主任が見て回る島には、独特の熱気と、紫煙と、そして公然の秘密が渦巻いていた。
インカムを耳につけた島の担当主任・木村は、今日もデータ表示機を眺めながら、ズボンのポケットに忍ばせた「それ」の感触を確かめていた。
手触りは、ただの小さなプラスチック製のカード。
しかし中身は、店のメインコンピューターに直結された、島管理用の特殊リモコンだ。通称『万発券』。
これを特定の台に向けて注入すれば、内部確率を強制的に書き換え、一撃で1万発の出玉を吐き出させることができる。
主任以上の役職にのみ、1日3回までの使用が許された「遠隔の権利」だった。
「さて、1発目はどこに落とすか……」木村は鋭い目で島を巡回する。この特権をどう使うかは、完全に木村の裁量に任されていた。
まず木村が目を付けたのは、角台で死にそうな顔をして1万円札をジャブジャブ投入している常連の男だった。
毎日のように通ってくれる太い客だ。
これ以上負けが込んで、明日から来なくなっては困る。木村は男の背後に立ち、親切な店員を装って声をかけた。
「お客さん、今日は厳しいですねえ。まあ、そろそろ風向きも変わりますよ」そう言いながら、ポケットの中でリモコンのボタンを1回、カチリと押した。
数分後、男の台の液晶に激アツ演出が発生し、あっさりと大当りを射止めた。
そこから怒涛の連チャンが始まり、男の足元にはまたたく間にドル箱のタワーが築かれていく。
男は「主任、ありがとな!」と涙ぐんで感謝した。(よし、これで常連の繋ぎ止めは完了だ。2発目は……)
木村の視線が、バラエティコーナーの甘デジ台にカチッと固定された。
そこに座っていたのは、胸元が大きく開いたタイトなニットを着た、若くて色気のある美女だった。
退屈そうにハンドルを握る彼女の後ろ姿を見つめ、木村の鼻の下が伸びる。
木村はさりげなく彼女の隣の空き台の盤面を拭くふりをして近づいた。
「お姉さん、その台、実は今日これから良くなるデータが出てるんですよ」
声をかけると同時に、袖口に隠したリモコンを彼女の台へ向け、2回目のボタンを押す。
直後、台がけたたましい音を立てて爆発的な大当りを引き当てた。
「キャッ! すごい、本当に当たった!」「ね? 僕の言った通りでしょう」
弾けるような笑顔を見せる美女に、木村は満足感で胸を満たした。うまくいけば、今夜あたり食事にでも誘えるかもしれない。
これぞ職権乱用、主任職の最高の特権だった。
そして夜の9時。残る『万発券』はあと1回。木村は本日最後にふさわしい、劇的なドラマの演出を考えていた。
(最後は、あの仕事帰りの哀愁漂うサラリーマンにでもくれてやるか……)
そう思った瞬間、木村のインカムに、事務所にいる店長からの鋭い声が飛び込んできた。
『おい木村、何を遊んでるんだ。今日の予定粗利(あらり)、まだ目標に達してないぞ』「えっ? ですが、そこそこ回収は順調のはずですが……」
『バカ野郎、お前が万発出させたあの常連、更に出してそのまま全部持って帰りやがった。粗利が足りん。おい、最後の1発、今すぐ一番金を使ってゴネそうな土方の客の台に使え。ハンマーは勘弁だ』
「あ、いや、しかし……」『早くしろ! 3回目は防犯と売上調整のためにあるんだよ!』木村は冷や汗を流した。
自分が「神の気分」で配っていた万発は、結局のところ、店長というさらに上の存在の手のひらの上で転がされていただけだったのだ。
木村はため息をつき、ギラギラした目でハンドルから手を離しバックからハンマーを取り出す土方の背後に回った。
ポケットの中で、本日最後のボタンを、どこか虚しい気持ちで押し込んだ。平成のパチ屋の夜は、こうして誰かの思惑と、誰かの欲望を乗せて、ジャラジャラと音を立てて更けていくのだった。