ブラック教会を退職して、悪魔のインフラになります 作:みそそ
闇に包まれた廃ビルの中。
赤と青、二つの閃光が火花を散らし、コンクリートの壁を容赦なく削り取っていく。
キィィィン!!!
エミヤの放った白と黒の双剣――劣化コピーの聖遺物――が、クー・フーリンの繰り出す「赤い棘の槍」と激突し、甲高い金属音を響かせた。
常人であれば視認すら不可能な、音速を超えるスタイリッシュな攻防。だが、その応酬の最中、エミヤの脳内を占めていたのは、高潔な闘争心などでは断じてなかった。
(あ〜……腰と首が痛い。昨日の激務のせいで、昔みたいに無茶な空中制動がまるでできない……!)
三十代後半。それが現在のエミヤの肉体年齢だった。
案の定、刃を交えながら、悪魔クー・フーリンは獰猛な笑みを浮かべて、エミヤの隠しきれない「老い」を正確に突いてきた。
「おいおいおっさん、腰が痛えのか? 動きがだんだん鈍くなって、歯応えがなくなってきたなぁ!」
「黙れ、悪魔……っ!」
エミヤは苛立ちながらも、内面では冷徹に己の限界を自覚していた。
全盛期の二十代の頃ですら、この悪魔には勝てなかった。あまりにも戦闘の相性が悪すぎるのだ。
今となっては、本気で勝とうなどという気概はとうに消え失せ、ただ上司に命令されたから、形式的に、義務的に戦いに行っているに過ぎない。
(この男がその気になれば、いつでも私を倒せる。……それは、私が一番よく知っている)
「おいおい、終わりかよ!」
クー・フーリンの槍が、容赦なくエミヤの防御を弾き飛ばす。
(限界だ。……今度こそ、もう目覚めないかもしれない)
エミヤは迫り来る赤い衝撃を視界の端に捉えながら、意識を手放した。
◇
「――はぁ……」
深い、深い溜息と共に、エミヤは目を覚ました。
視界に映ったのは、薄暗い路地裏の空。背中には、どこか柔らかく、しかし凄まじく生ゴミ臭い感触。彼はゴミ捨て場に山積みにされた、ゴミ袋のクッションの上に見事な
「……ああ。これを何度繰り返したことか」
頭を押さえ、ネクタイを緩めながら、エミヤはゴミの山から這い出る。
軽く見積もって十五年くらいは、この関係が続いている。それを三週間に一回くらいのペースで繰り返しているとなると……。
(私はあいつに、通算で何百回ゴミ捨て場に叩き込まれたんだ……?)
肉体的なダメージは絶妙に手加減されているが、三十代後半のプライドへの精神的ダメージは計り知れない。ボロボロのスーツのまま、エミヤは重い足取りで聖堂教会へと出勤した。
そんな限界おっさん状態の自分を待っていたのは、さらなる理不尽だった。
聖堂教会の薄暗い執務室。ステンドグラスから差し込む斜陽を背に、上司の言峰綺礼はいつも通りのぬらりとした笑みを浮かべてのたまった。
「――歳なのはわかるがね。君がいまだに我が聖堂教会において、一番優秀な『駒』……おっと失礼、『人員』だ。担当は変えられない。それに、戦法を変えれば老化による体力の減少などいくらでもカバーできるのではないかね? もっと頭を使いたまえ、エミヤ君」
「そうですね。この無能な私のために、言峰さんの素晴らしい神託――失礼、助言を是非ともいただきたいですね」
皮肉をたっぷりと込めて返したエミヤだったが、言峰は愉悦を隠しもしない声で続けた。
「それを考えるのも君の仕事だろう。私は君の成長を心から願っているよ。もっとも、その歳では後は『成長』というより、ただ『劣化』していくだけだろうがね。おっと失礼(笑)」
「……白髪がありますよ、言峰さん」
「君なんて全部白髪じゃないかその頭。どうした? ここ数年で全部真っ白になって、おまけに日焼けまでして。まるでどこかの激務に追われる苦労人のようだ」
エミヤはニコニコと笑ったまま完璧な角度で一礼し、静かに部屋を退出した。そしてドアが閉まった刹那、無言で廊下のコンクリート壁に渾身の右ストレートを叩き込んだ。
――ドゴォン!!!
「無理難題を押し付ける上司のせいだよ……っ!」
壁から拳を離し、エミヤはハァハァと荒い息を吐きながら呟いた。
もう分かった。正面突破など絶対にやめてやる。頭を使えと言ったのは言峰だ。ならば、とことん頭を使ってやる。
その日の夜。
部屋の明かりを消し、ディスプレイの青白い光に照らされながら、エミヤの指がキーボードの上を猛烈な速度で叩き始める。
彼が選択した新たな戦術。
それは、物理的な刃ではない。現代社会のシステムを利用した『
エミヤはまず、SNSや地域の掲示板にアクセスし、数十個の「裏垢」を開設した。プロの悪魔祓いとしての隠蔽技術をこんなところで無駄に発揮し、IPアドレスの偽装も完璧に行う。
当時、クー・フーリンは持ち前の運動神経の良さを活かして、人間の街で「鳶職」のバイトに就いていた。現代の希薄な魔力に馴染むため、至極真面目に働いていたのだ。エミヤの目が冷酷に光る。
『【拡散希望】〇〇建設の現場にいる青い髪の作業員、あれマジで悪魔です。関わると呪われます』
『現場の近くを通ったら急に体調崩した。あの作業員のせいだと思う』
『企業のコンプライアンスどうなってんの? 悪魔雇うとか正気?』
複数のアカウントを切り替えながら、あたかも「複数の被害者が同時に騒いでいる」かのように偽装し、執拗に現場の会社へ電凸とネットのネガキャンを仕掛けた。
結果は一週間と持たなかった。
現代の企業にとって、ネットの風評被害は命取りだ。クー・フーリンは上司から「すまん、お前悪魔だし、ネットが荒れるからクビな」と理不尽に解雇を言い渡され、その街を追われることになった。
「ふっ……。まずは一勝、だな」
画面の裏で、エミヤは冷たい勝利の笑みを浮かべる。
だが、あのしぶとい男がそれでくたばるはずがなかった。
クー・フーリンは隣の街へ引っ越し、今度はなんと「クレープ屋さん」を始めていたのだ。
しかも『売上の8割が女性客で、稼いだ金で食う飯は美味い!』などと、SNSで調子に乗ったポストまでしているのを発見した。
エミヤの指が再び、怒りのタイピングを再開する。
『あのクレープ屋、作ってるやつマジの悪魔』
『食べたら翌日寝込みました。オカルト的な呪いがかけられてます』
『見た目が良いからって騙されないで。あれ人間の魂吸うタイプのデーモンだよ』
執拗極まる複数アカウントでの波状攻撃。
そうすることによって、エミヤは「悪魔はこの現代社会では決して生きることができない」という認識を、人々の心の中にじわじわと、しかし確実に植え付けていった。
クレープ屋の客足は目に見えて遠のき、男の逃げ場は社会の網の目によって徹底的に狭められていく。
クー・フーリンにとって、姿も見せず、正々堂々と戦おうともせず、ただ画面の裏から陰湿に自分の生活の基盤をすり潰してくる現代の「悪魔狩り」の連中は――何よりも嫌悪すべき、激しく許せない存在となっていった。
暗い部屋の中、エミヤはカタ、と最後のエンターキーを押した。
「これでいい。これで外出し、戦うリスクは最小限に抑えられる。すべては、この正義の形を維持し、優秀な職員になるためだ……」
自嘲気味に呟いたエミヤは、画面を閉じた。
しかし、彼はまだ知らなかった。この陰湿な情報戦の果てに待っている、間桐慎二の失脚劇。
そして、自分が仕掛けたこのマッチポンプの罠に、自分自身の『お節介な正義感』が絡め取られ、二度と弓を引けなくなる未来が、すぐそこまで迫っていることを。