空の墓標にアロハシャツを   作:みそそ

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第6話

深夜一時。

 

静まり返った衛宮邸の廊下に、スマートフォンの無機質なバイブレーション音が低く響いた。 

 

士郎は画面を見つめたまま、一瞬、呼吸を止める。ディスプレイに躍る発信者の名は――『ギルガメッシュ社長』。 

 

滑り落ちるような緊張感を喉の奥に押し込み、士郎は通話ボタンを押した。

 

『――クローンを匿っているのは、お前だな。フェイカー』

 

開口一番のその声に、士郎の背筋を極寒の戦慄が駆け抜けた。「なぜそれを」という言葉は、驚愕のあまり喉の奥に張り付いて出てこない。自分の行動のすべてが、あの黄金の王の眼に筒抜けだったのだ。 

 

だが、受話器の向こうの怪物は、愉悦を含んだ低い笑い声を響かせた。

 

『でかしたぞ。貴様がその犬どもを抱え込んだ時点で、勝負は決していたのだ。裏でテレビ局や大企業のスポンサーへ巨額の資金と圧力をかけ、クー・フーリン・オルタとクローンたちの対談の場を整えてやった。生放送で世論を大炎上させ、あの不経済で非人道的なクローンシステムを、社会的に、根底から叩き潰してやる』

 

士郎はハッと目を見開いた。 ギルガメッシュは、士郎を処分する気など毛頭ない。それどころか、士郎がこの炎上劇のタイムリミットの間に、『絶対に人工臓器の開発を成功させる』という一点に、自社の命運と莫大な資本をオールインしたのだ。

 

『門の外を見ろ。特等席への送り迎えだ。貴様のノロマな研究が完成する前に、駄犬どもがハントされるのを見たくなければ……精々、己の役割を果たせ』 ツ、と無慈悲に切れた通話。 

 

士郎が恐る恐る玄関の引き戸を開け、門の外を見つめると、夜霧が立ち込める暗闇の中に、漆黒の高級リムジンが音もなくハザードランプを明滅させて佇んでいた。

 

(社長は……私の人工臓器の成功に、すべてを賭けたのか。責任重大だ) 

 

胸を押し潰すような凄まじい重圧。しかし、迷っている時間は一秒もない。

 

「おいエミヤ! 門の前のあの車、すげえ強そうだな!」

「本当だ、成金社長の迎えにしちゃ上等じゃないか。おいランサー、乗り込もうぜ!」 

 

背後から、派手なアロハシャツの胸元を揺らした二人が、まるでアトラクションを待つ子供のように目を輝かせて飛び出してきた。

 

「……ああ。行くぞ。シートベルトだけは忘れるなよ」 

 

士郎は不器用な声で彼らを促し、自らも黒塗りの車内へと足を踏み入れた。世界をひっくり返す、狂気のエンターテインメントへのカウントダウンが、静かに始まっていた。

 

 

世界中のネットワーク、すべてのテレビ、そして街頭の巨大ビジョンが一斉にその映像をライブストリーミングしていた。

 

ネット上のタイムラインは秒単位で炎上を続け、クローンの自由を否定する治安派と、彼らに同情する肯定派の怒号が電子の海で激しく衝突している。その狂騒を燃料にするかのように、スタジオの赤黒いライトが不気味に明滅していた。

 

画面の中央、きらびやかで悪趣味なステージの壇上に立つのは、この狂気のエンターテインメントの司会進行を任された男――蘆屋道満であった。

 

道満は長い袖を大袈裟に翻し、芝居がかった仕草で顔を半分扇で隠しながら、いやらしい微笑みをカメラに向けた。

 

「ンンンンン! 皆様、長らくお待たせいたしました! これより始まりまするは、血の因果、命の対話にございます! 罪深きオリジナルの影か、あるいは檻を穿つ新星か。さあ、ご覧あれ!」

 

道満が慇懃無礼に指し示した防弾ガラスの向こう。そこに、重厚な魔術拘束具と頑丈な鉄鎖で全身をガチガチに縛られた男が座っていた。

 

クー・フーリン・オルタ。裏社会を容赦なき暴力で支配していたマフィアのボスであり、ただ戦うこと、敵を屠ることしか考えていない純粋な暴虐の化身。

 

その鋭い眼光が放つ本物の「死の気配(殺気)」は、防弾ガラスや画面のフィルターを超えて、視聴者たちの肌を粟立たせるに十分な質量を持っていた。

 

刑務所のでは、モニターに齧り付いている一人の女がいた。かつてオルタの圧倒的な凶暴さに惚れ込み、彼に血生臭い戦場を提供してコントロールしていた女王メイヴである。

 

彼女自身、国家を揺るがした罪で投獄されており、スカサハの施設には彼女のクローンである『ノクナレア』がドナーとして眠っていた。

 

だがメイヴはそんな「予備パーツ」のことなど眼中にない。ただ、鎖に繋がれながらも獰猛な殺気を失わない画面の男を見つめ、「やっぱり私の王は世界で一番狂っていて、素敵だわ!」と、熱い吐息を漏らして陶酔していた。

 

スタジオの反対側。警察の手によって席につかされ、それでもお気に入りのカラフルなアロハシャツを着たままの二人のうち、ランサーが画面を指さして快活に笑った。

 

「おいキャスター見ろよ、本当に俺にそっくりじゃねえか! あのガチガチの鎖、俺なら退屈で一秒も我慢できねえぞ。アロハシャツ着せたら案外似合うんじゃねえか?」

 

世界中を震え上がらせるオリジナルの殺気を前にしてなお、ランサーの言葉には怯えも憎しみもない。ただただ純粋な、上野動物園で珍しい猛獣を見つけた子供のような、眩しいほどの無邪気さだった。

 

対するオルタは、ランサーの呑気な言葉に眉一つ動かさず、ただ暗い、底なしの昏がりを宿した「真顔」のまま、冷酷に自身のクローンたちを見下ろしていた。二人の間に流れる、決定的な温度差。

 

静まり返るスタジオの中、道満が慇懃に首を傾げ、満面の笑みでオルタへとすり寄る。

 

「では、お聞きいたしましょう。――彼らがドナーとして、いずれ病や怪我に苦しむ人々のためにすべての臓器を提供する運命にあることについて、何かご感想はございまするか? クー・フーリン・オルタ殿?」

 

その悪趣味極まりない質問がスピーカーから響いた瞬間、スタジオで拳を握りしめていた衛宮士郎は、肺の空気をすべて吐き出すように息を呑んだ。

 

世界中の何千万人の視聴者が、静寂の中でオルタの唇の動きを凝視していた。

 

「何も思わない」

 

拘束具が不気味に軋む音と共に、オルタは冷徹に言い放った。防弾ガラスの向こうから放たれるその声は、鋭利な氷柱のようにスタジオの空気を切り裂く。

 

「俺に何を言わせたいんだ、お前らは。謝らねえぞ。なぜなら、俺がこの最悪の刑務所に入り、社会の裏で血を流さなければ、こいつらは生まれることすらできなかった。こいつらの存在の根源は俺だ。むしろ俺に感謝してほしいくらいだ」

 

スピーカーから流れたその言葉に、会場、そして画面の向こうの世界は水を打ったように静まり返った。

 

他人を呪い、弄ぶことにかけては一級品のはずの蘆屋道満でさえ、一切の欺瞞を排した剥き出しの純粋なエゴを前にして、一瞬(え……)とその圧倒的な殺気に呑まれ、素の表情を浮かべる。

 

だが、自身の狂気こそがこの場を支配すべきだという歪んだプライドが、すぐさまその顔に道化の笑みを張り付かせた。

 

「ンンンンン〜……! これはこれは、至極……至極明快なる暴論、されど一点の曇りもなき心理にございまするなぁ!」

 

誰もが、クローンたちが絶望に顔を歪めるか、あるいはオリジナルを激しく呪うと予想していた。

 

しかし、マイクを向けられたランサーは、派手なアロハシャツの胸元をぽりぽりと掻きながら、ただ不思議そうに首を傾げただけだった。

 

「なんか、思ってたのと違うな」

 

ランサーの声には、怒りも絶望もなかった。ただの純粋な疑問。

 

「施設で読んだ絵本じゃ、親っていうのはもっと、あったけえもんだと思ってたのによ。あれは、全ての人間に当てはまる共通のルールじゃなかったのか。あいつの顔、俺にそっくりだけど……中身は全然あったかくねえんだな」

 

激昂でも、悲鳴でもない。ただ「世界の矛盾」を目の当たりにした子供のような、平然とした無垢。その言葉の刃が、番組スタッフ、そして画面の向こうにいる何千万人の視聴者たちの胸へと痛烈に突き刺さる。

 

自分たちがどれほど残酷なエゴで彼らを搾取していたか、その罪悪感が世界を覆い、スタジオの空気を完全に凍らせていく。

 

その冷え切った場を切り裂くように、今度はキャスターが、怜悧な赤い瞳をオルタ、そしてカメラのレンズへと真っ直ぐに向けた。

 

「……おい、司会者。そして画面の向こうの奴ら。勘違いするなよ」

 

キャスターの声は、冷徹な知性と、静かなる怒りに満ちていた。

 

「あいつはただの他人だ。クローンとオリジナルは、同じ人間じゃない。現に、同じ檻で育った俺とランサーでさえ、微妙に趣味も性格も似ていない。魂は別物だ。置かれる環境が違い、歩む時間が違う時点で、俺たちは全員独立した『別人』と言い切れる」

 

その瞬間、社会がクローン臓器提供を正当化するために掲げていた「クローンは知能が低く、野蛮な予備パーツでしかない」という、都合の良い免罪符が、音を立てて粉々に崩壊した。

 

彼らはパーツではない。自分たちとは別の、独自の魂を持った「一人の人間」を、なぶり殺しにして臓器を奪っていたのだという、恐るべき大虐殺の事実が世界に突きつけられたのだ。

 

衛宮士郎は立ち上がったまま、キャスターを見つめていた。強く握りしめた拳が、小刻みに震えている。

 

キャスターが放ったのは、社会の根幹をひっくり返す、クローンたちの「魂の独立宣言」だった。士郎は、彼らが背負ったあまりにも重い覚悟の鋭さに、息をすることさえ忘れていた。

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