人。文化祭あたりから結構仲良くやってたじゃん。海老原、学校さぼりがちで、雰囲気が凶暴だから、学校に友達いなくて、お前の悪い噂を知らない。真実の愛を見つけるには最適なんじゃないか?」
「……」
僕は思わず顔を曇らせてしまった。取り繕う必要もないので取り繕わない。
「どうした?」
「いやさ、どうも僕はどこかで失敗したらしい」
あの二月の日。屋上でエレナさんに鳩尾をぶん殴られたあの日
。あれからもエレナさんと学校で会ったり、遊びに行っても、最初は今まで通り仲良く、うまくいってる感じがするが、最後には必ず殴られる。
殴り返さないでいると、彼女は不満げで、帰ってしまう。正直殴られるのは痛いし、この間も家族に殴られた痕、青痣が見つかってあわや大惨事だ。勘弁してほしいが、どう伝えようにも僕と彼女との価値観は噛み合わない。
「あれま。……まぁ、サダツネは目的が目的だものなぁ。相当うまいことやらないとどっかでボロが出てダメになる。今回のもそんなところだろう」
そうではなく、本当に根本の部分が食い違っているのだ。──が、まあこれも他人をないがしろにしてきた罰かと、暴力を受け入れている自分もいた。理由が分からないので、この件に関しては思考を止めている。
「じゃあよ、気晴らしにさ、遊びに行かないか。俺とお前でできる面白い遊び思いついたんだよ!」
ヒカリが机からひょいと飛び降り、満面の笑みで言う。
──遊び? 卓球とかだろうか?
「あのさ、カップルをナンパすんだよ。男の方を私の美貌で釣る。んで、ひっかかったら女の方はお前が普通にナンパするんだよ。んでさ、私は男を連れて女から離れる、そこで私が正体をばらす、で逃げる。お前はそのまんま女の方と真実の愛でも語り合ったらいい。傷心の女は口説きやすいっていうぜ。な、最高だろ?」
──最高だった。
ヒカリがくるくると回りながら、教室を出ていこうとする。
「寝取り、寝取られ合戦だ!」
笑顔のヒカリを追うようにカバンを肩にかけたところで、
「サダ」
教室の前のドアから、声をかけられる。──瞳子だった。
「あれ? 瞳子、部活は?」
「先生が体調不良だとかでなくなった。だから、一緒に帰ろう」
「おう」
僕はヒカリに付いていくのをやめ、瞳子の方へ向かう。
「──は? ナンパは? 遊びは?」
ヒカリがなんか言っているが、無視する。瞳子との帰宅以上に優先される用事などない。それによく考えたら、最低の遊びだ。人の気持ちを少しでも慮れる人間ならばそんな発想はしない。
「サダツネのボケェー!」
「ほら、帰ろう」
ヒカリのことを不思議そうな顔で見つめるトーコに声をかける。
「いいの? なんか約束あったんじゃ?」
「自作自演じゃ真実の愛は見つからない」
◇
瞳子の部活がない日はときどき、彼女と一緒に帰ることがあった。
僕は瞳子との協定により学校では彼女に話しかけられない(僕らの関係性を邪推されないためらしい。とても寂しい)ので、こうして瞳子から誘われた時だけだ。
瞳子は茶道部に入っていた。中学までは何も部活に入っていなかったので、それを知った時はとてもびっくりした。
理由を聞くとどうも僕の寝取られ活動の邪魔をしたくないらしい。
瞳子以上に優先される事項など存在しないので邪魔もくそもないのだが、「私が部活で忙しい間に、知らずにほかの女に心惹かれる、寝取られる。興奮するだろう?」とのこと。
それにしても、瞳子は学校生活をかなりうまくやっているらしい。
他人との接触を極端に嫌う彼女の姿を知っている自分にとってはそれが何よりの驚愕事項だ。
気になって茶道部を覗いたことがあるが、部活友達とお菓子を食べながら笑い合っているし、休日にはたまに友達と遊びに行っている。──これじゃあ僕の方が寝取られているじゃないか(寝てから言え)!
幼いころは感情欠落屁理屈人間だった彼女も変わったということだろうか?
とにかく僕は早いこと瞳子の脳を破壊しなければならない。
「なぁ、瞳子。一つ聞いていいか?」
今年は開花が早かったため、すでに葉桜となった桜並木の河川敷を歩きながら、僕は瞳子に問う。彼女からはリンゴとローズマリーが合わさったさわやかな香りがする。脳に直接ツンとくる和やかな香りだ。
「ん~?」
瞳子は先ほどコンビニに寄った時に買った、馬鹿みたいに固い小豆味のアイスをかじりながら喉を鳴らすように返事をした。
「なんで寝取られなんか好きになったの?」
純愛好きの僕にとってはそんな根本から理解ができない。純粋に気になるし(僕に隠していたことも)、何かのヒントになるかもしれない。
瞳子は、アイスをガリガリやりながら、思案をする。土手では数人の小学生が高音を出し、遊んでいた。
「サダはさ、……玉ひゅん、したことある?」
──玉ひゅん……。
玉がひゅんとする、つまり金玉が縮み上がることだ。恐怖感や危機感によってそうなる、男性ならだれもが経験したことのあることだ。普段から上品な雰囲気を纏っている瞳子の口からそんな単語が出ること自体違和感があるが、そんなことは物凄くどうでもいいので、素直に答えることにする。
「あるよ」
「あれさ? 気持ちよくない?」
「──は?」
意味が分からなかった。
あれは高いところに行くとか、他人が痛い目にあっているところを見るだとか、言ってしまえばネガティブな、怖気が走るとか、そんな感じなのだ。決して快楽と結びついている反応ではない。
「ていうか、トーコ玉ないじゃん」
「それは、心の玉があるから。……この方向じゃだめだね。玉ひゅんイコール気持ちいいの図式が成り立たないならだめだ。んふふ、ただ下ネタ言った人になっちゃった。えーっと、比喩のしようがないから素直に言うね」
「初めからそうしてくれよ……」
「う~ん、じゃあ人間はジェットコースターに乗ったり、観覧車に乗ったりさ、スリルを味わおうとするよね。あれ、なんでだと思う?」
「脳内麻薬が出るから」
「そうだね、エンドルフィンとか、ドーパミンとか。サウナやランナーズハイもそういうことだよね。ハグやペッティング、セックスなどでも分泌される。脳内麻薬ってのは快楽だ。人間ってのは本質的に快楽を味わいたいといった欲求がある。つまりね、人間ってのは脳内麻薬、神経伝達物質を多く分泌するために生きているともいえるよね。それによって幸福だとかが規定されるわけだ。んでね、スリルってのはさ、きっと本当に死ぬ直前になる時が一番、いいスリルだと思うんだ。死んだらおしまいだけどね。でもね、ほら、寝取られだ。あれも言ってしまえばスリルなんだよ、自分の大事な恋人が他の人に取られるかもしれないっていうね。自身の片割れが、半身が失われるかも知らない
「上がり?」
「そう、上がり。ゴールだ。生まれてきた意味だとか、人間は何処から来てどこへ行くのかとか、哲学的な命題は全部解決だ。ごちゃごちゃ考えなくてもよくなる。少なくとも私はそう思っている」
「でも、それじゃあ、その後どうすんだよ? 人生の目的達成しちゃったら、生きる意味なくなっちゃうんじゃ……」
──死んでもらっちゃ困る。
僕は、瞳子と素晴らしき人生を味わうためにこうやって苦心しているのだ。
「ああ、それは大丈夫。そういった目的とか、性癖とか関係なく、サダのことは好きだから。その後はゆっくり君との幸福をかみしめながら生きていくよ」
「お、おぅ」
そんな瞳子のストレートな物言いに僕は少し気圧されてしまう。
「寝取られても人生は続く、死ななくても最高の幸福が味わえる。私はこんな性癖で得しているよ。そんな下卑た私の欲求にもう一年も付き合ってくれている君がいたこともね」
「あのさ、もう一つ懸念があるんだ。もし本当に僕がさ、その君以外の人をさ、す、好きになっちゃたら、その時はどうするの?」
この一年、がむしゃらにやってきたけどダメだった。
フリだけじゃあトーコは満足しない、これより先に行くならば、僕は自身が決めた他人とのラインを踏み越えなければならない。僕も男なのだ、思春期なのだ、完全にないとは言い切れない。
「…………」
トーコは、少し考えた後、頬を紅潮させ、身震いをする。
「……想像しちゃったじゃないか。いきなり興奮させるのはやめてくれ」
その熱を帯びた視線はいくら想い人とはいえ、いくら幼馴染とはいえ、少しきもかった。
「でも、そうだね、その時は」
トーコは挑戦的な笑みを僕に向け、
「寝取り返すよ。もう一度君の心を奪って見せる」
夕日の逆光を浴びた、瞳子の少し幼さの残る無邪気な笑顔が僕に向けられる。
「…………」
──ああ、なんて素晴らしい日だ!
「寝取り寝取られ合戦だ!」
「……それ流行ってるの?」
「?」
瞳子がコテンと首を傾ける。
そんなことを話していたら、家に着いていた。
「でもさ、こんなこと聞くっていうことはサダ、結構切羽詰まっているね。最近の君を見ていても、いつものキレがないように思う。元気がない。それになんだか、悪い女に捕まってもいるみたいだしね」
「悪い女?」
「あのエビ何とかっていう」
「ああ、海老原さん?」
エレナさんは別に悪い女ではないのだ。いかつい外見だけど心はナイーブなのだ。そして以外に少女趣味。ここで彼女の名前が出てくると思わなかったので、少し驚く。
「いくら何でも、暴力ってのはなぁ」
「あれ? 何で?」
エレナさんは僕のこと殴る時、誰も周りにいないことを確認してから殴る。
なぜ瞳子が知っているのだろうか?
「ビックシスターイズウォッチングウィズユー」
瞳子が手をチョキの形にして自分の目を指さし、僕の目を差す。
──いつでも君を見ているっていう意味か。
「まぁ、いざって時君が何もできないって思ってはないよ。でもさ、気を付けてはくれよ、君が傷つくとこはなるべく見たくない」
「……よく言うよ」
僕が人と関わることが苦手なことを誰より知っているくせに。それを知ってなお、僕にいろいろやらせているくせに。そういった意味を込めて皮肉のように呟く。
「えへへ、でもさ、このまま何もなしってわけにはいかないよね、一年間よく頑張ってくれたしね、ご褒美? っていうと少し驕っているかな? ……今度の連休、出かけようよ、デートだ、デート」
「え? いいの?」
「うん、だからさ、まだまだ頑張ってよ、気合入れて私の脳を破壊するために精進してくれ」
瞳子は本当に人をやる気にさせるのがうまいな。こんなこと言われて頑張らないわけにはいかない。たとえそれが人参を目の前にぶら下げられた馬のようだったとしても。
「でもさぁ、できれば寝取り人はギャルがいいなぁ」
「え?」
「え? じゃないよ、貸しただろ、NTR本。傾向に気付かなかったか?」
「あ。そういえばチャラ男系が多かったな」
「やっぱ、純朴な幼馴染が寝取られるならああいう、アッパーな、チャラ男……、サダは男だからギャルがいいなぁ……。うちの学校にもいたよね、ギャル。ギャル三銃士!」
僕らが通う学校に、東ノ宮西高等学校には、主だったギャルが三人いたため、ギャル三銃士と呼ばれていた。
カリスマギャル・ヒヤマアイナ(卒業済)
天才ダウナーギャル・アカメアイリ(現三年生)
オタクにも優しい・クサカベマキリ(現二年生)
ヒヤマアイナはもう卒業してしまったので、今は二人しかいない。今年の一年に期待だね。──と言うかだれがこんな三銃士だとか決めたんだ、馬鹿じゃないか?
「それで、誰に寝取られる?」
「あ~、多分ダメだね」
「うん?」
そう、僕はほとんどすべての女子生徒に嫌われている。ギャル三銃士なんて目立った人たちアタックしてないわけないのだ。──瞳子も僕のすべてを見ているわけではないんだな。
「結果は?」
ヒヤマアイナには、話しかけた直後、「黙れ」と一蹴され、アカメアイリには一切の興味を持たれず、クサカベマキリとは少し仲良くなれたが、同時アタック中だったことがばれ「死ね」と言われた。
「ははっ」
瞳子の乾いた笑い声が夕空に溶けていった。