夏目アンアンは
アンアンにとってこの場所はかつていた場所、自分から壊してしまったあの場所に比べれば天国のような場所だった。
自身が何かを望まなくても屋敷側が用意してくれる。自身がお願いしなくても仲良くしてくれる友人がいる。壊れていない人間がいる。
勿論不安が一切ない訳では無いがそれでも尚脱出したいかと聞かれれば答えはNOだった。
けれど同じ仲間の中にはどうしても脱出したいという人達もいた。アンアンに彼女達の気持ちは理解できなかった。
特にその中でもなぜ脱出したいのかイマイチ理由がわからない少女、桜庭エマの事は特に気に入らなかった。
ムカつくから、正しくないから、面白そうだから……他の面々は脱出を模索する理由は分かりやすく、理解ができるだけまだやりたいようにさせておこうという気持ちにできた。
しかしエマは違った。殺人事件が起こるかもしれないから、親が心配してるから……聞いてみればそれらしい理由を並べているがどうにも薄っぺらい内容にアンアンは感じ取れた。
本心を隠して脱出しようとするエマと本心からここに留まりたいと思っているアンアンの間にどうしようもない深い溝があるのは至極当然の事であった。
しかしエマは嘘をつきながらも一番積極的に脱出を試みている事を看病のために医療室に度々来てくれる氷上メルルによって聞かされていた。
氷上メルルは基本的に医療室にいる為に他の少女達の様子が分からないであろうアンアンの事を心配しているのか看病しながら今日は〇〇さんがどれこれをしていた。☓☓さんがあれをどうこうしたと教えてくれていた。
アンアンにとってはそれは気に入った少女の動向がわかる以上に嫌いなエマの動向も耳に入る為ストレスと成りうる物だった。
そして何より時より頭を過る謎の声。
───このままでは楽園をエマによって壊されてしまう。
その声が頭の中に響くたびに何かがひび割れていく、今までは考えもしなかった物騒な考えが思いつく、桜庭エマが平穏を打ち壊す悪魔としか思えなくなっていく。
桜庭エマをどうにかしなければいけない、説得?彼女が大人しく諦めるだろうか。洗脳?なぜか聞いた様子がない洗脳で止められるだろうか。
だとすれば夏目アンアンが取るべき行動は……
メルルによる現実と幻聴による妄想。その二つは確実にアンアンの心を蝕んでいき……
「エマを……桜庭エマを殺そう」
夏目アンアンはそう結論付けてしまった。
アンアンは桜庭エマを殺すと決めると作戦を練り始めた。
魔女図鑑の規則を読み、ただ殺すだけでは処刑され、犯人がわからないままでは全員処刑か自分以外が冤罪で処刑される可能性があると気づいた。
(事故に見せかけて殺す……)
思いついた犯罪計画はシャワールームでエマを襲うというものだった。
シャワールームは比較的個人で利用する事が多く、わざわざ使用中に侵入する輩もいない為死角になりやすい。そして老朽化が所々で目立つこの牢屋敷のシャワールームならば不幸な事故が起こっても誰も疑わないはずだ。
殺害方法を決めたアンアンはアリバイ作りを始めた。
気がつけば随分と融通がきくようになった【洗脳】を使い仲間の行動を少しずつ操っていく。
それぞれが一カ所に留まらないが適度にすれ違うようにすることまるでパズルのピースが噛み合うように全員のアリバイが成立していく。
アンアンもまた一見するとそのパズルの中でアリバイが成立しているように見せかけて少しの間だけ誰の目にも映らない時間を確保した。
シャワールーム。
桜庭エマはアンアンの計画のことを一切知らずに一人でシャワーを浴びていた。
元々背中のことがバレないようにエマは誰かとともにシャワーを浴びることは避けていた為にアンアンの計画で周囲に人がいないことにも気づいていなかった。
そんなエマに向かってアンアンが忍び寄る。アンアンの立てる僅かな音はシャワーの音によって掻き消されていく。
(シャワールームに落ちている破片でエマを殴る、その後バスタブに頭を打ちつけて事故に偽装する。怪しまれそうな証拠は出しっぱなしのシャワーで洗い流して桜庭エマはシャワー中に足を滑らせて頭を打ったことにする)
殺意に支配されたアンアンは淡々とエマを殺害するために立てた計画を実行しようとしていた。
そして実際に破片を拾いエマが完全に背後を向いた瞬間その破片をエマの頭部に振り下ろそうとした瞬間に。
アンアンは見てしまった。
エマの背中に生える骨で出来たような小さな羽を。
その羽は蝶の羽のような形状をしており、とても小さい事も相まってアンアンにはまるで妖精の羽が彼女の背中に生えているように見えた。
その羽を見たアンアンは目を離せなくなってしまった。
それまでの殺人衝動すら消え失せただただその羽を見つめる。
(アレは
アレは皆を救ってくれる。
わがはいの事を罰して、そして終わらせてくれる。
魂が、本能が、心がそれを理解しアンアンに感動の涙を流させた。
力の抜けた手から破片がこぼれ落ち大きな音を立てた。
「───ッ!ってアンアンちゃん!?どうしてここに?それにどうして涙を……」
「どうか許してほしい……桜庭エマ。わがはいはずっと心の底でお前を待ちわびていた……それなのに……わがはいは……!」
「えっ?」
アンアンは理解した。
何故エマに【洗脳】が効かなかったのか、彼女の手に触れた時に頭に浮かんだ彼女が世界を滅ぼすビジョンは何だったのか。
彼女が救いだったからだ。
「どうかその羽をもっとよく見せて欲しい……!その救いの羽をもっと!」
「落ち着いてアンアンちゃん!!」
その後見当たらないエマとアンアンの姿を探した皆が発見したのは辛うじて服を着ることには成功したが乱れた服装でアンアンにしがみつかれているエマの姿であった。
「不純同性交友は正しくないッ!」
「誤解だよ!!」
「……」
「……」
「あの……アンアンちゃん?」
「なんだ?」
「離れて欲しいなって……」
「嫌だ」
その後事態の説明の為に二人は皆とともに食堂に移動させられたがアンアンはエマの背に抱きついたまま離れようとしなかった。
「それでエマくん、アンアンくんがこうなった理由について何かわかるかい?」
困惑する少女たちから代表してレイアがエマに質問を投げかけた。
「ごめん。ボクにもよく分からなくて……」
どう考えてもその原因はエマの背中に生えた羽だろうと彼女は理解していた。しかしそれを説明することはできず結果としてエマは何故かわからないが急にアンアンに懐かれたと説明する他なかった。
「うーむ……ではアンアンくん、君がそうしている理由を教えてくれないか?」
「……わがはいの魔法は【洗脳】、それでわがはいは……許されない事をしてしまった」
一見関係のないことではあるが、ポツリポツリとアンアンは自身の境遇を話し始めた。
【洗脳】を使い両親におねだりをし続けた事。その結果両親を壊してしまったこと。
「わがはいは外にはもう帰る場所はない、だからここにずっといたいと思っていた。だからここから脱出したがっているエマのことが嫌いだった」
淡々と告げるその言葉には心の底からの後悔やエマに対する怒りといった重い感情がこもっており彼女の心の闇を否が応でも理解させられるそんな言葉だった。
「けどわがはいは勘違いしていた。エマはわがはいの【洗脳】が効かない。エマはわがはいが壊してしまうことはない。エマはわがはいにとって大切なものであり、救いだ」
うっとりといった表情でアンアンはエマの背中に頬ずりをしている。
辛うじてエマはアンアンに背中の羽の事を口止めすることに成功していた。しかしアンアンが説明したエマから離れない理由もまた全てを話していないだけで事実であった。
「ふうん……嘘はいってなさそうね」
「しかし不思議ですね!どうしてエマさんにはアンアンさんの魔法が通用しないんでしょう!」
「あーあれじゃね?フィクションでよくあるじゃん、魔法を無効化する魔法ってやつ。エマっちの魔法ってそれなんじゃね?」
「確かに、桜庭エマは魔法が使えないと思っていた。けれど……」
「そうか!魔法を無効化する魔法ならば他に魔法を使える者がいないと自身の魔法に気づきようがない!つまりエマくんは今まで魔法を使える機会に恵まれなかった為に自身が魔法を使えないと勘違いしていたというわけだね!」
レイアが結論付けた事でとりあえずアンアンがこうなった理由についてはエマの魔法が原因ということで全員納得がいった。塔のエマ本人を除いて。
(本当に魔法が効かないだけ……なのかな)
今も背中に感じるアンアンの柔らかい頬は単に背中を頬ずりしているのではなく背中の羽に対して執拗に頬ずりしていた。
その執着心はとてもではないがそれまでのアンアンの様子とはまるで違っていた。
大切なものに対する感情を通り越し崇拝の域に達している……エマは自身に向けられた感情をそのように捉えていた。
アンアンの感情をここまで変えてしまう自身の羽は一体何なのか?エマの悩みは人知れず一層深まっていった。
数日後……ようやくアンアンが背中から離れたエマは娯楽室で彼女の魔法の検証という実験台にされていた。
「凄いですねエマさん!私が人並みの力しか出せません!」
「いたた……それでも十分力強いよシェリーちゃん!」
シェリーは【怪力】を無効化された状態で嬉しそうにエマの手をニギニギと揉んだ。
「ぐぬぬぬぬぬ!ちっとも浮けませんわ!」
「元々対して浮けませんけどね!」
「なんですってー!!」
ハンナはエマと共に浮く事は叶わず、ぷるぷると震えるだけだった。
「ホントに魔法が使えなくなるんですわね。確かにアンアンさんみたいに魔法でトラブルを起こしたことがある人にとっては救いになるかもしれねーですわね」
「でもエマさんはこれから先エマさんはケガに気をつけたほうがいいかもしれません。魔法が効かないという事はメルルさんの治癒魔法も無効化してしまう可能性が高いので」
『わがはいがエマを守るから大丈夫だ』
「頼りにならなさそうな護衛ですわ……」
いつもの三人に新しくアンアンが加わった四人は娯楽室でワイワイと実験をしていた。
そこに一人の少女がやってきた。
二階堂ヒロ、桜庭エマの幼馴染にして少なからず因縁がある少女。
今までエマがそこまで積極的にヒロに対してアプローチを取っていなかった事でヒロもまたエマを無視する対応をしており、同室でありながら二人の仲はまるで赤の他人のようであった。
そんな中でヒロはエマの前に立ちエマを睨む。
他の三人はヒロを警戒しつつも二人が牢屋敷に来る前からの知り合いということは知っていたので邪魔をすることなく二人の会話を見守ることにしていた。
「私はエマ、貴女を許すことはできない」
「……ボクもヒロちゃんに許してもらうために、変わったつもりだったんだけど……今はもう自信がないや」
エマは背中のことで自分のことがよくわからなくなってしまった為に人知れず自信を喪失していた。
結果として幸か不幸か二階堂ヒロはエマというストレスの種を抱えずに済んでいた故に比較的穏やかな生活を送れていた。
「けど貴女の魔法は正しくないものを正す事ができる。それだけは認めようと思う」
「それって……?」
「勘違いするなエマ。過去は変わらない、変わるのは正しくない。だから私はエマを許せない。けどだからこそ今正しく生きるのであれば……ッ少し話しすぎた」
それだけいうとヒロはどこか苛立たしげに娯楽室を出ていった。
「一体何だったんですの……?」
『言いたい事だけ言って去っていった。我儘な奴だ』
「貴女がそれを言うんですの!?」
「……」
エマにはわかっていた。ヒロは彼女なりにエマの魔法を知ったことで思うことがあったのだろう。
彼女はエマを許すことはなくても今の仲は改善できるかもしれない、それを伝えるためにわざわざ会いに来てくれたのだ。
(この魔法を持っててよかった……かも?)
今までは不安の種でしかなかった背中の羽と自身の魔法、それが二階堂ヒロとの距離を僅かながら近づけてくれたことで少しだけエマは自身の魔法を好きになることができた。