――その同じ夜。管理室のベッドで、スカサハは酷く懐かしい夢を見ていた。
かつて自分が、既存の秩序と政府をすべて破壊しようと銃を取り、血の海の中で孤独に戦っていた頃の夢。
世界を変えるための革命。その果ての敗北。捕らえられた彼女に、政府が下したのは死刑ではなく、さらに残酷な刑罰だった。
『お前と同じ遺伝子を持つ無垢な家畜を、お前自身の手で管理しろ』
牙を抜かれ、社会のために快く消費されるパーツを育てる檻の番人。それが『影の国』の管理人としてのスカサハの始まりだった。
そこで出会った、自分と同じ遺伝子を持つ初めてのクローン――スカディ。
生まれも育ちも違う別の人間だと冷徹に割り切っていた。けれど、世界を、知性を愛する彼女と、あまりにも仲良くなりすぎてしまったのだ。
だからこそ、彼女の
(私たちは、ただ消費されるために生まれてきたのか?)
その日を境に、スカサハの心からは色彩が消えた。瞳の光を失い、ただ淡々と檻を守るだけの精密な人形となった。
ピー、と朝を告げる無機質なアラームが鳴り響き、スカサハは目を覚ます。
奇妙な静寂だった。いつもなら朝一番に騒がしく競い合っているはずの、あの青い猟犬たちの気配が一切ない。
嫌な予感に突き動かされ、スカサハが窓を開けて外を見た瞬間、彼女の細い眉が微かに跳ね上がった。
朝日に照らされた、絶対に越えられないはずの最高壁の頂上。そこから、一本の泥塗れの麻縄が、外界の荒野に向かってだらりと垂れ下がっていた。
「……ふん」
感情の乏しかったスカサハの唇の端が、数年ぶりに、かつて革命家だった頃の獰猛な形へと歪む。
「本当に、手のかかる犬どもだ」
だが、その歪な笑みは、すぐに哀切に満ちた深い溜息へと消えていった。
「お前らは、この偽りの楽園こそが真実の地だったと、絶望と共に知ることになるのだろうか。それとも……あの悍ましい外界にこそ、お前ら自身の居場所を見出すのだろうか」
最高警備を誇る施設のドナーを二体、それもオリジナルと同等の価値を持つ個体を逃したのだ。政府が、そしてクローンを管理する大企業が、管理人である自分を無罪放免にするはずがなかった。投獄か、あるいは殺処分か。
「しかし……このようなことになっては、私はもう。お前らの行く末を見守る時間など、残されてはいないだろうな」
張り詰めていた糸が切れたように、スカサハはその場に崩れ、木の床に静かに座り込んだ。かつて世界を壊そうとした革命家の肩が、今は酷く小さく見える。
「――師匠? どうしたの?」
異変を察したのだろう。開け放たれたドアの隙間から、真っ白な服を着た小さな子供たちが、恐る恐る部屋を覗き込んできた。不安そうに瞳を揺らしている。
「師匠、大丈夫? どっか痛いの?」
子供たちはトコトコと駆け寄り、床に座り込んだスカサハの周囲に集まった。小さな、けれど温かい手が、彼女の服の袖や、冷え切った手を包み込んでいく。
彼らは何も知らない。ランサーたちが壁を越えたことも、この施設がいつか自分たちを解体する檻だということも、そして、大好きな師匠にこれから訪れる残酷な運命のことも。ただ純粋に、スカサハを慕い、心配している。
「……なんでもないさ、お前たち」
スカサハは長く、静かな息を吐き出すと、集まってきた子供たちの柔らかな髪を一人一人、愛おしそうに撫でた。
彼女の、光を失っていたはずの瞳の奥に、微かな、けれど確かな温かい灯火が戻っていた。
「少し、頼もしい犬どもの夢を見ていただけだ。さあ……朝食の時間だな。みんなで行こう」
自分が連行されるまでのわずかな時間、この子たちの「平穏」を1秒でも長く守るために。そして、壁の向こうへ駆けていった二人の猟犬が、世界の真実にたどり着くまでの時間を稼ぐために。
牙を抜かれたはずの師は、子供たちの温もりに支えられながら、もう一度だけ、静かに立ち上がった。
◇
都会の波に飲まれるようにして、ランサーとキャスターは駅ビルの一角にあるアパレルショップの自動ドアをくぐった。その瞬間、二人の口から同時に感嘆の声が漏れる。
「おいキャスター、見ろよこれ! すげえ色の数だ!」
「フッ、俺たちが施設でやってた『色の数が多い方が階級が高いゲーム』なら、ここにある服を着た一瞬で、俺たちは大将になれるな」
施設で着せられていた、あの記号のような無機質な白とは真逆の、目も眩むような色彩の洪水。キャスターの目が留まったのは、これでもかと派手な原色が踊る、大柄なアロハシャツだった。
二人がそれぞれ気に入ったシャツを身に纏い、姿見の前に並び立つ。野生動物を思わせるしなやかな肉体に、カラフルな布地が鮮烈に映え、まるでお忍びで街を歩くトップモデルのような圧倒的なオーラを放っていた。
「あ、あの……すごく、お似合いです……!」
対応した若い女性店員が、二人の端正な顔立ちと、爛々と輝く赤い瞳に文字通り射抜かれ、頬を真っ赤にして身悶えしている。それを見たランサーは快活に笑った。
「なんだ、外界の人間ってのは、あの戒めの絵本に出てくる邪悪な妖精と違って、ずいぶん明るくて親切じゃねえか」
外の世界も案外悪くない――そう調子に乗った二人は、すべてが配給制だった施設と同じ感覚のまま、「ちょっとこれ、借りていくぜ!」と店員に気さくに手を振り、そのまま悪びれもせず店を出た。
――その、わずか数秒後だった。
先ほどまで赤面していた店員の顔から一瞬で血の気が引き、その口から引き裂かれたような悲鳴が上がる。
「き、キャーーー! 万引き!! 誰か捕まえてーー!!」
「おっと、鬼ごっこ開始か!」
遠くから鳴り響き始めたサイレンの音を合図に、二人は楽しげに笑いながらアスファルトを蹴り出した。
途中のコンビニから失敬したパンをかじり、チョコレートを半分こにパキリと割りながら、ビルとビルの隙間を、走行する車のボンネットを、まるで生まれ故郷の緑の草原を駆けるように軽やかに跳躍していく。
カラフルなアロハシャツの裾が、初夏の風に鮮やかに翻った。警察の追跡など、彼らの人外の身体能力の前には児戯に等しかった。
だが、彼らが無邪気に街を駆け抜けるその裏側で、社会は恐るべき速度で凍りついていた。
警察、そしてクローン経営組織のコントロールルーム。防犯カメラが捉えた二人の映像がモニターに映し出された瞬間、すべてのオペレーターの手が止まる。
『手配中の国家重要被検体と、市街地に出没した連続窃盗犯の容姿が完全に一致!』
「何だと……!? 檻から出たあの怪物が、すでに市街地に潜伏しているというのか!」
組織の恐慌を、敏感なマスコミのハイエナたちが逃すはずがなかった。
街頭の巨大ビジョン、電車の電子広告、スマホの通知――あらゆるメディアの画面が一斉に赤く染まり、おどろおどろしい緊急特番のテロップが踊る。
【速報:最凶の殺人犯クー・フーリンのクローン2体が夜間に脱走。現在、市街地で暴行及び強盗を働き潜伏中。極めて凶暴かつ危険、住民は速やかに戸締りを――】
盗んだチョコの暴力的な甘さに目を細めていた二人の頭上で、巨大なビジョンが、自分たちの「同じ顔」を、世界を脅かす凶悪犯の手配写真として冷酷に映し出し始めていた。