「なんだ? なんだ!?」
いつもより異常に熱気を帯びたホールの空気に当てられ、タカシが声を上げた。
スロットコーナーの一角が、身動きが取れないほどの客でごった返している。
異様なまでのピリついた緊張感が、島全体に充満していた。
「面白そうだから行ってみるか」
一ノ瀬とタカシは人混みを掻き分け、野次馬の頭越しにその中心へと視線を向けた。
みんなが固唾を飲んで注目しているのは、
この店の看板機種『スマスロ・デビル、悪魔の奇跡』の3番台だった。
台に座っている本人は、魂が抜けたような顔で手をガタガタと震わせながら、液晶画面をスマートフォンで必死に撮影している。
画面に表示されているのは、何の変哲もないリザルト。
【AT終了】【獲得枚数 444枚】現在の持ちメダルを合わせても、下皿に毛が生えた程度の1000枚にすら達していない。
一見すれば、パチンコ屋のどこにでもある、なんの価値もない平凡な負け戦の光景に思われた。
だが、タカシが一ノ瀬の腰を小突いた。
「あ、兄貴……! これ……っ!」
「分かってる。――こりゃあ大事件だぞ」
一ノ瀬の目が、かつてないほど鋭く見開かれる。
異変の正体に気づいた周りの常連たちからも、次々と驚愕の悲鳴が上がり、島中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになり始めた。
「ありえねぇ……!!」
鎌をカマキリのように不自然に傾げた常連の『カマキリ』が、泡を吹かんばかりに叫ぶ。
「『デビル』の設定1否定……設定2以上確定じゃなきゃ絶対に出ないと言われてる、伝説の終了画面カマァ……!!」
その隣で、長年この店に巣食っているプロのドカタ『佐藤』も、信じられないものを見たという風に額の汗を拭った。
「まさか、あのゴールド会長の店が……!? ホールの方針が、根本からひっくり返ったっていうのか……!?」
客たちが恐れおののくその光景を、モニタールームの液晶画面越しに、静かに見つめている男がいた。
元主任――そして今日からこの店の新店長へと電撃出世を果たした、木村だった。
木村は腕を組み、感慨深そうに呟いた。
「やっとだ。……やっと、俺がこの店でやりたかった事ができたぜ」
隣に控える、かつて万発券の研修を受けた後輩主任が、我がことのように顔を輝かせて頭を下げる。
「木村店長、本当におめでとうございます! これでホールの評判も一気に跳ね上がりますよ。今までの遠隔店っていう悪名?ともおさらばですね!」
そう、投入されたのは、奇跡の【設定2】。
もちろん最高設定の6でも何でもなく、ただの「上から5番目」の、他の店なら鼻で笑われるような最低限の底上げに過ぎない。
しかし、この強欲なゴールド会長が支配する魔境において、その意味は他とは全く異なっていた。
「設定が入れられるから、明日からスマスロデビルのイベントもうったぞ。ちゃんとX(旧Twitter)で匂わせ発言もした」
木村は少し涙を浮かべながら、自分が変えつつある愛おしいホールを見渡した。
「楽しみですね、店長!」後輩が笑顔で応じる。
夢にまで見た理想の営業が、今まさに始まろうとしていた。その時だった。
モニタールームに一本の電話が鳴り響いた。
トゥルルルル――。
「木村さーん、となり街店ゴールドの店長から電話ですよー」
呼び出された木村は、受話器を耳に当てた。
「もしもし」
『よう、木村久しぶりだな』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、傲慢で太い声だった。
(げっ、前の店長の岡田からだ……)
木村の背筋に嫌な汗が流れる。相変わらずのプレッシャーだ。
『お前のトコ、なんか随分と繁盛してるらしいな。……ちーとチカラ貸してくれや』
「なんでしょうか? 出来る範囲なら、同じ『店長』として協力しますよ」
『はっ、偉くなったな』岡田は鼻で笑った。
『まあ、細かい挨拶はいいや。――お前んトコに設置してあるスマスロデビルを全台、俺のホールに一週間貸せ』
木村の思考が一瞬フリーズした。
「えっ?」
『今、ウチの若いのをトラックでそっちに向かわせてるから、よろしくな。ああ、もちろんタダとは言わん。代わりに、ガソダムseedとエバGODをたっぷり置いてってやるよ』
ガソダムseedとエバGOD――!!!
(クソ台の二大巨頭じゃねーかよ!!!)木村の脳内で、あまりの絶望的なラインナップに爆発が起きた。
かつてホールの通路を鉄の墓標のように埋め尽くした、あの動かない悪魔の機械たち。
『どうした? 黙り込んで。まあ、どっちも超大型版権だし、お前なら上手く使いこなせるよな。じゃあな』
ガチャ、と一方的に電話が切られた。「…………」木村は受話器を持ったまま、石のように硬直した。
そのただならぬ様子を察した後輩主任が、恐る恐る顔を覗き込んでくる。
「て、店長……? どーしたんすか?」
「逃げちゃダメだ……逃げちゃダメだ……逃げちゃダメだ……」
木村は青白い顔のまま、呪文のようにブツブツと呟き始めた。
「えっ? 店長??」
「――くそっ! エバーは設定2以上にして、仕様上ツラヌキ要素はねぇが、こっちの遠隔で強制的に『ツラヌキ』を発生させりゃあ客付きはどうにかなる……はずだ!」
木村の目が狂気的にギラリと光る。
「だが、ガソダムはどーする? あれは設定を入れたところでどうにもならん。ゲーム性がそもそもクソすぎるんだ!」
頭を抱えて苦悩する木村。その脳裏に、突然電流のような閃きが走った。
「ピコーン! ……そうだ、あいつの出番だ!」
バッと顔を上げた木村は、後輩の肩を掴んで叫んだ。
「おい後輩! 今すぐ倉庫の奥深くに眠っている『5号機のほうのマヴラヴ・トータル・イクリプソ』を持ってこい!!」
「ええっ!?」
後輩主任は目を丸くして困惑した。
「な、何に使うんスカ? あんな昔の古い台……」
「デビルが戻ってくるまでの一週間の一時しのぎだ!」
木村は不敵な笑みを浮かべ、作戦をまくしたてた。
「あの台ならゲーム性は最高に面白くて、今打っても絶対に客がつくはずだ! それに……同じメーカーの筐体でロボット物なら、客にはパッと見でバレやしねーだろ!!」
新店長・木村の脳内で、クソ台のガソダムと、名機(人によるが)のトータルイクリプソが最悪の形で融合する。
「ガソダムとトータルイクリプソの悪魔合体だ!!」
木村は深夜のホールで、倉庫から埃を被った古い台を汗だくになりながら引っ張り出し、強引にバラして設置し始めた。
あまりにも無茶苦茶で、法律の壁を粉々に粉砕する狂気のアイデアに、後輩主任は顔を真っ青にして必死にすがりついた。
「やめてください木村さん! 検定切れの、そもそも5号機をホールに設置するなんて、いくらなんでも狂ってますよ! 見つかったら一発で営業停止どころの騒ぎじゃ済まないですって!!」
「ハァハァ……!」
狂気と焦燥で肩を激しく上下させる木村は、後輩の手を振り払い、血走った目で叫んだ。
「もうこれしかねぇんだ……! 頼む、今回だけは見なかったことにしてくれ!! この介入は……俺個人の意志だ!!」
一人ですべての罪を背負おうとする新店長の圧倒的な悲壮感。その後ろ姿を前に、後輩主任はしばらくじっと立ち尽くしていた。
だがやがて、その目に強い覚悟が宿る。後輩は静かに歩き出すと、近くに置いてあったガソダムの全面パネルを両手でしっかりと持ち上げ、木村の前へと差し出した。
「……『俺達』の意志ですよ!!」
その真っ直ぐな言葉が、絶望の淵にいた木村の胸を鋭く貫いた。自分を信じてついてきてくれる部下がここにいる。
木村の目から大粒の涙が溢れ出た。
「うっ……うっ……すまねぇ……!」
木村は嗚咽を漏らしながら、後輩からパネルを受け取り、ガソダムの外皮を被った「検定切れ5号機マヴラヴ」の悪魔合体台を二人で完成させた。
深夜のホール、誰もいない闇の中で、禁断のキメラが静かに産声をあげる。
こうして翌日から、一歩間違えれば破滅が待っている「悪魔のイベント日」がスタートするのだった……。