前科持ち動画配信者の生活 ~エミヤ、クー・フーリンと留置所で出会う~ 作:みそそ
どれほどネットの海が人間の悪意で濁っていようとも、現実の世界には、ただ健全に生を謳歌する人間たちが存在する。
『ManaTube』登録者数十万人を突破したクー・フーリンが開いた記念オフ会は、まさにその「陽」の現実を体現するような空間だった。
場所は多摩川の河川敷。
よく晴れた空の下、爽やかな風が吹き抜ける場所に集まったのは、ランサーの破天荒な生き様に惹かれた人々だった。
本格的なテントを設営するキャンプ好きの若者、自慢のマシンを並べて語り合う屈強なバイク乗りたち、そして彼の見事な体躯と堂々とした振る舞いに純粋に惚れたギャルっぽい女性たち。
彼らはネットの過激なノリとは無縁の、ただ共通の趣味を持つ気さくで良い人たちばかりだった。
「おいおい、そんなに肉ばっか食ってねえで野菜も焼けよ!」
ランサーが笑いながらトングを振り回し、自分で釣ってきたという巨大な魚を豪快に網の上に載せる。世界の陰惨さとは真逆の、あまりにも健全で、活気のあるバーベキューの光景。
その光景を、少し離れた場所から鋭い目で見つめる男がいた。エミヤだ。
彼は「あの衛生概念の崩壊したゲテモノ配信者が、現実で食中毒の集団感染でも引き起こさないか」と、半分は監視目的、半分は世間のマナチューバーの動向を偵察するために潜入していたのだ。
だが、気がつけばエミヤは、参加者の屈強な男たちに囲まれていた。
「おいお前、この肉の焼き加減めちゃくちゃ最高だな! どこでこんな技覚えたんだよ!」
「……火の通りを均一にするには、炭の配置を均一にする必要がある。当然だ」
ぶつぶつと論理的な講釈を垂れながらも、持ち前の卓越した家事スキルで完璧な肉を焼き続けるエミヤ。参加者たちは「なんだか神経質そうだけど、めちゃくちゃ頼りになる良い奴」としてエミヤを大絶賛し、エミヤもまた、自然の中で釣りをし、肉を焼き、他者と他愛のない会話を交わす「ただ楽しい思い出」を、いつの間にか心の底から共有してしまっていた。
ネットの泥沼で擦り切れていた心が、一時的にデトックスされていくような穏やかな時間。
そのオフ会の終盤、ついに二人のマナチューバーが言葉を交わす瞬間が訪れる。
「よぉ、お前。さっきから肉焼くの手際良すぎだろ」
冷えた缶ビールを片手に、ランサーが親しげに声をかけてきた。その目が、エミヤの顔をじっと見据える。
「……あぁ、お前、あの『人類の守護者チャンネル』の奴じゃねえか。モザイク越しでもそのガタイと変なガムテープの巻き方で分かったわ。俺、お前のファンだぜ。毎度毎度、ガチの犯罪者相手にスリリングな動画上げてんなぁ。俺にはとても真似できねえよ」
ランサーの言葉は本心だった。ただしそれは、英雄としての敬意ではなく、「ヤバいネット仕置人ごっこをしてる面白い一般人」を、画面の向こうの安全圏から最高のエンタメとして楽しんでいる観客としての言葉だった。
エミヤは冷徹なポーカーフェイスを維持したまま、鼻でフッと小さく笑った。
「光栄だな。だが、君の体に悪そうな飯を食べる点や、車、バイクの危険運転の数々……。あのような、いつ命を落としてもおかしくない有害な動画を平然と撒き散らす蛮勇こそ、私には到底真似できないよ」
エミヤの言葉もまた、本心だった。あんな有害な動画で何百万回もバズっているバカを、心の底から軽蔑しているという、強烈な皮肉。
「……あぁ?」
ランサーの片眉がピクリと跳ね上がる。(こいつ、なんか俺のこと馬鹿にしてんな)という事実を、直感で一瞬にして見抜いたのだ。二人の間に、一瞬だけピキピキとした不穏な空気が流れる。
しかし、そこは現実の大人同士。それ以上の衝突を起こすことなく、オフ会は何事もなく爽やかに解散となった。
帰りの電車の中、エミヤはすっきりとした穏やかな気持ちで、胸の内に一つの「確信」を抱いていた。
「なるほどな……。ネットの住人と言えど、現実で実際に集まれば、みんな気さくで話の通じる良い人たちなのだ。あの程度の男のオフ会であれほど高潔で爽やかな空間が作れるのなら……」
私の、正義の志に満ちた『人類の守護者チャンネル』のオフ会は、さぞや素晴らしい集いになるだろう。
心が洗われたエミヤは、ウキウキとした気持ちで、自らもオフ会を開催することを決意する。
画面の向こうに潜む、現代のアンリマユ、人間の悪意の煮こごりの生々しい実態を、まだ何も知らないまま。
――そこは、光の届かない暗黒のディストピアだった。
「現実のネット民は、集まればみんな話の通じる良い人たちだ」
そんな致命的な勘違いをしたエミヤは、自腹で市民ホールの調理室兼会議室をレンタルした。「ランサーの河川敷で出た肉も悪くなかったが、私の料理なら彼らはもっと喜ぶはずだ」と、ウキウキしながら1グラム単位で完璧に計算された最高級のローストビーフや宮廷料理並みのケータリングを並べ、その時を待った。
だが、ガチャリと扉が開いて入場してきた群衆を目にした瞬間、エミヤのポーカーフェイスが微かに凍りついた。
入ってきたのは、ランサーのオフ会にいたような爽やかなバイク乗りでも、流行りの服を着たギャルでもなかった。全員がどんよりと濁った目をし、一様に生気のない、ひどくダークな雰囲気を纏った人々だった。
「エミヤさん……! あなただけが、この狂った世界の唯一の光です!」
入場するなり、エミヤの前に跪かんばかりの勢いで迫ってくる人々。
彼らはエミヤの料理の味など一ミリも気にしていないかのように、完璧なローストビーフを無表情で咀嚼しながら、ブツブツと呪詛のような会話を繰り広げ始めた。
「この政治体制は間違っている」「あの炎上した政治家、居場所を特定して社会的に抹殺すべきだ」「いや、あの迷惑系配信者の家に火を放つべきだろ。エミヤさん、次の私刑の対象は誰ですか? 指示をくれれば僕たちが突撃します!」
会場のあちこちで、怪しげな宗教のセミナーパンフレットを配り始める年寄りや、陰謀論をがなり立てる詐欺師風の男、社会への怨嗟をノートに書き殴る若者が乱立していく。明るいノリなど皆無。そこにあるのは「救われたい」という純粋な願いではなく、「エミヤという絶対的な正義に依存して、合法的に他人を叩いて壊したい」という、人間の生々しい悪意の塊だった。
「いや……私はただ、物事の真相を確かめて、警察に通報しているだけであって……そんな、世界を革命しようなどとは……」
かつて「正義の味方」を目指し、誰かの救いになりたかったはずの男。しかし、自分が歪んだ承認欲求の末に引き寄せた「理想の理解者」たちの狂信的なキラキラした目を前にして、エミヤは引きつった苦笑いを浮かべることしかできなかった。思っていたのと、あまりにも違いすぎる。
その時、市民ホールの入り口にあるガラス扉の向こうに、ひょっこりと青い髪が覗いた。
(お、あいつオフ会開いたんだな。ちょっと冷やかしに行ってやるか……)と、軽いノリで様子を見にきたランサーだった。
だが、ガラス越しに会場内の凄惨な空気を察知した瞬間、ランサーはピタッと動きを止めた。
宗教の勧誘、政治体制への呪詛、どす黒い悪意にまみれて教祖のように囲まれているエミヤの姿。
「……うわぁ(ガチ引き)」
ランサーは今までに見たこともないような、心底ドン引きした顔を浮かべると、頭をガリガリと掻き、そのまま一秒でも早くその場から離れるように回れ右をして足早に帰ってしまった。
ガラス越しに、そのランサーの「完全なる撤退」をばっちり目撃してしまったエミヤの絶望は、計り知れなかった。
(あいつにだけは……あんな有害な動画でバズっているだけの野蛮な男にだけは、哀れみの目で見られたくなかった……!!)
猛烈な敗北感とがっかり感。そして、自分の居場所がまともな人間の来ない泥の沼「アンリマユ」であるという現実に、エミヤの張り詰めていた狂気の糸が、みしりと音を立てて軋み始めた。
市民ホールの暗黒ディストピアを経て、エミヤの心は完全にボロボロになっていた。
自分のしてきた「正義」が、一体どこで狂ってしまったのか。安アパートの薄暗い部屋で、ただ天井を仰ぐだけの日々。そんな彼の元に、ついに運命の鉄槌が下る。
ドンドンドンドン! と激しくドアを叩く音。
「警察だ! エミヤ、中にいるのは分かっている! 任意同行を求めに来た、開けなさい!」
私刑行為の数々、住居侵入および逮捕・監禁罪の容疑。かつて自分をスピード解雇した警察の組織が、ついに逮捕状を持って突撃してきたのだ。
エミヤが重い腰を上げ、諦めたようにドアを開けようとした、その瞬間だった。
「エミヤ様を警察の犬どもに渡すなーー!!」
「あの人は私らの神様じゃ! 悪者はそっちじゃろうが!」
廊下から、凄まじい怒号と悲鳴が響き渡った。
驚いてエミヤが外を見ると、そこには、かつて彼がドブ掃除をし、マスクや米を無償で配った地域のお年寄りたちが大挙して押し寄せていた。彼らは完全にエミヤを信仰する狂信者と化していたのだ。
お年寄りたちは、ゲートボールのスティックやシルバーカー、重い買い物カートを武器に、防弾盾を構えた警察の機動隊相手に文字通りの大乱闘を開始した。
「ま、待ってください! 皆さん、やめてください!」
エミヤの必死の制止など、狂乱の渦には届かない。自分が良かれと思って、生きていいという許可を貰うために積み上げてきた小さな正義「ボランティア」が、最終的に、親切だったお年寄りたちを警察と殴り合う暴徒に変えてしまった。
その光景を見つめるエミヤの心は、今度こそ完全に、粉々にへし折れた。
(ああ……私の行く先には、どうしていつもこの地獄、争いが生まれるんだ……。いくら世界を掃除しても汚れは取れない。……それどころか、この私自身が、この街を汚す最大の汚れ『害悪』だったのか……)
かつて正義の味方を夢見た男は、自らの存在そのものが生み出した致命的な歪みに気づき、ぽっかりと空いた自嘲の笑みを浮かべた。彼は抵抗することなく、両手を差し出してすんなりと手錠を受け入れ、灰色のパトカーへと連行されていった。
――数時間後、警察署の留置所(牢屋)。
すべてに絶望し、完全に「空っぽの木殻」のようになって、冷たいコンクリートの檻の片隅で膝を抱えていたエミヤ。「私の人生は、ここで終わりか……」と魂の抜けた目で床を見つめていた彼は、ふと、隣の房から聞こえてきた奇妙な衣擦れの音に顔を上げた。
鉄格子の向こう、あぐらをかいて座っていたのは、見覚えのありすぎる青い髪の男だった。
「……は?」
エミヤのポーカーフェイスが、宇宙猫のような顔でフリーズする。
そこにいたのは、間違いなくクー・フーリンだった。男の逮捕理由は至極単純。
*『【神業】夜の峠で限界ドリフト! パトカーとカーチェイスしてみたwww』*という動画を撮影中、完全に包囲されて普通に一網打尽にされただけだった。
二人の目が、鉄格子越しにガチッと合った。
次の瞬間、留置所の静寂を切り裂くような大爆笑が炸裂する。
「ギャハハハハハハ!!! おい嘘だろ、マジかよ『人類の守護者』じゃねえか!! ネットのリアル仕置人が、何ガチで捕まってここに連行されてんだよ! お前あの陰気なオフ会の後、ついに一線越えちまったのか!? 腹痛えwwwww」
腹を抱えて床を叩き、涙を流して爆笑するランサー。
「世界の終わり」みたいな悲壮極まりない覚悟と、自責の念で押し潰されそうになっていたエミヤの重たい絶望が、ランサーのその底抜けにアホな笑い声によって、パァン! と一瞬で虚空に吹き飛ばされていく。
「……黙れ、峠の暴走犬。君と一緒にされる筋合いはない。私は、世界の抑止力として……」
「いや、同じ檻に入ってる時点で、どっちもただのやらかした前科者だろ!」
ランサーの痛烈なツッコミに、エミヤはぐうの音も出ず絶句する。
だが、青筋を立てながらも、エミヤの胸の奥からは、先ほどまでのドロドロとした暗い澱みが消え失せていた。
ネットの有象無象に踊らされ、犯罪にまで手を染めた己の狂気が、この目の前の男の「圧倒的なバカらしさ」によって、ただの喜劇へと昇華された瞬間だった。