ゲートの向こうへ遠ざかっていく、衛宮士郎の車のテールランプ。
夜の帳が降りた高いコンクリート壁の影で、ランサーとキャスターはその赤い光が闇に溶けていくのを静かに見送っていた。
「なぁ、キャスター」
ぽつりと、キャスターが抱くのと同じだけの飽くなき知的好奇心を赤い瞳に宿して、ランサーが呟いた。
「何があるんだろうな。あの一番分厚くて高い、壁の向こうには」
「決まってるだろ。スカサハの部屋の書架にあった、あの古い絵本――『アヴァロン・ル・フェ』の世界だよ」
キャスターは不敵に唇の端を吊り上げ、すぐ横の研究机に腰掛けた。
そこに描かれているのは、どこまでも醜悪で冷酷な妖精たちの生態だ。
「うじゃうじゃいるらしいぜ、あの絵本に出てくる妖精みたいな奴らが。誰も彼もが自分のことしか考えてなくて、他人の足を引っ張り合って、マウント合戦とやらを毎日繰り広げているらしい」
普通の子供や、牙を抜かれた他のクローンたちであれば、そのディストピアな説明を聞いただけで怯え、白い楽園の檻にしがみつくはずだった。管理側の洗脳教育としては、それが正しい成果のはずだった。
だが、野生の塊であるクー・フーリンの遺伝子は、その程度の恐怖教育で去勢できるほど大人しくはない。
ランサーは驚くほどに目を輝かせ、まるで極上の冒険譚でも聞くかのように身を乗り出した。
「それ、めちゃくちゃ面白そうじゃねえか!」
「フッ、同感だ。毎日同じ真っ白な服を着せられて、決められた
二人は顔を見合わせると、どちらからともなく声を殺して笑った。
彼らにとって、外の世界の醜悪さは「恐怖」ではなく、本能を刺激する最高に魅力的な「
その夜、消灯時間を過ぎた暗い研究室の中で、二人はまるで修学旅行の前日を迎えた学生のようなテンションで、頭を突き合わせていた。
机の上に広げられているのは、キャスターがルーンを駆使してハッキングした、敷地全体のセリフ付きの電子図面だ。
「一番高いあそこのバリケード、あそこなら『人間には絶対登れない』からって、逆に見張りの目が一番薄い。カメラの死角も120秒周期で発生する」
「よし、お前の風のルーンで俺の身体を上に弾け。頂上を超えたら、俺がこの腕一本でお前を引っ張り上げてやる」
「おいおい、着地で足を折るなよ、ランサー」
「誰に言っていやがる。作戦名はどうする、キャスター」
ランサーの問いに、キャスターは手元で小さなルーンの火花を散らしながら、最高の悪ガキの笑みを浮かべた。
「『退屈しのぎ』――それ以外にねえだろ?」
汚れなき白い服を揺らしながら、二人は世界を揺るがす大事件の引き金を、あまりにも軽やかに、そして楽しげに引き込もうとしていた。
深夜二時、静まり返った施設に、カチリと硬質な金属音が小さく響いた。
キャスターの指先が紡いだ即席のルーンが、研究室の裏口にある頑丈な電子ロックの電流を完全に騙し、機能を停止させる。
「おい、足元に気をつけろよランサー」
「誰に言ってやがる。」
二人は音もなく影に紛れ、真っ白な服を夜の闇に沈めながら、芝生の庭を滑るように駆け抜けた。向かったのは、敷地の片隅にある古びた体育倉庫だ。
キャスターが慣れた手付きで南京錠をピッキングし、錆びついた扉を数センチだけ押し開ける。埃っぽい匂いの立ち込める暗がりの中へ、ランサーが猫のようなしなやかさで潜り込んだ。
「あったぜキャスター。綱引きの綱と……これだ」
ランサーが担ぎ出してきたのは、太い麻縄が巻かれた木製のドラムと、彼らが昼間の競技で使っていた競技用の槍だった。
キャスターは手際よく、その頑丈な麻縄の端を、槍の石突にある金具へ強固に結びつけた。さらに、指先で縄の繊維に沿ってルーンを這わせ、風圧を殺し、摩擦の熱を中和する強化の術式を刻み込んでいく。
「よし、準備完了だ。狙うのはあそこだな?」
「ああ。施設で最も厚く、最も高くそびえ立つ、あのクソ忌々しいコンクリートの絶壁だ」
二人が見上げた先には、月明かりを遮るように巨大な壁がそびえ立っていた。管理側が「人間には絶対に登れないし、登れば落ちて死ぬ」と過信しているがゆえに、皮肉にも監視カメラの巡回ルートからも、警備員の意識からも完全に外されている死角の地点。
「いくぞ、キャスター。しっかり掴まってな」
「ああ、お前の運動神経の良さ、ここで証明してみせろよ」
ランサーが槍を構え、全身の筋肉をバネのように収縮させる。
キャスターのルーンが、ランサーの周囲の空気抵抗を極限まで殺した。
次の瞬間、ランサーの肉体が爆発的な駆動を魅せる。放たれた槍は夜空を鋭く、無音で引き裂き、凄まじい放物線を描いて壁の頂上を超えた。
ドスッ、と遠くで鈍い音が響く。槍は壁の外側にある土壌へと、その半身を埋めるほど深く、深く突き刺さっていた。
ランサーが麻縄を力強く引くと、縄はピンと張り詰め、確かな手応えを返す。
「かかった! 先に行くぞ!」
ランサーは縄を掴むと、壁の垂直な斜面を、まるで重力を無視した獣のような速度で駆け登り始めた。音もなく頂上へとたどり着いた彼は、縄の端をその剛腕で固定し、下に向かって不敵に笑う。
「ほらよ、手を伸ばせ、賢者様!」
キャスターは風のルーンを足場に弾けさせ、ランサーが引き上げる圧倒的な腕力に身を任せて、一気に壁の最上部へと引き揚げられた。
頂上に立った二人の白い服が、外界から吹き付ける激しい夜風にバタバタと翻る。
壁の向こうに広がっていたのは、見渡す限りの広大な荒野と、その遥か先で星屑のようにギラギラと瞬く、見たこともない大都市のネオンの群れだった。
「……へえ、あれが『アヴァロン・ル・フェ』の街かよ。大したもんだな」
「フッ、ただの退屈しのぎにしちゃ、随分と上等な景色じゃないか」
二人は顔を見合わせ、声を合わせて不敵に笑うと、一本の麻縄を伝って、真っ白な檻の外へと軽やかに飛び降りていった。