「馬鹿にされたくない。オデ、馬鹿にされたくないど……」
片瀬のパチンコ屋での勝率は、データという言葉を使うのが恥ずかしいほどに酷かった。
直近成績、20戦19敗。これだけならただの「引き弱」だが、恐ろしいのはその内の一勝すらも、自分の力で掴んだものではないという事実だった。
ある日、どうしても外せない用事ができたタカシが、確変が止まらない連チャン中の台を「可哀想だから」と譲ってくれた、あの奇跡の一回だけだったのだ。
この惨状を聞いた一ノ瀬は、普段のおふざけを完全に封印し、冷徹なまでの真剣さで友に忠告した。
「タカシ。兄貴だとか弟分だとか、そういうロールプレイは今は一度横に置いとけ。マジで親友として忠告する。――自分の血肉を削り取り、魂をすり減らして勝ち取った当たりは、自分自身の糧とすべきだ。今の令和という時代、そんなぬるい生き方をしてたら、社会の荒波に揉まれて生き残れねぇぞ」
一ノ瀬のあまりのガチトーンに、タカシは小さく身をすくめて頷いた。
「……分かったよ、しかける。次は、たとえどんな用事があっても絶対に自分で打ち続けるよ。でもさ、片瀬のあの負けっぷりは、流石に見ていて可哀想になってくるんだよ。神様に見放されてるっていうか……」
「確かにな」一ノ瀬は腕を組み、フムと顎をさすった。
「あいつ、店で一体何をしでかしてんだ? 負けるにしても限度がある。よし……『片瀬ウォッチング』と洒落込もうじゃねぇか」
二人が向かったのは、となり街の別店舗のゴールドの新台コーナー。ターゲットは今をときめく話題作『P萌萌チンピク』の島だった。
凄まじい熱気に包まれ、満席で座る隙もないその島のど真ん中に、どうにか台を確保した片瀬がポツンと座っていた。
背後から様子をうかがう一ノ瀬とタカシが、小声で分析を始める。
「台のチョイスはまあまあ、といったところか。大当り確率1/199。二分の一でラッキートリガー(LT)に突入するライトミドル機。大負けもしないが、大勝ちもしない。手堅い選択だな」
だが、地獄はそこから始まった。打ち始めて一時間後。
さっきまでの熱気が嘘のように、その島は完全な『お通夜状態』へと変貌していた。
データランプはどれも死んだように沈黙し、誰も当たらない。
静寂が限界に達した次の瞬間、狂気に駆られた客たちが、一斉に目の前の台を殴り始めたのだ。
「当たらねーじゃねーか!!!」
「ふざけんなクソ店が!!」
ボガ!
ドカ!
スリスリ♡
バキ!
ボコ!
狂ったような金属音と怒号、擦り付けている音が島に響き渡る。
その異常な光景を見つめながら、一ノ瀬とタカシは冷静にその本質を見抜いていた。
「あー、なるほど。システムを理解したわ」
一ノ瀬がフッと冷たい笑みを浮かべる。
「客たちはな、『遠隔操作のスイッチを注入しろ』と必死に台を殴ることで、監視カメラ越しに見ているインカム持ちの主任や、通路を巡回している平社員に一生懸命アピールしてるんだな。その拳の叩き方には、それぞれの裏メッセージが込められている」
一ノ瀬の解説に合わせ、タカシが客たちの心の声をアフレコしていく。
『ドカァン!』――
「私が御社の遠隔を注入された際には、投資額以上の過剰な換金はせず、スマートに退店することを誓います!」
『バキィッ!』――
「今回の無抽選の件は水に流します。お互いに大人の関係として高め合いましょう!」
『スリスリ♡』――
「オデ、画面のこの女の子が好きだぁ。だから当でてくれぇ!」
「ダウトだ」一ノ瀬の目が、完全に静止している片瀬の背中に注がれる。
周囲の客たちが、己の存在と従順さをアピールするために必死で台をぶっ叩いている中、片瀬だけは違った。
彼は筐体の上部に鎮座する、美少女キャラクターのフィギュアを、大きな手でただただ愛おしそうに、優しく撫で回しているだけだったのだ。
「これじゃあ権利獲得以前の問題だな。完全に店側のブラックリストというか、『放置しても文句を言わない客』として処理されてる」
「兄貴、どーします?」
タカシの問いに、一ノ瀬は不敵に二の腕をパンパンと叩いた。
「あまり長続きしない方法だが……アレでいくか」
「んじゃ、ドンキっすね」
アイコンタクトを交わした二人は、踵を返して『メガドンキ』へと向かった。
その日の深夜。薄暗い片瀬の寝室に、二人の影が忍び寄った。
「おい、片瀬よ……」
一ノ瀬の低い声が響く。
「力が欲しいか?」
ベッドの中で寝ぼけていた片瀬が、重い瞼を擦りながら間抜けな声を出す。
「……チカラだど? なんの話だど……?」
「お前には、その資格があるんだ。いつまでも負け犬のままでいいのか?」
タカシの真剣な声が、片瀬の眠気をもぎ取っていく。
片瀬は布団を握りしめ、ぽつりと本音を漏らした。
「オデ……馬鹿にされないチカラが欲しいど……!」
その言葉を待っていた。一ノ瀬がタカシに鋭い目配せを送る。
「タカシ、腕を押さえつけとけ!」
「応! 我慢しろよ片瀬、ちょっと痛むぞ!」
「うっわぁー! わー! 何するだ! 何するだぁー!」
深夜の部屋に、片瀬の悲痛な叫び声が虚しく響き渡った。
翌朝。片瀬の姿は、昨日のパチンコ屋の前にあった。
その顔には、どこか誇らしげな、未知の自信が満ち溢れている。
見送りに来た一ノ瀬が、最後の指示を与えた。
「いいか、片瀬。まずホールに入ったら絶対に喋るな。お前は見た目だけならデブのガチムチで、黙っていれば普通にストリートのモンスターに見える。そして、打っていて『あ、これ今、無抽選の遠隔喰らってんな』と意識した瞬間、店員呼び出しボタンを押せ。そこで、お前のその腕の『チカラ』を開放するんだ」
「わかったど、しかける」
片瀬は力強く頷き、入店した。
昨日と同じ『P萌萌チンピク』の台に座り、打ち始めて一時間。
案の定、台はピクリとも動かない。完全なる無抽選ゾーン。
片瀬は、いつもの癖で筐体のフィギュアを撫でそうになる手をぐっと堪え、一ノ瀬の言葉通り、真顔で店員呼び出しボタンをパシッと叩いた。
すぐに、インカムをつけた主任がやってくる。
「はい、いらっしゃいませ。お客様、お煙草ですか? それとも休憩でしょうか?」
片瀬は何も言わず、ただおもむろに、着ていたヘビーウェイトのTシャツの袖を、ゆっくりと上へ捲り上げた。
チラ、チラ。極太の二の腕が露出する。
!?
そしてそこにあったのは、昨日までは存在しなかった、どす黒い肌に変色した――あまりにもリアルで禍々しい
『和彫りの入れ墨(タトゥーシール)』だった。
「ひっ……!?」
主任の顔から一瞬にして血の気が引いた。
心臓が跳ね上がる。
(や、ヤバい……! 本物の反社の人間だ! ガチの武闘派モンスターだ、これ!!!)
しかし、片瀬自身は一ノ瀬に授けられたこの「チカラ」の正しい使い方(脅し方)をまだ理解しきれていなかった。
怯える主任を完全に無視し、何事もなかったかのように再び前を向いて玉を打ち始める。
周囲の客たちは、その異様な空気を察知し、さらに激しく台を殴って「自分は善良な市民です!」と必死のアピールを開始した。
そんな喧騒の中、片瀬は和彫りの入った極太の腕を剥き出しにしたまま
(やっぱ、このフィギュアはかわいいど……)
と心の中で呟き、入れ墨の隙間から覗く指先で、美少女フィギュアの頭を『スリスリ♡』と優しく撫で始めたのである。
それを見た主任は、恐怖のあまりその場で卒倒しそうになった。
(ヤバいヤバいヤバい!! どす黒い入れ墨の入ったガチムチモンスターが、無表情で美少女フィギュアを愛おしそうに撫で回してる!! サイコパスだ! 完全に話が通じないタイプの大物だ!!!)
恐怖に震え上がった主任は、脱兎のごとく通路を駆け抜け、モニタールームへと飛び込んだ。
そして、カメラの映像を凝視している店長の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで叫んだ。
「店長!! 注入だ! 遠隔スイッチ早く入れてください!! 7番台のあの人、マジでヤバいです! 早く出さないと、この店、明日の朝には消えてますよ!!!」
「な、なんだと……!? よし、全開で回せ!!」
主任が、恐怖でガタガタと震える手で『限界突破遠隔レバー』を最大まで押し上げる。
次の瞬間、片瀬の台の液晶画面に、見たこともないレインボーの激熱パンチラ演出が狂ったように鳴り響いた。
この日、片瀬はパチンコ人生で初めて、一万発どころか怒涛の連チャンによる大爆発を記録し、ドル箱の山に囲まれることになった。
こうして一ノ瀬から授けられた借り物の力は最強に至ったのである。