日本一の舞妓・梶原月が、何者かに誘拐された。
谷中涼太と空本公平は、梶原の師匠である古市美和子の願いを受け、京都の街で手掛かりを探していた。
「梶原さんがいなくなったのは、三日前の夜だったんですよね?」
「ええ。稽古を終えて、自分の部屋へ戻った直後のことでした。」
二人は古市から聞いた話を整理しながら、梶原が最後に目撃された場所へ向かっていた。
争った形跡はない。
助けを求める声を聞いた者もいない。
戸締まりも破られていなかった。
まるで梶原が、自ら姿を消したかのようだった。
「手掛かりが少なすぎるな……。」
空本が周囲を見回す。
「でも、梶原さんが何も言わずにいなくなるとは思えない。」
谷中は静かに足を止めた。
「誰かが、痕跡を残さずに連れ去ったんだ。」
「そんなことができる奴がいるのか?」
「分からない。でも――」
その時だった。
一陣の風が吹き抜ける。
一枚の紙が、谷中の足元へ舞い落ちた。
「……なんだ?」
拾い上げる。
そこには墨で短く書かれていた。
『22:00 八坂神社』
その下には、切り裂かれた扇の絵。
古市から見せてもらった梶原の愛用の扇と、まったく同じ模様だった。
「……罠だな。」
空本がつぶやく。
「ああ。」
「それでも行くのか?」
谷中は紙を強く握り締めた。
「もちろん。」
「罠でもいい。」
「梶原さんにつながる唯一の手掛かりだから。」
空本は苦笑する。
「そう言うと思った。」
◇
午後十時。
夜の八坂神社。
昼間の賑わいは消え、境内は静寂に包まれていた。
朱色の鳥居。
揺れる灯籠。
吹き抜ける夜風。
「静かすぎるな。」
空本が辺りを警戒する。
谷中は境内の奥を見つめた。
「……いや。」
「いる。」
灯籠の光が届かない闇。
そこに、一人の男が立っていた。
「言われた通りに来たぞ!」
谷中の声が夜に響く。
乾いた拍手が返ってきた。
ゆっくりと姿を現す男。
整えられた服装。
細身の体。
一本の杖を手に、薄く笑っている。
「へぇ。」
「本当に来るとは思わなかった。」
落ち着いた声だった。
だが、その笑みには相手を見下すような余裕があった。
「梶原さんはどこだ!」
谷中が叫ぶ。
男は肩をすくめる。
「そんなに慌てるな。」
「ちゃんと生きてる。」
男が軽く指を鳴らした。
次の瞬間。
境内中の灯籠へ、一斉に火が灯る。
その中央。
一人の女性が座らされていた。
華やかな着物。
乱れた髪。
後ろ手を縛られ、口元は布で塞がれている。
「梶原さん!」
谷中が駆け出そうとする。
しかし――。
男は杖を地面へ突き立てた。
鋭い音。
谷中の足元へ一本の亀裂が走る。
思わず足が止まった。
「そこまで。」
「人質がどうなってもいいなら、好きにしろ。」
「お前がさらったのか。」
「そうだ。」
「俺が連れてきた。」
空本が一歩前へ出る。
「目的は何だ。」
男は静かに笑う。
「知る必要はない。」
「じゃあ、なんで俺たちを呼んだ。」
男は谷中を見つめた。
「お前に会いたかった。」
「谷中涼太。」
自分の名前を呼ばれ、谷中は表情を変える。
「どうして俺の名前を知ってる。」
男は笑みを浮かべたまま答えた。
「谷中。」
「お前、自分のことを何も知らないんだな。」
「……え?」
「まあ、それでいい。」
「その方が面白い。」
「何の話だ。」
「そのうち分かる。」
男はそれ以上語らなかった。
ゆっくりと杖を持ち直す。
夜風が吹く。
灯籠の炎が揺らめく。
「黒獅子。」
一歩前へ出る。
「四悪。」
男は静かに笑った。
「
杖を肩へ担ぐ。
「悪法。」
「そう呼ばれてる。」
「黒獅子……?」
空本が息をのむ。
初めて聞く組織。
初めて聞く異名。
天山は楽しそうに二人を見つめた。
「今日は質問の時間じゃない。」
「お前らをここへ呼んだ理由は一つ。」
杖の先を谷中へ向ける。
「試す。」
「谷中涼太って人間に、どれだけの価値があるのか。」
谷中は静かに拳を握る。
「俺に用があるなら好きにしろ。」
「でも。」
「梶原さんには手を出すな。」
天山は目を細めた。
「助けるつもりか。」
「助けたい。」
「それだけだ。」
一瞬の沈黙。
やがて天山は小さく笑う。
「嫌いじゃない。」
「そういう奴。」
「だから壊しがいがある。」
天山が杖を掲げる。
その瞬間。
境内を囲むように、無数の札が宙へ浮かび上がった。
『停止』
『拘束』
『服従』
風が止まる。
灯籠の炎が大きく揺れた。
「谷中!」
空本が身構える。
札の中央で、天山は静かに笑う。
「さあ。」
「始めよう。」
谷中たちの旅で初めてとなる、本物の敵との戦いが、今、幕を開けようとしていた――。