プロンプトを捨て、システムを導入したらゲームにフルダイブしたお話   作:並木 新

12 / 12
【第11話】最適化された孤独と、無機質な朝食

 街で最も静かで、最高峰の警備と防音魔法が施された高級宿。

 その最上階。本来ならば王侯貴族や豪商しか足を踏み入れない、ふかふかの緋色の絨毯が敷かれた廊下の突き当たりで、異様な光景が広がっていた。

 

 二人の薄汚れた男たちが、顔を土気色に染め、石像のように直立不動で立っている。昨日、奴隷商の金庫を完全に空にした簒奪者が、金貨二枚で買い戻したゴロツキたちだ。

 彼らはもう数時間、一歩も動いていない。否、動けないのだ。

 

(足が……千切れそうだ……ッ!)

 

 ゴロツキの一人が、心の中で悲鳴を上げる。逃げ出そうとしたり、あるいは少しでも気を抜いて座り込んだりすれば、背後の分厚いオーク材のドアの奥にいるバケモノが、何の感情も交えずに自分たちの首を撥ねるだろう。

 奴隷商での異常な『商談』を間近で見せられた彼らにはわかる。あの男に情や常識は通じない。与えられた「警備」という役割(タスク)を放棄すれば、即座に不良品として廃棄される。

 その絶対的な死の確信が、彼らの魂を床に縫い付けていた。

 

 そのドアの奥。外界のノイズを完全に遮断した、薄暗い最高級スイートルームの中。

 部屋は凄惨な血の海になっているわけではない。備え付けの豪奢な調度品も、テーブルに置かれた最高級のワインも、一切手がつけられず綺麗なままだ。

 だが、その整然とした美しさが、逆にこの空間の異常性を際立たせていた。

 

 乱れた天蓋付きベッドの足元の絨毯には、昨日彼が奴隷商の金庫を空にした際、ついでに簒奪してきた数人の女奴隷たちが、糸の切れた人形のように力なく倒れ伏している。

 外傷はない。ただ、生命力そのものを極限まで吸い尽くされたかのように、虚ろな目で微弱な呼吸を繰り返すだけだ。

 

 彼女たちが生きているのか気絶しているのか、簒奪者にとってはどうでもいいことだった。彼にとって彼女たちは、昨晩の欲求を満たすためだけに使われた、すでに役割を終えた一時的な消耗品に過ぎない。

 数時間の睡眠の後。腹の底から湧き上がる肉体からの警告――空腹という名の不具合(エラー)によって、簒奪者は目を覚ました。

 

「……はぁ、だっる」

 

 面倒くさそうに呟きながら、上半身だけを起こす。

 彼は豪華なベッドの感触を楽しむこともなく、ただ指先で空気をなぞった。空間に、宿の機能とリンクした給仕魔法の術式が淡く浮かび上がる。

 彼は死んだような目で虚空を見つめながら、指先でぽちぽちと気怠げに光の文字を叩き、術式を消した。

 

 ――数十分後。

 

 部屋のドアの前に、ギルドから派遣された出前の若い配達員がやってきた。手には、まだ湯気を立てている肉料理とパンの紙袋が握られている。

 

(……なんだ、この人たち?)

 

 最上階の豪華な廊下に似つかわしくない、薄汚れた二人の男がドアの前に立っていた。配達員が「あの、出前ですが……」と愛想笑いで声をかける。

 しかし、二人の男はピクリとも動かない。

 よく見れば、彼らは滝のような冷や汗を流し、小刻みに震え、まるで『背後のドアから絶対に意識を逸らしてはいけない』とでも言うように、血走った目で虚空を睨みつけていた。

 

「え、あ、あの……?」

 

 異常だ。明らかな異常事態だ。

 配達員がゴクリと息を呑み、震える手で控えめにドアをノックした、その時だった。

 

 ガチャリ、と。

 

 簒奪者が気怠い足取りでドアを開け、挨拶もせず、無言で配達員の手から料理の袋をひったくり、そのまま冷たい手つきでドアを閉めようとした。

 

「あっ、す、すみません! お客さん、お代がまだ……!」

 

 ドアの隙間に慌てて足をねじ込み、配達員が愛想笑いを浮かべながら手を出した。

 

(やめろ……ッ! バカ野郎、引け!! そいつに常識を押し付けるな、殺されるぞ!!)

 

 傍らで硬直しているゴロツキが、心の中で絶叫する。

 簒奪者はドアを閉める手を止め、わずかに眉間に皺を寄せる。

 奴隷商から巻き上げた莫大な金貨は、間違いなく彼の懐に収まっている。払えないわけではない。

 

「……そんな金なんかねぇよ」

 

 地を這うような低いトーンで、簒奪者が無造作に吐き捨てる。

 

「えっ? い、いや、しかしそれでは私が店に怒られて困ります……!」

 

 配達員が泣きそうな声で食い下がる。

 簒奪者にとって、自身の所有する財産を他者に渡すという行為は明確な損失だった。目の前の男が怒られようが死のうが、そんなノイズはどうでもいい。

 無機質な漆黒の瞳で配達員を見下ろしたまま、親指で自らの背後――薄暗い高級スイートの奥に転がっている女性たちを指し示した。

 

「……チッ、後ろの好きなヤツ持ってけ」

 

(や、やり売りだと……ッ!? 昨日、奴隷商からタダでパクってきた女奴隷を、こいつは出前の支払いに使いやがる……!)

 

 傍らで硬直しているゴロツキが、心の中で絶叫する。

 裏社会で散々悪事を働いてきた彼らですら見たことのない、使い捨てた人間を通貨代わりにする究極のサイコパス的思考。

 

「……え?」

 

 配達員の男の顔が、硬直した。

 隙間から見えた、豪華な部屋の床に転がる異様な光景。そして何より、目の前の青年の、不要なゴミを押し付けるようなあまりにも軽い声のトーン。

 それは、狂気が支配する殺人鬼の顔でもなく、欲望にまみれた悪党の顔でもなかった。

 

 ただ『支払いという面倒な処理を、不要になった手持ちの道具(アイテム)で済ませようとしているだけ』の、圧倒的に冷たく、そして平坦な日常の顔だった。

 命の価値が、使い古した小銭と同じ重さで計られている。

 

 配達員の背筋を、本能的な死の悪寒が駆け抜けた。

 『これ以上、こいつに関わってはいけない』。生物としての警報が頭の中でガンガンと鳴り響く。

 

「ひっ……!」

 

 配達員は代金も、代わりの商品も受け取ることなく、短い悲鳴を上げて豪奢な廊下を転がるように逃げ出していった。

 ドアの外で警備させられていたゴロツキたちも、腰を抜かして逃げていく配達員の姿を、ただ絶望的な瞳で見送ることしかできない。

 

(……あぁ、俺たちも同じだ)

 

 彼らは悟っていた。自分たちも、いつかあの部屋の女たちのように「端銭(はしたがね)」として誰かに投げ渡され、消費される日が来るのだと。

 

 簒奪者は、逃げていく足音に一瞥もくれなかった。

 ただ鬱陶しい処理が終わったとだけ認識し、無表情のままパタンとドアを閉める。

 彼は冷めた目でベッドに腰掛け、誰と会話をすることもなく、たった一人でただの燃料補給として、袋の中の肉を胃に流し込み始めた。味わうことなどない。彼の時間は、常に次なる最適化のためだけに流れていた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。