谷中逆ナン物語   作:君脇玲

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5.悪法の天山

日本一の舞妓・梶原月が、何者かに誘拐された。

 

 谷中涼太と空本公平は、梶原の師匠である古市美和子の願いを受け、京都の街で手掛かりを探していた。

 

「梶原さんがいなくなったのは、三日前の夜だったんですよね?」

 

「ええ。稽古を終えて、自分の部屋へ戻った直後のことでした。」

 

 二人は古市から聞いた話を整理しながら、梶原が最後に目撃された場所へ向かっていた。

 

 争った形跡はない。

 

 助けを求める声を聞いた者もいない。

 

 戸締まりも破られていなかった。

 

 まるで梶原が、自ら姿を消したかのようだった。

 

「手掛かりが少なすぎるな……。」

 

 空本が周囲を見回す。

 

「でも、梶原さんが何も言わずにいなくなるとは思えない。」

 

 谷中は静かに足を止めた。

 

「誰かが、痕跡を残さずに連れ去ったんだ。」

 

「そんなことができる奴がいるのか?」

 

「分からない。でも――」

 

 その時だった。

 

 一陣の風が吹き抜ける。

 

 一枚の紙が、谷中の足元へ舞い落ちた。

 

「……なんだ?」

 

 拾い上げる。

 

 そこには墨で短く書かれていた。

 

『22:00 八坂神社』

 

 その下には、切り裂かれた扇の絵。

 

 古市から見せてもらった梶原の愛用の扇と、まったく同じ模様だった。

 

「……罠だな。」

 

 空本がつぶやく。

 

「ああ。」

 

「それでも行くのか?」

 

 谷中は紙を強く握り締めた。

 

「もちろん。」

 

「罠でもいい。」

 

「梶原さんにつながる唯一の手掛かりだから。」

 

 空本は苦笑する。

 

「そう言うと思った。」

 

     ◇

 

 午後十時。

 

 夜の八坂神社。

 

 昼間の賑わいは消え、境内は静寂に包まれていた。

 

 朱色の鳥居。

 

 揺れる灯籠。

 

 吹き抜ける夜風。

 

「静かすぎるな。」

 

 空本が辺りを警戒する。

 

 谷中は境内の奥を見つめた。

 

「……いや。」

 

「いる。」

 

 灯籠の光が届かない闇。

 

 そこに、一人の男が立っていた。

 

「言われた通りに来たぞ!」

 

 谷中の声が夜に響く。

 

 乾いた拍手が返ってきた。

 

 ゆっくりと姿を現す男。

 

 整えられた服装。

 

 細身の体。

 

 一本の杖を手に、薄く笑っている。

 

「へぇ。」

 

「本当に来るとは思わなかった。」

 

 落ち着いた声だった。

 

 だが、その笑みには相手を見下すような余裕があった。

 

「梶原さんはどこだ!」

 

 谷中が叫ぶ。

 

 男は肩をすくめる。

 

「そんなに慌てるな。」

 

「ちゃんと生きてる。」

 

 男が軽く指を鳴らした。

 

 次の瞬間。

 

 境内中の灯籠へ、一斉に火が灯る。

 

 その中央。

 

 一人の女性が座らされていた。

 

 華やかな着物。

 

 乱れた髪。

 

 後ろ手を縛られ、口元は布で塞がれている。

 

「梶原さん!」

 

 谷中が駆け出そうとする。

 

 しかし――。

 

 男は杖を地面へ突き立てた。

 

 鋭い音。

 

 谷中の足元へ一本の亀裂が走る。

 

 思わず足が止まった。

 

「そこまで。」

 

「人質がどうなってもいいなら、好きにしろ。」

 

「お前がさらったのか。」

 

「そうだ。」

 

「俺が連れてきた。」

 

 空本が一歩前へ出る。

 

「目的は何だ。」

 

 男は静かに笑う。

 

「知る必要はない。」

 

「じゃあ、なんで俺たちを呼んだ。」

 

 男は谷中を見つめた。

 

「お前に会いたかった。」

 

「谷中涼太。」

 

 自分の名前を呼ばれ、谷中は表情を変える。

 

「どうして俺の名前を知ってる。」

 

 男は笑みを浮かべたまま答えた。

 

「谷中。」

 

「お前、自分のことを何も知らないんだな。」

 

「……え?」

 

「まあ、それでいい。」

 

「その方が面白い。」

 

「何の話だ。」

 

「そのうち分かる。」

 

 男はそれ以上語らなかった。

 

 ゆっくりと杖を持ち直す。

 

 夜風が吹く。

 

 灯籠の炎が揺らめく。

 

「黒獅子。」

 

 一歩前へ出る。

 

「四悪。」

 

 男は静かに笑った。

 

天山大和(てんざんやまと)。」

 

 杖を肩へ担ぐ。

 

「悪法。」

 

「そう呼ばれてる。」

 

「黒獅子……?」

 

 空本が息をのむ。

 

 初めて聞く組織。

 

 初めて聞く異名。

 

 天山は楽しそうに二人を見つめた。

 

「今日は質問の時間じゃない。」

 

「お前らをここへ呼んだ理由は一つ。」

 

 杖の先を谷中へ向ける。

 

「試す。」

 

「谷中涼太って人間に、どれだけの価値があるのか。」

 

 谷中は静かに拳を握る。

 

「俺に用があるなら好きにしろ。」

 

「でも。」

 

「梶原さんには手を出すな。」

 

 天山は目を細めた。

 

「助けるつもりか。」

 

「助けたい。」

 

「それだけだ。」

 

 一瞬の沈黙。

 

 やがて天山は小さく笑う。

 

「嫌いじゃない。」

 

「そういう奴。」

 

「だから壊しがいがある。」

 

 天山が杖を掲げる。

 

 その瞬間。

 

 境内を囲むように、無数の札が宙へ浮かび上がった。

 

『停止』

 

『拘束』

 

『服従』

 

 風が止まる。

 

 灯籠の炎が大きく揺れた。

 

「谷中!」

 

 空本が身構える。

 

 札の中央で、天山は静かに笑う。

 

「さあ。」

 

「始めよう。」

 

 谷中たちの旅で初めてとなる、本物の敵との戦いが、今、幕を開けようとしていた――。

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