前科持ち動画配信者の生活 ~エミヤ、クー・フーリンと留置所で出会う~   作:みそそ

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第2話

組織というものは、人が数十人も集まれば、必ず「自分が許せなくなる汚れ」を発生させる。

 

それは、衛宮切嗣の後を追って警察官の道を志したエミヤが、あまりにも早く、そして残酷に突きつけられた現実だった。

 

警察学校でのエミヤは、文字通りの『怪物』だった。

筆記試験は常に満点。切嗣が残した膨大な資料や、法的な理論を完璧に脳内に叩き込んでいた。射撃訓練では、的のド真ん中を寸分違わず撃ち抜く神業を披露し、担当教官をして「あいつはゴルゴか何かの生まれ変わりか」と戦慄させた。逮捕術の訓練でも、一切の無駄がない洗練された身のこなしで、熟練の先輩警察官を秒殺し続けた。

 

誰もが彼の輝かしい未来を信じて疑わなかった。だが、その並外れたスペックの根底にあるのが、ただの優秀さではなく、「悪を見逃せない」という歪みきった強迫観念であることを、組織の誰も見抜けていなかった。

 

現場に配属された瞬間、エミヤの『正義の暴走』が始まった。

地元の権力者への不自然な忖度、同僚が起こした不祥事の隠蔽、上層部によるちょっとした裏金の揉み消し。世界の裏側で、誰もが「そういうものだ」と見て見ぬふりをする社会の澱み、汚れ。それらを目にした瞬間、エミヤの脳内の安全弁が弾け飛んだ。

 

「これは犯罪だ。なぜ誰も動かない。なぜ法を執行しない」

 

妥協を知らないエミヤは、持ち前の合理的かつ容容赦ない手際で内部告発の証拠を完全に包囲・構築し、上層部の喉元に突きつけた。組織を綺麗にしようとしたのだ。だが、返ってきたのは賞賛ではなく、底知れない恐怖の目だった。

 

「あいつは正義の味方か何かのつもりか!? 危険すぎる、今すぐ追い出せ!」

 

組織の闇を暴きすぎた狂人は、上層部の保身によってスピード解雇された。

 

どんな組織でも、人が集まれば必ず汚れが生まれる。ならば、自分を受け入れてくれる場所など、この社会のどこにも存在しない。

 

夕陽が差し込む、安アパートの一室。

そこは家具が最低限の机とベッドしかなく、装飾はいっさい無い、無機質で生活感が希薄な場所だった。まるで、エミヤ自身の空っぽな内面をそのまま形にしたかのような、冷たい部屋。

 

机の上には、皺一つないまま置かれた警察の制服と、一枚の『解雇通知書』。

 

窓から差し込む真っ赤な夕陽を浴びながら、エミヤは魂が抜けたような目で天井を見つめ、呆然と佇んでいた。かつて彼が、終わりのない荒野で縛られ続けた守護者の記憶など無いはずなのに、その横顔には同じ悲壮な影が落ちている。

 

「ManaTuberとしても、警察官としても、私は何者にもなれなかったな……」

 

乾いた笑いが、無人の部屋に響く。

 

「切嗣。君の背中は、どうしてあんなに遠いんだ……」

 

誰からも「生きていい」という許可を与えられず、社会から完全に弾き出されたエミヤ。だが、その絶望の底で、彼の壊れた天秤は静かに、しかし最悪の方向へと傾き始めていた。

 

組織に属して正義を行えないのであれば。

 

――自分単体で、この世界の汚れを掃除する『正義の味方』になればいい。

 

これが、彼の人生が本当の意味で狂っていく、決定的なきっかけだった。

 

単体での正義の味方活動。それはエミヤにとって、誰にも頼まれていない、しかし生きるために絶対に止められない「呼吸」のようなものになっていった。

 

一般企業に就職する気持ちなど、とうに失せていた。組織の内部が最初から腐っているのなら、どこへ行っても同じだ。汚れが目の前で発生し、それを許せない自分が暴走して破滅する未来しか見えない。

 

だから彼は、地域住民の『守護者』になることを決めた。

 

「エミヤちゃん、今日も助かったよぉ。本当にありがとうねぇ」

 

「いえ。当然のことをしたまでです」

 

電球の交換、庭の草むしり、詰まったドブの掃除、重い荷物の運搬。エミヤはそれらをご近所のお年寄りたちのために、すべて無料で、完璧な手際でこなした。お年寄りたちからお裾分けとして貰う大量の野菜や煮物。エミヤはそれらを飢えを凌ぐ糧としながら、一応の生活を送っていた。

 

他者から「ありがとう」と微笑みかけられる瞬間だけ、エミヤの歪んだ脳内には「生きていい」という免罪符のような快感が満ちていく。

 

自分が今、他者から必要とされている。世界から生きる許可を貰えている。その不健全な満足感こそが、彼の人生を確実に狂わせ、引き返せない依存の沼へと引きずり込んでいく劇薬だった。

 

そんな中、とあるウイルスが流行し、社会がパニックに陥った。

どこのドラッグストアに行ってもマスクが売り切れ、ネットでは高額転売が相次ぐ異常事態。足腰の弱い、ネットの使えない近所のお年寄りたちは「マスクがどこにも売っていなくて外に出られない」と恐怖し、困窮していた。

 

それを見た瞬間、エミヤの脳内で、眠っていた『守護者スイッチ』が限界を超えてオンになった。

 

「……弱者が泣いている。ならば、私がその要因を排除すればいい」

 

エミヤの行動は合理的、かつ苛烈だった。夜明け前からあらゆるドラッグストアの前に張り込み、開店と同時に突撃。持ち前の並外れた体力と最短ルートの最適化によって、地域のマスクというマスクを、一般人の手が届く前に片端から根こそぎ買い占めた。

 

そしてそれを、近所のお年寄りたちに「使ってください」と、一円の利益も取らずに笑顔で配り歩いたのだ。

 

お年寄りたちは「神様仏様エミヤ様」と彼を拝み、涙を流して感謝した。エミヤの心は、かつてない全能感で満たされていた。

 

だが、その歪んだ正義の様子を、お年寄りの孫の一人が「地域の心温まる助け合い」として善意で動画に収め、『ManaTube』に投稿したことで、事態は最悪の決裂を迎える。

 

『やってること転売ヤーと同じ買い占めじゃねえか!』

 

『お前が朝イチで全ての店をハシゴして買い叩くから、普通に仕事してるサラリーマンが一個も買えないんだよ!』

 

『無料配布してるからセーフとか言ってる信者アホか。流通を完全に歪ませてる時点でただの害悪。自己満足の怪物だろこれ』

 

『いや、でも独り占めしてないだけマシじゃね? お年寄りを救ってるのは事実だし……』

 

コメント欄は瞬く間に、匿名の悪意と正義の押し付け合いによる大炎上、凄まじい地獄絵図、すなわちアンリマユと化した。

 

スマホの画面を見つめながら、エミヤは冷や汗を流し、その場に凍りついた。

私は一円の利益も得ていない。ただ、目の前の弱者を救っただけだ。それなのに、なぜ悪と言われ、叩かれねばならない。

 

そんな折、テレビのニュース番組が、ネットの誹謗中傷やデマの決めつけによって、現実で追い詰められて涙を流している一般人の姿を映し出した。

 

「……あ。ああ、そうか」

 

その映像を観た瞬間、エミヤの脳内で何かが決定的に壊れた。

文字だから無視していいはずがない。画面の向こうの無責任な言葉の羅列は、確実に現実の人間を刺し、殺している。あの無数の悪意こそが、この世界を汚す諸悪の根源だ。

 

エミヤの精神は激しく摩耗し、これ以上の自傷を防ぐために、自分のチャンネルのコメント欄を一切見ないよう『完全封鎖』した。文字という名の凶器を、視界から徹底的に排除したのだ。

 

しかし、それは決して彼が大人になって諦めたわけではなかった。

 

ネットの向こうの被害者に過剰なまでに共感し、傷つき、疲弊しきった彼の冷徹な目は、ディスプレイの青い光を反射して、暗くギラリと狂気の色を帯びていた。

 

「言葉で人が死ぬのなら、その言葉を吐き出す手を、元から叩き折るしかない」

 

ネットの有象無象が垂れ流す悪意を、裁くべき汚れと定義したエミヤ。彼の歪んだ正義感は、ついに一線を越え、暗黒のダークヒーロー活動へと暴走を始める。

 

エミヤの歪んだ正義感は、ついに法治国家の枠組みを完全に踏み越えた。

 

彼が狙いを定めたのは、ネットの安全圏からデマを流布し、無実の人間を自殺寸前まで追い詰めた悪質なネット詐欺師や、嫌がらせを繰り返す炎上マニアたちだ。

 

魔術の知識もカルデアの記憶もない。だが、エミヤの肉体と執念は一般人の領域を遥かに逸脱していた。

 

ネット上のわずかな足跡から、デジタルタトゥーを執銃に追い、フットワークだけで対象の住所を完璧に特定。深夜、防犯カメラの死角を正確に突き、鍵の開いた窓から音もなく標的の部屋へと侵入する。

 

「な、なんだお前、誰だっ――!?」

 

「静かにしろ。騒げばその分、対価を支払うことになる」

 

魔術の代わりに彼が手にしたのは、ホームセンターで買った安物の結束バンドとガムテープだった。

 

抵抗する詐欺師を一切の無駄がない洗練された格闘術で瞬時に制圧。椅子に括り付け、口を塞ぐ。エミヤが求めたのは暴力による快楽ではなく、冷徹な『事情聴取』と『真相の確かめ』だった。

 

拘束した相手の前に座り、相手がどれほどのデマを流し、どれほどの人間の人生を狂わせたのか、法的根拠と証拠を淡々と突きつけて論破する。相手が恐怖の涙を流し、罪を認めるまで。そして全ての証拠を確保した上で、匿名で警察に「〇〇の容疑者が、証拠と共にここにいる」と通報し、闇へと消え去る。

 

エミヤは、その私刑の様子を自らカメラで撮影し、顔や声にモザイク処理を施して『ManaTube』の『人類の守護者チャンネル』に投稿し始めた。

 

自分のコメント欄は完全に無視しているため、エミヤは外の世界の声を直接見ることはない。しかし、その動画を観た現代のネット民は熱狂していた。

 

『うおおお! 本物の仕置人キターーー!』

 

『現代のダークヒーローだろこれ! もっとやれ!』

 

『クズを動かない警察の代わりに裁いてくれる。神かよ』

 

遮断された壁の向こうで、無数の「いいね」の数字だけが爆発的に膨れ上がっていく。エミヤは、その激しく明滅するカウンターの数字を見つめながら、歪んだ安堵を覚えていた。

 

ああ、世界が私を求めている。私は今、ネットの悪意......アンリマユを切り裂く、世界の呼び声、アラヤの奴隷として機能しているのだ、と。

 

――だが、その悲壮な覚悟の戦いを、地球上で最も『エンタメ』として消費している男がいた。

 

「ギャハハハハハハ! おい見ろよこいつ、マジでまたやってるわ!」

 

西日の差し込む、安い畳のボロアパート。

コンビニのゴミ袋に雑に足を突っ込みながら、クー・フーリンはストロング系の缶チューハイを片手に、スマホの画面を観て爆笑していた。画面に映っているのは、無駄にスタイリッシュなアングルでネット詐欺師を結束バンドで縛り上げ、冷徹に事情聴取している『人類の守護者』の動画だ。

 

「やってること完全に犯罪の領域なのに、最後はきっちり証拠揃えて警察に通報して終わるの、真面目すぎて意味分かんねえ! どんだけストイックなストーカーだよ! ロープの結び方ガチすぎて引くわー」

 

ランサーにとって、この動画は「今ネットで一番スリリングな過激系おもしろ動画」に過ぎなかった。

 

エミヤがどれだけ世界の呪いに心を痛め、どれだけ血を吐くような絶望の果てにそのガムテープを手に取っているかなど、ランサーはこれっぽっちも知らないし、知る由もない。ただ、画面の向こうの奇妙な男の『狂気』を、最高の酒の肴にしてゲラゲラと笑い飛ばしているだけだった。

 

「ま、見てる分には最高のエンタメだけどな! 次の動画まだかよ、人類の守護者さんよぉ!」

 

暗い部屋で、世界の重みを一人で背負うポーカーフェイスの男。

明るい部屋で、他人の人生を画面越しに消費して笑う野生の男。

 

交わるはずのなかった二つの極端な『前科者予備軍』が、ネットという歪んだ鏡を通じて、じわじわと引き寄せられていく。

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