奈良の山奥。
倒れた竹が風に揺れていた。
桐原と向かい合うのは、黒獅子幹部――
地獄案内姉妹・由香と千香。
その少し後ろには、谷中と空本。
しかし谷中は動けなかった。
目の前にいるのは女性。
拳を握ることさえできない。
由香は優しく笑う。
「まだ戦えないの?」
「本当に優しい人。」
千香も静かに続ける。
「でも、その優しさは弱さよ。」
二人が同時に飛び出す。
桐原が迎え撃つ。
ガァン!!
衝撃が山に響く。
一対二。
それでも桐原は一歩も引かない。
掌底。
蹴り。
投げ。
無駄のない動きで二人を押し返していく。
しかし。
肩には先ほど受けた傷。
呼吸も少しずつ乱れていた。
「先生!」
谷中が叫ぶ。
「来るな!」
桐原は鋭く言い放つ。
「お前はまだ戦う時じゃない!」
その瞬間だった。
由香が不敵に笑う。
「だったら。」
「先に弟子を壊しましょう。」
千香の姿が消える。
「しまっ!」
谷中が振り向く。
しかし遅かった。
短剣が胸元へ迫る。
避けられない。
その瞬間――
ドンッ!!
「先生!!」
桐原が谷中を突き飛ばした。
短剣は桐原の肩を深く切り裂く。
さらに由香の蹴りが腹部へ突き刺さる。
ガァァン!!
桐原は竹林へ吹き飛ばされ、その場に膝をついた。
「先生!」
谷中と空本が駆け寄る。
桐原は苦しそうに笑う。
「……無事か。」
「どうして……。」
「弟子を守るのは。」
「師匠の役目だからな。」
その言葉とともに、桐原は片膝をついたまま息を整える。
谷中の胸が締めつけられる。
(守られてばかりだ。)
(何もできない。)
その時だった。
胸ポケットの懐中時計が、小さく震えた。
カチッ。
止まっていた針が、わずかに動く。
淡い金色の光が時計から漏れ始める。
「……?」
谷中は時計を見つめた。
鼓動が速くなる。
身体の奥で、何かが静かに目を覚まそうとしていた。
風が止む。
竹林が静まり返る。
桐原はその光を見つめ、小さくつぶやく。
「……始まったか。」
由香も表情を変える。
「この気配……。」
千香が一歩後ろへ下がる。
「何……?」
谷中自身にも分からない。
ただ胸の奥が温かくなり、身体を包むような感覚だけがあった。
「先生……。」
桐原は静かに言う。
「まだだ。」
「その力は、今は使うな。」
「え?」
「まだ、お前には早い。」
その瞬間。
奈良の山一帯を黒い霧が包み込んだ。
「!」
霧の奥から、一人の黒いローブの人物が姿を現す。
顔は見えない。
由香と千香は同時に頭を下げた。
「申し訳ありません。」
黒いローブの人物は何も答えない。
ただ右手を静かに上げる。
黒い霧が姉妹を包み込む。
「待って!」
谷中が走る。
しかし霧は一瞬で晴れた。
そこには誰もいない。
残されていたのは、一枚の**黒い獅子の紋章が刻まれた黒い羽**だけだった。
桐原は羽を拾い上げる。
「……やはり。」
「動き始めたか。」
谷中は尋ねる。
「先生。」
「今の人は?」
桐原は羽を見つめたまま答える。
「今はまだ知る必要はない。」
「だが、一つだけ覚えておけ。」
「黒獅子は、お前が思っている以上に深い闇を抱えている。」
谷中は懐中時計を握り締める。
わずかに動いた針。
胸の奥で生まれた温かな力。
それが何なのか、まだ誰にも分からない。
だが確かに――
何かが動き始めていた。