谷中逆ナン物語   作:君脇玲

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21.地獄案内人姉妹

第21話「地獄案内姉妹 ―奈良編―」

 

「急げ!」

 

谷中と空本は、奈良の山道を全力で駆け抜けていた。

 

零乃の診療所を飛び出してから、一度も立ち止まってはいない。

 

胸ポケットには、川北から託された懐中時計。

 

その重みを感じながら、谷中は前だけを見つめていた。

 

「間に合ってくれ……。」

 

木々の向こうから、激しい衝撃音が響く。

 

ドォォォォン!!

 

山全体が震え、鳥たちが一斉に飛び立った。

 

「先生!」

 

谷中は坂を駆け上がる。

 

その先に広がっていた光景に、思わず息をのんだ。

 

地面は大きくえぐれ、木々はなぎ倒されている。

 

戦いの跡が辺り一面に広がっていた。

 

その中央に立つ一人の男。

 

黒いコートをまとい、静かに前を見据える。

 

桐原だった。

 

「先生!」

 

桐原は振り返ることなく、小さく言った。

 

「来たか。」

 

その正面には、二人の女性が並んで立っていた。

 

よく似た顔立ち。

 

黒い和装。

 

長い黒髪。

 

姉は赤い簪。

 

妹は青い簪。

 

どこか妖しく、それでいて美しい。

 

姉がゆっくり微笑む。

 

「来たわね。」

 

「"師"。」

 

妹も口元を緩める。

 

「待っていたわ。」

 

谷中は二人を見つめる。

 

「先生……。」

 

「この人たちは?」

 

桐原の視線は二人から離れない。

 

「黒獅子幹部。」

 

「地獄案内姉妹だ。」

 

姉は優雅に一礼した。

 

「姉の、由香。」

 

妹も続く。

 

「妹の、千香。」

 

由香は静かに扇子を開く。

 

「私たちは、人を殺すためにいるんじゃない。」

 

「絶望へ案内するためにいるの。」

 

千香は小さく笑う。

 

「だから。」

 

「地獄案内姉妹。」

 

その笑顔には、底知れない不気味さがあった。

 

谷中は拳を握る。

 

「先生を狙う理由は!」

 

由香は肩をすくめる。

 

「三人目を探しているから。」

 

千香が続ける。

 

「そして。」

 

「あなたたちも邪魔だから。」

 

一瞬の静寂。

 

次の瞬間だった。

 

二人が同時に地面を蹴る。

 

「速い!」

 

空本が叫ぶ。

 

しかし、それよりも早く桐原が前へ出た。

 

バァン!!

 

拳と蹴りが激しくぶつかり合う。

 

衝撃だけで周囲の木々が大きく揺れた。

 

「さすがね。」

 

由香が笑う。

 

「でも。」

 

「一人じゃないのよ。」

 

桐原の背後へ千香が回り込む。

 

だが桐原は振り返ることなく、後ろ回し蹴りで迎え撃った。

 

二対一。

 

それでも互角。

 

いや、それ以上だった。

 

「先生……。」

 

谷中は思わず息をのむ。

 

「強すぎる……。」

 

「谷中!」

 

桐原の声が飛ぶ。

 

「右だ!」

 

「!」

 

反射的に身体をひねる。

 

千香の蹴りが頬をかすめた。

 

「くっ……!」

 

谷中は距離を取る。

 

(戦わなきゃ。)

 

そう思う。

 

だが、拳が動かなかった。

 

目の前にいるのは女性。

 

どれほど強敵でも。

 

拳を振るうことだけは、できなかった。

 

 

脳裏によみがえる。

 

幼い日の記憶。

 

公園で泣いていた女の子。

 

助けようとして振るった拳。

 

勢い余って、その子まで転ばせてしまった。

 

泣きながら言われた言葉。

 

「痛い……。」

 

家へ帰ると、父は怒らなかった。

 

静かに谷中の肩へ手を置き、こう言った。

 

「人を守るために拳を振るうことはある。」

 

「でも。」

 

「女の子を傷つけたことだけは、一生忘れるな。」

 

その日から谷中は誓った。

 

女性には、絶対に手を上げない。

 

 

「どうしたの?」

 

由香が微笑む。

 

「殴らないの?」

 

千香も冷たく笑う。

 

「それとも。」

 

「殴れないの?」

 

二人の蹴りが容赦なく襲いかかる。

 

谷中は避ける。

 

受け流す。

 

防ぐ。

 

それだけだった。

 

「谷中!」

 

空本が叫ぶ。

 

「反撃しろ!」

 

「できない!」

 

「相手は女性なんだ!」

 

その言葉に、桐原の動きが一瞬だけ止まる。

 

その隙を由香は見逃さなかった。

 

鋭い蹴りが桐原の脇腹へ突き刺さる。

 

ドンッ!!

 

桐原が大きく吹き飛ばされる。

 

「先生!」

 

谷中と空本が駆け寄る。

 

桐原はゆっくり立ち上がり、苦笑した。

 

「……そうだったな。」

 

「お前は昔から。」

 

「その優しさだけは変わらない。」

 

谷中は苦しそうにうつむく。

 

「僕には……。」

 

「女性とは戦えません。」

 

由香と千香は顔を見合わせ、小さく笑った。

 

「聞いた?」

 

「なんて都合のいい弱点。」

 

「これなら、楽ね。」

 

二人はゆっくりと谷中へ近づく。

 

桐原は再び前へ出る。

 

「谷中。」

 

「今は無理に変わる必要はない。」

 

「だが、覚えておけ。」

 

「本当に守るべきものがある時。」

 

「優しさと甘さは違う。」

 

「その意味を、お前はいずれ知る。」

 

静かに構えを取る桐原。

 

「この二人は私が引き受ける。」

 

「お前たちは三人目を探せ。」

 

しかし谷中は首を横に振る。

 

「逃げません。」

 

空本も一歩前へ出た。

 

「俺たちも戦います。」

 

「谷中が手を出せないなら、その分は俺が守る。」

 

谷中は空本を見る。

 

「空本……。」

 

「一人で背負うな。」

 

空本は笑う。

 

「相棒だろ。」

 

桐原も小さく笑みを浮かべた。

 

「……そうだったな。」

 

由香が扇子を閉じる。

 

「いい師弟愛。」

 

千香も静かに構えた。

 

「でも。」

 

「今日は三人まとめて。」

 

「地獄へ案内してあげる。」

 

奈良の山に、再び緊張が走る。

 

逆ナン師範"師"と、その弟子たち。

 

黒獅子幹部・地獄案内姉妹。

 

それぞれの信念がぶつかり合う戦いが、今、幕を開ける――。

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