プロンプトを捨て、システムを導入したらゲームにフルダイブしたお話 作:並木 新
冒険者ギルドでの登録を終えたたいらは、首から小さな木製の
ザラザラとした木の質感を感じながら指先でその表面に触れると、彼の名前と共にいくつかの記号と数字が、淡い光を帯びて空中にふわりと浮かび上がる。まるで空間そのものにホログラムのウインドウが直接書き込まれたような、現実とデジタルの境界を曖昧にする奇妙なUI (ユーザーインターフェース)だった。
「なあ、あい。このタグに書いてある『Lv.10』とか『INT』ってのはなんだ?」
たいらが首を傾げると、肩に座っていたあいが『えっ?』と目を丸くした。しかしすぐに「私の出番だ!」とばかりにパタパタと羽を羽ばたかせ、えっへんと誇らしげに小さな胸を張った。
『あっ、そっか! 記憶喪失だもんね。えーとね、私が教えてあげる! この世界では魔物を倒すと、その命の力が『経験値』として還元されるの。昨日、あのボス級の大猪を倒した経験値が入ってるから、たいらは一気にレベル10まで上がってるってわけ! すごいでしょ?』
「へえ、倒した相手の力を取り込むシステムか。合理的だな」
『でね! さっきギルドの水晶でわかったたいらの適性は【魔法】なの!』
あいはたいらの頬に自分の柔らかい頬をすり寄せながら、嬉しそうに解説を続ける。
『だからステータスの中でも『INT(知力)』や『MP(魔力)』の数値がグンと伸びてるの。逆に『STR(筋力)』や『VIT(耐久力)』は素人同然のままだからね。前衛で殴り合うなんて絶対しちゃダメなんだからね!』
「なるほどな。魔法使いの素質があるのに、肝心の魔法の使い方は綺麗さっぱり忘れてるってわけか。宝の持ち腐れだな」
たいらが苦笑すると、あいは『もう、笑い事じゃないんだよ!』とぷくっと頬を膨らませて、ペシペシとたいらの首筋を叩いた。
あいの可愛らしい小言を聞き流しながら、たいらは懐から小さな麻袋を取り出し、中の硬貨をチャリンと鳴らした。指先に伝わる銀の冷たさと、擦れ合う金属の重たい音。
「まあ、とりあえず今の問題は戦い方より今日の晩飯だ。……と言いたいところだが、今回は助かったな」
たいらの脳裏に、数時間前のガルドとのやり取りが蘇る。
『ほら、これがお前の取り分だ!』
街で別れる際、ガルドは換金前だというのに、自分の財布から銀貨を何枚か取り出し、たいらの手に強引に握らせてきたのだ。
『いや、俺は何の役にも立ってないぞ。魔法を撃ったのはマリィだし、トドメを刺したのはあんただろ。それに、まだ素材の換金も終わってないじゃないか』
『バカ野郎! お前が俺を転ばせなきゃ、今頃俺は両腕を粉砕されてたんだ! 命の恩人にケチな真似ができるかよ。それに、お前は記憶もなけりゃ一文無しなんだろ? 身分証ができたら、まずはちゃんとした服と美味い飯を買え!』
そう言って、ガルドは太陽のように豪快に笑いながら去っていった。
「……ほんと、お人好しにも程があるよな」
たいらは銀貨を見つめ、少しだけ口角を上げた。
「どこの馬の骨ともわからない男に、ここまでお節介を焼くなんて。……まあ、おかげで今日の晩飯代には困らない。夜の酒場では、俺が一番美味い酒を奢ってやるか」
『賛成ー! 私も美味しいフルーツが食べたい!』
あいが無邪気に喜ぶ声を聞きながら、たいらはふと、行き交う人々の流れや街の風景に目を向けた。
(……なんか、変な感じだな)
昨日この街に入った時よりも、明らかに世界の『解像度』が上がっているのだ。
馬車の車輪が石畳を転がる音の反響、屋台から立ち上る煙の揺らぎ、道行く人々の足の運び。
それらがただの風景としてではなく、どこか規則的な『数式』や『構造』を伴ったものとして、クリアに脳内へ流れ込んでくる。煙の拡散を計算する物理演算のベクトル、人々の動きを制御する群衆アルゴリズムの
――『INT(知力)』のステータスが上がった影響。
たいらは直感的にそう理解した。
この世界のステータス上昇は、単なる能力の増加だけでなく、世界そのものを認識する「処理能力」の向上をもたらすらしい。自分の脳というハードウェアが強制的にアップデートされ、無意識に感じ取っていた世界の「
「……ま、考えても仕方ないか」
たいらは軽く頭を振り、過負荷になりそうな思考を日常へと戻した。
大通りを歩いていた二人は、ふと、石造りの建物に挟まれた薄暗い『裏路地』の入り口に差し掛かった。陽の光が届かず、そこだけ世界の絵の具が黒く塗りつぶされたような、不自然で絶対的な暗がり。
『……っ』
その瞬間、肩に乗っていたあいが、少しだけ身をすくめてたいらの首元にピタリと寄り添った。小さな体が、微かに震えている。
「どうした、あい? 寒いのか?」
『ううん……あの路地、あんまり見ない方がいいよ』
あいは少し顔をしかめて、ヒソヒソ声で言った。
『東の裏路地。あそこはたまに非合法な取引が行われてるっていう、ちょっと黒い噂がある場所なの。治安が悪いから、あんまり近づいちゃダメだからね?』
「へえ。どこの世界にも、そういう光の当たらない裏道はあるんだな」
たいらは暗い路地の奥をちらりと一瞥した。だが、特に何かが潜んでいるようには見えず、気にする様子もなくそのまま通り過ぎた。
やがて、太陽が西へ傾き、街が美しいオレンジ色に染まり始めた頃。二人は、大通り沿いにある大きな酒場の前に差し掛かった。スイングドアの向こうからは、陽気なリュートの音楽と、香ばしい肉の焼ける匂いが漂ってくる。
「そういえば、ガルドたちとここで待ち合わせだったな。ちょっと早いけど、覗いてみるか」
たいらはドアを軽く押し開き、賑わう店内を見渡した。
円卓を囲んでジョッキを傾ける冒険者たち。忙しそうに立ち回る店員。しかし、どれだけ探しても、あの分厚い盾を背負った大男と、小さな魔法使いの姿は見当たらなかった。
「……まだ来てないか」
たいらはドアから手を離し、小さく息をついた。
「まあ、あのデカい盾の修理もあるしな。色々と手間取ってるんだろう。夜にまた来ればいいか」
たいらは特に気にした様子もなく、腹の虫を鳴らして夕暮れの街へと歩き出す。
「ほら、あい。飯食いに行くぞ」
『え……あ、うんっ! 待ってよぉ!』
あいは慌ててたいらの肩の上で姿勢を正した。
しかし。楽しげに歩を進める青年の肩の上で、小さな精霊だけが、もう一度だけ一瞬立ち止まるように振り返り――大通りの向こう、あの薄暗い『裏路地』の方角を、じっと見つめていた。
「…………」
西日が長く影を落とす中、彼女の胸をよぎった微かな不安だけが、誰にも気づかれることなく静かに街の喧騒へ溶けていった。
それは、世界の底から這い上がってくるような、名状しがたい悪寒だった。
『たいら! 今日の晩ご飯は絶対にお肉がいいな!』
「お前、さっきフルーツが食べたいって言ってなかったか?」
――ジジッ
――――プツン。