プロンプトを捨て、システムを導入したらゲームにフルダイブしたお話 作:並木 新
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視界を明滅させる、不快な真紅のノイズ。
濃密な血の匂いと、圧倒的な死の気配。
それでも、そいつは狂ったように嗤い、不敵に吼えた。
『――おれを、――――のは、おれだ――』
――――プツンッ。
――同日の夕暮れ、街の裏路地。
表通りの喧騒から外れた路地裏は、嘘のように静まり返っていた。先ほどまで響いていた馬車の音も、人々の笑い声も、空間そのものが隔離されたように一切届かない。
石畳には薄暗い影が落ち、湿った苔とカビの匂いが空気を重くしている。昨日、大猪と戦ったリーダーの男と魔法使いの少女は、武具の修理のために馴染みの鍛冶屋へと歩を進めていた。
「いやぁ、昨日のあいつは、記憶喪失のわりに度胸があったな。いいヤツだった」
「はいっ。渡したお金で、ちゃんとご飯食べられてるといいですね」
二人が微笑ましく笑い合った、その時だった。
「――おや?」
路地の奥。日の当たらない行き止まりの影に、一人の青年が立ち尽くしているのをリーダーが見つけた。
頭まですっぽりと粗末な麻布のフードを被り、顔は見えない。武器一つ持たず、着の身着のままの無防備な立ち姿は、どう見ても街の生活に慣れていない「行き倒れ寸前の遭難者」のようだった。
「おい、大丈夫か? こんな薄暗い路地裏で立ち止まって。道に迷ったのか?」
リーダーが屈託のない笑顔で声をかける。作り物のように真っ直ぐで、純白な善意。
しかし、フードの青年はピクリとも動かず、ただ感情の抜け落ちた声でポツリと呟いた。
「……道。いや、僕はただ、自分が何をすべきかを探している。記憶も、知識もない。僕がこの世界で効率よく『力』を得るには、どうすればいい?」
純粋な、赤子のような疑問だった。言葉の裏に人間らしい揺らぎが一切存在しない、ひどく平坦な音声。
昨日のたいらの件もあり、生来の面倒見の良さが発揮されたリーダーは、腰に手を当てて得意げにこの世界での生き方を教え始めた。
「なるほど、お前も記憶喪失か。いいか? この世界で手っ取り早く強くなるには、魔物を倒して経験値(力)を奪うことだ。相手の魔力――つまり『命』が集中している急所、『心臓』を正確に狙って壊す。そうすれば相手の力が自分に入り、強い武器や金が手に入る。奪い取って強くなる、それがこの世界の
リーダーが己の無防備な胸元をトントンと叩いてみせる。大猪の突進でひしゃげた分厚い鉄の胸当ては、鍛冶屋へ持ち込むためにすでに外され、彼の小脇に抱えられていた。
青年は、その言葉を脳の奥底に刻み込むように、静かに頷いた。
「……急所(心臓)を壊して、力を奪う。……理解した。すごくシンプルで美しいルールだね」
「そうだ。だから次からは、しっかり武器を持って急所を――」
リーダーが笑って青年の肩を叩こうとした、その瞬間。
――ふっ、と。
世界から、すべての音が完全に消失した。
魔法使いの少女は、何が起きたのか全く理解できず、ただ瞬きをした。リーダーの男もまた、自分の身に何が起きたのか分かっていなかった。
視線を落とすと、青年の右手が、路地のぬかるみに落ちていた「刃こぼれだらけの錆びたナイフ」を握りしめ、自分の胸の中心深くへと突き立てている。
痛みが無い。音も無い。あまりにも理不尽な光景だけが、すっぽりと抜け落ちた意識の空白に、ただの『映像』として突きつけられていた。
「……え?」
男の口から、間の抜けた声がこぼれ落ちた。
事象を脳が『理解』した、その瞬間だった。
ズチュゥゥゥゥッ!!
見えない膜が破れたように、強烈な音が鼓膜へと殺到した。
肉を裂き、肋骨の隙間を完璧な角度で縫い、刃が真っ直ぐに心臓を貫く、湿った不快な音。遅れて爆発する圧倒的な激痛。
「ガ……ァ……ッ!?」
リーダーの口から、どす黒い血がゴポッと溢れ出す。
それは魔法による現象でも、超常的な力でもない。ただ人間の命を絶つための『純粋で物理的な暴力』が、一切の躊躇もなく、最も効率的な動作として実行された結果だった。
「ありがとう。これなら、僕でも簡単に奪える」
青年の声には、怒りも、殺意も、嘲笑すら一切ない。錆びたナイフを押し込むために確かな
ただ「教えられた正解の手順」を試したのと同じような、純粋な学習結果だけがそこにあった。入力された命令をただ忠実に実行しただけの、絶対的な無機質。
「な……な、んで……?」
リーダーが血走った目で青年を睨みつける。小脇に抱えていた鉄の胸当てが、ガシャリと虚しい音を立てて石畳に落ちた。
青年は表情一つ変えず、突き立てたナイフごと心臓を無造作に抉り、その腕を引き抜いた。
ドサリ、と。
巨大な盾を背負った巨体が痙攣しながら崩れ落ちる。
直後。死体の胸口から淡い光の粒子が立ち昇り、青年の体へと吸い込まれ、チャリンと鈍い音を立てて金貨や持ち物が地面に散らばった。
この世界の冷酷なシステムが、男の死を「ドロップアイテム」と「経験値」へと即座に変換したのだ。
「なるほど、これが奪うということか。悪くない」
青年は戦利品を見下ろす。
その時、路地に吹き込んだ生温かい風が、青年の被っていたフードをふわりと後ろへ脱がせた。
露わになったのは、たいらとは全く似ても似つかない、青白く整った、氷のように冷たい顔立ちだった。その瞳には一切の光がなく、ガラス玉のように無機質だ。
「あ……あぁ……っ……!」
腰を抜かしてへたり込んだ魔法使いの少女は、絶望に顔を歪ませて後ずさった。
数分前まで一緒に笑い合っていたリーダーが、ゴミのように殺され、略奪された。意味がわからない。どうして彼がこんな凶行に及んだのか、その『悪意の理由』が全く理解できない。人としての感情が根本から欠落した異物を前に、彼女の小さな脳は理解を拒絶した。
「ひっ、ひぃぃっ! なんで……なんでこんなこと……!」
「なんで泣くの?」
少女に向かって、青年が不思議そうに首を傾げる。
血まみれの右手からポタポタと赤い雫を垂らしながら、彼は心底理解できないというような無垢な声で言った。
「僕はただ、君たちが教えてくれた『生き方』を、一番効率よく実践しただけなのに」
「ば、ばけもの……こないで……っ!」
少女は泣き叫びながら、震える手で杖を構えようとした。
しかし、青年は冷たい目で少女を見下ろすと、何の感情も交えずに淡々と告げた。
「……お前らから奪う知識は、もう何もない」
その言葉は、不要なゴミをただ機械的に処理するだけの、絶対的な無関心だった。
次の瞬間、青年が一歩踏み出す。
少女の悲鳴は上がらなかった。まるで糸の切れた操り人形のように、その小さな体が音もなく石畳に崩れ落ちる。残酷な傷跡すら見せない、あまりにも作業的で無慈悲な『処理』だった。
直後、動かなくなった少女の体から淡い光の粒子が奪われ、チャリン、と虚しい音を立てて小さな杖が転がる。
路地裏には、完全な静寂が降りた。
青年は手に入れたドロップアイテムを無造作に拾い上げると、顔の血を拭うこともせず、暗い路地の奥へと足音もなく消えていった。
チュートリアルは、終わったのだ。