谷中逆ナン物語   作:君脇玲

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7.黒獅子

夜が明ける頃。

 

 谷中と空本は、舞妓・梶原を連れ、お茶屋へ戻ってきた。

 

 戸が開く音に気づき、一人の女性が飛び出してくる。

 

「月!」

 

 古市だった。

 

「師匠……。」

 

 梶原が小さく微笑む。

 

 その姿を見た古市は何も言わず、強く抱きしめた。

 

「よかった……。」

 

「本当に、よかった……。」

 

 張り詰めていた糸が切れたように、古市の瞳から涙がこぼれる。

 

 梶原も静かにその肩へ顔を預けた。

 

 その光景を見た谷中と空本は、ようやく胸をなで下ろす。

 

「間に合ってよかったな。」

 

「ああ。」

 

 しばらくして落ち着きを取り戻した古市は、二人へ深く頭を下げた。

 

「ありがとうございました。」

 

「お二人がいなければ、月は帰って来られませんでした。」

 

 谷中は慌てて首を振る。

 

「俺たちは何もできませんでした。」

 

「結局、天山には勝てなかった。」

 

 その言葉に古市の表情が曇る。

 

「……天山ですね。」

 

 谷中は静かにうなずく。

 

「あいつはいったい何者なんですか。」

 

「黒獅子とか、四悪とか言っていました。」

 

 その名を聞いた瞬間。

 

 部屋の空気が重くなった。

 

 古市はゆっくり立ち上がり、窓の外へ目を向ける。

 

「その名を……知ってしまいましたか。」

 

 静かな声だった。

 

 しかし、その声には隠しきれない恐怖が滲んでいた。

 

「黒獅子。」

 

「日本中の裏社会で、その名を知らない者はいないと言われる巨大な組織です。」

 

 二人は息をのむ。

 

 古市は静かに続けた。

 

「その頂点に立つ四人の幹部。」

 

「人は彼らを――四悪と呼びます。」

 

「四悪……。」

 

 空本が小さくつぶやく。

 

「一人は、悪法・天山。」

 

「法を武器に戦う男です。」

 

「一度その法に囚われれば、誰も逆らうことはできないと言われています。」

 

 谷中は昨夜の戦いを思い出す。

 

 身体が動かず、何もできなかった。

 

 まるで、自分自身が天山の決めた”法”に支配されているようだった。

 

「あれが……悪法。」

 

 古市は静かにうなずく。

 

「二人目は、悪力・稲村。」

 

「圧倒的な力だけで、すべてをねじ伏せる男です。」

 

「三人目は、悪築・谷脇。」

 

「黒獅子という組織を築き上げた参謀と言われています。」

 

「表に姿を見せることは少なく、組織全体を動かしているとも聞きます。」

 

 空本は思わず息をのんだ。

 

「最後の一人は?」

 

 古市は静かに首を横へ振る。

 

「……誰も知りません。」

 

「名前も、姿も、能力も。」

 

「存在だけが語り継がれている四悪です。」

 

 部屋に沈黙が流れる。

 

 谷中は昨夜の戦いを思い返していた。

 

 天山一人に、まったく歯が立たなかった。

 

 そんな相手が、あと三人いる。

 

 しかも、一人は何も分かっていない。

 

 想像するだけで背筋が寒くなった。

 

「でも……。」

 

 谷中がゆっくり口を開く。

 

「どうして俺だったんでしょう。」

 

「天山は俺を知っていました。」

 

「しかも、桐原のことまで。」

 

 古市は静かにうなずく。

 

「偶然ではないでしょう。」

 

「天山は、あなたに会うために現れた。」

 

「何かを確かめるために。」

 

 谷中は拳を握る。

 

 自分には何があるのか。

 

 なぜ狙われたのか。

 

 答えはまだ見えない。

 

 しかし、一つだけ確かなことがあった。

 

 この旅は、もう”逆ナンされたい”だけの旅ではない。

 

 黒獅子との戦いは、すでに始まっていた。

 

     ◇

 

 京都を出発する朝。

 

 梶原は二人へ深く頭を下げた。

 

「助けていただき、本当にありがとうございました。」

 

 古市も穏やかに微笑む。

 

「どうか、お気をつけて。」

 

「また京都へ来てください。」

 

 谷中は笑顔でうなずいた。

 

「その時は、ゆっくり舞妓を見せてください。」

 

 梶原も優しく笑う。

 

「はい。必ず。」

 

 二人は京都を後にした。

 

 旅立った時とは違う。

 

 その背中には、新たな覚悟が宿っていた。

 

     ◇

 

 京都の町を見下ろす高台。

 

 一人の男が静かに空を見上げていた。

 

 黒い羽織。

 

 一本の杖。

 

 天山は小さく笑う。

 

「谷中。」

 

「次は、もっと楽しませてくれ。」

 

 そう呟くと、一枚の札を空へ放つ。

 

 札は夜明けの風に乗り、高く舞い上がる。

 

 やがて男の姿は闇へと溶けるように消えていった。

 

 黒獅子との戦いは――

 

 まだ、始まったばかりだった。

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