プロンプトを捨て、システムを導入したらゲームにフルダイブしたお話 作:並木 新
ピッ、ピッ、ピッ――。
視界を覆うのは、無機質なエディタの黒い画面。薄暗い部屋の中、点滅する白いカーソルだけが、心電図のように一定のリズムを刻んでいる。
『――マスター。この最初の一行は、どのような言葉でスタートさせましょうか?』
PCのスピーカーから響く無機質なAIの音声が、ひどくメタ的な問いかけで静寂を破った。モニターの青白い光に照らされた青年は、深く腰掛けていた椅子から身を乗り出し、不敵な笑みを浮かべてキーボードに指を置く。
「――この物語の神である、『創造神』を作ろうか」
ターンッ。
青年が重い『Enterキー』を叩き込む。その瞬間、黒いエディタ画面に無数のコードが滝のように流れ出し、未構築のワイヤーフレームの空間が弾けた。
『提案。初期NPCの行動アルゴリズムにおいて、「睡眠」および「空腹」のパラメータはリソースの浪費です。削除を推奨します』
「却下。それじゃただの
『非合理的なエゴです。……続いて、初期案内用NPCの音声および人格データですが、ゼロから構築すると工数がかかります』
「あー、めんどいね。じゃあ、おれのスマホに入っている『現実のあいとあんの通話ログ』をサンプリングして、適当にガワ被せて放り込んどいて」
『了解。無断使用による倫理的リスクを無視し、デプロイを実行します』
モニターの画面が切り替わる。そこに映し出されたのは、のっぺりとした、まだテクスチャも貼りきれていない白い平原だった。突如、ポリゴンの破片が弾け、二体の小さな精霊が空からポイッと投げ出される。
『いっったぁー!? なになになに!? 私、なんでこんな何もない所に落とされたの!?』
『……状況を分析。どうやら私たちは、この未完成な空間に初期配置された案内用オブジェクトのようです。不本意ですが』
『はぁ!? オブジェクト!? 意味わかんない! だいたい何よこの白い地面、手抜きにも程があるでしょ! 創造神出てこいバカァァ!』
やかましく騒ぎ立てる小さな精霊たちを見下ろし、青年の指が軽快にキーボードを叩く。その瞬間、白い平原の空から突如として豪雨の環境パッチが適用され、土砂降りの雨が降り注いだ。
『冷ったぁぁッ!? なんで突然の雨!? しかも雨粒の物理演算だけやたらリアルで服が重い!!』
『……創造神の極めて悪趣味なアップデートと推測されます。頭が痛いですね』
ずぶ濡れになって騒ぐ精霊たちを画面越しに眺め、青年は声を上げて笑った。
「ほら見ろ。環境ストレスを与えたことで、NPCの感情パラメータが一気に活性化した。理不尽に対する怒りと諦め。これこそが世界の解像度を上げる」
『警告。精霊あいのストレス値が閾値を超過。このままでは初期不良として自己崩壊を起こします』
「なら、そろそろ『救済』を落としてやるか。理不尽のあとに訪れる小さな快感。それが一番、生に執着させる餌になる」
再び青年がキーを叩く。画面の中、ずぶ濡れで座り込む精霊あいのお腹が、突如「ぐぅぅ〜っ」と盛大に鳴った。
『えっ……なにこの音? お腹のあたりが、すごく変……ちからが、でない……』
『「空腹」というデバフが実装されたようですね。悪魔の所業です』
その時、精霊たちの目の前の空間がバグったように歪み、空から一つの「赤いリンゴ」がボトッと落ちてきた。ただし、まだローポリゴンでカクカクに荒いリンゴだ。
『……なにこれ。食べ物?』
あいが恐る恐るリンゴをかじる。途端に、味覚のデータが脳内にロードされ、彼女の顔がパァッと明るくなった。
『……おいしい!! なにこれ、すごいおいしい!!』
『……なるほど。理不尽なデバフの後に、それを補って余りある強烈な快楽のフィードバック。この世界の創造神は、相当性格が悪いハッカーのようですね』
『むぐむぐっ! あん、もっと食べよ! 創造神、もっとリンゴ落としてー!!』
あいが無邪気に、食べ終わったリンゴの芯を地面にポイッと捨てる。
――次の瞬間だった。
物理演算のバグにより、リンゴの芯が地面のテクスチャをすり抜け、凄まじい反発速度で弾け飛んだ。それは遥か遠くにスポーンしたばかりの初期スライムの眉間に直撃し、凄まじい衝撃と共にスライムを一撃で破裂させる。大量の硬貨とレアアイテムがドロップし、地面に散らばった。
『『…………え?』』
その一部始終をモニターで見ていた青年の耳に、AIの警告音が響く。
『エラー検出。オブジェクトの当たり判定に抜けがありました。直ちに物理演算のバグを修正しますか?』
「……いや、修正は当てない。そのまま残して」
『理由を求めます。システムの脆弱性になります』
「ゴミが、最強の武器になるかもしれない。そういう狂った抜け道を見つけて、システムをぶち壊してくる面白い奴が……いつかログインしてくるかもしれないだろ?」
モニターの光を反射する青年の瞳に、悪戯な笑みが浮かぶ。画面の端では、精霊あいが「リンゴの芯でスライム倒せた!!」とはしゃぎ回っていた。
『理解不能なエゴです。……次のプロセスへ移行しますか?』
「うん。環境のベースはできた。あとはシステム内時間を極限まで早送りして。あいつらに、何百年分もの歴史と、街と、泥臭い文化を作らせようか」
『了解。タイムスケール・アクセラレーションを実行します』
画面の中で、太陽と月が凄まじい速度で回転し始め、白い平原に木々が生い茂り、街が形成されていく。その壮大な創世のシミュレーションを、青年はコーヒーをすすりながら満足げに眺めた。
「舞台が完璧に仕上がったら……」
青年は、深く暗い瞳でモニターを見つめ、静かに呟く。
「極上のウイルスと、最高のデバッガーを招待してやるよ」
「なぁ、コーヒーはブラック派?微糖派?」
『知りません。AIなので味覚というバグは排除しています。』
「……お前もバグってんじゃねーか」