プロンプトを捨て、システムを導入したらゲームにフルダイブしたお話 作:並木 新
「それにしても……お前、本当にすげぇ度胸してるよな」
討伐証明となる大猪の巨大な牙を背負いながら、ガルドが呆れたように笑いかけてきた。ズシリとした質感が、歩くたびに皮鎧と擦れて鈍い音を立てている。
激闘を終え、街へと続く街道を歩く三人。その全身は未だに泥だらけだが、死線を越えたことによるアドレナリンの余韻のせいか、彼らの足取りは不思議と羽が生えたように軽かった。
「戦い方もわからない素人のくせに、あの土壇場で俺の足を引っ掛けて転ばせるなんて、普通の神経じゃできねぇぞ」
「結果オーライだろ。あんたが一人で真っ向から受け止めてたら、今頃その両腕は複雑骨折で、俺たちは猪の餌になってた」
「……まあ、違いないな」
ガルドは苦笑しながら、無事だった自分の分厚い腕をポンと叩いた。その内側で脈打つ確かな血の巡りが、彼が今ここに生きて存在している何よりの証拠だった。
「俺は
「『最大の正義』、ね」
青年は、泥だらけの髪をかき上げながら平然と言ってのけた。
「人はみんな、自分だけの正義を持ってる。でも、そういう個人の最高値……『最大の正義』ってやつは、ぶつかり合えば争いしか生まない。あるいは、誰かを一人ぼっちの綺麗な犠牲者にする。……なんとなくだけど、俺はそういうの、すげぇ嫌いなんだよ」
記憶はない。だが、その言葉には魂の底から湧き上がるような確かな実感がこもっていた。
それはまるで、かつて「一切の汚れを知らない純白の正義」が、その重みに耐えきれずに自壊していく様を、どこかで見届けたことがあるかのような響きだった。
「だから俺は、誰か一人が抱え込む『最大の正義』より、みんなで負担を分け合う『最小の悪』を選ぶ」
「最小の悪……?」
「ああ。お互いに少しずつ迷惑をかけ合って、全員で無様に泥を被って難を凌ぐ。その方が、終わった後にこうして全員で笑えるだろ?」
青年の飄々とした、しかし確固たる答えに、ガルドは目を丸くし、やがて腹を抱えて大笑いした。
「あっはははは! なんだそりゃ! 英雄の教えにもない、とんでもなく泥臭い理屈だな!」
「でも……」
ずっと後ろを歩いていたマリィが、泥だらけのローブを両手で握りしめながら、ふわりと微笑んだ。
「私も、良かったです。ガルドさんが大怪我しないで……三人で、こうして歩いて帰れて」
「……マリィ」
ガルドは少しだけ照れくさそうに頭を掻き、「違いないな」と優しく笑った。
◆
午後。太陽が少し西へ傾き始めた頃、三人はいよいよ街の巨大な防壁へと帰り着いていた。
行き交う人々が泥だらけの三人を驚いたように見ていたが、ガルドが背負った大猪の牙を見ると、すぐに称賛の眼差しへと変わった。
「よし、俺たちはこれからギルドに行って、この大猪の討伐報告と素材の換金をしてくる。それと、あの衝撃で盾にも少しガタがきたから、裏路地の鍛冶屋にも寄らねぇとな」
ガルドが背中の荷物を揺らしながら言った。
「俺もついて行こうか?」
「いや、お前は先に宿に戻って、ゆっくり泥を落として休んでな! 記憶喪失の頭に、今日の戦闘は刺激が強すぎただろ」
ガルドは青年の背中をバンバンと力強く叩いた。
「それに、今日の稼ぎはデカいぞ! 換金が終わったら、約束通り俺の奢りで一番美味い酒と飯をご馳走してやる。夜に『あそこの酒場』で待ち合わせだ!」
ガルドが指差した先には、昨夜、陽気な歌声と肉を焼くいい匂いが漂っていた大通り沿いの大きな酒場があった。
「お、マジか。そいつは楽しみだな」
「ああ! そこで、お前の『名前』も新しく一緒に考えてやろうぜ。記憶がないなら、今日から新しい人生の始まりだ!」
真っ直ぐな瞳で笑いかけるガルド。その後ろで、マリィも「夜にまた!」と小さく手を振っている。
「……ああ。待ってるわ」
青年も釣られるように笑みを返し、宿屋のある通りへと歩き出した。
少し歩いてから、ふと気まぐれに青年は足を止め、背後を振り返った。
雑踏の中、ガルドとマリィの姿はもう小さくなりかけている。
しかし、ガルドは青年が振り返ったことに気づくと、立ち止まり、周囲の目も気にせずにその大きな手を思い切り振ってきた。
「おう! また夜にな!!」
遠くからでも響く、その屈託のない声。
青年は小さく息をつき、自分でも驚くほど自然な笑みを浮かべて、軽く手を振り返した。
西日が、石畳の街並みと彼らの影を長く、オレンジ色に染めていく。
雑踏の向こうで手を振るその広く頼もしい背中が、なぜかひどく遠く、夕暮れの光の中でふっと
景色の中にいるはずの二人の輪郭だけが、ほんのわずかに世界から『浮いて』見えたのだ。
まるで、世界という一枚の風景画から、そこだけがひっそりと削り落とされる直前のような――修復不可能なほどの、決定的な断絶。
そんな奇妙な違和感が、青年の胸をほんの一瞬だけよぎった。
「……腹、減りすぎたかな」
空っぽの胸の奥を吹き抜けた微かな冷たさを、青年はただの空腹のせいだと笑い飛ばし、夕暮れの街へと歩き出した。
「よし、ギルドで換金したら一番高い酒を頼むぞ!」
「ガルドさん、また飲みすぎないでくださいね……。明日の依頼に響きますよ?」
「ははは! 今日くらいはいいだろ! あいつの新しい門出の祝いだからな!」