空の墓標にアロハシャツを   作:みそそ

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第1話

無機質な白磁の廊下に、硬い靴音が一定のテンポで刻まれる。

 

衛宮士郎の歩調は、常に最適化されていた。無駄な歩幅はなく、視線は迷わず前方を捉えている。周囲で行き交う白衣の技術者たちが、彼の姿を認めると一様に緊張の面持ちで道を譲った。

 

大型医療企業『バビロニア・コンツェルン』の最深部――『バビロニア・メディカル』第三精密工学研究所。

 

士郎がセキュリティーゲートに手のひらをかざすと、短い電子音と共に重厚な防音気密ドアが滑らかに開いた。

 

室内に満ちているのは、サーバーラックが発する微細な駆動音と、かすかなオゾンの匂い。そして、張り詰めた沈黙だ。

 

士郎が一歩足を踏み入れた瞬間、それまで作業に追われていたチームの部下たちが一斉に彼を振り返る。

 

「リーダー、心臓弁の三次元出力データですが、ターゲットの拍動エラーマージンが削りきれません」

 

「見せてくれ」

 

士郎は足を止めず、部下の差し出したタブレットに視線を落とした。流れるコードを網膜に焼き付けるように走らせ、わずか数秒で問題のバグを特定する。

 

「プログラミングのエラーマージンを〇・〇二パーセント削って再出力だ。流体力学の計算式が古い。最新のパッチを当て直せ。それからB班、昨日弾かれた人工血管の適合率データを再精査しろ。本日中にログを私のデスクへ提出するように」

 

「は、はい! 了解しました!」

 

的確かつ無駄のない指示。冷徹なまでに完璧主義な「若きチームリーダー」の背中を見送りながら、部下たちは感嘆のため息を漏らす。

 

彼らにとって、この衛宮士郎という男は、いかなる妥協も許さない職人であり、医療の未来を担う天才エンジニアだった。

 

だが、自身のデスクへと滑り込み、ディスプレイに起動した複雑な人工臓器の三次元設計図(ホログラム)を前にした瞬間、士郎の瞳から「機械の冷徹さ」が微かに揺らいだ。

 

青白い光が、彼の端正な輪郭を仄暗く照らし出す。

画面の中で脈打つ、完璧な幾何学模様。シリコンと高分子材料で紡がれた、神の領域に迫る人工の肉体。

 

(これが完成すれば、病や怪我で失われる多くの命が救われる)

 

それは、彼が幼い頃からずっと追い求めてきた「誰も傷つかない世界」への、確かな切符であるはずだった。

 

しかし、士郎の指先は、キーボードの直前で不自然に凍りついている。叩こうとした指が、かすかに震えていた。

 

画面の片隅、バックグラウンドで流していたニュースサイトの、昨晩のアーカイブ動画がふと目に留まる。

 

画面の中では、仕立ての良いスーツを着た有識者が、さも人道的な大偉業であるかのように誇らしげな声を響かせていた。

 

『――凶悪犯罪者のクローンを創り出し、国家管理の元で臓器ドナーとして生涯を全うさせる。このドナー制度こそが、我が国の現行の犯罪率を劇的に低下させている、最もクリーンで機能的な犯罪抑止力なのです』

 

胸の奥に、泥を飲み込んだような不快な重みが広がる。

士郎はきつく、奥歯を噛み締めた。

 

自分の研究が成功し、安価で完璧な代替品――量産型の機械臓器が市場に出回れば、世界は変わる。

 

だが、それは同時に、国家があの悍ましいクローンシステムを維持する「大義名分」を失うことを意味していた。

 

システムが壊れれば、犯罪者への最強の脅しとなっていた抑止力が消える。抑止力が消えれば、再び社会には悪意が蔓延り、治安は悪化し、結果として無関係な一般市民が犯罪の犠牲になるかもしれない。

 

誰かを救うための技術が、結果として別の誰かを危機に晒す。

クローンを救うことが、社会の治安を破壊する引き金になりかねないという、あまりにも皮肉で、あまりにも生真面目な倫理の天秤が、士郎の頭脳を縛り付けていた。

 

だからこそ、彼は自分の研究に、どうしても最後の一歩を踏み込めない。心に重いブレーキがかかっている。

 

「……はぁ」

 

室内の静寂に、深く、重いため息が溶けていった。

士郎は片手で乱暴に髪をかきむしり、ディスプレイから目を背ける。

 

世間の人々は、あのクローンたちが育つ施設を、罪人の血を引く怪物を閉じ込める野蛮で劣悪な地下刑務所のような場所だと信じ込んでいる。

 

士郎自身も、そう思っていた。あんな人道にもとる暗黒の檻など、早く壊して然るべきだ。そう思う反面、それによって崩れる秩序への恐怖が、彼の足をすくませる。

 

正義の味方になりたいと願った男は、今や、どちらの皿を上げても血が流れる天秤の前で、一人静かに惑う機械と化していた。

 

「リーダー、本日の進捗ですが――」

 

デスクの横からかけられた部下の声を、無機質な機械音が乱暴に遮った。

研究室の分厚い自動ドアが、音もなく滑らかに開き、張り詰めていた空気が一瞬で凍りつく。

 

部屋に入ってきたのは、見事なまでの淡い緑の長髪を揺らす人物だった。

 

仕立ての良い漆黒のスーツを纏い、人形めいた美しい(かお)に、感情の読めない穏やかな微笑を浮かべている。

 

社長秘書、エルキドゥ。そのあまりにも現実離れした美貌と気配の無さに、研究室の全職員が言葉を失って直立不動になった。

 

エルキドゥの視線は、真っ直ぐに士郎へと向けられる。

 

「エミヤ。社長がお呼びだよ。すぐに来てほしい」

 

「……わかった。すぐ行く」

 

士郎はデスクの画面をロックし、手短に上着を掴んで立ち上がった。部下たちに「作業を続けてくれ」とだけ言い残し、エルキドゥの後に従う。

 

役員専用のエレベーターへと乗り込み、最上階を目指す。

上昇する重力()の中、二人の間に交わされる会話は皆無だった。

 

鏡面磨きされたステンレスの壁に、二人の姿が冷たく映り込んでいる。エルキドゥからは、衣擦れの音すら、呼吸の音さえ聞こえない。

 

まるで、命を持たない最高精度の彫刻が隣に立っているかのような錯覚。士郎はその底知れない静けさに、言葉にできない威圧感を覚えながら、ただチカチカと点滅を繰り返す階数表示の数字を睨みつけていた。

 

チン、と重厚な電子音が鳴り、最上階の扉が開く。

案内された社長室の扉をくぐった瞬間、士郎の肌を刺したのは、傲慢なまでの黄金の残光だった。

 

部屋の奥、天井から床まで続く巨大なガラス窓の前に、その男は立っていた。

 

逆立つ黄金の髪を陽光に輝かせ、高級な仕立ての衣服に身を包んだ男――ギルガメッシュは、眼下に広がる都市の広大なパノラマを、まるで退屈なミニチュアの庭園でも眺めるように見下ろしている。

 

その佇まいは、企業のトップというよりは、世界を統べる絶対の王そのものだった。

 

「何のご用件で、ギルガメッシュ社長」

 

士郎の抑えた問いに、男は振り返りもせず、低く、しかし鼓膜を震わせるような尊大な声を響かせた。

 

「臓器提供を行うドナーを育てている施設、『影の国』を見学してこい」

 

「……見学して、何をすればいいのですか。私の専門は機械工学と医療プログラミングですが。現場の視察なら、査察部を動かすべきだ」

 

士郎が眉をひそめて論理的に返すと、ギルガメッシュはフッと鼻で笑った。その赤い瞳は、やはり窓の外を、世界の未来の推移を見つめたまま動かない。

 

「ただ施設の様子をお前自身の眼で観察してほしいだけだが……まあいい。退屈な雑種が退屈なままで終わるのも不憫だ。そこにいる、『クー・フーリン・キャスター』という男に会って話を聞いてこい」

 

「クー・フーリン……」

 

士郎の胸に、冷たい楔が打ち込まれる。

世間を震撼させたあの最悪の殺人犯、クー・フーリン・オルタ。その遺伝子を持つクローン。

 

「やつは人工臓器の研究の助けになるような研究、法則性の発見をしてきたクローンたちの一人だ。これ以上のヒントが必要か? フェイカー」

 

「……クローンが、人工臓器の役に立つような重要な研究をしている、というのですか?」

 

士郎の脳内で、激しい矛盾が火花を散らした。

世間の噂では、クローン施設は罪人の血を引く怪物を閉じ込める野蛮で劣悪な地下刑務所のはずだ。

 

そこで、なぜそんな知的な、医療の根幹を揺るがすような研究が行われているのか。

 

「次の土曜、貴様の休日に骨を折れ。命令は以上だ。――去れ」

 

ギルガメッシュは最後まで窓の外から目を離さず、ただすべてを見通しているかのような圧倒的な全能感だけをその背中に漂わせていた。

 

士郎は自分の抱えた迷いと焦燥が、すべてこの男の手のひらの上で転がされているような不気味さを覚えながら、静かに肩を落とした。

 

「……わかりました」

 

静かに一礼し、士郎は社長室を退出した。

背後で重厚な扉が閉まる瞬間、彼の頭の中は、まだ見ぬ『クー・フーリン・キャスター』という名前と、歪なクローン施設の謎で完全に支配されていた。

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