ブラック教会を退職して、悪魔のインフラになります 作:みそそ
エミヤが夜な夜な自室のPC前で裏垢を操り、クー・フーリンへの陰湿な
その泥沼のイタチごっこに、組織の側から突如として激震が走ることとなった。
それは、週に一度開催される聖堂教会の「全体定例会議」でのことだった。
広大な大会議室の最上座には、最高上司であるギルガメッシュが、退屈そうに頬杖をついて座っている。その一段下には、言峰綺礼。
そして、その下にズラリと並ぶのは、日々の激務と理不尽な査定に心をすり潰された同僚のエクソシストたちだ。三十代後半のエミヤもまた、その末席で死んだ魚のような目をして座っていた。
「――以上が、今週の管区における討伐報告となります」
壇上の広報担当が淡々と告げると同時に、壁面の巨大スクリーンに「ある資料映像」が映し出された。
その瞬間、大会議室の空気がピキリと凍りついた。
スクリーンに映し出されていたのは、お洒落な街の、実にお洒落なカフェのテラス席だった。
そこに座っているのは、同僚の魔術師、間桐慎二。そしてその向こうには、誰もが二度見するレベルの、息を呑むほど見目の良い超絶美女――の姿をした悪魔が座っていた。
二人は実につまらなそうに……ではなく、どう見ても満面の笑みで、果物とホイップクリームがこれでもかと盛られた高級パンケーキを「あーん」とし合っていた。完全にプライベートのデート動画だった。
「ち、違うんだ! これは『仲良し作戦』だ! 仲良くなって油断させたところを、一網打尽に討伐する機会を伺っていたんだよ!」
沈黙に耐えかねた慎二が、壇上に駆け上がってマイクをひったくり、必死の形相で弁明する。
だが、その見苦しい言い訳を、最上座の黄金の王――ギルガメッシュは、フッ、と冷酷に鼻で笑い飛ばした。その一瞥だけで、慎二のちっぽけなプライドは粉々に砕け散る。
しかし、本当に恐ろしいのはここからだった。
会議室を満たすのは、ただの「サボりへの怒り」ではない。ドス黒く、粘着質な、底知れない沈黙。
なぜなら、慎二の相手をしている女悪魔が、羨ましいほど美人だったからだ。毎日泥水を啜るような激務に追われる男たちにとって、慎二の「仕事にかこつけた美女悪魔とのイチャつき」は、万死に値する裏切りだった。同僚たちの目が一斉に嫉妬で血走る。
すかさず、隣の言峰がマイクを取った。
「彼が言ったことは本当かも嘘かも正直わからない。だが――仕事の時間は遊びじゃない」
冷酷極まる一言だった。
事実確認もへったくれもない、ただ同僚たちの嫉妬の炎にガソリンを注ぐためだけの丸投げ。その瞬間、会議室中の同僚たちから「職権乱用でイチャつきやがって」「疑わしきは罰せよ」というドス黒い疑念の視線が慎二に殺到した。
前々から、自分が考案した新しい悪魔討伐方法(※大体いつも突拍子もないスタンドプレー)を上層部に全否定され続け、ストレスを溜め込んでいた慎二の堪忍袋の緒が、ここで完全に引きちぎれた。
「やってられるかクソ上司どもが! 辞めてやるよ、こんなブラック教会!!」
慎二は胸の支給品バッジを引き剥がして床に叩きつけ、そのまま会議室のドアを激しく蹴破って辞職していった。
静まり返る会議室の中。
その生々しい失脚劇をじっと見つめていたエミヤの脳内に、突如として電撃のような閃きが走った。
(待てよ……?)
エミヤは顎に手を当て、急速に思考を巡らせる。
(私が今、裏垢でチクチクと追い詰めているターゲット――クー・フーリンは、男の姿をしている)
つまり、だ。
(あの男相手に『仲良し作戦』を仕掛けたところで、ギルガメッシュや言峰、周囲の同僚たちに『美女とイチャつきやがって』と嫉妬されてクビになるリスクは――完全にゼロだ!)
しかも、毎晩部屋に籠って裏垢を数十個切り替えながら、ポチポチとネガキャン文面を考えるのは、三十代後半の肉体(特に眼精疲労)にとってかなりの重労働だった。
それよりも、直接懐に入り込んで油断させ、一撃で仕留める方が、遥かに短期間で確実にターゲットを処理できる。これなら念願の有給消化と定時退社も夢ではない。
「よし、執行する」
エミヤは席を立ち、すぐさまクー・フーリンが新しく始めたというクレープ屋へと向かった。
翌日。
エミヤは教会の服を脱ぎ捨て、地味な私服に眼鏡という「どこにでもいる冴えない一般人」に変装して、クレープ屋の前に立っていた。
「へいお待ち! チョコバナナクレープだ!」
トンボを器用に扱い、信じられないほど薄く美しく焼き上げられた生地。差し出されたそれを受け取り、エミヤはベンチに座って一口齧った。
(……美味しいな。このガサツな男が作ったのだから、てっきり髪の毛の一本や謎の異物でも混入していると思ったが。悔しいが、実に見事な火加減とモチモチ感だ)
エミヤは内心で悪態をつきながらも、その味に舌を巻いていた。何せ、このクレープ屋を閑古鳥にした張本人は自分だ。ネットの炎上のせいで、今日も店に客の姿はない。
(ふっ、哀れな悪魔め。世界中から拒絶され、孤独なところに現れた私を、唯一の理解者だと信じ込ませる。)
エミヤは、いかにも親身な常連客という風を装い、口を開いた。
「……なぁ、店主。味は抜群に良いんだが、少しメニューが足りないから人気が出ないんじゃないか?」
「あ? メニューだぁ?」
「ああ。例えば、イチゴとチョコとバナナを全部入れて、ホイップクリームをこれでもかと多くすれば、万人ウケするだろう。それを新メニューにしてみてはどうだ」
適当だった。甘いものを全部乗せれば人は喜ぶという、エミヤなりの雑なアドバイス。
だが、クー・フーリンは「なるほどな! 面白そうじゃねえか、いっちょやってみるか!」と快活に笑い、翌日から本当にその悪魔的カロリーの新メニューを追加した。
もちろん、それだけでは客は来ない。エミヤは作戦を完璧にするため、その日の夜、自宅のPC前で凄まじいタイピングを披露していた。
今度は【悲報】から一転して【神メニュー降臨】のトレンドを自作自演で捏造。SNSのタイムラインを「あの店に激ウマ新作が出た」「デマに負けずに頑張ってほしい」という空気へ力技で書き換えたのだ。
効果は絶大だった。翌日からクレープ屋には若い女性客の行列が戻ってきた。
「おいおっさん! 見ろよこの大盛況! お前のアドバイスのおかげだ、ありがとな!」
忙しそうに、しかし嬉しそうに汗を拭うクー・フーリン。
それを見つめながら、エミヤは(勝った)と確信した。
(よし……完全に私を信じ切ったな。アドバイスで店を救ってくれた恩人。これ以上の『仲良し』はあるまい。あとは油断の極みに達した深夜、その寝首をかいて終了だ。これで今週こそ定時で上がれる……!)
フッ、と冷酷な悪魔祓いの笑みを浮かべるエミヤ。
――だが。
エミヤは知らなかった。
激務の合間、エミヤの後ろ姿を見送ったクー・フーリンが、フッと赤い瞳を細めて、実におかしそうに口の端を釣り上げたことを。
(……くくく、あのおっさん、マジで楽しそうに化かし合いやってんなぁ)
クー・フーリンは気付いていた。
自分の鳶職を奪い、この店をネットで叩き潰そうとした『陰湿な裏垢の主』が、目の前で美味そうにクレープを食っているおっさんで、因縁のライバルとして約15年も戦い続けてきたエミヤとだということに。最初から、その鋭い野生の勘で、何もかも見抜いていたのだ。
(俺をハメた張本人が、客のフリして毎日クレープ買いにきて、挙げ句の果てに自分でネットの火消しして客を呼び戻した。……最高だ。面白すぎる。なぁ悪魔狩り、次は何を仕掛けるつもりだ?)
すっかり信じ切った「最高のピエロ」のフリをしながら、悪魔は今日も、自分の命を狙う男のために、丁寧にイチゴを並べるのだった。
これが、いずれエミヤがこの男に不覚にも同情し、二度と弓を引けなくなる未来の始まりだとも知らずに。