「この程度か、勇者よ」
その光景は人類にとって絶望そのものだった。
すでに魔王城は崩壊し、荒れ果てた魔の地に倒れこむのは選ばれた五人。魔法を齢十六にして極めきった天才少女、人々を慈しみ悪を許さぬ心を持つ聖女、裏の道に長け汚れながら多くの者を救った義賊、人類史上最強と言われる剣技を持つ騎士、そして彼らを引っ張り決してくじけぬ勇気を持った勇者。
人類の希望そのものと呼んでも決して過言ではない者達がたった一人に本気を出させることもできなかった。いかなる魔法も、祈りも、奇襲も、剣技も、勇気もかすり傷一つ負わせられない。片手をふるっただけで五人は倒れ、余波で幾重にも魔法がかかった堅固な魔王城が破壊される。悪夢としか思えない。
「期待外れだ」
片手間で人類の希望を片付けた魔王は、失望の色を瞳に混ぜ見下した。勇者と言えども、所詮は人。脆弱なのは変わりない。魔王はそう結論付け、とどめを刺そうと手を振り上げる。
「…………ま、だだ……」
振り下ろされるはずだった手を止めたのは、勇者のその一言だ。全身を血に染め、震えつつも立ち上がろうとする。その姿が不快だったのか、魔王はかすかに眉を動かした。
「ほう。まだ抗うつもりか。貴様らすべての力を俺にぶつけたのだろう? その結果はどうだ。俺は血の一滴すら流せなかったぞ。無駄だ。貴様らは俺に楯突くことすらできんのだ」
「……まだ、だ。俺は、折れてない……っ!」
刀身が半分にくだけた剣を杖代わりに立った勇者は、激流のように荒れ狂う痛みを無視して声を絞り出す。
「そうか。仮に貴様がまだ戦えるとしよう。だが一人でなにができる? いかに勇者と言えど、単独で魔王に勝てるなどと夢を見るとはお笑いだな。いや、哀れか」
「誰が、一人なの……」
魔王が挑発染みたセリフを口にすると、それに反応したかのように少女が答えた。
「……その、通りだ。僕たちは、まだ負けていない」
「あいつが、立ち上がってるのに……俺たちが続かないわけ、ねェだろ」
「私たちは、いついかなる時も勇者を支えるのです」
騎士が、義賊が、聖女が続けて答える。勇者の後ろに倒れていた四人が、よろめきながら立ち上がった。意識を保っているのも奇跡だという程消耗しているにもかかわらず、その表情に諦めはない。
「ハハハ、そうだな、訂正しよう。確かにカスが四つほどあったようだ」
弾むように笑う魔王の表情は、喜色で塗りたくられていた。最初に感じた不快感ももう消えた。あるのは、弱者がどのように足掻くのか楽しみでたまらない思い。
「では、やってみるといい。存分に抗ってみせよ」
魔王は上げた手をおろし、無防備に立ち尽くした。それを見た勇者は、唇の端を釣り上げる。
「……魔王。確かにあんたは強い」
「そんなことは当然だ。王が強くなくてどうする」
「きっと、世界のだれよりも強いんだろうな。……だけど、あんたは一人だ」
五人の強い意志を灯した目が魔王に向けられた。気のせいか、どんな攻撃にも微動だにしなかった魔王がわずかに後ずさった。
「だから勝てると? 勘違いも甚だしいぞ。貴様らがこれからどれだけ努力を重ね力をつけても、俺はそれを踏みにじる。それだけの力差があるのだ。さっさと諦めろ。その方が死ぬのも楽ですむぞ」
「……お前の言うとおり、五人だったら。また、倒れるかもしれないね」
勇者たちの体に、どこからか光が集まり始める。
「だけど俺たちは五人じゃない」
光は空を覆うほど数多く集結し、
「父さん、母さん。リオ、ルーク。お師匠様や、女神さま。アクエリア、リーフ、ファイア。魔の者の侵攻に心を痛めるすべての人達」
太陽のごとき輝きを放ちながら、
「その想いが、その心が、その全てが」
選ばれた者達は武器を魔王に向ける。
「お前を討つんだ、魔王」
「……ばかな。ばかなばかなばかな! 人の身でそれほどの力を宿すなど! そもそもそれほどの力を集められるはずがない! 全人類が持っている力をすべて渡したようなものだぞ! ありえないっ、ありえないっ!!」
勇者に集まった光に動揺する魔王。彼はこれほどの力を見たことがない。なぜだ、ありえないと繰り返す魔王を見て、ふと悲しそうに表情を変えたのは魔法の杖を構えた少女だった。
「哀れなのはあなたの方よ、魔王。あなたは一人で完成されていた。だからその答えが分からない」
「知らないぞこんな物っ! ふざけるなっ!!」
「……終わらせましょう」
勇者はああ、と頷く。全員で武器を天に掲げ、光は最高の輝きを見せる。
「さよなら、魔王」
「俺は死なない、死んでたまるかあああああああああ―――――」
その言葉を最後に、魔王は振り下ろされた光に飲み込まれた。
「……終わった、か……」
魔王が消えてどのくらい経っただろうか。その場で呆然としていた彼らはようやく気が付いたように声を漏らした。
「やっと。やっと、終わったのですね……」
「ふぃー、生き残った実感が全くわかねェや」
「まったくだ。本当に強かった……」
各々安堵に身を任せて座り込む。歴戦の勇者たちが、ついに魔王を討ち滅ぼしたのだ。数々の困難を越えてきた彼らの冒険は、今終わりを告げた。
「まさか僕の剣技が全く通用しないとは。本当に悪夢だった」
「というか最後の攻撃以外全く効いてなかったよ」
「もう二度と戦いたくねェな」
「こんな戦いが何度もあっては困ります……」
もう雑談をする体力が回復した勇者達は、濁流のように愚痴りだす。この世界のほとんどの力を集めてやっと倒せたのだ。詐欺のような強さだった。魔王への文句なら五時間は話せそうである。
いつものメンバーの緩やかな空気が戻ったが、勇者は一人その輪に入っていないことに気づく。
「ミア、どうした?」
一言も話さず俯いていた少女――ミアはビクッと体を震わせて、
「あ、別に。それよりもう帰ろう」
疲れた顔で皆に呼び掛けた。
「そうだな、疲れているし。さっさと王に報告して休むか」
四人は一も二もなく頷き、それぞれ転移石を砕き、魔の地から去っていく。
――それを見届けたミアは、即座に杖を構えた。
「いるんでしょう、魔王」
傍から見れば何もない空間に話しかけているように見える。だが、確かにそこには、
「――よく分かったな」
倒された魔王が、立っていた。
「私には、どんな魔法を使っても分かる眼があるの」
「……魔眼か。そうか、ならば我が本当の姿ではないことも分かるか」
「ええ。最後の攻撃の直前、自分に弱体化の呪いをかけたことも……ね」
そこまでか、と魔王は一つ息を吐く。
「ならばなぜ一人残った。自爆でもするつもりか?」
「聞きたいことがあったから。仲間まで危険にさらすわけにはいかないし」
「……そうか。よい、大抵のことは答えようではないか」
ポンと言う音がした後、居たのは青白い肌の魔王ではなく、普通の黒髪の少年だった。
「……人間?」
「そだよ、青髪美少女さん。俺が魔王マサです。よろしく」
さすがに人間だとは思わなかったのか、驚き目を開くミアに人懐っこい笑みを浮かべる魔王マサ。魔法は使用している形跡がないため、本当にこの姿が本来なのだろう。
「きょとん顔いただきましたーっ! いやあ、美少女の驚く顔は素晴らしいね!」
「っび、美少女じゃないし」
「可愛い照れ顔もいただけるとか……もうお腹いっぱいだ」
「~~っ! か、変わりすぎ! キャラ変わりすぎだから!」
突然の褒め殺しに思わず手で顔を隠す。魔法使いは基本的に差別対象なので、その証ともいえる大きな杖を持ちあるくミアは魔女と蔑まれることが多い。褒められ慣れていなかったのだ。
ニヤニヤと此方をみるマサをきっと睨む。ミアはその反応自体が可愛いということに気づいていない。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
「勝手に満足しないでっ!」
「あはは、それで? 聞きたいことがあるんじゃない?」
完全に遊ばれている。軽い屈辱にぐぬぬと唸るが、ここで本題に入らないとまた振り回されそうだったため心を鎮める。
「……そうね。なぜ人間のあなたが魔王をやっているのか。そして最後の攻撃の呪いの意味」
「いいよー。ま、ただの不幸自慢になっちゃいそうだけど」
からからと笑って、マサは語り始めた。
「俺は見ての通り人間なんだけど、普通の人間じゃないんだ。異世界から来たっていえばいいのかな。地球の日本ってところから来たんだ」
地球の、日本。ミアには聞き覚えのある地名だった。
「それって……」
「そう、勇者と同じところ。違うのはあっちは勇者として召喚されて、俺はこの世界の最初の住民として来たことくらいだ」
「最初の住民?」
「家で寝てたらいつの間にかこの世界に居たっていうとんでも理不尽だった。周りには生命の気配はなく、一面氷におおわれていた。氷河期ってやつ」
「…………」
突拍子がなく、とてもじゃないが信じられない話だ。だが、マサが語る言葉には確かな実感がこもっている。
「このままのたれ死ぬかなあと思ったら、不老不死の呪いにでもかかってたんだろうね。どれほど空腹に苦しんでも、寒さに凍えても死ねない。発狂もできなかったし、意識を絶つ――寝ることも許されない。もう何の地獄かと思ったよ」
「そう」
「それでまあ、それからずーっと色々苦しんで、やっと知能を持った生き物――人間が生まれた。すっごく嬉しかったよ。別に孤独から解放されたっていう話じゃないからね。会話できる相手がほしかった時期もあったけどね……あの時にはもう、死ぬことしか考えてなかった。もしかしたら人間なら、俺の思わぬ方法で殺してくれるんじゃないかって期待したんだ」
なんか気分が落ちてくるな、とマサはこめかみを揉む。あまりこういう空気は好きではなかった。
「それからは人の文化が育つのを待ちつつ俺を殺す方法を探し回った。魔法ができた時は正直めっちゃ嬉しかったんだけど……逆に証明してしまったんだ。長い年月をかけてたまった俺の神秘――力は、神でさえ塵となるくらい大きいとね」
あのときは絶望したなと軽く語れるマサは、やはりどこか狂っているのだろう。
「で、二年前くらいに最後のあがきをすると決めた。魔大陸に行って、魔人を作って人と戦争することにした。人間は火事場の馬鹿力ってのがあるからね、危機になったらいい方法でも思いつくんじゃないかって思ったんだ」
「……あまり良いやり方とは思えないけど。色んな意味で」
「知ってる。だけど人間は創り出しただろう? 召喚術を」
そして勇者が召喚された。マサと同じ、日本から。
「日本から来た魔王が日本から来た勇者に殺される。小説で良くあるパターンだ。最後の希望だと思った。きっと天がやっと俺を殺してくれるんだと思った。事実、あの攻撃は今までで一番死ねると思った。傷一つ作れなかったけど」
これで終わり、とマサはすべてを諦めた顔で締めた。結局マサのやったことはすべて無駄だった。死にたいけど死ねない。ただそれだけの願いをかなえるために足掻いてきた彼の心は、さきほどの攻撃で折れてしまったのだ。
「何で私に話してくれたの」
「んー? まあ、誰かに聞いてほしかったのかな。それで憐れんでほしかったのかも。わかんないや」
綺麗な笑顔を浮かべるマサは、今にも消えそうだった。そのまま消えられたらマサは幸せなのだろう。
「さて、全部話したし、そろそろお暇しますか。あ、心配しなくてももう魔王なんてやらないよ。死ねないって分かったしね」
「待って」
このままいかせたらもう二度と会えない。そんな確信に似た予感がしたミアはとっさに引き留めていた。マサは不思議そうに振り向く。
「どうしたの? まだ聞きたいことがあった?」
「これからどうするの?」
「まだきめてない。でももう人間には興味がないし、別の方法を探しに行こうと思ってるよ」
「……それは、まだ早い。私は天才魔法少女。時間があればあなたを殺すことなどたやすくできる。だから……一緒に来て」
その言葉に驚いたのはミア自身だ。魔王を殺せないことなんて彼の神秘を感じればすぐわかる。嘘をついてでも連れて行こうとするなんて、どうしたのだろう。いつの間にか情に絆されたのだろうか。
「……まあ、いいけど。どうせ100年位だし」
「そう。私はミア。あなたの飼い主よ」
「あ、そういう流れ? 俺はマサ、卑しいミア様のペットでございます」
「……他の人にそう言う紹介しないでね」
「ちっ」
「はぁ、やっぱり。ともかく、よろしく」
「よろしくね」
そして二人は転移で魔の地から消えていった。