プロンプトを捨て、システムを導入したらゲームにフルダイブしたお話   作:並木 新

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【第5話】ギルドの水晶と、精霊の降臨

 ――翌朝。

 

 ガルドたちとの待ち合わせは夜の酒場だ。青年は宿屋の硬いベッドで目を覚ますと、身支度を整え、一人で街の中心にある『冒険者ギルド』へと足を運んでいた。

 剣と盾の紋章が深く刻まれた巨大な木造建築。重い両開きの扉を押し開けると、むせ返るような熱気と、朝から飲んだくれている荒くれ者たちの安酒の匂いが、物理的な壁となって押し寄せてきた。

 

「おや、見ない顔ですね。何のご用件でしょうか?」

 

 受付カウンターに立つ制服姿の女性が、愛想よく微笑みかけてくる。完璧に調整された、淀みない笑顔だった。

 

「冒険者の登録をしたいんだけど。身分証とか、何も持ってなくて」

「新規登録ですね、承知いたしました。では、こちらの羊皮紙にお名前を……あら?」

 

 受付嬢は、青年がペンを持ったままピタリと止まったのを見て首を傾げた。

 

「……ごめん。名前も記憶も、綺麗さっぱり抜け落ちてるみたいなんだ」

 

 青年が苦笑しながら答えると、受付嬢は少し困ったように眉を下げた。

 

「記憶喪失……ですか。それはお困りでしょう。ですが、仮称でも構いませんので何かお名前を頂かないと、ギルドの規定上、登録証が発行できなくて……」

「適当な名前、か……」

 

 青年が顎に手を当てて考え込もうとした、その時だった。

 

「まずは魔力測定からにしましょうか。こちらの『水晶』に手を触れてください。適性と波長を読み取ります」

 

 受付嬢が機転を利かせて手順を前後させ、台座に乗った両手ほどの大きさの透明な水晶玉を差し出してきた。

 

「これ、ただ触れるだけでいいの?」

 

 青年は無造作に手を伸ばし、その水晶の滑らかな表面にペタリと触れた。

 

 ――ジッ。

 

 瞬間。

 青年の手と水晶が触れ合った空間が、ほんのコンマ一秒だけ、不自然に「四角く」歪んだ。

 水晶の輪郭が陽炎のように乱れる。同時に、ギルド内に響いていた数百人の怒声や笑い声、グラスのぶつかる音が、まるで分厚い水中に潜ったかのように一瞬にして完全に消失した。

 

 それは昨日、青年が夜空の月に感じたのと同じ、極小の不協和音。

 世界の皮膜が薄く剥がれ落ち、その裏側に隠された、冷たくて無機質な『虚無』が露出したかのような絶対的な空白。

 

 しかし、次の瞬間には水晶はごく普通の淡い白い光を放ち、周囲の喧騒も元通りにドッと鼓膜へ押し寄せてきた。

 

「ん? なんか今、一瞬だけ目の前がチカチカしたような……」

「……え? あ、いえ、ただの光の反射かと。測定完了いたしました」

 

 受付嬢が不思議そうに目を瞬かせ、周囲の冒険者たちも「なんだ今の光?」「気のせいだろ」とざわつき始めた、その時だった。

 

『――ちょっと待ってーっ!!』

 

 ギルドの天井付近をふわふわと漂っていた小さな光の玉が、弾丸のような速度ですっ飛んできた。

 光は一直線に青年の顔面めがけて突撃し、その鼻先ギリギリでピタリと急停止する。

 

「うおっ!?」

 

 青年がのけぞると、そこには背中に半透明の羽を生やした手のひらサイズの少女が、息を切らして宙に浮いていた。

 

『ハァ、ハァ……っ! 間に合った……!』

「なんだお前、妖精か?」

『案内精霊のあいだよ!』

 

 あいは、小さな両手で胸を押さえながら青年を見つめた。

 ほんの数十秒前。遠くにいた彼女は、ギルドの中心から微かに響いた『冷たくて空っぽな嫌な気配』を感じ取り、慌てて飛んできたのだ。

 それは、世界そのものを深い底から脅かすような、絶対的な異常の予兆。

 

(……びっくりした。なんだかすごく嫌な感じがして飛んできたけど……)

 

 あいが恐る恐る青年の瞳を覗き込むと、そこにあったのは、悪意とは無縁の「底抜けの明るさ」と「赤子のような無防備さ」だけだった。

 その顔を見た瞬間、あいの胸の奥底で、不安をすっかり上書きしてしまうほどの「放っておけない」という温かいお節介の感情がふわりと膨らんだ。

 

(この人……私の抱いた不安を、全部『平ら(フラット)』にしてくれる……)

 

 それは、完璧な秩序の元で生きてきた精霊の根幹に生じた、説明のつかない巨大な感情の芽生えだった。

 あいは内心の激重な感情と焦りを完璧に隠すように、えへへと満面の笑みを浮かべた。

 

『もう、見てられないなぁ! 記憶も名前もないんでしょ? じゃあ、私が手伝ってあげる!』

 

 あいは受付嬢の手から羽ペンをよいしょっと受け取ると、自分の身体よりも大きなペンを全身で抱え込みながら、羊皮紙の「氏名」の欄にスラスラと文字を書き込んでいく。

 

『あなた、なんとなく【たいら】って顔してる!』

 

 あいは自分の体より大きな羽ペンを一生懸命に動かすと、えっへんと誇らしげに胸を張った。

 

『ゼロから新しく始めるんだから……あなたの名前は今日から【たいら】! どうかな? ねぇ、どうかな!?』

 

 ドンッ、とペンを置いて、あいは「褒めて褒めて!」と言わんばかりのキラキラとした瞳で青年の顔を下から覗き込んだ。

 

『私が特別に一番の案内人になってあげるから、大船に乗ったつもりでいてよね!』

 

 ぽかんとしていた青年は、羊皮紙に書かれた文字と、目の前でパタパタと羽を揺らして喜んでいる小さな精霊を交互に見比べた。

 

「……は? 悪口かよ。もうちょいカッコいい名前ないのか?」

『えーっ! ないよ! 絶対【たいら】がいいもん! ほら、早くギルドの人に出してきて!』

 

 あいがぷくっと頬を膨らませて、青年の鼻先をツンツンと小突く。

 青年は少しあきれたように息を吐くと、やがて吹き出すように柔らかく微笑んだ。

 

「たいら、か。……悪くないな。ありがとな、あい」

『えへへっ、よろしくね、たいら!』

 

 あいが花が咲いたように嬉しそうに笑う。

 たいら。それは、彼がこの世界で初めて手に入れた「自分を証明するもの」だった。

 温かい喧騒を取り戻したギルドの中で、新しい名前を持った青年と小さな精霊の、これが最初の出会いだった。

 




「……んで、なんであいは俺の頭の上に座ってんだ?」
『一番の特等席だもん! しゅっぱーつ!!』
「……はぁ」
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