――暗闇。
どこまでも続く深い闇の中を、谷中は一人歩いていた。
遠くから聞こえるのは、金属が激しくぶつかり合う音。
「先生……。」
「桐原先生!」
叫んでも返事はない。
音だけが、闇の奥へ響いていく。
その瞬間。
眩しい光が差し込んだ。
⸻
「……ん。」
ゆっくりと目を開く。
木造の天井。
窓から差し込む朝日。
薬草の香りが静かに漂っている。
「ここは……。」
「目が覚めましたか。」
穏やかな声だった。
谷中が顔を向ける。
「零乃さん……。」
そこは岡山で訪れた、山奥の診療所だった。
零乃は優しく微笑む。
「三日間、眠っていました。」
「三日!?」
谷中は勢いよく起き上がろうとする。
「っ……!」
全身に激痛が走った。
「まだ安静にしてください。」
「傷は塞がっていますが、身体は完全には回復していません。」
その時、隣のベッドから声がした。
「いてて……。」
「谷中。」
「空本!」
空本もゆっくり身体を起こす。
「生きてたか……。」
「お互いにな。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
しかし、その笑顔はすぐに消える。
「あっ!」
谷中の記憶が一気によみがえった。
「桐原先生!」
「天山は!?」
「川北さんは!?」
零乃は静かに答えた。
「川北さんは命に別状ありません。」
「現在も療養中ですが、順調に回復しています。」
谷中は胸をなで下ろした。
「よかった……。」
「ですが。」
零乃は少しだけ表情を曇らせる。
「桐原さんは、ここにはいません。」
「え?」
「あなたたちをここへ運んだあと、すぐに出発されました。」
「どこへ?」
零乃は静かに答えた。
「三人目に会いに。」
その言葉に部屋の空気が変わる。
「三人目……。」
桑田が命懸けで託した写真。
川北から渡された懐中時計。
『三人目へ』
裏蓋に刻まれた文字が頭に浮かぶ。
「先生は……。」
「三人目の居場所を知ってるんだ。」
零乃は小さくうなずいた。
「出発される前に、こうおっしゃっていました。」
谷中は思わず身を乗り出す。
「何て?」
零乃は桐原の言葉を静かに語り始める。
「『もう時間がない。』」
「『私が動かなければ、間に合わない。』」
谷中は拳を握る。
「時間がない……。」
「どういう意味なんだ。」
零乃は首を横に振る。
「私にも詳しい事情は話してくださいませんでした。」
「ですが。」
「かなり急いでいたことだけは確かです。」
診療所に静かな沈黙が流れる。
窓の外では、風が木々を揺らしていた。
谷中はベッドからゆっくり立ち上がる。
「僕も行きます。」
「まだ傷が……。」
「それでも。」
「先生一人に任せるわけにはいきません。」
空本も立ち上がる。
「俺も行く。」
零乃は二人を見つめ、小さく微笑んだ。
「無理をすると分かっていました。」
そう言って棚から二つの包みを取り出す。
「途中で食べてください。」
「体力を失えば、傷の治りも遅くなります。」
「ありがとうございます!」
谷中は深く頭を下げる。
診療所を出ようとした、その時。
「谷中さん。」
零乃が静かに呼び止めた。
「はい。」
「桐原さんは、もう一つだけ言葉を残していきました。」
「……?」
零乃は静かに語る。
「『谷中は、まだ知らなくていい。』」
「『三人目の正体を知る時は、自分自身の"器"と向き合う時だ。』」
谷中はその言葉を胸の中で繰り返す。
「器……。」
兵庫で池村から聞いた言葉。
逆ナン力を受け止める器。
それと三人目に、どんな関係があるというのか。
答えはまだ見えない。
「行こう。」
谷中が言う。
「ああ。」
空本もうなずく。
二人は診療所を後にした。
その頃――。
人気のない廃駅のホーム。
静かに電車が通り過ぎる。
ホームのベンチには、一人の男が座っていた。
桐原だった。
その前には、黒いロングコートをまとった人物が静かに立っている。
帽子を深くかぶり、その表情は見えない。
桐原はゆっくり口を開いた。
「……久しぶりだな。」
その人物は小さく笑う。
「二十年ぶりか。」
「桐原。」
桐原は真っすぐ相手を見据える。
「話がある。」
「――三人目。」
ホームへ電車が滑り込み、轟音が二人を包み込む。
長年、その存在だけが語られてきた最後の英雄。
その真実が、少しずつ動き始めようとしていた――。