プロンプトを捨て、システムを導入したらゲームにフルダイブしたお話 作:並木 新
路地裏には、凄惨な死の匂いと完全な静寂だけが残されていた。
青年――簒奪者は、足元に転がる二つの死体には目もくれず、彼らが腰に下げていた荷袋を淡々と漁り始めた。
分厚い鉄の盾や魔法使いのローブなど、
血に濡れた手を死体の服で無造作に拭うと、青年は再びフードを目深に被る。
衛兵が血の匂いに気づく前に、彼は足音ひとつ立てず、迷いのない足取りで街の城門を抜け、外へと広がる広大な森へと姿を消した。
――数十分後。街外れの深い森。
森の浅い階層には、ゴブリンや大ネズミといった低級の魔物たちが徘徊していた。
しかし青年は、それらを隠れてやり過ごすことすらしない。自分の進む直線上に立ち塞がる魔物がいれば、歩みを一切止めることなく、すれ違いざまに狩猟ナイフで喉元を深く掻き切った。
「ギャッ……!?」
断末魔の悲鳴が上がり、魔物が血飛沫を上げて倒れ込む頃には、青年は血振りもせずに通り過ぎている。手に入る経験値 (力)が少なすぎるため、立ち止まって死体からドロップアイテムを奪う作業すら省略したのだ。
怒りも、殺意も、戦闘の熱狂もない。まるで不要なデータを一括削除するような、無駄を極限まで削ぎ落とした異常な足取りだった。
青年は歩きながら、冷徹な脳内で一つの推論を組み上げていた。
先ほどの男女が教えてくれた『奪って強くなる』という世界のルール。それを最も効率よく成立させるためには、低級の獣を何百匹と狩るような無駄なレベリングは必要ない。
必要なのは、たった一度の『最大効率の略奪』だ。
現在の自分の初期ステータスは、赤子に等しい。
あのような高密度の魔力を放つ強者と正面からぶつかれば、一瞬で肉体をすり潰される。
だが、どれほど強靭な装甲を誇る生物でも、生命活動を維持する「構造」には必ず致命的な死角がある。外からの物理ダメージを弾くために装甲を分厚くすればするほど、外部から『糧 (食事)』を取り込むための柔らかな消化器官は無防備になる。
「外殻を破れないのなら、内側に直接、致死量の異物を滑り込ませればいい」
ふと、青年はピタリと足を止めた。
木々の隙間。はるか奥の薄暗い空間に、ほんのわずかな『違洪感』を覚えたのだ。
周囲の木々の揺れ方に対する、不自然な巨大な影。あるいは、そこだけ空間の密度が異常に歪んでいるような事象のズレ。
青年はガラス玉のような無機質な瞳で、その空間の一点をジッと、瞬き一つせずに見つめ続けた。
「……あそこに、最大のリソース (個体)がある」
ターゲットを捕捉した青年は、足元を通りかかった一匹の「角ウサギ」の耳を無造作に掴み上げた。
そして無表情のまま、その後ろ足を反対方向に折り曲げる。
「キィィッ!?」
鈍い骨の音と共に、ウサギが悲痛な鳴き声を上げる。
青年は殺さない。彼は暴れるウサギの口を強引にこじ開けると、奪った『爆炎の
ウサギが血を吐き、激しく痙攣する。
「……餌の処理は完了した」
青年はポツリと冷たい声で呟くと、血まみれの生きた餌を片手に持ち、先ほど見つめていた『違和感の中心』へと一直線に歩を進めた。
鬱蒼と生い茂る木々が途切れ、不自然なほど静まり返った広場に出る。
そこは、新米の冒険者など決して足を踏み入れてはならない
青年は広場の中央に、血を流して鳴き叫ぶウサギを放り投げた。そして自身は音もなく大樹の枝へと飛び移り、気配を完全に殺して眼下を見下ろす。
――ズシン、ズシン……。
血の匂いと悲鳴に誘われ、地響きと共に現れたのは、見上げるほど巨大な「
その毛皮は鋼のように硬く、岩のような分厚い外殻に覆われている。並の剣や魔法では傷一つつけられない、この森の絶対的強者だ。
主は広場の中央で身悶えするウサギを見つけると、警戒することもなく近づき、巨大な顎を開いて「丸呑み」にした。
咀嚼すらしない。生態系の頂点にとって、それはただの小さな木の実をついばむのと同じ、日常の食事に過ぎなかった。
その、直後だった。
『――ゴルァァァァァッ!?』
森を揺るがすような、凄まじい絶叫が木霊した。
主の分厚い岩鎧の隙間から、ゴオォッと赤い炎と黒煙が噴き出す。
ウサギの腹の中に仕込まれていた爆炎の魔法が、主の『胃袋の中』で起爆したのだ。
どれほど強靭な外殻を持っていようと、内臓までは岩で覆われていない。
爆炎によって内側から胃壁を消し飛ばされた主は、さらにウサギの血肉と混ざり合った猛毒を全身の血管へと急激に巡らせ、口から大量の黒い血を吐き出してのたうち回った。
大木をなぎ倒し、地面を掻き毟る圧倒的な暴力。
しかし、その命の灯火は内部からの破壊によって急速に削り取られていく。やがて主は白目を剥き、凄まじい地響きと共にその巨体を地に沈めた。
――スッ。
木の上でその光景を静観していた青年が、音もなく主の頭上へと降り立つ。
まだ微かに痙攣している巨大な獣の顔を覗き込み、彼は右手に持った狩猟ナイフを逆手に構えた。
「岩の鎧は硬いが、眼球の奥は柔らかい。……単純な仕様だ」
――ズブッ!!
一切の感情を交えることなく、青年は主の巨大な眼球のど真ん中にナイフを深々と突き立て、そのまま脳を完全に破壊した。
ビクンと巨体が大きく跳ね、森の主の命が完全に途絶える。
その瞬間。
死体から立ち昇ったのは、先ほどのチュートリアルパーティの比ではない、莫大な『経験値 (命の輝き)』だった。
圧倒的な密度の力が、青年の身体へと濁流のように流れ込む。
普通の人間が何年もかけて少しずつ身体を慣らし、命がけで積み上げていくはずのレベル (理)を、彼はたった数十分の作業で一気に手に入れたのだ。全身の筋肉が作り変えられ、脳の奥底で新しいスキル (理)が次々と解放されていくのを感じる。
青年は自身の掌を握り込み、その劇的なステータスの変化にただ論理的な納得を示した。
疲労も、高揚感もない。ただ「一番効率の良い数式を解いた」という結果だけがそこにある。
青年は主の死体から、高値で取引されるであろう『魔石』や『牙』などのドロップ素材を的確に剥ぎ取ると、再び街の方角へと冷たい視線を向けた。
手に入れた素材を
傾きかけた夕日が、青年の影を長く伸ばす。
彼は血濡れたナイフを外套の裏に隠し、足取りも軽く、表通りの活気に満ちた「酒場」を目指して歩き出した。