前科持ち動画配信者の生活 ~エミヤ、クー・フーリンと留置所で出会う~ 作:みそそ
他者から「生きていていい」という許可を貰わなければ、呼吸をすることすら罪悪感を覚える。
それが、この男――エミヤの抱える、致命的で歪みきった精神の病理だった。
現代日本という平和を貪る社会において、彼の異常性はひっそりと潜伏していた。一般企業に就職して他者と関われば、己の妥協なき潔癖さが周囲を破滅させると自覚している。だからこそ彼は、ある「伝説の背中」を追うことで、己の空っぽな内面を満たそうとした。
衛宮切嗣。エミヤの憧れの義父であり、生前は警察官の傍ら、動画配信プラットフォーム『ManaTube(マナチューブ)』で異彩を放っていた伝説の配信者だ。
切嗣の動画は、およそ料理動画のそれとはかけ離れていた。栄養バランスと摂取カロリーの効率のみを追求し、ミリグラム単位で塩分を計量し、寸分の狂いもなく肉を断つ。そこにあるのは冷徹な機能美と、サバイバル術の一環としての調理だった。
「私は、君のようになりたかったんだ、切嗣」
薄暗いアパートの一室で、エミヤは最新の撮影機材を前にして呟いた。
彼が立ち上げたチャンネルの名前は、『人類の守護者チャンネル』。本人は至って大真面目だったが、ネットの海においては、コテコテの中二病患者が始めた身内ネタのアカウントにしか見えない悲劇的なネーミングだった。
エミヤの動画作りは完璧だった。
「出汁から取る、丁寧な王道基本の肉じゃが(黄金比レシピ解説付き)」と題された動画の中で、彼は干将・莫耶と見紛うような研ぎ澄まされた包丁を使い、1グラムの狂いもなくジャガイモの面取りを行い、正確な熱量管理で煮汁を対流させていく。字幕の解説も精密機械の取扱説明書のように論理的だった。
これで、誰かに届くはずだ。誰かが私に「ありがとう」と言ってくれるはずだ。
そう信じて動画を投稿した。しかし、マナチューブの底に渦巻くネット民、すなわち有象無象の反応は、エミヤの期待を無慈悲に踏みにじるものだった。
『なにこれ、衛宮切嗣のパクリじゃん』
『劣化版切嗣乙。実質、切嗣の動画の再放送を見てるのと何も変わらんわ』
『無駄に手際いいけど、切嗣みたいな冷徹な機能美、オリジナリティがないんだよね。ただの神経質な男の自己満足』
『チャンネル名が痛すぎるwww人類の守護者って何から守ってんの?ジャガイモの型崩れ?www』
コメント欄に並ぶのは、画面の裏の安全な場所から、他人の努力を鼻で笑って消費するだけの陰湿な言葉の羅列だった。生々しく、救いのない悪意。
登録者数は1200人でピタリと止まり、高評価の数は数えるほど。対してコメント欄は「パクリ動画」として小さな炎上状態に陥っていた。
「私の真面目さは……この世界では、求められていないのか」
エミヤはディスプレイの光に照らされながら、微かにメガネのブリッジを震わせた。胸の奥が、冷たい泥で満たされていくような感覚。かつて正義を志した時と同じ、静かな、しかし確実なすり減りが、彼の心を削り始めていた。
なぜだ。なぜ私の丁寧な、正しい料理が否定され、こんな言葉を投げつけられねばならない。
エミヤは充血した目を凝らし、原因を突き止めるべく、マナチューブのトップページを開いた。研究のために、今まさに「この世界で最も視聴回数が高い動画」をクリックする。
それが、さらなる理不尽の扉を開くとも知らずに。
エミヤがクリックした動画のタイトルは、彼の理解の範疇を遥かに超えていた。
『【漢の料理】酔っ払った勢いで釣った鮭に生クリームと鶏ガラ丸ごとブチ込んでケーキ作ってみたwww【吐いた】』
チャンネル名は、『クー・フーリンだけど質問ある?』。
画面の上に表示された数字は、登録者数八十五万人。視聴回数は、投稿から僅か三日にして二百四十万回。
「二百……四十万……?」
エミヤの指先が、マウスを握ったまま凍りついた。自分の『黄金比肉じゃが』の、およそ二千倍。眩暈を覚えるほどの格差の理由を知るべく、彼は食い入るように画面を睨みつけた。
動画が再生される。
画面に映し出されたのは、お世辞にも綺麗とは言えないボロアパートの、色褪せた畳の部屋だった。そこに直接カセットコンロが直置きされ、その上に煤けたフライパンが載っている。
そして画面の真ん中で、すでに赤ら顔の青い髪の男――クー・フーリンが、ストロング系の缶チューハイを片手にゲラゲラと笑っていた。
『よぉネットの陰キャども! 今日は最高のケーキ作ってやるから見てろよ!』
男はまだ生きている鮭の頭を雑に掴むと、内臓を抜くことも、鱗を落とすこともせず、そのままフライパンに叩きつけた。ジュウ、と嫌な音が響く。
エミヤの脳内で、衛生管理の警報が鳴り響いた。待て。せめてエラとハラワタは引け。鱗が焦げて苦味が出る。なぜ畳の上でコンロを直置きしている。火事になったらどうするんだ。
しかし、画面の内の暴挙は止まらない。
男はコンビニの袋から業務用生クリームを取り出すと、鮭の上からドボドボと容赦なく流し込んだ。さらに、業務用の鶏がらスープの素を取り出し、一パック丸ごと、致死量に近い塩分をその上にブチまける。
『よし! これをひと煮立ちさせて……漢の鮭ケーキ、完成だ!!』
見た目は、白い泥の中に生魚が沈んでいる地獄の煮込み。男はそれを、フォークで豪快に掬って口に放り込んだ。
一瞬、男の顔が土気色に変わる。
『うっ……お、お、美味しいぃぃいいい!!!』
男は白目を剥きながら絶叫し、凄まじい勢いで激しく咳き込んだ。そのまま、画面の外のトイレに向かって駆け込もうとしたが、足元にあったゴミ袋に引っかかって派手に転倒。ガシャーン、と何かが割れる音と共に、動画は唐突にブラックアウトして終了した。
――そして、流れるようなコメント欄の熱狂。
『兄貴最高すぎるwwwww』
『ゲボ吐きながらサムズアップするの草。ガチで死ぬぞwww』
『これぞ野生の漢の料理。元気出るわ』
『畳の上のカオス感たまらん。これが本物のマナチューブよな』
それは、エミヤが何よりも嫌悪する、理不尽で無秩序な『暴力』に似た熱狂だった。
どれだけ真面目に、衛生的に、相手の健康を思って黄金比のレシピを練り上げても無視される。なのに、こんな衛生的に良くない畳の上で料理して、ゲテモノを食らってのたうち回っている動画が、世界から絶賛され、求められている。
ディスプレイの光が、エミヤの青ざめたポーカーフェイスを冷たく照らす。
彼がこれまで培ってきた家事スキル。一分一秒を惜しんで磨き続けた手際。他者に生きていいと認められるために積み上げた「丁寧な正義」が、この一本の『生クリーム鶏ガラケーキ』の前に、何の意味も持たず粉砕されたのだ。
「……世の中の、理不尽というやつだな」
エミヤは静かに呟き、ブラウザを閉じた。
胸の奥に、猛烈ながっかり感と、底なしの虚無が広がっていく。
やはり、このマナチューブの世界でも、私の真面目さは求められていない。他者から生きていいという許可は、こんな泥の沼...アンリマユからは得られないのだ。
エミヤは、静かに立ち上がった。
「マナチューバーなど、一旦ストップだ。……やはり、切嗣と同じ、本物の警察官を目指すべきだな」
それが、自分の人生をさらに狂わせる『正義の暴走』への入り口だとは、この時のエミヤはまだ知る由もなかった。