プロンプトを捨て、システムを導入したらゲームにフルダイブしたお話 作:並木 新
冒険者ギルドに併設された、吹き抜けの巨大な大食堂。
昼時のピークを迎えたそこは、むさ苦しい冒険者たちの怒号と笑い声、肉を焼く煙と酒の匂いが入り混じる、むせ返るような熱気に満ちていた。
「おい、エールのおかわりだ! 樽ごと持ってこい!」
「わはは! そりゃ傑作だな! で、そのゴブリンはどうしたって?」
あちこちで分厚い木製のジョッキがぶつかり合い、クエストを終えた者たちの陽気な喧騒が天井に反響している。
たいらはそんな喧騒の中心にある木製の丸テーブルに陣取り、山盛りのオーク肉のステーキとエールを豪快に胃に流し込んでいた。
鉄板の上でジュージューと音を立てる分厚い肉は、表面がカリッと香ばしく焼かれ、ナイフを入れると内側から濃厚な肉汁が溢れ出す。それを大きめに切り分けて口に放り込み、咀嚼するたびに広がる野生的な旨味。
「ぷはぁっ! やっぱ人が作った飯は最高だな!」
口の周りを脂でテカテカにしながら、たいらは心底幸せそうな顔でエールのジョッキをドンッと置いた。
記憶がない彼にとって、この世界のすべてが新鮮だが、中でも「美味い飯を腹いっぱい食う」という行為は、何にも代えがたい至福の時間だった。
『ちょっとたいら! 食べこぼしが服についてるわよ! もう少し綺麗に食べられないの!?』
肩口を飛んでいるあいが、小姑のように小言を言う。
『だいたい、たいらは魔法に対する探究心がなさすぎるのよ! 飯ばっか食ってないで、ほら、あそこの魔法使いを見てみなさいな!』
あいが小さな指で示した先では、得意げな顔をした若手冒険者が、指先からパチパチと小さな火球を出して仲間のタバコに火を点けていた。
周囲の仲間から「おおっ、便利だな!」とチヤホヤされているその姿を、たいらは頬杖をつきながらのんびりと眺める。
「へえ、すげぇな。便利だね」
たいらが素直に感心したように頷くと、あいは我が事のように嬉しそうに胸を張り、羽をパタパタとさせた。
『でしょ! いい? この世界の魔法には、大きく分けて現代と古代の二種類があるのよ。あそこでタバコに火を点けているのが現代魔法。自分の魔力(MP)を練り上げて、何もない空間に一から熱や光を作り出すの。空間を転移させるような複雑な技も一応再現できるけど、相手のレベルが高かったり魔法障壁を張られていたりすると、単純なステータスの差で弾かれちゃうのが弱点ね』
「なるほど。システム上の数値で殴り合うわけだ。じゃあ、もう一つの古代は?」
たいらがフォークの先で肉の脂身をつつきながら尋ねると、あいは周囲を気にするように少しだけ声を潜めた。
『古代魔法はね、もうずっと昔に失われちゃった技術なんだけど……一から作るんじゃなくて、すでに在る事象や座標を入れ替えるの。世界の理そのものを直接弄るから、相手のレベルや魔法障壁を完全に無視して貫通できちゃう。古代魔法を防ぐには、同じ古代魔法を使うしかないわ』
そこまで言って、あいは真剣な顔で念を押した。
『ただし、魔法を発動するには魔力の他に「脳の演算」も必要なの。事象の理を直接書き換える古代魔法は、現代魔法の何倍も脳の演算領域を食い潰すわ。無理に大きな事象を動かそうとすれば、一瞬で脳が焼き切れて死ぬからね』
「……へえ」
たいらは自分の手のひらを見つめ、静かに思考を巡らせた。
(つまり、ゼロからモノを生み出す重労働をするか、既にあるモノをズルしてコピペするか……ってことか)
「魔力(MP)を使わない代わりに、脳の処理負荷がエグいわけだ。じゃあ、相手の障壁を壊すためにわざわざMPを馬鹿食いするデカい現代魔法を撃つより、マッチ一本分の火種や一滴の毒だけを最小限のMPで作って、それを古代魔法の座標移動で相手の防壁をすり抜けさせ、直接体内に送り込むのが一番コスパがいいな。動かす事象のサイズが極小なら、脳への演算負荷も最小で済むだろ」
『…………は?』
あいは絶句した。
『ちょっと待って!? たいら、それ魔法の考察じゃなくてただの暗殺者の発想よ!? 勇者どころか魔王軍の幹部みたいなこと言わないで!』
「え? いや、だって一からデカい魔法作るの疲れるじゃん。俺は極力働きたくないし。エコだよ、エコ」
『命を奪うエコなんて聞いたことないわよ!』
あいの必死のツッコミを軽く受け流し、たいらは納得したように頷く。
「まあ、今の俺にそんな精密なコンボは無理だけどな。現代魔法すら使えないし。だから最初は、そこら辺の空気に漂ってる熱を引っ張ってきて、自分の手元と入れ替える感覚から練習してみるか。ほら、こんな感じで」
たいらが指先で虚空を軽くつまむように動かした。
直後。テーブルの上に置かれていた照明用の小さなロウソクの炎がフッと不自然に消え、代わりに、たいらの指先に小さな火種がチロチロと灯った。
「おお、案外いけるな。一瞬だけ頭が重くなった気がしたけど」
たいらは満足そうに指を振って火を消した。
『えぇっ……!?』
あいは言葉を失った。
魔力を消費して一から作ったのではない。ロウソクにあった炎の事象を、指先へ移しただけ。
それは紛れもなく、彼がたった今「こっちの方が燃費が良さそうだ」という理由だけであっさり再現してのけた、失われた古代魔法の術理そのものだった。
あいが戦慄を覚えた、その時だった。
「――ど、どいてくれぇぇッ!!」
厨房の入り口付近で、酔っ払った冒険者が巨大な寸胴鍋を抱えたドワーフの給仕に激突した。
バランスを崩した給仕の手から鍋がすっぽ抜け、宙を舞う。その中身は、グツグツと煮えたぎる大量のオークの煮込みスープだ。
「うおぉッ!?」
「避けろ! 火傷するぞ!!」
鍋から放たれたスープの飛沫は、スローモーションのように空中で広がり、周囲のテーブルを巻き込みながら、たいらの座っている席の頭上にも熱湯の雨となって降り注ごうとしていた。
周囲の冒険者たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、たいらだけがフォークを持ったまま、のんびりとその熱湯を見上げていた。
(……マズい。このままじゃ、せっかくの最高のステーキが、ただのオークの煮込みになっちまう!)
彼の眼には、降り注ぐ熱湯の雨がどこへ落ちるのか、その当たり判定が直感的な境界線としてはっきりと見えていた。
逃げる必要はない。物理的な壁で防ぐ必要もない。彼はただ「目の前の肉を死守する」という強固な意志だけで、空いた左手を軽く上げた。
たいらは自分とあいがいるテーブルの空間を指先で四角く囲うようになぞり――見えない枠の座標を指定するように、指を軽く振った。
直後、大量の熱湯スープが彼らのテーブルを完全に透過し、床や隣のテーブルに激しく叩きつけられた。
「ぎゃあぁぁっ! 熱ぃぃッ!!」
「俺の飯がぁぁぁ!!」
阿鼻叫喚の騒ぎが食堂に響き渡る。
しかし。
「おお、上手くいった。少し頭が痛ぇけど、完璧に肉を守り切ったぞ!」
四角く切り取られたように無傷な自分たちのテーブルの真ん中で、たいらはこめかみを軽く押さえながら、無事だったステーキを口に運んで感動の涙を浮かべていた。
『いや守るのそっち!?』
あいがたまらず空中で激しいツッコミを入れる。
『普通、自分の火傷とか私への被害とか心配するでしょ! なんで肉第一優先なのよ!』
「バカ言え。俺やあいが火傷するのは百歩譲って治せるが、この絶妙な焼き加減の肉が台無しになるのは世界の損失だろ」
『私への被害も我慢しないでよ!? ていうか、失われた古代のバグ技を肉の防衛のために使わないで!!』
「おい見ろ、あそかのテーブルだけスープ被ってねえぞ!」
「マジか。無詠唱で魔法障壁を展開したのか? 凄いな」
「服はボロボロで素人くせえが、魔法のスクロールでも使ったのか? かなりのベテランかもしれないぜ」
周囲の冒険者たちは、無傷のたいらを見て口々に噂し合う。
彼らからすれば、熱湯を防いだ結果だけを見て「素早い現代魔法を使った」としか認識できないのだ。
だが、間近で見ていたあいだけは違った。
(周囲の連中は勘違いしているが、彼がやったことは、脳の演算領域を恐ろしい勢いで消費して世界の理を直接書き換える、規格外のハッキングだ。それを、本人はただ『肉を守るため』だけにノータイムで発動した)
(もしこの人が本質を完全に理解して、本物の古代魔導師になっちゃったら……どうなっちゃうのよ……いや、ならないわね。この分だと一生、飯と睡眠のために無駄遣いするわ)
周囲の的外れな称賛と、目の前で美味そうに肉を食う青年の能天気な顔。
あいは呆れたように深くため息をつき、彼がこれ以上馬鹿なことに脳の演算領域を使わないよう見張る決意を新たにしながら、自分も冷める前にご飯を食べることにした。
『……というわけで、さっきの古代魔法はもう禁止! いいわね!』
「……マジか、離れたところにある塩コショウ欲しいんだよねぇ」
ぱちん!
『うぉい!!』