前科持ち動画配信者の生活 ~エミヤ、クー・フーリンと留置所で出会う~ 作:みそそ
釈放。それは自由の身になることを意味するが、同時に「自分がしでかした現実」の重さと真正面から向き合うことでもある。
数日間の拘留を経て、初犯であることや諸々の情状酌量が認められ、保釈金によってなんとかシャバに戻ってきたエミヤとクー・フーリン。
二人は留置所の中で密かに連絡先を交換しており、お互いに「やれやれ」とそれぞれの自宅アパートへの帰路に就いた。
だが、待っていたのは世間からの冷酷で、あまりにも生々しい洗礼だった。
「……は? なんだこりゃ」
ランサーが自分のボロアパートにたどり着いた瞬間、その口から呆れた声が漏れた。
彼の部屋のドアや外壁は、見るも無惨なヘイトの嵐――びっしりとした落書きによって埋め尽くされていたのだ。
『俺の女を寝取るな(※寝取ってはいないが彼女が勝手にガチ恋した)』
『二度と峠に来るな(※レースでボコボコにされた地元の走り屋)』
『なんでLINEブロックすんの!?(※ストーカー化して逆上した女)』
彼の「陽キャで無鉄砲な生き様」が周囲に撒き散らした、リアルな怨嗟の数々。底辺に生きる人間たちが壁にぶちまけるような、剥き出しの執念。
だが、ランサーはそれを見つめ、頭を掻きながらニヤリと不敵に笑った。
「おーおー、昔、とある偉人が言ってた。悪口はアクセサリーやと。だが、身元がバレてるのは危険すぎだ。……しゃあねえ、あいつの所に転がり込むか」
ランサーはすぐさま、留置所で教え合ったエミヤの番号に電話をかけた。自分の家がこれでは使い物にならない。あの真面目で几帳面な男の家なら、居候するのにちょうどいいだろうと踏んだのだ。
――しかし、電話の向こうから聞こえてきたのは、あまりにも奇妙でシュールな音だった。
『ピーーーー! プーー、ピキィィーーー!』
「……もしもし、エミヤか? 悪い、俺の家が落書きだらけでさ、しばらくお前の家に泊めて……って、なんかそっち、めちゃくちゃリコーダーの音が聞こえねえか?」
ランサーの問いかけに、電話口のエミヤは、怒りで声をプルプルと震わせながら答えた。
『……気にするな。……それより君の頼みだが、断る。私の家も落書きまみれだ』
エミヤの自宅アパートもまた、無残な有様だった。壁には「偽善者」「特定厨」「お前の正義は自己満足」など、ネット民から書き込まれたような陰湿な落書きが隙間なく並んでいる。
それだけではない。玄関前の共有スペースには、エミヤにマスクを買い占められたサラリーマンの家庭の子供だろうか、小学生二人組が仁王立ちでスタンバイしていた。
「出てこい! 人類の守護者ーー!!」
小学生たちは代わる代わるそう叫びながら、エミヤを社会的に煽るように、リコーダーを大音量で吹き鳴らして執拗な嫌がらせを繰り広げている。
ダークヒーローとして悪徳業者を結束バンドで縛り上げていた男が、現実では小学生の吹く下手くそなリコーダーの音に精神をゴリゴリと削られているという、救いようのない不条理。
『これ以上ここにいれば、私の三半規管が正義の前に破壊される。……今すぐ家を捨てるぞ、ランサー』
『 了解だ。じゃあ、あの河川敷の山奥で待ち合わせな!』
ネットでも、現実の社会でも、完全に居場所を失った「前科持ちマナチューバー」の二人。
彼らはそれぞれ最低限の荷物...エミヤは調理器具とポータブルバッテリー、ランサーはテントを背負い、かつてランサーがオフ会を開いた多摩川のさらに奥、人の気配が完全に途絶えた山奥の河川敷へと逃れるように合流するのだった。
鬱蒼とした山奥の河川敷。パチパチと爆ぜる焚き火の明かりが、闇の中に二人の男のシルエットを浮かび上がらせていた。
彼らは新アカウント『前科持ちの山奥サバイバル生活』を開設し、ポータブルバッテリーに繋いだスマホのカメラを回していた。かつてのチャンネルは跡形もなくBANされた。
しかし、ネットの海は「同時期に逮捕された有名配信者...ネットのおもちゃ同士が、獄中で出会って即合流した」という前代未聞の情報だけで、狂ったように沸き立っていた。
『マジで合流してて草』
『マナチューブ史上最大の神コラボだろこれ』
『刑務所で何があったんだよwww』
画面を流れるコメントの速度は完全に限界を超え、同時接続数は瞬く間に数十万人へと跳ね上がっていく。民衆を神話レベルで熱狂させるカオスな渦の中心で、エミヤは自家製の野草茶のカップを手に、静かにカメラを見つめた。
「画面の前の諸君、こんばんは。『人類の守護者チャンネル』だった男だ。……まず、認めよう。私は完全なる情報弱者だった。ネットの悪意を世界の声だと勘違いし、勝手に私刑に手を染めた、ただの浅はかな犯罪者だ」
エミヤの口調は淡々としていた。だが、すべてを失った人間の独白のように、その言葉には生々しい重みがあった。
「私はかつて、憧れた義父、切嗣と同じ警察官になった。だが、人が集まれば必ずそこに汚れは生まれる。組織の不正や忖度が見過ごせず、正義を盾に暴走した結果、即クビになった。……料理も、警察になる理想も、すべてを失った。あの時の私は、理想や夢をなくしたら自分が完全に空っぽになってしまうという恐怖と焦りから、あの愚かな私刑に踏み込んだんだ。……だが、今となってはそれも、ただの独りよがりの道化だったよ」
これまでの自分の歪み、弱さ、そして過ち。張り詰めていた狂気の鎧をすべて脱ぎ捨て、己の暗部をさらけ出したエミヤの横顔を、焚き火の赤が静かに照らす。
そのあまりにも重苦しい告白を、隣で野生動物の肉を貪り食っていたランサーが、ビール缶を大きく掲げてぶち壊した。
「クヒヒヒヒヒ! それがお前の一発目の自己紹介か! 重てえし面白すぎるだろお前! どんだけ真面目に拗らせてんだよ!」
ランサーは一切引くことなく、腹を抱えて笑い飛ばした。エミヤが命がけで背負い、己を呪っていた『狂気の過去』を、ランサーはただの『最高に愉快な男の履歴書』としてカラッと全肯定したのだ。
「ま、過去のことなんかどうでもいいさ! 俺はちなみにスリルを愛して今があるって感じだな。これからこのチャンネルじゃ、この前科持ち二人で『本物のサバイバル』ってやつを見せてやるよ。おいエミヤ、講釈はいいから早くその美味そうな山菜の天ぷらよこせ!」
「……手は洗ったのか、野犬。あと油の温度が下がるから一度に箸を突っ込むなと言っているだろう」
エミヤは額に青筋を立てて怒鳴り散らしたが、その目からは、ずっと彼を縛り付けていた悲壮な影が消え失せていた。
画面のコメント欄には、『ママ出所おめでとう!』『この二人やっぱり付き合ってたか』『前科ついてからの方が人間らしくて好き』という、かつての陰湿な怨嗟とは違う、純粋に彼らの掛け合い、エンタメを楽しむ声が滝のように流れ落ちていく。
だが、二人が初めて得たその「健全な熱狂」のすぐ背後から、彼らのサバイバルを本当のデスゲームへと変える『真の理不尽』が、静かに這い寄ってきていた。