谷中逆ナン物語   作:君脇玲

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9.鬼算

 大阪の街。

 

 本来なら活気に満ちているはずの道頓堀は、異様な静けさに包まれていた。

 

 街中のたこ焼きは次々と銀色の玉へ姿を変え、人々は絶望している。

 

 その光景を見下ろす一人の男。

 

 黒獅子の軍師――鬼算・大原。

 

「さあて。」

 

「遊びの続きといこか。」

 

 大原は黒い扇子をゆっくりと開いた。

 

 谷中は拳を握る。

 

「大阪は、お前のおもちゃじゃない。」

 

「春花さんの店も。」

 

「この街も守る!」

 

 空本も谷中の隣へ並ぶ。

 

「二人で行くぞ!」

 

「おう!」

 

 二人は同時に駆け出した。

 

 しかし――。

 

「甘いわ。」

 

 大原が静かに笑う。

 

 カラン。

 

 カラン。

 

 道路一面に転がる銀色の玉が、小さく震え始めた。

 

「鬼算――。」

 

 大原は扇子を大きく振る。

 

銀色玉遊戯(ギャンブル)。」

 

 その瞬間。

 

 大阪中の銀色の玉が一斉に宙へ浮かび上がった。

 

「なっ……!」

 

 谷中と空本は思わず足を止める。

 

 無数の銀色の玉が空を埋め尽くしていた。

 

「行け。」

 

 指を鳴らす。

 

 轟音。

 

 銀色の玉が銃弾のような勢いで二人へ襲い掛かった。

 

「うわっ!」

 

「くっ!」

 

 二人は必死に避ける。

 

 玉は壁を砕き、看板を貫き、地面へ無数の穴を穿つ。

 

「これ全部……たこ焼きかよ!」

 

 空本が叫ぶ。

 

「せや。」

 

 大原は愉快そうに笑う。

 

「大阪中のたこ焼き全部、ワシの武器や。」

 

「ふざけるな!」

 

 谷中が一気に距離を詰める。

 

 渾身の右ストレート。

 

 しかし。

 

 大原は半歩だけ身体をずらした。

 

「読めとる。」

 

 拳は空を切る。

 

 直後。

 

 鋭い蹴りが谷中の腹へ突き刺さる。

 

「ぐあっ!」

 

 谷中は勢いよく吹き飛ばされた。

 

「谷中!」

 

 空本が飛び込む。

 

 拳。

 

 蹴り。

 

 連続攻撃。

 

 それでも大原は紙一重ですべてをかわしていく。

 

「悪ない。」

 

「でも、考えが全部見えとる。」

 

 黒い扇子が一閃。

 

 空本も大きく吹き飛ばされた。

 

「くっ……!」

 

 二人とも傷だらけだった。

 

 大原は肩をすくめる。

 

「天山が警戒するほどでもないな。」

 

「もう終わりや。」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 谷中の脳裏に、京都での敗北がよみがえる。

 

 動けなかった自分。

 

 何も守れなかった夜。

 

 悔しさだけが胸を締めつけた。

 

「……違う。」

 

 谷中はゆっくり立ち上がる。

 

「今回は違う。」

 

 空本も立ち上がり、笑った。

 

「谷中。」

 

「こいつは頭で戦う。」

 

「ああ。」

 

「だったら。」

 

 空本は拳を握る。

 

「考える暇を与えなきゃいい。」

 

 谷中も笑う。

 

「作戦変更だ。」

 

「……は?」

 

 大原が眉をひそめる。

 

 次の瞬間。

 

 二人は一直線に飛び出した。

 

 作戦はない。

 

 駆け引きもない。

 

 ただ、全力で突っ込む。

 

「何やその戦い方!」

 

 大原は慌てて銀色の玉を操る。

 

 しかし。

 

「谷中!」

 

「任せろ!」

 

 谷中は飛んでくる銀色の玉を避けずに突き進む。

 

 腕に当たる。

 

 肩に当たる。

 

 身体中へ激痛が走る。

 

 それでも止まらない。

 

「なっ!?」

 

「そんな無茶苦茶な!」

 

「うおおおおお!!」

 

 その隙に空本が背後へ回り込む。

 

「もらった!」

 

「しまっ!」

 

 大原は咄嗟に振り返る。

 

 しかし。

 

 空本は笑った。

 

「引っかかった!」

 

「!」

 

 大原の視線が完全に空本へ向いた。

 

 その一瞬。

 

 真正面から谷中が飛び込む。

 

「これが――!」

 

 全身全霊の一撃。

 

「俺たちの答えだぁぁぁぁ!!」

 

 拳が大原の腹へ深く突き刺さった。

 

 轟音。

 

 大原の身体が大きく吹き飛び、石畳を何度も転がる。

 

 黒い扇子が宙を舞った。

 

「がはっ……!」

 

 立ち上がろうとする。

 

 しかし足に力が入らない。

 

 大原は空を見上げ、小さく笑った。

 

「……負けや。」

 

「勢いだけで計算を崩されるとはな。」

 

 静かに息を吐く。

 

「せやけど。」

 

「人生、負けっぱなしやない。」

 

「次はワシが笑う番や。」

 

 そう言い残し、大原は静かに意識を失った。

 

 その瞬間だった。

 

 街中の銀色の玉が、一斉に光を放つ。

 

「見ろ!」

 

 空本が叫ぶ。

 

 銀色の玉は次々と熱々のたこ焼きへ戻っていく。

 

 店先。

 

 鉄板。

 

 皿の上。

 

 大阪中から歓声が上がった。

 

「戻った!」

 

「たこ焼きや!」

 

「助かった!」

 

 街に笑顔が戻る。

 

 春花の店にも再び活気が戻っていた。

 

 春花は鉄板いっぱいにたこ焼きを焼きながら笑う。

 

「谷中くん!」

 

「ありがとう!」

 

 山村も穏やかに微笑んだ。

 

「大阪は救われたな。」

 

 谷中は照れくさそうに頭をかく。

 

「みんなのおかげですよ。」

 

 春花はゆっくり谷中へ近づく。

 

「でも。」

 

「一番頑張ったんは、谷中くんや。」

 

「え?」

 

 春花は少しだけ背伸びをした。

 

 そして――。

 

 チュッ。

 

 谷中の右頬へ、優しくキスをした。

 

「!!?」

 

 時間が止まる。

 

 谷中は顔を真っ赤にしたまま固まっていた。

 

「え……?」

 

「えぇぇぇぇぇぇーーーっ!!?」

 

 空本は腹を抱えて大笑いする。

 

「はははは!」

 

「逆ナンじゃないけど、旅に出て初めて女性からキスされたじゃねぇか!」

 

「ち、違っ……!」

 

「これは、その……!」

 

 谷中は頬を押さえたまま何も言えなくなる。

 

 春花は照れ笑いを浮かべた。

 

「これは、お礼。」

 

「また大阪に来てな。」

 

 谷中は照れながら、小さくうなずく。

 

「あ、はい……!」

 

 店中が笑いに包まれた。

 

 大阪らしい、温かな笑い声だった。

 

     ◇

 

 静かな部屋で、一人の男が窓の外を眺めていた。

 

 天山。

 

 その手には一枚の札が握られている。

 

「大原が敗れたか。」

 

 驚く様子はない。

 

 ただ、小さく笑った。

 

「谷中。」

 

「思ったより楽しめそうだ。」

 

 天山は札を指で弾く。

 

 札は静かに宙を舞い、夜風へ溶けるように消えていった。

 

 大阪で勝利を収めた谷中と空本。

 

 しかし、その先には、黒獅子のさらなる脅威が待ち受けていることを、まだ二人は知らなかった――。

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